チラムネの主要キャラに地獄を見せる物語 作:Valkiria
### 16.異質な明るさ(望紅葉)
西野明日風の悲痛な告白を聞いた後、俺の精神力は限界に達していた。
次に来る生徒も、きっと泣き叫ぶか、虚ろな目をした抜け殻だろう。
そう覚悟して、俺はリストにあった1年生の名前を呼んだ。
「……入れ、望」
**ガラッ!**
勢いよく扉が開く音が、湿っぽい空気を切り裂いた。
「失礼しまーす! 1年3組、望紅葉です!」
入ってきたのは、鮮やかなオレンジ色の髪を揺らした、弾けるような笑顔の少女だった。
……は?
俺は目を疑った。
彼女は、千歳朔に拒絶され、さらに上級生の七瀬悠月と暴力沙汰(という噂)を起こした当事者のはずだ。彼女もまた、泥沼の当事者であることは間違いない。
それなのに、今の彼女からは、微塵も陰りを感じない。
「先生、お疲れ様です! 呼び出しなんて珍しいですね。私、何かやらかしちゃいました?」
彼女は椅子に座ると、ニコニコと俺を見上げた。
その態度は自然で、明るく、健康的だ。
さっきまでの地獄のような面談の連続が嘘のように、部屋の空気が軽くなる。
だが――俺の教師としての直感が、警鐘を鳴らしていた。
**「不自然すぎる」**と。
人間は、傷つけば血が出る。心も同じだ。
あれだけの騒動があって、平気でいられるはずがない。
だとしたら、これは「元気なふり」ですらない。
「元気な女子高生」という役割(ロール)を、感情を排して完璧に演じきっている、プロフェッショナルの演技だ。
「……望。お前、大丈夫なのか?」
俺が探るように尋ねると、彼女はキョトンと小首をかしげた。
「え? 何がですか?」
「いや、その……千歳のこととか、色々と噂があるだろう」
「あはは! あー、フラれちゃった件ですか? 全然へーきですよ!」
紅葉は手をひらひらと振った。
「私、切り替え早いんで! 朔先輩には縁がなかったってことで、もう次の恋探してまーす! 部活も頑張らなきゃですしね! 全国目指してるんで、立ち止まってられないんですよ!」
完璧な回答。
声のトーン、表情筋の動き、視線の配り方。どこをどう切り取っても、前向きで健気なスポーツ少女そのものだ。
だが、俺は背筋が寒くなった。
**目が、笑っていない。**
口元は美しい弧を描いているのに、瞳の奥だけが、まるで精密機械のレンズのように冷徹に俺を、そしてこの状況を観察している。
彼女は壊れていないのではない。
壊れた中身を、強固な鉄の仮面で覆い隠し、社会に適合してみせているのだ。
それは、ただ泣き崩れるよりも遥かに歪で、恐ろしい姿だった。
### 17.怪物への道標
「……そうか。ならいいんだ」
俺はそれ以上、踏み込めなかった。
この完璧な仮面を剥がそうとすれば、中からとんでもない闇が溢れ出してくる気がしたからだ。
「じゃあ、失礼しますね!」
面談(という名の様子見)は数分で終わった。
紅葉は元気よく立ち上がり、扉へと向かう。
そして、ドアノブに手をかけた瞬間。
ピタリ、と動きを止めた。
「……あの、先生」
背中を向けたまま、彼女が声をかけてきた。
その声からは、先ほどまでの「明るさ」が完全に消え失せ、氷点下の冷たさが宿っていた。
「2年5組の、窓際の後ろから二番目の席」
「……え?」
俺が聞き返すと、彼女はゆっくりと振り返った。
その笑顔は消えていた。
そこにあったのは、戦場を知る兵士のような、底知れない警告の眼差し。
「気をつけてくださいね。……あそこには、『人』じゃないモノが座っていますから」
「……どういう、意味だ?」
「ただの忠告です。深入りすれば、先生も……私みたいに『壊され』ますよ」
紅葉は一瞬だけ、自嘲気味に口の端を歪めた。
それは、彼女が唯一見せた、人間らしい「敗北者」の顔だった。
彼女もまた、挑み、そして敗れたのだ。あの席の主に。
「では」
彼女は再び「元気な後輩」の顔を貼り付け、軽やかに部屋を出て行った。
残された俺は、呆然と扉を見つめていた。
窓際、後ろから二番目。
千歳でも、内田でもない。
あそこは――俺がこれから呼ぼうとしていた、あの転校生の席だ。
疑惑は確信に変わった。
これから会うのは、生徒ではない。
この崩壊劇の脚本を書き、演出した、本物の「怪物」だ。
「……呼ぶぞ」
俺は震える喉を水で潤し、覚悟を決めた。
「――入れ。**綾小路 清隆**」
### 18.静寂の来訪(綾小路清隆)
進路指導室の空気は、極限まで張り詰めていた。
石油ストーブの燃焼音と、壁掛け時計の秒針の音だけが、耳障りなほど大きく響く。
俺、岩波蔵之介は、デスクの下で膝が震えるのを必死に抑え込んでいた。
一拍の間。
そして、扉がスッ……と音もなく開いた。
「失礼します」
落ち着いた、低い声。
入ってきたのは、整った顔立ちをした男子生徒――綾小路清隆。
制服の着こなしは乱れ一つなく、髪型も清潔感がある。
千歳のような覇気もなければ、内田のような悲壮感もない。
ただひたすらに「普通」で、そして不気味なほどに「静か」な立ち姿。
彼は一礼すると、音も立てずに椅子に座った。
その動作のあまりの滑らかさに、俺は動物的な悪寒を感じた。
気配がない。そこに質量を持って存在しているはずなのに、まるで映像を見ているかのような希薄さ。
「……綾小路。学校生活には慣れたか?」
俺は震える手で資料をめくり、どうにか教師としての体面を保とうとした。
「はい。クラスの皆さんも親切で、毎日充実しています」
綾小路は、瞬き一つせずに答えた。
嘘だ。
クラスの皆さんは、今や半数が死んだ魚のような目をしている。それを「充実している」と言ってのける神経。
だが、彼の表情には皮肉の色すらない。ただの事実として報告しているだけだ。
「成績は……文句なしか。定期考査も全科目満点。模試の偏差値も測定不能レベル。スポーツテストの記録も、部活動のエースたちを凌駕している」
資料を見れば見るほど、異常性が際立つ。
転校初日からしばらくは目立たなかったが、ある時期を境に爆発的な能力を発揮し始めた。
文武両道などという生易しいものではない。全てにおいて「頂点」に立っている。
「進路希望は……『未定』か」
「はい。特に希望はありません」
「お前ほどの能力があれば、東大だろうが医学部だろうが、海外の大学だって行けるぞ。……何がしたいんだ?」
俺が問いかけると、彼は少しだけ首を傾げた。
「何がしたいか、ですか。……そうですね」
彼は俺の目を真っ直ぐに見つめ返した。
その瞳は、深海のように暗く、光を吸い込むような漆黒。
「『平穏な日常』を送ること。……それだけです」
ゾクリ、とした。
平穏?
この崩壊したクラスの惨状を作っておいて、それが平穏だと言うのか?
### 19.深淵からの解答
俺は我慢できなくなった。
教師としての責任感か、あるいは恐怖からくる生存本能か。
確証はない。だが、聞かずにはいられなかった。
「……綾小路。お前、気づいているか?」
「何のことでしょうか」
「クラスの様子だ。千歳も、内田も、他の連中も……みんな様子がおかしい。何かに怯え、傷つき、バラバラになっている。……望が言っていたぞ。『あそこには人が座っていない』とな」
俺は身を乗り出した。
「お前、一体何をしたんだ?」
核心を突く問い。
普通の生徒なら動揺するはずだ。
だが、綾小路は眉一つ動かさなかった。ただ、淡々と口を開く。
「先生。……それは『教師としての指導』ですか? それとも『個人的な憶測』ですか?」
「な、なんだと?」
「もし指導なら、根拠を示してください。俺が誰かをいじめたという証拠は? 暴力沙汰の記録は? ……何もありませんよね」
正論。
あまりにも冷徹な論理の壁。
彼のアリバイは常に完璧だ。文化祭の夜も、百人一首大会の時も、彼は常に「無実」の位置にいた。法的に彼を裁くことは不可能だ。
「個人的な憶測なら、答える義理はありませんが……一つだけ言わせてもらうなら」
綾小路は、ふっと口元を緩めた。
その笑みを見た瞬間、俺の心臓が早鐘を打った。
笑っているのに、目が笑っていない。捕食者が、弱りきった獲物を弄ぶような顔。
「彼らは勝手に転び、勝手に傷つき、勝手に壊れていっただけです。……脆いんですよ、彼らの青春ごっこは」
「き、貴様……!」
俺は立ち上がろうとした。
だが、金縛りにあったように体が動かない。
綾小路が発する「圧」が、物理的な質量を持って俺を椅子に縫い止めていた。
「先生。あなたは楽をしたかったんですよね?」
彼が静かに語りかける。図星を突く言葉。
「千歳朔という便利な生徒に全てを丸投げし、見て見ぬ振りをしてきた。……そのツケが回ってきただけです。王が倒れれば、国は荒れる。当然の帰結でしょう」
「……っ」
「ですが、安心してください。……もう、荒れることはありません」
彼はゆっくりと立ち上がり、俺を見下ろした。
その影が、俺を覆い尽くす。
「千歳は降りました。邪魔なヒロインたちも静かになりました。後輩のイレギュラーも処理しました。……今の2年5組は、とても静かで、秩序だっていて、統率が取れていますよ」
彼は両手を広げた。
「俺が、管理していますから」
その言葉の意味を理解した時、俺は戦慄した。
彼は破壊したのではない。
**作り変えた**のだ。
千歳朔という「太陽」が支配する不安定な情熱の国から、綾小路清隆という「夜」が支配する、冷たく完璧な独裁国家へと。
### 20.服従の契約
「……お分かりいただけましたか? 岩波先生」
綾小路が、首をかしげる。
俺は、頷くことしかできなかった。
逆らえない。
この男を敵に回せば、俺もまた、千歳たちと同じように「壊される」という確信があった。
教師という立場も、社会的地位も、精神も、全て。
「け、警察沙汰になるようなことは……していないな?」
俺が絞り出したのは、そんな保身の言葉だけだった。
綾小路は満足そうに目を細めた。
「ええ、もちろん。俺はただの、真面目な高校生ですから」
彼は一礼した。
その所作は、どこまでも美しく、そして嘘臭かった。
「失礼します。……これからも、よろしくお願いしますね、担任(センセイ)」
扉が閉まる。
彼が去った後の部屋には、重苦しい静寂と、冷や汗の匂いだけが残された。
俺は椅子に崩れ落ち、天井を仰いだ。
終わった。
千歳朔の時代は終わり、この学校は完全に、あの怪物の掌の上に落ちたのだ。
### 21.エピローグ:鋼鉄の魔王
廊下に出た俺――綾小路清隆は、一つ息を吐いた。
担任の岩波。
小賢しいが、保身に走る凡人だ。少し脅せば、こちらの都合のいいように動くだろう。
これで、教師側のコントロールも完了した。
俺は廊下を歩く。
すれ違う生徒たちが、俺を見て道を空ける。
かつて千歳朔に向けられていた親愛の眼差しとは違う、畏怖と服従の視線。
(……悪くない)
俺はポケットに手を突っ込み、窓の外の雪景色を眺めた。
この福井に来て、半年。
「普通の高校生活」を求めてやってきたはずが、気づけば随分と派手な「整地作業」をしてしまったものだ。
だが、後悔はない。
俺の平穏を脅かす要素(リア充ごっこ)は排除した。
千歳朔は無害なモブになり、ヒロインたちは俺の所有物(あるいは廃棄物)となり、学校全体が俺のルールで動いている。
これこそが、俺の求めた「平穏」だ。
誰にも干渉されず、誰にも脅かされず、全てを支配下に置くことで得られる絶対的な安全圏。
「……さて」
俺は歩みを止めることなく、独りごちた。
「冬休みは、どう過ごすかな」
壊れたおもちゃたちを修理して遊ぶか。
それとも、まだ見ぬ新たな敵を探しに行くか。
どちらにせよ、この箱庭の王は俺だ。
俺は冷たいガラスに映る自分の顔を一瞥し、薄く笑った。
硝子の王様は砕け散り、そこには今、感情を持たぬ鋼鉄の魔王が立っていた。
【二者面談編・完】