チラムネの主要キャラに地獄を見せる物語 作:Valkiria
思わぬ反響があったので、ストーリーを追加していきます
感想頂けると更新頻度上がります
第六章
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福井の湿った夏が過ぎ去り、季節は秋の深まりを感じさせる冷涼な風を運び始めていた。
体育祭でのあの蹂躙劇から二ヶ月。俺が黒板に穿ったクレーターは修繕され、教室にはまた平穏な日常が戻っていた。
だが、その「平穏」は俺が望んだ静寂ではなかった。
朝のホームルーム。
気だるげな表情で教室に入ってきた担任教師が、出席簿を教卓に置くと同時に、一枚のプリントを黒板に貼り付けた。
「えー、連絡事項だ。来月、球技大会を行う」
その一言で、教室の空気が一変した。
テスト明けの退屈な日々に飽き飽きしていた生徒たちが、一斉に色めき立つ。
球技大会。それは体育祭と並び、この学校においてスクールカーストの序列を再確認し、青春を謳歌するための最重要イベントの一つだ。
「種目は、男子がサッカー。女子がバレーボールだ。……まあ、男子は希望があれば女子バレーとの混合チームも可とするが、基本的には分かれて戦うことになるだろうな」
担任の説明が終わるか終わらないかのうちに、教室の中心で椅子を引く音が響いた。
千歳朔だ。彼は待っていましたとばかりに立ち上がり、爽やかな笑みを浮かべた。
「先生! さっそくメンバー決めと作戦会議したいんで、このままホームルームの時間、俺らにください!」
教師は「はいはい、好きにしろ」と面倒くさそうに手を振り、教室の隅へと下がった。
権限委譲。このクラスの実質的な支配者が誰であるか、教師さえも認めている証拠だ。
千歳は教壇に立つと、慣れた手つきでチョークを取り、黒板に大きく『必勝!』と書き殴った。
「みんな聞いてくれ! 今回の球技大会、俺たちの目標はもちろん優勝だ!」
「おー! 朔についていくー!」
「朔くんがキャプテンなら余裕っしょ!」
派手なメイクの柊夕湖が手を叩き、七瀬悠月が静かに、しかし熱のこもった視線で彼を見守る。
夏休みの間に修復された彼らの「絆」とやらが、教室全体を巻き込んで熱気を帯びていく。
千歳は水を得た魚のように生き生きとしていた。
まるで、自分がまだこのクラスの絶対的なリーダーであり、揺るぎない王であるかのように。
「男子サッカーは俺がまとめるよ。経験者も未経験者も関係ない。全員で勝つぞ!」
千歳はクラスを見渡し、視線を俺の席で止めた。
そして、クラス全員に聞こえるような通る声で、俺に話を振ってきた。
「綾小路! お前ももちろん出るよな? お前の足があれば百人力だ」
千歳が俺に微笑みかける。
それは純粋な勧誘に見えて、その実、計算高い牽制だ。
俺をチームに取り込み、共に戦うことで「俺たちは対等な仲間だ」と周囲にアピールする魂胆が見え透いている。
あるいは、サッカーというチームスポーツの枠組みの中でなら、俺の個人的な武力(スペック)を、彼の統率力(リーダーシップ)で制御できると考えているのかもしれない。
「……まあ、人数合わせくらいなら」
俺は適当に返事をする。
千歳は満足そうに頷き、「よし、じゃあポジション決めていくぞ!」と再び黒板に向き直った。
俺は頬杖をつきながら、その背中を冷ややかに見つめる。
サッカーとバレーボール。
どちらもチームスポーツだ。個人の身体能力だけでは支配しきれない要素がある。
だからこそ、千歳は「チームワーク」や「絆」という武器で、俺に対抗できると思っているのだろう。
(甘いな)
俺は黒板に書かれた種目一覧を見つめる。
チームプレー? 絆?
そんなものが、圧倒的な「個」の暴力の前にどれほど無力か、教えてやる必要がある。
ボール一つあれば、22人の人間を支配することなど造作もないのだから。
「よっしゃ! 次の球技大会、絶対優勝するぞ!」
「おー! 朔についていくー!」
教室の中心で、千歳朔が拳を突き上げている。
その周りには、派手なメイクの柊夕湖(ひいらぎ ゆうこ)と、静かに微笑む七瀬悠月(ななせ ゆづき)が華を添えている。
……どういうことだ?
俺は自席で頬杖をつきながら、その光景を冷ややかに観察していた。
体育祭の後、千歳は確かに自分の無力さを悟り、「わきまえた凡人」になったはずだった。
夕湖と悠月は、醜いキャットファイトの末に尊厳を失い、クラス中からドン引きされて崩壊したはずだった。
だというのに、今の彼らはまるで何事もなかったかのように笑い合い、スクールカーストの上位として振る舞っている。
(……夏休み、か)
長期休暇という名の「青春イベント」が、彼らの都合の悪い記憶をリセットさせたらしい。
おそらく、海に行き、バーベキューをし、花火を見上げ、「俺たちは一度ぶつかり合ったからこそ、もっと強くなれたんだ!」「雨降って地固まるだね!」などという寒い再確認(ドラマ)でも演じたのだろう。
あの泥沼の喧嘩も、「本音で語り合った証」として美化され、友情のスパイスに変換されたようだ。
ゴキブリ並みの生命力と言うべきか、あるいは、性根に刻まれた「イキり癖」は、一度や二度の挫折では治療できない不治の病なのか。
「よう、綾小路」
千歳が俺の席にやってきた。その顔に、以前のような怯えはない。あるのは、妙にスッキリした「挑戦者」の顔だ。
「夏休み中、ずっとお前のこと考えてたよ。俺は凡人かもしれない。でもさ、そこで諦めたら、俺は俺じゃなくなる気がしたんだ。お前が壁なら、俺は何度でも挑む。ライバルとして、お前の隣に立てる男になるまでな!」
周囲の女子たちが「きゃー! 朔くんポジティブ!」「マジかっこいいし!」とはしゃぐ。
特にギャルの柊夕湖は、以前と変わらず千歳を持ち上げている。
なるほど。彼は俺という「絶対的な敗北」すらも、「自分を成長させるための試練」として物語に取り込み、精神的勝利を得たわけだ。そうやって自分を肯定し続けなければ、自我が保てないのだろう。
(……面倒だな)
一度徹底的にへし折った骨が、変な方向に曲がったまま太く繋がってしまったようだ。
このまま放置すれば、彼はまた「勘違いした王」として増長し、この教室を退屈な色に染め上げるだろう。
増長する前に、止めるべきだ。今度は「再起不能」になるレベルで。
### 2
そして迎えた球技大会当日。男子サッカーの初戦。
秋晴れのグラウンドに、ホイッスルの音が鳴り響く中、俺は何故かパイプ椅子に座り、スポーツドリンクのボトルを眺めていた。
ベンチウォーマー。補欠。
それが、今回の俺に与えられたポジションだ。
「……なるほどな」
俺はピッチの中心で声を張り上げている千歳朔を見る。
彼が俺をスタメンから外した理由は明白だ。『無意識に俺に見せ場を取られることを恐れた』……いや、それだけではない。
『俺抜きでも勝てることを証明し、失墜した王の権威を取り戻す』。後者こそが本命の狙いだろう。
俺という「劇薬(チート)」を使えば、勝利は確実だ。だが、それでは千歳朔は「綾小路に勝たせてもらった飾りのリーダー」で終わる。彼はそれを嫌ったのだ。
(……まあいいだろう。どこまでできるか見物だな)
俺は足を組み、観客席で黄色い声を上げる柊夕湖たちの喧騒をBGMに、ピッチ上の茶番劇を見守ることにした。
だが、現実は残酷だった。
相手チームの2年1組には、サッカー部のレギュラーが数名いた。
千歳の付け焼き刃のリーダーシップや、クラスの団結力など、個の技術の前では無力だった。
前半で2点。後半開始早々に2点。
スコアボードの数字は、無慈悲に「0-3」を示していた。
完敗だ。ぐうの音も出ないほどの蹂躙。
残り時間は20分。もはや逆転など不可能な点差。クラスメイトたちの心は完全に折れ、足は止まり、ただ試合終了の笛を待つだけのカカシと化していた。
千歳だけが、「まだだ! 走れ!」と叫んでいるが、その声は虚しく空回りし、誰にも届いていない。
観客席の夕湖たちも静まり返っている。
彼女たちが求めているのは「勝っているかっこいい朔」であり、「無様に負ける朔」ではない。
夏休みの魔法が解けていく。
(……限界だな)
俺は深く、重いため息をついた。
パイプ椅子から立ち上がり、ジャージを脱ぎ捨てる。
「先生。……交代(チェンジ)です」
「え? ああ、綾小路か……。まあ、好きにしていいぞ」
担任も半ば諦め顔で許可を出した。俺はタッチライン際へ歩み寄り、息を切らして膝をついているクラスメイトと交代した。
### 3
ピッチに入ると、湿った芝の匂いと、敗北の濃い空気が鼻をついた。
近くにいた千歳朔が、俺に気づいて顔を上げる。
汗と泥にまみれたその顔は、プライドをズタズタに引き裂かれた悔しさと――それでもなお、俺という劇薬に縋らざるを得ない、僅かな希望に歪んでいた。
(……随分と都合のいいことだな)
俺は心の中で嘆息する。
散々「俺たちだけで勝つ」と息巻いておきながら、窮地に陥ればその目で俺を見る。
王としての矜持はどうした? お前の描いたシナリオは、こんな無様なバッドエンドだったのか?
俺がコートに入ったことに対して、クラスメイトたちの反応は意外なほど素朴だった。
確かに俺の身体能力がずば抜けていることは周知の事実だが、サッカーは技術が求められるスポーツだ。
俺がどこまでできるのか未知数だからだろう。
そして案の定、相手チーム――2年1組のサッカー部員たちからは、露骨に侮蔑の色が見て取れた。
「おい見ろよ、あの『俊足くん』が出てきたぜ」
「陸上部がサッカーごっこかよ。怪我しないうちに帰んな」
「4点差だぞ? 今更何しに来たんだか」
エースストライカーの男が、ヘラヘラと笑いながら俺に聞こえるように嘲る。
彼らの警戒心は麻痺している。素人の、しかも途中出場の補欠になど、何もできるはずがないという慢心。
(……喋る元気はあるようだな)
俺は彼らの挑発を無視し、センターサークル付近に立った。
表情筋一つ動かさない。
そんなことを考えている間に、試合再開の笛が鳴り響く。
**ピィッ!!**
相手ボールから試合が再開された。
だが、2年1組の連中は、攻めてこなかった。
ディフェンスラインとボランチの間で、ダラダラとボールを回しているだけだ。
いわゆる「鳥かご」。
4点差という絶対的なリードを背景に、無理に攻めて体力を消耗するよりも、リスクを冒さず時間を使い切るつもりなのだろう。
千歳だけはまだ希望を見出しているのか、無駄に張り切っている。
「まだだ! 取りに行くぞ!」
汗を飛び散らせ、ボールを追い回す姿は、まるで水を得た魚だ。逆境であればあるほど燃える。そのポジティブさは、今の状況では現実が見えていないピエロにしか見えない。
俺はため息をつきながら、ゆっくりと相手陣内へ足を踏み入れた。
俺が動いたことに気づいた千歳が、すかさず俺の数メートル横にポジションを取った。
その視線が、俺とボールを交互に見ている。
(……なるほどな)
彼の思考は手に取るように分かる。
大方、俺のスピードでボールをカットさせ、あわよくばパスをもらってゴールをしようという魂胆だろう。
俺を利用して逆転劇を演出し、地に落ちた王の座を取り戻す。どうやら彼は、まだ王の座を諦めきれていないらしい。
いいだろう。ボールは奪ってやる。
だが、そのパスがお前の足元に届くことは――永遠にない。
### 4
相手のボランチが、サイドへ向かって緩いパスを出した。
安全圏でのボール回し。その油断しきった軌道が、俺の網膜に白い線を引く。
(さあ――――狩りの時間だ)
俺は思考を切り捨て、肉体のリミッターを外した。
予備動作(タメ)はいらない。
俺は直立した状態から、全身の力を「フッ」と抜いた。
**抜重(ばつじゅう)。**
自衛隊や古武術で用いられる加速術。
重力に従って崩れ落ちようとする身体を、膝のバネだけで強烈に反発させる。筋肉の緊張による「蹴り出し」ではなく、落下のエネルギーを推進力へと変換する、0から100への瞬間移動。
**ザンッ!!**
音すら置き去りにする初速。
俺の体は一瞬でトップスピードに達し、ピッチの芝を切り裂いた。
「なっ……!?」
パスを出したボランチも、受けようとしたサイドバックも、何が起きたのか理解できていない。
彼らの視界には、俺の姿が「消えた」ように映ったはずだ。
俺はボールを追うのではない。ボールが到達する「未来」の空間へと身を投じる。
敵陣のど真ん中。ボールはまだ空中にある。
常識的なサッカーならば、まずは胸でトラップし、足元に落とし、ドリブルで持ち込み、シュートコースを探す――その手順(プロセス)が必要だ。
だが、俺はすべての過程を削ぎ落とす。
ボールが俺の目の前に来るその刹那。
俺の体は既に空中にあり、半身を捻り、右足は限界まで後方へと振り上げられていた。
**シュートの体勢(フォーム)。**
ボールに触れる前から、俺は既に「撃つ」動作を完了させていた。
パスの軌道上に、俺という砲台が突如として出現したかのような理不尽。
「は……?」
相手のエースが、間抜けな声を漏らす。
トラップしないのか? そこで撃つのか? いや、そもそも届くのか?
彼らの思考が追いつくよりも速く。
俺は空中のボールに吸い込まれるように、右足を叩き込んだ。
**『直撃跳弾』(ダイレクトシュート)**
神がかり的な反射神経でボールの芯を捉え、類稀なる体幹で反動を完全に殺しきる者だけが放てる、防御不能の一撃。
**ドォォォォォォォンッ!!**
インパクトの瞬間、ボールが破裂したかのような轟音が響いた。
回転などかかっていない。純粋な運動エネルギーの塊となったボールは、空気の壁を突き破り、一直線にゴールマウスへと突き刺さった。
キーパーは一歩も動けなかった。
いや、反応することすら許されなかった。彼の顔の横を通過した風圧が、遅れて髪を揺らす。
ボールがネットに突き刺さり、摩擦で白煙を上げそうな勢いで回転してようやく、審判の笛が鳴った。
**ゴォォォル!!**
静寂。
そして爆発するようなどよめき。
俺は着地し、残心(ざんしん)もそこそこに、ゆっくりと顔を上げた。
センターサークル付近で、千歳朔が呆然と立ち尽くしている。
パスを貰おうと走っていた彼の足元には、永遠にボールなど届かない。
「まずは一つだな」
俺は静かにそう呟き、無造作に人差し指を一本だけ天に掲げた。
確か、かつて『皇帝』と呼ばれた競走馬、シンボリルドルフも、初勝利の際に似たようなパフォーマンスをしていたか。
三冠ならぬ、一得点。
俺はそんな場違いな連想を頭の隅で転がしながら、興味なさげにゆっくりと指を下ろした。
「うおおおおお!! 綾小路すげぇえええ!!」
「なんだよ今のシュート! プロかよ!?」
クラスメイトたちから、爆発的な歓声が巻き起こる。
さっきまでの葬式のような空気は消し飛び、俺を見る目は「不気味な補欠」から「絶対的な救世主」へと完全に裏返っていた。
俺は熱狂には目もくれず、ピッチの中央で立ち尽くす千歳朔に視線を流した。
彼はこちらを見ていた。
その顔には、チームが得点したという安堵も、逆転への希望による喜びもない。
あるのは、困惑と驚愕、そして――主役の座を暴力的に奪われた、隠しきれない悔しさ。
(当たり前だろう、千歳)
耳を澄ませてみろ。
クラスの歓声の中心に、お前の名前はもうない。
お前が座っていたつもりになっていた、その透明で美しい「ガラスの玉座」には、既に修復不可能なヒビが入っている。