天才ロリ(合法)と一般JKの百合   作:( 눈_눈)

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何とかクリスマスに間に合ったな。間に合ったと言いなさい。まにあったと言え。




クリスマスライブと口づけ

大箱の楽屋は、少しだけきらきらしていた。

 

廊下には、仮設のポスターと注意書きの貼り紙に混ざって、クリスマスカラーのフラッグがところどころぶら下がっている。

ステージ裏の搬入口には、機材トラックとケータリングカーがきちんと並んで、あちこちからスタッフの声が飛び交っていた。

 

扉一枚隔てた向こう側では、すでに開場済みのホールが脈打っている。

低いベースのような歓声のざわめきと、BGMのジングルベルが、床を伝ってじわじわと響いている。

 

名雪紫音の名前が印刷された白い札が下がった楽屋の扉の内側では、それとはまるで別の時間が流れていた。

 

ーー

 

鏡前のライトに照らされた紫音は、いつも以上に作られた名雪紫音だった。

 

赤いベルベット地のミニドレス。

裾と襟元、袖口には、ふわふわした白いファー。

ただし、世間一般のサンタコスとは違って、安っぽさは一切ない。

 

襟ぐりは鎖骨が綺麗に見える程度で、胸元を強調するようなデザインではない。

スカート丈も、座ったときにギリギリ太ももの半ばが隠れるくらいの絶妙なラインに抑えられている。

 

生地の表面には、雪の結晶を模した銀糸の刺繍が散らされていた。

白いステージライトを浴びたときだけ、ほのかに光るように計算されている。

 

腰には、サテンの深いワインレッドのリボン。

ただ結ばれているのではなく、コルセットのようにラインを絞って、全体のシルエットをきゅっとまとめていた。

 

脚は、肌色のステージ用タイツの上から、薄くラメの入った黒いニーソックス。

足元は、少しヒールのあるブーツ。

完全にアイドル寄りのサンタではなく、名雪紫音らしいサンタコスチュームに仕上がっている。

 

(……似合いすぎでしょ…)

 

白百合優里は、楽屋のソファの端に腰掛けながら、溜息をつきながら鏡越しにその姿を眺めていた。

 

目の前では、スタイリストと衣装さんが、最後のチェックをしている。

 

「はい、ちょっとだけ回ってくださーい」

 

「……こう?」

 

紫音が言われた通りに、その場でゆっくり一回転する。

ファーの裾がふわりと揺れ、銀糸の刺繍がライトを拾って一瞬だけ細かく瞬いた。

 

「…あ゛ぁー………超可愛い。……………うん、丈感は大丈夫そうですね。屈むときは、いちおう膝を揃える感じで!」

 

「……うん」

 

「背中のファスナー、もう一回確認しますねー」

 

衣装スタッフが後ろに回り込んで、ファスナーの終点を指でなぞり、ピンの位置を微調整する。

紫音は、じっと鏡の中の自分を見つめたまま、黙ってそれを受け入れていた。

 

(ファンの人たち、今日絶対死ぬほど叫ぶだろうな……)

 

少しだけ遠い目で、そんなことを考える。

 

このサンタコスで、ピアノの前に座って。

スポットライトを浴びて、首筋にうっすら汗を浮かべながら、いつもの精度で歌われたらーー

 

その光景を想像しただけで、客席から上がる悲鳴にも近い歓声が、容易く脳内再生できる。

 

(でも)

 

優里は、独占欲を誤魔化すように、指先でそっと、スタッフパスの角を撫でた。

 

(今日、一番近くで見てるのは、わたし)

 

モニター越しでも、袖からでもなく、楽屋の距離で。

きっと照明の熱が残る肌も、汗で少しだけ重くなる髪も、

それらの音楽が終わったあとに残る名雪紫音の残り香を。

 

全部一番近い場所で受け止めるのは、自分だ。

 

そう思うと、ふつふつ湧き上がる嫉妬と一緒に、どうしようもない優越感がじわりと胸の奥を満たしていく。

 

「……優里」

 

呼ばれて、顔を上げる。

鏡越しに、紫音の目がこちらを見ていた。

 

「ねぇ」

 

「…はい」

 

紫音は、袖口のファーを指でつまんで、少しだけ不安そうに言う。

 

「…サンタさんっぽく、見える?」

 

一瞬だけ、返事に詰まった。

 

サンタっぽいかと言われれば、確かにそうだ。

でも、こんなサンタはいない。いちゃいけない。

 

優里は、ソファから立ち上がって、紫音の方へ歩み寄る。

 

「見えますけど……」

 

ほんの一拍だけ溜めてから、わざとらしくため息を落とした。

 

「……こんな可愛すぎるサンタさん、いませんよ」

 

紫音が、少しだけ瞬きをする。

 

「……褒めてるの?」

 

「もちろん超褒めてます」

 

紫音の真正面まで来て、ふわふわの袖口を指でつまむ。

ファーの下の生地の縫い目を、軽く整える。

 

「ここ、ちょっとファーが立ちすぎてるので……」

 

タオル越しに指の腹で撫でて、形を整える。

ついでに、スカートの裾の左右で長さが微妙に違って見えるところを、さりげなく引っ張って揃えた。

 

「……こっち側、ちょっとだけ上がってました」

 

「……ありがと」

 

紫音は、鏡に視線を戻す。

赤のリップに、少しだけ力を入れて閉じる。

 

(ほんと……可愛すぎる…)

 

鏡に映る横顔を見つめながら、優里は心の中で小さく毒づいた。

 

白銀の髪は、今日は耳の後ろで軽くまとめられて、後ろでゆるく巻かれている。

ポニーテールでもツインテールでもなく、あくまで大人寄りの髪型。

それでも、顔立ち自体がどこまでも少女めいているせいで、危ういバランスで可愛いと綺麗が混ざっていた。

 

この顔で、サンタの赤いミニドレス。

ステージに、世に出していいビジュアルではない。

 

ほんの少し、悔しい。

でも、その悔しさすらも、わたしだけが知っている顔があるという事実で上書きされていく。

 

誰も知らない、眠たげな素顔や、熱に浮かされた夜の顔や、

締切に追われ唸ってる時の、ちょっと情けない顔。

 

全部見てきたのは、世界でただ一人、自分だけだ。

 

衣装スタッフが一歩下がり、「オッケーです」と親指を立てる。

 

その声と、廊下から聞こえてきた「本番十五分前でーす!」のアナウンスが重なった。

 

紫音は、ほんの少しだけ肩をすくめて、深呼吸をひとつした。

 

ーー

 

本番が始まる頃には、優里は楽屋奥のソファから、小さなモニター前の椅子に移動していた。

 

楽屋の隅には、PAから送られてくる音声のラインと、ステージ袖の定点カメラの映像が繋がっている小さなモニターが置かれている。

音量を上げれば、会場の歓声も、MCも、歌も、すべてここで把握できる。

 

照明が落ちて、SEが鳴り始める。

楽屋の壁越しにも、観客のざわめきがいっせいにひとつの波になるのが分かった。

 

『本日はご来場いただきありがとうございますーー』

 

オープニングのナレーションが響き、スクリーン越しにオープニングムービーが流れ始める。

 

モニターには、暗転したステージと、客席のサイリウムの光が映っていた。

赤や緑のペンライトが、クリスマスツリーみたいに揺れている。

 

(……始まる)

 

優里は、膝の上で組んでいた指を、そっと解く。

ノートPCを開き、SNSのタイムラインも片隅に表示させた。

 

イントロが流れ、最初の曲のシーケンスが始まる。

 

スポットライトが一斉に照らし出した先に、赤い影が現れた。

 

サンタコスの紫音が、ピアノの前に立っていた。

 

『きゃああああああああああ!!』

 

楽屋の壁すらを震わせる悲鳴にも似た歓声が、現場の空気の厚さを物語っている。

 

モニター越しでも、観客の「紫音ーー!」「メリークリスマス!!」という叫びが拾われていた。

 

(……まぁ、そうですよね)

 

優里は、心の中で苦笑する。

 

タイムラインのほうも、開演前からすでに波打っていたが、顔を出した瞬間、一気に爆発した。

 

『サンタ紫音可愛すぎて死んだ』

『服やば』

『現地民息してる???』

『結婚して』

 

(そうでしょ)

 

思わず画面に向かって小さく頷いてしまう。

 

(可愛いんですよ。ほんとに、どうしようもなく)

 

ピアノの前に座ると、ドレスの裾がふわりと膝に広がった。

膝下の黒いニーソが、白い脚線と一緒に、一瞬だけライトを受けてきらりと光る。

 

最初の一音が鳴った瞬間、また歓声がひとつ高くなった。

 

音は、いつも通りだ。

機械のように正確で、機械よりも安定していて。映画のように感情的で、映画よりも爆発的だ。

でも、今日はどこか楽しげで、クリスマスの空気を受け取ったみたいな、少しだけ甘いニュアンスが混ざっているようにも感じる。

MCも、いつもよりほんの気持ち柔らかい。

 

『こんばんは。名雪紫音です。……メリークリスマス』

 

『『『メリークリスマース!!』』』

 

『この時間にここまで来てくれて、ほんとにありがとう。……配信で観てくれてる人も、メリークリスマス』

 

音声越しでも、笑い混じりの歓声と拍手が伝わってくる。

 

『……クリスマスらしいこと、あんまりしないタイプだけど』

 

『でも、こうやってみんなと一緒に音楽できるの、すごく楽しい』

 

「きゃー!!」と高音の悲鳴が上がる。

 

タイムラインも、瞬時にそれを拾う。

 

『可愛い』

『今日のMCの声甘くない??』

『語尾が柔らかい。可愛い』

 

モニターを見つめながら、優里は胸の奥にじわりと広がっていく感情を、なんとか笑いに変えようとする。

 

それでも、タイムラインに流れる別の文字列が、視界の端にひっかかった。

 

『あんなサンタに来てほしい人生だった』

『恋人になりたい』

『一目でいいから生で見たかった』

『どんな徳をつめば結婚できますか?』

 

(……恋人になりたい、ね)

 

心の中で、小さく復唱する。

 

(気持ちは分かりますけど)

 

まだ見ぬ紫音さんの恋人候補の椅子を想像してみる。

紫音の隣でご飯を食べて、一緒にソファで映画観て、寝込んだときにお粥を作って。

今日みたいな大事なライブの日に、袖から見守って、楽屋で迎える役目を担う誰か。

 

……その椅子に、今座っているのは、自分だ。

 

タイムラインの文字列をスクロールしながら、優里は心の中だけで、そっと続ける。

 

(あの白い指を握るのは、絶対に、わたしですから)

 

ライブは順調に進んでいく。

 

アップテンポの曲では、サンタコスの裾が翻り、ファーがライトを弾くたびに客席から悲鳴が上がる。

しっとりしたバラードでは、真っ赤なドレスと静かな照明のコントラストが、儚さを際立たせる。

 

コール&レスポンスでは、

普段よりテンション高めに煽って、

 

『……メリークリスマス』

 

と、時折少しだけ照れたように囁く。

 

そのたびに、「ずるい」「死んだ」「結婚してくれ」というコメントが、タイムラインと会場と両方で噴き上がる。

 

優里は、ひとつひとつの歓声を、誇らしさと、ほんの少しの黒いざわめきを混ぜながら受け止めていた。

 

モニター越しの世界は、どこまでも華やかで、光に満ちている。

それでも、その光の裏側にある帰る場所が、自分の隣の椅子だという確信が、優里の胸の奥で静かに暗く根を張っていた。

 

ーー

 

アンコールが終わり、客席の光がゆっくりと白に戻っていく。

 

『今日は本当に、ありがとうございました。……また会いましょう』

 

最後の一礼。

銀の刺繍が、ファーの裾と一緒に綺麗に揺れる。

 

客席の「紫音ーー!!!」という声と、惜しむような拍手が、しばらく止まない。

ゆっくりと客入れBGMに切り替わり、ステージの照明が落ちていく。

 

楽屋前の廊下のざわめきが、一段階大きくなった。

スタッフのバタバタと走る足音、インカムの声、機材を片付ける金属音。

 

優里は、モニターの電源を落として立ち上がる。

 

(そろそろ、戻ってくる)

 

楽屋の扉を少しだけ開けて、廊下側を覗く。

ちょうど、舞台袖から続く通路の向こうに、見慣れた銀色が揺れるのが見えた。

 

サンタコスの紫音が、スタッフに取り囲まれながらこちらへ歩いてくる。

 

「お疲れさまでした!」「今日もやばかったです」と口々に声が飛ぶ。

 

マネージャーがタオルを差し出し、メイクさんが「このまま少しだけ直し入れますね」と笑う。

PAからは「モニター、問題なかったです」「配信も全然落ちてませんでしたよ」と報告が入る。

 

紫音は一人一人に、短く、しかしちゃんと目を見て「ありがとう」「お疲れさま」と返していた。

 

額には、うっすらと汗が見える。

こめかみのあたりで、ベースメイクの下の赤みが少しだけ強くなっている。

 

サンタドレスの裾には、紙吹雪とラメがところどころ張り付いていた。

ファーの白さの上に乗った銀色のラメが、妙に生々しくステージの残り香を留めている。

 

(……帰ってきた)

 

優里は、楽屋の入口で、その姿を待ち構えた。

 

「お疲れさまでしたー、失礼しまーす」と、スタッフたちが順番に引いていく。

メイク直しも、軽く汗を拭き、リップを足すくらいで終わる。

 

「では、あとはお願いします」と、マネージャーが優里の方に軽く会釈をして、扉を閉めた。

 

カチャリ、とドアのラッチが噛み合う音。

それだけで、外の世界のボリュームが一段落ちたように感じられる。

 

楽屋には、優里と紫音の二人だけ。

 

紫音は、ドレッサーの前に立ったまま、ふう、と小さく息を吐いた。

 

呼吸はまだところどころ浅く、肩が少し上下するたびに、ファーの襟がわずかに揺れる。

 

優里は、その姿を見つめながら、一歩、ゆっくりと前へ出た。

 

「……おかえりなさい、紫音さん」

 

声に乗った温度が、自分でも分かるくらい柔らかく、どこか甘かった。

 

紫音は、少しだけ目を丸くして、

それから、ゆっくりとこちらを振り向く。

 

「……ただいま」

 

リップの色がまだ鮮やかに残っている口元で、短くそう言って、紫音は少しだけ首を傾げた。

 

「……どうだった?」

 

その問いは、いつも通りだ。

 

音響的な意味で。

演出的な意味で。

ひいては「名雪紫音」という商品として、今日の出来はどうだったか、という確認。

 

でも、今の優里には、それ以上の意味を持って響いた。

 

胸の奥で、さっきまでのモニター越しの光景が、一気にフラッシュバックする。

サンタコスでピアノに座る姿も、MCでの少し照れた笑い声も。

 

陳腐な表現であることは、承知の上で、

それでも愛おしさと誇らしさを全部ひっくるめて、一言でまとめるなら。

 

「……すごく、よかったです」

 

ほんの少し熱を含んだ声でそう笑った。

 

紫音は、短く瞬きをして、「そっか」とだけ答えた。

 

その「そっか」が、いつもより半音柔らかく聞こえた気がするのは、きっと気のせいではない。

 

優里は、もう一歩近づいた。

 

距離が、手を伸ばせば触れられるところまで縮まる。

 

「……あの」

 

「うん?」

 

紫音が首を傾げる。その仕草ひとつひとつが、さっきまで何万人だか知らない人の視線を奪っていた「スター」のものだという現実に、胸の奥がざわりと揺れた。

 

優里は、一度だけ息を飲み、

そして、決心するように、静かに告げた。

 

「……ちょっと、じっとしててください」

 

「……?」

 

問い返される前に、優里は腕を伸ばしていた。

 

サンタコスのウエスト部分に、両腕を回す。

大きなリボンを潰さないよう、結び目の少し上あたりを狙って、慎重に、でも絶対に逃がさないように手を固める。

 

小柄な身体を、自分の方へ無理矢理ぐっと引き寄せた。

 

「……っ」

 

紫音の喉から、小さな息が漏れる。

 

一瞬だけ、背中の筋肉がピンと固くなった。

それでも、優里の腕の内側から逃げ出そうとする動きはなかった。

 

「……ごめんなさい、ちょっとだけ……ほんとに、少しだけ我慢できませんでした」

 

これは、さっきまで楽屋で抑えこんでいた全部の延長だ。

 

数万人の歓声を浴びて、ステージの真ん中で光になっていた人が、

今、誰にも見られていない楽屋で、自分の腕の中にいる。

 

サンタドレスのベルベット地越しに伝わる普段よりずっと高い体温と、うっすら汗ばんだ肌。

首筋あたりからかすかに香る、ステージ用の香水と、汗の混じった紫音そのものの甘くてたまらない匂い。

 

顔を肩に預けるようにして、その匂いを胸いっぱいに吸い込む。

 

客席で「恋人にしてくれ」と叫んでいた誰かの声が、頭の中で薄く滲んでいく。

タイムラインに流れていた「結婚してくれ」の文字列が、笑って流していたはずなのに、今になって妙に具体的な重みを持ち始める。

 

(さっきまで何万人だか知らない人が求婚していたのに)

 

(今、この人に触れられるのは。抱きしめていいのは。抱きしめられるのは。)

 

 

(ーー世界中で、わたしだけ)

 

 

胸の奥が、じわじわと黒い甘さで満たされていく。

 

心臓の鼓動が少し速くなるたびに、紫音の胸の上下も、腕の中でわずかに伝わってきた。

 

紫音は、優里の肩口あたりで、少しだけ戸惑ったように息を吸って、そっと吐く。

 

「……優里」

 

耳元で落ちる声は、さっきまでマイクを通してホールを震わせていたのと同じ声なのに、今はただ一人にしか届かない音量だ。

 

「……汗くさくない?」

 

言葉の端に、微かに笑いが混じっていた。

 

「…………すごく、嬉しいけど」

 

その一言が、優里の中で何かを決定的に壊した。

 

(ああもう)

 

気づけば、優里は紫音の背中に回した手に、あらん限りの力を込めていた。この人は私のモノだと主張するように。

 

他の誰の視線も、声も、ここには届かない。

この楽屋のドアには、スタッフ以外誰も勝手に入ってこないうえ、今は鍵がかかっている。

紫音は、今、自分の腕の中にいる。

 

ーークリスマス。

 

その単語が、頭の中で、都合のいい言い訳に姿を変えた。

 

「……紫音さん」

 

肩越しに、小さく名前を呼ぶ。

 

顔を上げると、至近距離で紫音の目と真正面からぶつかった。

ステージのライトではなく、楽屋の蛍光灯に照らされた瞳は、さっきより少しだけとろんとして見える。

 

頬には、ライブの余熱と、ほんの少しの恥ずかしさが紅を差していた。

 

(ああ、ずるいな)

 

こんな顔を見せられて、我慢しろという方が無理だ。

 

胸の奥から湧き上がってくる衝動に、優里はほんの少しだけ身を預けることにした。

 

「……あの」

 

一度、口を開いて。

 

どうせなら、と思い切って言葉にしてしまう。

自身の逃げ道を塞いでしまえば、少しだけ、勇気を出せる気がしたから。

 

「クリスマスなので……少しだけ、ご褒美貰いますね」

 

紫音の目が、一瞬だけ驚いたように丸くなった。

 

その反応を見る暇もほとんどないまま、優里は紫音の身体を強く抱き締めながら少しだけ持ち上げる。

自分が屈むのではなく、紫音の方を背伸びさせるみたいにして、紫音の顔にそっと近づいた。

 

距離は、あと数センチ。

口元から感じる息の温度が、はっきり分かるところまで近づいてーー

 

一瞬だけ躊躇してから、押し付けるように唇を触れさせた。

 

「……っ」

 

紫音の喉が、小さく鳴る。

 

その様子に、世界が一瞬だけ色を変えたような気がした。

 

柔らかいリップの感触と、その奥にある温度。

紫音の呼吸が揺れるのが、近すぎる距離で伝わってくる。

 

きゅっと結ぶように目を閉じて、そして無理矢理突き出させられているような嗜虐心をそそる顔。

喉から直接漏れるような、控えめな身動ぎを主張するくぐもった声。

こちらを押しのけることもせず、だらりと垂れ下がってなされるがままな、小さな両手。

 

自分とキスさせるために、少し辛そうに背伸びをさせている。

自分とキスをさせて、普段の冷静さとは乖離するようなパニックを起こさせている。

 

それらの全てが、数えきれない人達が夢見ている名雪紫音を自分のモノにしたいという欲望を、今まさに、自分だけが叶えている。自分だけが許されているという、暗い優越感を満たしてきて、唇を離すことができない。

 

寧ろ逃がしたくないと、抱きしめていた両手で、少女の両頬を包み込めば、背中のあたりで、紫音の手が、こちらの布地を握る感触がした。

それは逃れようとしているわけではないみたいで。

ただ、どこに手を置けばいいか分からないみたいに、優里のことを、しがみつくようにぎゅっと掴んでいる。

…やめないでと、遠回しに伝えるみたいに。

 

(……やば)

 

自分の方の心臓の音のほうが、さっきまでの歓声よりもずっと大きく聞こえた。

 

これ以上長く触れていたら、収拾がつかなくなるのがわかって、なおも辞められず、

 

……結局、数分後に、紫音を抱きしめ直した手が、魅了されて止まない薄く細い身体を怪しくまさぐり初めたところで、息継ぎを求めるように背中をトントンと叩かれて、それでようやく唇をそっと離した。

 

離した瞬間、猛烈な照れと、後悔と、もっと欲しいという欲望が、一気に押し寄せてくる。

 

「……っ、あの、その……」

 

うまく言葉にならない。

 

誤魔化すように、優里はもう一度きゅっと紫音を抱きしめ直した。

今度は、顔を肩口に埋めて、紫音の表情を見ないようにする。

 

腕の中の紫音は、少しだけ震えたように息を吸って、それからゆっくりと吐いた。

背中のあたりで、そっと回された腕の重みが増す。

 

紫音の方からも、抱きしめ返されているのが分かった。

 

「……優里」

 

肩口あたりから、小さな声が落ちた。

 

顔を上げると、紫音がほんの少しだけ赤い頬で、真っ直ぐこちらを見ていた。

 

2人だけの生活で見せてくれる名雪紫音とも、ステージ上のサンタさんとも違う。

誰にも見せていない、心のどこかをそのまま映したような目だ。

 

「……今の」

 

紫音は、言葉を探すように一瞬だけ視線を彷徨わせてから、小さく息を吸った。

 

「びっくりした。けど……」

 

そこで少しだけ間を開け、やんわりと目尻を緩め、そしてふいと目を逸らす。

…その頬は、白雪に桜の花弁を落としたみたいに柔らかく赤く染っていた。

 

 

 

「………………イヤじゃ、なかった………よ…?」

 

 

 

その一言に、優里の心臓がもう一度大きく跳ねる。

 

返事に困っていると、紫音の方からそっと顔を近づけてきた。

 

今度は、紫音が自分で、少しだけ背伸びをする。

 

唇には届かない。

その手前で止まって、頬に、ちいさく、音もなく触れた。

 

「……メリークリスマス、優里」

 

頬に残るのは、さっき自分がもらったものとは違って控えめで、なのに同じくらい熱い感触。

 

その距離と温度が、優里の胸の奥に、ゆっくりと染み込んでいく。

 

一瞬、言葉を失って、ただ紫音の顔を見つめた。

 

ライブの照明ではなく、楽屋の白い灯りの下で。

少し汗ばんだライブ衣装のままで。

世界中の誰にも聞かせることのないメリークリスマスが、自分にだけ向けられている。

 

「……っ」

 

優里は、思わず笑ってしまった。

 

笑いながら、紫音の手をそっと握る。

リングの嵌った薬指ごと、自分の指で包み込んだ。

 

「……メリークリスマスです、紫音さん」

 

ゆっくりと言葉を区切る。

 

「世界一可愛いサンタさんを独り占めできて、……すごく、幸せです」

 

その「世界一可愛い」が、大袈裟じゃないことは、今日の観客とタイムラインが証明してくれている。

 

楽屋のドア一枚と、絡めた指の間だけに、小さく、きちんとしまい込まれている秘密は、噎せ返るほど甘く、だというのに幸せだ。

 

紫音は、照れくさそうに目を細めた。

優里は、握った手にもう一度だけ力を込めた。

 

廊下の向こうでは、まだ片付けの足音と、スタッフの声が微かに聞こえていて、

クリスマスソングのBGMが、遠くの方で小さく流れていた。

 

楽屋の真ん中で、紫音と、その手を握る優里だけが、別の時間を生きているみたいに、未だ明言できない想いを伝え合う。

 

告白しないと誓い、

なのに告白しようとして、

結局臆病風に吹かれて、ただ傍にいようとし、

なのに今日はキスを落とした。

 

狂う恋心は予測できず、見えるものが増えるほど、数多の感情が押し合うように生まれ、膨れ上がっていくから。

 

それでも、こんな矛盾もきっと、ただ恋の一幕だ。

 

だって今日は、クリスマスだから。

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