一旦、えっち強めバージョンでいきます。やり過ぎって声が多かったら前のに戻します。ので、アンケートはそのままにしときますね。やり過ぎだと思ったら解釈不一致の方に投票してください。距離感が近づいた今、今後も時々これくらい触れ合う関係でええんちゃう?って人は、気が向いたら、いいぞもっとやれに投票してください。psもしくは感想で色々書いてくれてもいいのよ。
紫音みたいな天才系唯我独尊キャラが悶えてる姿が1番えっちなんだから。
あ、あとR15もつけとくことにします。
元旦の朝、名雪家の寝室は、外の世界と切り離されたみたいに静かだった。
カーテンの隙間から、薄くて白い光がじわじわと差し込んでいる。
外はきっと凍えるほど寒いのだろう。窓ガラスの向こうから、誰かが雪を踏むような音と、遠くの神社から流れてくる初詣客のざわめきが、かすかに届いてくるようだ。
それでも、この部屋の空気は、妙にあたたかい。
布団の中に、二人分の体温がぎゅっと詰まっているからだ。
「……紫音さん、朝ですよ」
布団の中の誰かの背中に、そっと指先が触れる。
柔らかい声でそう囁いたのは、白百合優里だった。
両親に「ちゃんと連絡入れますから」と何度も何度も説明して、ようやく手に入れた、名雪家での年越しと、元日の朝。
(絶対、幸せなお正月にしなくちゃ…!)
そんな決意を胸の奥にしまい込みながら、優里は布団の中で抱き締める塊を、もう一度軽く揺らした。
「紫音さん…?…」
「…………むり……」
布団の山の一部が、もぞりと動いた。
顔のところまで引き上げていた掛け布団が少しだけずれて、白銀の前髪と、きれいに揃ったまつげがのぞく。
そのまま、枕に半分顔を埋めた状態で、名雪紫音は、はっきりとした拒否を口にした。
「……さむい。……きょうは……無理」
「今日は、じゃないです。今日こそ、です。お正月なんですよ?」
「お正月は……あったかい布団の中で過ごすもの……」
完全に寝ぼけているわけではなく、ちゃんと会話にはなっているあたりがまた厄介だ。
優里は少しだけ頬を膨らませて、布団の端を摘んだ。
「お雑煮も作りますし、あとでこたつもつけますから。まずは起きましょう?」
「お雑煮……」
「はい。お母さんにレシピ教えてもらいましたから」
「……」
布団の中で、紫音のまつげがぴくりと揺れる。
「…むぅ……お雑煮は……食べたい」
「ですよね」
「でも……さむい……。こたつから……始めるべき……」
「こたつのスイッチ入れるには、一回は布団から出ないといけないんですよ」
「……」
枕に半分沈みながら、紫音は片目だけ開けて優里を見る。
「あったかい?」
「さすがに布団の中ほどではないですけど、そこまで寒くはないですよ、多分」
「…………やっぱり今日も…ここでいい…」
布団の中から伸びてくる細い両手を見つめながら、優里は苦笑した。
「……ねぇ」
「なんですか」
「もうちょっとだけ……こうしてたらダメ?」
言いながら、紫音は身体の向きを変えて、優里の方に背中を向けていたのを、正面に近い角度まで捻った。
毛布の中で、空気がわずかに揺れる。
さっきまで背中越しだった距離が一気に縮まって、視界いっぱいに、寝起きの名雪紫音が広がった。
まだ半分眠っているせいか、目尻はとろんと下がって、長いまつげの影が頬にかかる。
呼吸に合わせて、薄いパジャマの胸元が、ゆっくりと上下する。そのたびに、布団の中の空気も、ほんの少し温度を変えるみたいにわずかに動く。
(ちょっと待って……近い………!)
同じ枕を分け合っている、なんて可愛いものではない。
枕の半分以上を紫音に明け渡した結果、優里の額と紫音の額の距離は、顔をひとつ分傾けたら触れてしまう程度しか残っていなかった。
布団の中で、互いの吐息が混ざる。
少し甘いような匂いが、じんわりと鼻腔を満たす。
こんな距離で、しかも「もうちょっとだけこうしてたらダメ?」なんて、本人は何でもない顔で言う。
(……ダメって言える人、います?)
心の中で、誰にでもなく問い掛けてしまう。
毛布の中で、二人の体温がさらに近づく。
紫音の足先が、遠慮なく優里の足に絡まってくる。
「…足…冷たい……」
「……布団にずっといるのになんでこんなに冷たいんですか…」
「布団だけじゃ……足りない…………ぎゅーしよ?」
言葉の最後だけ、ほんの少し間延びしていた。
普段は、MCでもインタビューでも、必要最低限の言葉だけを淡々と選ぶ人だ。
ましてや、語尾を伸ばして甘えるなんて、ほとんど見たことがない。
布団の中で伸びてくる手つきは、妙に遠慮がちで。
袖口から少しだけ指先を覗かせるような格好で、優里のパジャマの裾をちょこん、とつまんでくる。
その仕草すべてが、「名雪紫音」という名前から連想されるクールさと、ひどくちぐはぐだ。
寝起きで舌が回っていないからこそ出てしまった言葉の崩れ方。
そのレアな瞬間を、こんな至近距離で独り占めしているという事実。
「ぎゅーしよ?」と甘えながら、自分からはぎゅっと抱きついてこないあたりも、またかわいい。
してほしい、と言うところまでが限界で、その先の一歩を踏み出すのは、いつだって優里の役目なのだ。
(……かわいい……)
心の中でだけ、ため息をつく。
そのまま、ほんの数分だけなら、と自分に言い訳しながら、優里は紫音の背中に腕を回した。
布団の中で、二人はぎゅっとくっつく。
紫音の呼吸が、少しずつ落ち着いていく。
(……いや…このままじゃ夕方になりますね)
幸せすぎるぬくもりを噛みしめながらも、優里はさすがに現実に立ち戻った。
今日が、優里にとってどれだけ特別な日かを思い出す。
両親に、「ちゃんと電話するから」「相手にも絶対迷惑かけないから」と何度も説明して。
「本当に信頼してる人なの」と珍しく強い声で言い切って。
半分呆れながら、半分笑いながら「そこまで言うなら」と許してくれた、お正月。
(ちゃんと、ふたりで過ごす正月を噛み締めたいんだ)
胸の奥で、静かに決意が燃え直す。
「……紫音さん」
「……」
「……そろそろ、本当に起きますよ?」
「……やだ……さむい……」
「じゃあ、どうしたら起きてくれます?」
少し意地悪な問いかけに、紫音は、まぶたをぎゅっと閉じたまま、しばらく黙っていた。
(あ、これはちょっとだけ考えてる顔)
長いまつげが一度だけ揺れて、それから、袖の中から、もそ、と片手が外に出てくる。
「……じゃあ……」
「……じゃあ?」
「起こして……」
「起こしてますよ、さっきから」
「ちがう……」
紫音は、指先だけで優里のパジャマの裾をつまむ。
「……引っ張って?」
「え?」
「手……引っ張ってくれたら……起きる……」
ようやく折れた条件がそれだと分かった瞬間、優里の胸の奥が、きゅっと甘く鳴った。
(……そんな可愛い言い方、あります?)
「……分かりました」
優里は、上体を軽く起こし、布団から腕を抜いて、紫音の手首の少し上あたりに、そっと指を絡めた。
白くて細い手は、いつ見ても、触れるたびに胸がざわつく。
「じゃあ、起き上がってくださいね?」
「……うん」
返事は頼りないが、とりあえず了承は取った。
優里は、一度深呼吸をしてから、布団を胸のあたりまでかぶったまま、半分立ち上がる姿勢になって、紫音の手をぎゅっと握り直した。
「せーの」
「……せーの」
ふたりで小さく声を合わせて、優里はそのまま紫音の腕を引き上げた。
布団の中で、紫音の身体が、ぐいっと持ち上がる。
腰が浮き、背中が離れ、上半身が起き上がってーー
「わっ」
何度も抱きあげてる身体なのに、思ったよりも、ずっと軽かった。
ほとんど力を入れていないのに、紫音は、そのまま布団ごと前に倒れかける。
優里が握っていた左手が、バランスを失った重みをそのまま受け止めた。
「きゃっ……!」
ちょうどベッドに膝をついた状態だった優里は、そのまま仰け反るように後ろへ倒れ込む。
次の瞬間、ふわり、と柔らかい何かが胸にぶつかった。
「……んむぁう……」
胸元で、小さな声がする。
気づけば、優里はベッドの上に仰向けになっていて、その胸の上に、半分布団に包まれた名雪紫音が、ぽすん、と倒れ込む形になっていた。
体重を全部預けているにしては軽すぎるけれど、存在感だけはやたらと重たい。
両腕はとっさに紫音の背中を支えるように回っていて、結果として、正面から抱きしめる形になっていた。
「っ……す、すみませんっ……!」
反射的に謝りながらも、腕は勝手に紫音を守るようにぎゅっと力を込めてしまう。
覗いた紫音の顔は、さすがに完全覚醒ではないものの、さっきまでよりは明らかに目を開いていた。
真上から、しかし優里を見上げる形。
寝起きの少し潤んだ瞳が、至近距離で揺れる。
「……あったかい……」
最初に出た言葉がそれだった。
「い、今のはその……勢い余って……」
「うん……」
紫音は、こてん、と首を少し傾けて、優里の胸元に額を軽く押し付ける。
「……起きた」
「……本当ですか?」
「うん。……起こして、くれてありがとう」
布団の中から伸びた手が、優里のパジャマの胸元を、きゅっと掴む。
胸の上にすっぽり収まる軽さと、腕に預けられた重さ。
顔をわずかに動かすだけで、額が、髪が、鼻先が触れそうになる危うい距離。
上に乗られているのは優里の方なのに、紫音の指先の頼りなさや、胸元を掴む力加減のおかげで、捕まえているのはむしろ優里の方みたいに思えてしまう。
視界いっぱいに広がる白銀の髪。
パジャマの襟元から覗く、さっきまで布団に埋まっていた首筋の白さと、角度的に見えてしまう胸元のギリギリのところ。
嬉しさと照れと、どうしようもない独占欲が、全部まとめて胸の奥で泡立っていく。
(これ、年明け一発目のご褒美が過ぎません?)
「……あの、とりあえず、起き上がりましょうか……」
「……もうちょっとだけ、このままでもいい?」
小さな声で、しかしはっきりとそう言われる。
腕の中の体温が、少しだけ密度を増した気がした。
(ズルい……)
心の中でだけそう呟いて、優里は観念した。
「……少しだけですよ?」
「うん……少しだけ……」
部屋の隅で、目覚まし時計の秒針が、カチ、カチ、と規則正しく音を立てる。
紫音は、優里の胸の上に顎を乗せるみたいな体勢で、目を閉じてしまった。
優里も、その髪にそっと頬を寄せる。
押し倒されているように見えるのに、実際には、互いの重さと体温を預け合っているだけの、上品で静かな抱擁だった。
新年の朝。
予定よりも少しだけ長い添い寝を終えて、ようやく二人は布団から抜け出した。
ーー
キッチンには、だしの匂いが満ちていた。
コンロの上では、丸餅を入れた小さな鍋が、ことことと優しい音を立てている。
鰹と昆布の出汁に、薄口醤油とみりん。
鶏肉は、小さめの一口サイズ。
にんじんと大根は、花形ではなく、いつものように拍子木切り。
最後に、さっと下茹でしておいた小松菜を入れて、火を止める。
「……彩りは、こんなものでいいですかね……」
優里は小さく呟きながら、味見をした。
「どう?」
背後からふわりと声が降ってくる。
振り向くと、紫音が、まだパジャマの上から大きなパーカーを羽織った状態で、キッチンの入口にもたれていた。
寝癖の残る白銀の髪を、片手で適当に結んでいる。
そのだらしなさすら絵になるのが憎らしい。
「……いい匂い」
紫音は、くん、と鼻を鳴らして、小さく目を細めた。
「お母さんの味を参考にしつつ、紫音さんの好きそうな具材にしてみました」
「お母さんの味……」
紫音は、その言葉にほんの少しだけ目を丸くする。
「……お母さん、なんて?」
「『もうアナタがよそのお家でお雑煮作るような時期なんてねぇ』って笑われました」
「……ふふ」
紫音は、パーカーの袖口を指でつまんで、少しだけ笑った。
「優里の家は、丸餅?」
「はい。焼かずに煮るタイプです。紫音さんのところは?」
「うちは、あんまりちゃんとした記憶ない……」
ぽつりと落とされた言葉は、そこまで重たくはないけれど、何となく寂しさの影を含んでいた。
口調はいつも通り淡々としているのに、視線だけが少し宙を彷徨う。
パーカーの袖を指先でくしゃ、と握っては離す仕草が、どこか心許なげだ。
優里の目には、そう見えた。
お正月の食卓や、家族の団欒について話そうとするときに、ふっと言葉が途切れるこの感じ。
「ちゃんとした記憶ない」と軽く言ってしまう裏に、本当はどれくらいの空白があるのかを想像してしまって。
(……これからは、わたしが増やしていけたらいいな)
優里は、一瞬だけ胸の奥がきゅっとなるのを感じる。
「と、とりあえず盛り付けますね!」
話題をそらすように、優里は皿を取り出した。
白い椀に、ふっくらとした丸餅をひとつずつ。
具材をバランスよく配置して、最後に三つ葉をぱらりと乗せる。
湯気の向こうに、さっきまで一緒に眠っていた人の横顔が透けて見えた。
ーー
リビングのローテーブルには、こたつ布団が新しく掛けられていた。
朝のうちに優里が干しておいたこたつ布団は、ほのかに太陽の匂いがする。
こたつの中には、早くも電源が入っていて、ふわりと足元を温めてくれていた。
「……いただきます」
「いただきます」
こたつに足を入れた二人は、向かい合って座り、白いお椀を手に取った。
最初のひと口。
紫音は、熱さに気をつけながら、そっと出汁をすする。
唇から、喉の奥へ。
温度と一緒に、優里の実家の台所の匂いが流れ込んでいくような気がした。
「……どう、ですか?」
期待と不安が混ざった声で尋ねると、紫音は少しだけまぶたを伏せて、味を確かめるようにもう一口飲んだ。
そして、顔を上げる。
「……おいしい」
それは、いつもの淡々とした声だった。
けれど、その目の奥には、はっきりした光が宿っている。
「出汁の味、いい。……塩加減も、好き」
「よかった……」
優里の肩から、一気に力が抜ける。
紫音は、箸でそっと餅をつついた。
「これ、煮たやつ?」
「はい。焼くと香ばしいですけど、煮ると出汁を吸ってふわふわになるので……」
「……これ、好き」
紫音は、お餅をひと口かじった。
もちもちとした感触。
噛むほどに、出汁の旨味と米の甘さが混ざり合っていく。
喉に詰まらないように、少しずつ少しずつ噛んで、飲み込む。
「……優里」
「はい」
「おかわり、ある?」
「ありますよ!」
紫音は、ほんの少しだけ頬を緩めた。
こたつの上には、他にも簡単なおせちの詰め合わせや、切り分けた伊達巻、黒豆の小皿なんかが並んでいる。
豪華絢爛というわけではない。
でも、それら全部が、二人で過ごすお正月のために並べられている。
「……ねぇ」
「はい?」
「お母さんに、あとで、『おいしかった』って伝えて」
「あ、はい。後で電話するつもりだったので、その時一緒に伝えますね」
紫音は、スプーンで黒豆をひと粒すくって、口に運んだ。
こたつの中で、優里の足先が、照れ隠しのようにぶん、と揺れた。
それでも、心臓のあたりに広がる甘さは、どうしても隠しきれない。
ーー
午前中の片付けが終わるころには、リビングはすっかり「お正月の家」の雰囲気になっていた。
こたつの上には、みかんの入ったカゴ。
テレビでは、お笑いタレントたちが忙しなく映る。
こたつ布団の下では、紫音と優里の足が、自然と触れ合っていた。
「……みかん、食べます?」
優里がカゴに手を伸ばすと、こたつの向かいで横になりかけていた紫音が、片手だけ挙げた。
「食べる……」
「じゃあ、むきますね」
「自分で……むけるけど……」
「…大丈夫です、むいちゃいます」
優里は、みかんをひとつ手に取り、親指で皮に十字の切れ目を入れる。
白いワタをできるだけ取るように気をつけながら、くるくると皮をむいていく。
紫音は、こたつの向こうからその手元をじっと眺めていた。
最後の皮を外してから、優里は房をひとつ取り、白い筋を指でそっとはがした。
「はい、あーん…」
「……自分で食べる」
「……だめです」
そう言いつつ、優里はみかんの房を箸みたいにつまんで、紫音の口元まで持っていった。
紫音は一瞬迷った顔をして、しかし観念したように口を開く。
「……ん」
さっきまで自分で食べると小さな抵抗を見せていた人が、今は素直に口を開けて、自分の指先から渡されるものを受け入れている。
一度は拒否されたお世話が、最終的には優里の形で通ってしまう、この感じ。
それを当然のように受け取ってくれる紫音の在り方に、胸の奥で、黒くて甘い満足感がじわりと浮かぶ。
(……わたしじゃない誰かが『あーんして』って言っても、こうはいかないんだろうなぁ……)
そんなことを考えてしまう優里も、十分に性格が悪いとわかっている。
でも、目の前でみかんをもぐもぐしているこの口元を、優里の手で独り占めしている事実が、どうしようもなく心地いい。
みかんの甘さと酸味が、舌の上に広がる。
「どうですか?」
「……甘い」
「良かったです」
優里も、自分の分をひとつ口に運んだ。
こたつの中で、紫音の足先が、優里の足首あたりをこつんとつついてくる。
「……どうしました?」
「べつに……」
べつに、と言いながら、足はそのまま優里の足に寄り添うように落ち着く。
「……優里」
「はい」
「今年は……どういう年にしたい?」
いきなりの質問だった。
優里は少しだけ考えてから、笑う。
「大きいこと言えば、紫音さんの音楽が、さらにいろんなところに届いたらいいなって思いますし」
「うん?」
「個人的には……」
みかんの白い筋を指先で丸めながら、そのまま続ける。
「こうやって、こたつでみかん食べて、適当な番組観ながら紫音さんと喋って……っていう時間を、いっぱい持ちたいです」
紫音は、こてんと首を傾けた。
「……お正月、いっぱい?」
「お正月じゃなくても。夜とか、オフの日とか」
「……ふふ」
紫音は、少しだけ目を細めて、こたつの縁に頬を乗せた。
「じゃあ、そういう年にしよう」
「……はい?」
「優里との時間、増やす年」
「……」
「……だから、ちゃんと、仕事もがんばる」
さらっと言う。
本当なら、ファンの前やスタッフの前では決して口にしないだろう種類の本音を、こうやって当たり前みたいなトーンで落としてくる。
悪びれもしないまま差し出してくる素直さが、ときどきずるい。
こたつの中で、軽く足を寄せてくるみたいに、こちらが構える隙間を与えずに、「いてほしい」とか「増やしたい」とか、そういう言葉を、ごくまっすぐな速度で埋め込んでくる。
そういうところが、本当にずるい。
「……じゃあわたしも、紫音さんがこたつでだらけられてる時間を、全力で守る年にします」
「……頼もしい」
こたつの上には、みかんの皮が小さな山になっていた。
ーー
午後も半分過ぎたころ、テレビの番組表の一角に、優里の目当ての枠が見えた。
「紫音さん、そろそろですよ」
「……なにが?」
「例の、年始の音楽特番です」
「あ……」
「ランキング形式で、前年一年の配信とかストリーミングの総まとめするっていう」
紫音は、少しだけ姿勢を正した。
こたつの上にリモコンが置かれる。
画面が切り替わり、派手なジングルとともにタイトルロゴが表示された。
『This Year’s Top Streaming Songs Special!』
「……緊張、します?」
「……すこしだけ」
優里が尋ねると、紫音はほんの少しだけ肩をすくめた。
番組は、10位から順番に曲を紹介していった。
海外の有名アーティスト、日本の人気バンド、バーチャルシンガーのヒット曲。
スタジオセットでは、芸人やアナウンサーが、曲にまつわるエピソードを面白おかしく語っている。
8位、7位、6位。
徐々にランキングが上がっていけばいくほど、優里の心拍も、じわじわと上がっていく。
「……紫音さん」
「なに」
「もし名前呼ばれたら、お祝いしなくちゃですね」
「……どうせ、呼ばれるよ?」
そんなやりとりをしているうちに、画面のテロップが「3位」に切り替わった。
『第3位は……』
派手なSEと共に、バラエティ番組らしい「タメ」が挟まる。
優里は、思わずこたつの中で手を握りしめた。
「……っ」
紫音の指先が、こたつの下で、そっとその手を探してくる。
こたつの熱にさらされ、少しだけ汗ばんだ掌が、優里の指をぎゅっと掴んだ。
(かわいい……)
そこに気づいてしまった瞬間、優里の緊張は別の方向に吹き飛ぶ。
「第2位は――!」
画面に、別のアーティストの曲名と、色鮮やかなMVが映し出された。
優里は、小さく息を吐き出す。
(ってことは、もう……)
画面右上に、「残り1曲!」という派手なテロップが躍る。
司会者が、わざとらしく声を潜めた。
『さぁ、残るは1曲!今年を象徴する曲は一体!?』
スポットライトがスタジオを動き回り、年末らしい浮ついた空気が画面越しにも伝わってくる。
そして。
『第1位は――!』
ジングルと共に、映像が切り替わった。
白いステージ。
黒いグランドピアノ。
銀色の髪を揺らしながら、鍵盤に向かう後ろ姿。
画面隅に映し出されるテロップ。
『Shion Nayuki / “Prima”』
「……っ……!」
優里の手が、思わずこたつの縁を掴んだ。
画面の中では、ステージ用のドレスをまとった名雪紫音が、静かに鍵盤に指を落としていた。
ピアノのイントロ。
澄んだ声。
客席を埋め尽くすペンライト。
全て知っている光景なのに、テレビ越しに見ると、改めて世界のステージ上の人なのだと実感させられる。
テレビから流れてくるPrimaは、何度も生で聴いたはずの曲なのに、今日のそれは、また少し違って聞こえた。
一音目、音の輪郭が異様なほどくっきりしていて、高音は、ガラス細工みたいに透明なのに、触れたら切れそうな危うさはなくて、ただ真っ直ぐに天井を貫いていく。
低音は、床を敷き直すみたいに、広く深く鳴って、全体を支えている。
右手と左手が、違う楽器みたいな役割を持ちながら、まったく同じ呼吸で進んでいく。
一見シンプルなメロディラインなのに、実際には息継ぎの位置も、音の抜きどころも、全てが恐ろしいほど計算されている。
それが分かる人には「この人は本気で世界トップクラスの職人だ」と突きつけてくるし、
分からない人にも「なんかよく分からないけど感動した」と感じさせる力がある。
スタジオのコメンテーターたちが、口々に曲の魅力を語る。
『これ生ですよね?』
『初めて聴いたとき、「こんな人日本にいるんだ……」って声が出ちゃいました』
『海外のギタリストさんとのコラボ動画も、すごかったですよねぇ』
『黎明と月光の2曲はSNSでめちゃくちゃ話題になってましたよね』
画面隅に、SNSの投稿がいくつか映る。
『音楽で初めて泣いた曲』
『この曲聞いていると、無理矢理泣かされるのに、無理矢理感がないのがすごい。』
『なんでか分からないけど、この曲聴くと、何度聴いてもボロボロ泣いちゃう』
「……」
優里は、こたつの中で、しっかりと紫音の手を握りしめたまま、言葉を失っていた。
優里の大事な人が、世界のどこかの誰かにとっても救いになっている。
その事実が嬉しくて、誇らしくて、そして少しだけ寂しい。
こたつの中で絡めた指先に、そっと力を込める。
隣を見ると、紫音もまた、画面をじっと見つめていた。
自分の映像なのに、どこか他人事みたいな顔で。
「……変な感じ」
ぽつりと漏らす。
「なんか……『今年一年を代表する曲』みたいな扱いされてるの」
「変じゃないです。妥当です」
「妥当かな……?」
「妥当です」
優里は、真顔で頷いた。
言い合いながらも、紫音の頬がうっすら赤いのに気づいて、優里の胸の奥は、また違う意味で満たされていく。
番組がCMに入り、画面から音が消えた。
こたつの上には、リモコンと、みかんの皮。
こたつの中には、絡まったままの指先。
「……紫音さん」
「なに」
「おめでとうございます」
優里は、素直な声でそう言った。
「1年間の音楽の、1番目です。……わたしの中ではとっくに、今までもこれからもずっと1位でしたけど…」
紫音は、少しだけ目を瞬いた。
そして、こたつ布団に頬を埋めるみたいにして、顔を半分隠す。
「……ありがと」
くぐもった声が、布団越しに漏れた。
「優里がそう言ってくれるの、……いちばん、うれしい」
こたつの中で、紫音の足先が、優里の足にそっと絡んだ。
外の世界に向けては、光のような音楽を放ちながら。
テレビの中では、ランキングの総括やら、来年の音楽シーンの展望やらが賑やかに語られている。
その全てが、少し遠い別世界の音みたいに聞こえた。
優里の知らない土地で、優里の知らない誰かを救っている声が、
今、すぐ隣で、優里だけのために小さく笑っていたから。
大それた言葉にすると恥ずかしすぎて口には出せない。
でも、純粋な願いだけは、こたつの熱と一緒に、ゆっくりと胸の奥に沈んでいく。
優里は、こっそりと笑った。
ーー
夜。
外は一段と冷え込んでいた。
ベランダの向こうでは、近所の神社からの帰り道らしき人々の足音と、遠くの方で上がる小さな花火の音が、ときどき聞こえてくる。
名雪家の寝室は、相変わらず静かだった。
昼間に干し直した布団。
新しく付け替えたシーツ。
その真ん中に、二人分の枕が並べられている。
「……本当に、同じ布団でいいんですか?」
優里が確認すると、紫音はごく当たり前のように頷いた。
「うん。その方が、あったかい」
「そういう理由ですか?」
「そういう理由」
パジャマ姿のまま布団に潜り込んだ紫音は、ためらいなく優里の方へ身体を寄せてきた。
布団の中で、二人の距離は一瞬でゼロになる。
「……紫音さん」
「なに」
「もう少し、こう……照れたりしません?」
「してるけど」
「してるんですか?」
「うん」
「……本当ですか?」
そんな些細なやり取りをしながら、二人は布団の中で向かい合った。
顔の距離は、少し顔を動かせば触れてしまいそうなくらい近い。
紫音の手が、布団の下で、そっと優里の腕を探してくる。
見つけたところで、指を絡める。
「……ねぇ」
「はい」
「今年の年越し……優里と一緒で、よかった」
唐突に落ちてきた言葉に、優里は一瞬、息を飲んだ。
「わたしも、です」
自然と出てきた答えだった。
「紫音さんの家で年越しできるなんて、夢みたいだって思ってます」
「夢じゃないよ」
紫音は、絡めた指に、少しだけ力を込めた。
「ちゃんと、来てくれた」
「はい」
「……きっと、お父さんとお母さん、寂しがってると思うけど」
少しだけ申し訳なさそうな声。
優里は、首を横に振った。
「さっき電話したとき、『そっちで迷惑かけてない?』って何回も聞かれましたけど」
「かけてない」
即答する。
「むしろ、すごく助かってる」
紫音は、布団の中で、優里の方へさらに身体を寄せた。
最初は、指先が少し強く絡まるだけだった。
そこから少しずつ、にじり寄るように。
脚が触れて、膝が重なって、胸の膨らみどうしが、ふわりと触れ合うくらいの距離まで詰めてくる。
すぐに額を合わせるわけではなくて、身体の線で確かめるみたいに、ひとつひとつ接点を増やしてくる。
(……ちょ、ちょっと待って……)
毎回、距離が縮むたびに、優里の心臓の位置がズレたんじゃないかと疑いたくなるくらい、鼓動が忙しくなる。
でも、引くという選択肢は最初から与えられていない。
優里の腕も、自動的に紫音の背中に回ってしまっているのだから。
額と額が、軽く触れる。
「……このまま、寝てもいい?」
「……はい」
「……抱きしめても、いい?」
「………………むしろ、お願いしたいくらいです」
紫音の方から、はっきりと言葉にして求められるのは、そう多くない。
普段は、「いてくれると助かる」とか、「優里がいたからできた」とか、
結果としてそれに近い意味のことは言ってくれるのに、「抱きしめてもいい?」と直接的に甘えてくることは滅多にない。
だからこそ、その一言がやたらと胸に刺さる。
甘え方も、やっぱり名雪紫音で。
子どもみたいにしがみつくのではなく、ちゃんと許可をもらってから、そっと腕を回してくる。
その不器用さが、ひどく愛しい。
一瞬だけ笑い合ってから、紫音は、優里の首の後ろに腕を回した。
細い腕にしては、意外としっかりとした力で引き寄せられる。
優里も、紫音の背中に回した腕に力を込める。
お互いの胸が潰れるくらいの距離で、二人はぎゅっと抱きしめ合う。
今日一日、こたつでお雑煮とみかんを食べていたときの、あたたかい空気の残り香。
全部が、この布団の中にぎゅっと詰まっている。
紫音は、その圧を確かめるように、背中をとん、と軽く叩いた。
「……優里?」
「………はい」
「……来年も、お正月……一緒に過ごしたい」
囁くような声。
問いかけとも、約束の確認とも、告白とも取れる言い方だった。
その響きが、優里の耳から胸の奥に落ちるまでに、ほんの一瞬だけ時間がかかる。
(……それって、もうほとんど「これからも隣にいて」って言ってくれているようなものじゃないですか)
幸せすぎて、すぐには返事ができない。
けれど、黙ってしまうには、あまりにも大事な願いだったから。
「……はい。…絶対に、一緒です」
躊躇いながらも、はっきりとそう言う。
優里は、その答えを胸の奥で何度もなぞりながら、静かに目を閉じた。
布団の中で、二人の呼吸が静かに重なる。
窓の外では、遠くで小さな花火がひとつだけ弾けた。
世界がどう変わっても、
紫音の音楽がどれだけ遠くまで届くようになっても、
この布団の中だけは、二人だけの小さな場所であり続ける。
そう確信しかけたところで、胸の奥で、もうひとつ別の願いがむくりと顔を出した。
(……このまま寝るのも、すごく幸せなんですけど)
喉の奥に、ずっと引っかかったままの言葉がひとつある。
クリスマスの夜、楽屋で、勢いに任せて奪ってしまったキス。
大晦日の夜、ソファで眠る紫音の唇にこっそりと、何度も落としたキス。
どちらも、一方的だった。
拒まれなかった。むしろ、後になって「イヤじゃなかった」とか、「すき」とか、そういう言葉まで返してもらった。
それでもーー
(ちゃんと「していいですか?」って聞いてから、キスをさせてもらったことは、まだ、ない)
その事実が、妙に胸に引っかかっている。
この人との距離が、これだけ近くなった一年の最後に。
明けたばかりの新しい一年の最初に。
どうしても、それをひとつ、上書きしておきたかった。
「……紫音さん」
抱きしめ合ったままの体勢で、そっと名前を呼ぶ。
紫音は、額をくっつけたまま、長いまつげをゆっくり持ち上げた。
暗がりに馴染んだ瞳が、至近距離でこちらを覗き込む。
「……なに?」
吐息が、そのまま唇にかかる。
ここまで近いと、もはや視線を逸らす場所すらない。
優里は、一度だけ小さく喉を鳴らしてから、覚悟を決めた。
「……あの」
「うん」
「………………キス、してもいいですか」
言ってしまってから、心臓の位置が一瞬分からなくなる。
布団の中の空気が、すこしだけ張り詰めた。
紫音は、一瞬だけ目を瞬かせた。
クリスマスの夜みたいに、びっくりしたように目を丸くするわけでもなく、
ソファでの寝言のときみたいに、完全に無意識でもない。
たしかに起きていて、たしかに言葉を理解している目で、こちらを見つめている。
「……キス?」
「……はい」
「……わたしと?」
「……はい」
優里にも、自分の声が震えているのが分かる。
それでも逃げずに見つめ続けると、紫音は、少しだけ視線を彷徨わせて、それからーー
恥ずかしそうに、けれどはっきりと、こくりと頷いた。
「……………………うん」
小さな肯定の音。
「……いいよ、……優里、なら………」
それは、これまでのどのキスとも違う、明確な許可の言葉だった。
(……あ)
胸の奥に、じわっと熱が広がる。
喉の奥からなにかが出かけて、でも声にしてしまうと、何かがこぼれ落ちてしまいそうで。
優里は代わりに、そっと息を吸い込んだ。
「…………じゃあ、しますね」
「……うん」
紫音の目が、少しだけとろんと細められる。
そのまつげの影ごと、全部を優里のものにしてしまいたくて、優里はゆっくりと顔を近づけた。
ほんの数センチの距離。
額と額が触れ合ったところから、鼻筋をかすめて、視界がゆっくりと相手で満たされる。
最後の一息が、互いの唇の間で混ざり合うように、ひどく甘くて重い。
普通の生活では決して味わうことのない、人の粘膜だけが放つ有機的な、脳が痺れてたまらない匂い。
最後のひと押しをするように唇を落とし、
そっと、触れる。
さっきまで言葉を交わしていたその口元に、今度は、約束の上で唇を重ねる。
最初の一瞬は、ごく浅く。
柔らかい皮膚の弾力と、ほんのり残る寝息の温度を確かめるみたいに、そっと押し当てるだけ。
紫音の息が、小さく震えた。
「……ん……」
喉の奥から漏れた、か細い声。
それを合図にしてしまったみたいに、優里の心の中で、何かが完全に切り替わった。
腕の中にいる名雪紫音は、自分で「いいよ」と言ったうえで、それでも、今はもう、しがみつくので精一杯みたいな顔をしている。
その状況が、たまらなく甘くて、たまらなく残酷で、たまらなく幸せだ。
優里は、そっと角度を変えた。
上唇と下唇の重なる位置をずらして、もう一度、少しだけ深く押し当てる。
「……ん、……ぅっ」
紫音の指先が、背中のあたりで小さく跳ねた。
パジャマの布越しに、ぎゅっと布地を掴まれる感触。
逃げようとしているのではなく、どちらかと言えば、溺れかけている自分を掴まえるための、小さな浮き輪にしがみつくみたいな力だ。
その頼りなさが、逆に優里の独占欲を煽る。
「……紫音さん……」
いったん唇を離して、囁きだけを落とす。
離した瞬間に、繋がりを失った唇が、名残惜しそうに震えた。
「……かわいい…」
思わず、言葉が漏れる。
褒め言葉というより、もう、悲鳴に近い。
紫音は、潤んだ瞳で優里を見上げた。
うっすらと赤く染まった目尻。
かすかに開いた唇。
さっきまで優里のものだった証拠の温度が、まだそこに残っている。
「……優里……その…」
名前を呼ばれた瞬間、理性の紐がさらに一段階ゆるんだ。
「……まだ、しますね、……もっと」
紫音の声を遮るように宣言する声すら、ほとんど息になっている。
それでも、紫音は、こくりと頷いた。
今度は、最初から少し深く。
一瞬だけ、紫音の方からほんの少しだけ唇を押し返してくるような感触があって、
それが、自分からもこのキスに触れたいという意思表示みたいで、優里の胸の奥がまたひとつ大きく跳ねた。
重ねた唇の隙間を、そっと押し広げるように、何度も何度も角度を変える。
紫音の息が、ひとつ大きく詰まった。
「……ぁっ………っ…」
その瞬間を逃さないように、優里は、控えめに舌を滑り込ませた。
唇の裏側を、そっとなぞると、拒まれることなく、震えるぬくもりの中に迎え入れられる。
触れたところから、じわじわと熱が伝わってくる。
紫音の舌先に、優里のそれがふれる。
「……っ……ゃ……」
言葉にならない声が、紫音の喉の奥から漏れた。
追いつくのに必死で、反応が遅れがちな舌が、恐る恐る、触れ返してくる。
そのたびに、嬉しいと愛おしいとがごちゃ混ぜになった感情が、優里の胸の奥で暴れた。
逃げ場を失ったそれが、全部、言葉に変換される。
「……紫音さん……」
キスの合間、唇が離れた、ほんの一瞬。
そこに、囁きを滑り込ませる。
「……かわいい…です…」
もう一度、深く重ねる。
紫音の細い喉が、きゅっと鳴る。
唇を吸い上げるようにして、甘えさせるようにして、溺れさせるようにして、じわじわと追い詰めていく。
息継ぎの隙間に、さらにひとこと。
「……紫音さんは、わたしの、ですよ……」
どこまで言ってしまうか、一瞬だけ迷って。
結局、「わたしのものです」と言い切る直前で、ほんの少しだけ言い回しを弱めた。
それでも意味は、ほとんど同じだ。
照れを押し殺すようにまた、唇を押し付けて、絡みとるように舌を絡ませる。
耳まで赤くした紫音が、優里の囁いた声を理解してしまっているのが、表情だけで分かる。
「……っ、ん……んぅ……」
キスに追いつこうと必死で、声も、表情も、全部が追い詰められていく。
閉じかけたまぶたの下で、瞳がふるふると揺れる。
眉尻が、困ったように、でもどこか甘えるみたいに寄る。
唇の端から、少しだけ漏れた息と唾液が、熱を帯びて優里の頬を撫でた。
(……こんな顔、…するんだ)
溺れさせているのに、寧ろ溺れているのは自分の方なんじゃないかと錯覚しそうになるくらいの色気。
それでも、優里の腕の中にいる紫音は、きゅっとパジャマを掴んだまま、ただついてくるのに必死で、言葉を返す余裕なんてまるでない。
その一方的な状況が、優里のなかの危ない部分を、容赦なく撫で回してくる。
ここまで来てしまえば、認めざるを得なかった。認めてしまいたかった。
このまま、首筋に唇を滑らせて、
肩を、鎖骨を、もっと深く、もっと先まで。
布団の中で触れてはいけないところまで、細い身体を追い詰めて、声を奪ってしまいたい。
ゆっくりと、名残惜しく舌を離し、唇を離す。
細い糸が切れたみたいに、紫音の肩から力が抜けて、ふう、と大きく息を吐いた。
「……は……っ、……っ……」
荒くなった呼吸。
上気した頬。
濡れた瞳。
危ない色香、という言葉が、このときほど似合う瞬間はない。
さっきまでの純粋なかわいいが、そのまま少しだけ熱を上げて、また、抑えられない衝動に変わっていく。
布団の中の薄明かりに照らされた白い首筋が、呼吸に合わせてかすかに上下する。
パジャマの襟元の隙間から覗く鎖骨のラインが、不自然じゃない程度に浮かびあがって見える。
いつもステージの上でライトに照らされていた横顔とは、また違う。
客席に向けてではなく、優里ひとりに向けられた、危うくてまっすぐな余韻。
白い息がふわっとこぼれた。
「……はっ……っ……」
紫音の胸が、パジャマ越しに大きく上下する。
目尻はとろんと赤くて、唇はさっきのキスのせいで、少しだけ濡れている。
さっきまでテレビに映っていた世界一位の音楽家と同じ人間だとは、とても思えない。
「……ゆ、り……」
掠れた声が、布団の中で溶ける。
「……ま、って……」
かすかな抗議の音が、唇と唇の隙間を探すみたいに漏れた。
押しのけようとする力ではない。
むしろ、腕の中で指先がぎゅっとパジャマを掴んだまま、逃げるどころか、縋りついている。
胸の奥で、冷静さと欲望が一瞬だけぶつかったあと。
口から出たのは、冷静さとはほど遠い言葉だった。
「……無理です」
優里自身も驚くほど、静かで、はっきりした声だった。
「待てるわけ、ないじゃないですか」
耳元で囁くと、紫音の肩が、びくん、と小さく震える。
「……ゆ、り……ちょ……っ」
かすれた声で名前を呼ばれたところを、そのまま塞ぐように、もう一度唇を押し当てた。
さっきより、ずっと深く。
逃げる隙間なんて与えない、と思ってしまった。
指先を背中に滑らせて、腰の少し上あたりを、ぐっと引き寄せる。
薄いパジャマ越しに伝わる身体の線が、優里の胸元とぴったり噛み合うように、もう一歩も退けない距離まで。
そのせいで、紫音の腰が、ほんの少しだけ反射的に逃げるみたいに揺れた。
「……っ、まっ……ぁっ…」
絡み合う舌の奥にある喉で、かすれた抗議がほどけかける。
逃げられた、というより。
力の抜けた身体が、びっくりして揺れただけかもしれない。
それでも、そのわずかな隙間が、どうしようもなく癪に障った。
胸の奥に、黒くて甘いものが、どろりと浮かび上がる。
「……逃げないでください」
息継ぎと同時に、耳元で、少しだけ低い声で囁いた。
自分のものとは思えないくらい、温度の低いトーン。
腕に力を込めて、さっき逃げかけた分まで上乗せするみたいに、ぐっと抱き寄せた。
「なんで、逃げようとするんですか」
言葉だけ聞けば、責めているみたいな声。
抱きしめる腕の中で、紫音はすこしだけ距離をとりたそうに身を捩った。
「……逃げて……ない……」
耳元で、掠れた声が、かろうじて反論した。
「……ゆーりが……近い……っ」
「わたしのこと、嫌いですか?」
「……や、じゃない…けど……っ…」
「なら、もっと近くてもいいですよね?」
返事を待たずに、背中側に回していた腕を、するりと滑らせる。
肩甲骨のラインを親指でなぞるみたいに下りていって、そのまま背中の真ん中を通り過ぎて、腰の少し上まで。
布団の中で、パジャマの布がきゅっと寄る。
細い背骨のラインを確かめるみたいになぞりながら、そのままぐっと引き寄せた。
「……っ、ん……!」
完全に密着した身体同士が、避けようのない位置でぶつかる。
紫音の胸元の柔らかさが、パジャマ越しに押し潰されて、優里の胸に押し当てられる。
脚も自然と絡んで、どこからどこまでが誰の体温なのか、曖昧になっていく。
「……やっぱり、このくらいがちょうどいいです」
「……ねぇっ…!……ちか……っ」
「さっき、いいって言いましたよね?」
「……い、ったけど……」
「じゃあ、文句はないですよね?」
少しだけ意地悪にそう言ってから、
もう一度、唇を奪った。
今度は、ただ口に重ねるだけじゃない。
頬に回していた手をそっと移して、顎のラインを親指でなぞる。
甘いキスを落とす場所を、喉元へと続く細いラインを辿って、首筋へと滑らせる。
紫音の呼吸が、途端に乱れた。
「……っ……ゆ、り……そこ…は…」
「ここですか?」
わざとらしく尋ねながら、首筋すれすれのところで唇を滑らせる。
まだ唇は触れていない。
息だけを、薄く、肌にまとわせるみたいに落としていく。
白い首筋の上に、優里の息が薄く溜まる。
「……や、…まって……」
喉の奥で、か細い声が震えた。
今度の「待って」は、さっきまでとは少し違う。
嫌がっているのではなくて、どうしていいか分からなくて、反射的にこぼれた悲鳴に近い。
(そんな声、逆効果にしかなりませんよ……)
心の中でだけ、小さく笑う。
「……待たないです」
ほんの少しだけ首を傾けて、そのまま首筋に唇を落とした。
「……っ……ん、ぁ……!」
声になりきらない声が、喉から漏れる。
柔らかい皮膚に、そっと口づける。
出血するほど強くはない。
でも、意味もなく撫でるだけの、とがりのないキスでもない。
逃げたことに対して罰を与えるみたいに、しっかりと歯を立てて、ちゃんと、ここに触れてると刻みつける強さで。
首筋から、肩口へ。
パジャマの襟元の布地すれすれに沿って、何度も何度も、少しずつ位置をずらしながら口づけを落としていく。
そのたびに、紫音の身体が小さく跳ねる。
「……ゆり……、だめ……」
「止めませんからね?」
「……ひどい……」
抗議の言葉とは裏腹に、背中にまわされた腕の方は、さっきよりもはっきりと優里を抱きしめ返していた。
逃げるでも、突き放すでもなく。
溺れないように、ただしがみついている腕。
(……本気で嫌なら、きっと突き飛ばしてくれるはずですよね)
首筋から肩へ。
肩から、鎖骨のあたりまで。
そして、胸元にも、パジャマの襟元の布の上から、そっと唇を押し当てる。
布越しでも、熱とすこしの柔らかさがちゃんと伝わってきた。
「……ここ、気持ちいいですか」
「……そんなの……しらな……っ……」
言い切る前に、先端の少し上あたりに、もうひとつ口づけを落とす。
「……っ、あ、……ん……」
息と一緒に混ざる小さな声に、優里の胸の奥の何かが、ぐらりと揺れた。
(……さすがにこれ以上は、……でも…)
分かっているのに、やめられない。
手のひらを背中から少しずらして、今度は腰のあたりに滑らせる。
腰骨を跨ぐようにして、パジャマ越しに、ゆっくり撫でる。
なぞる、というより、確かめるように。
この小さな身体が、優里の腕の中にすっぽり収まっているという事実を、手のひら全部で刻みつける。
「……っ、ん……そこ、……」
「ここ、嫌いですか」
「……わから、…ない……」
「じゃあ、好きになってください」
快感を教え込むみたいに、腰から、少しずつ、指先を上に滑らせていく。
背中のカーブをなで上げて、
脇腹の柔らかいところをくすぐらないよう気をつけながらなぞって、
やがて、みぞおちの少し下あたりまで。
布団の中で、パジャマの布がきゅっと引き寄せられる。
指先に伝わる、お腹の骨ばったささやかな起伏。
「……ここは?」
「……っ……」
言葉で問う代わりに、そこをそっと、円を描くように撫でてみる。
強く押すわけでも、乱暴に扱うわけでもなく。
ただ、撫でている、というより、馴染ませるみたいに。
自分の手のひらに、この人の温度を覚え込ませたくてたまらなくて。
「……や、…変な感じ……」
紫音の声が、さっきまでとまた違う色で震えた。
くすぐったさと、何かよく分からない感覚の中間を、うろうろしているみたいな声。
その反応が、どうしようもなく愛しい。
「その変な感じ、ちゃんと覚えておいてくださいね」
「……やだ……」
「…まぁ、嫌がっても…覚えさせますからね」
「……ゆーり…もう……」
喉の奥で、かすかに名前を責めるみたいに呼ばれる。
それすら、嬉しくてたまらない。
「……まだ、です」
首筋に、もう一度、強めのキスを落とす。
傷がつかないようには気を使いつつ、できるだけ強く歯を立てるみたいにして。
「……っ……ん、んぁ……!」
肩のあたりで、ぴくん、と紫音の身体が跳ねた。
肩口から鎖骨の少し上まで、何かを描くみたいに、ゆっくりと場所を変えながら、口づけと、噛みつきを混ぜていく。
少しの水音。
確実にここに自分がいたと分かる強さで。
(……消えないような傷をつけちゃいたいくらいなんですけど)
本気でそんなことを考えてしまう自分が、少しだけ怖くて。
でも、それ以上に、その願望が、ひどく心地よくて。
「……ゆーり、…そんなに、……したら……」
紫音が、震える声で名を呼ぶ。
「明日……レコーディング、ある……」
「……あ」
一瞬だけ冷静になって、わざと同じところには重ねないようにしながら、今度は首筋よりも少し下、肩と布地の境目あたりに切り替える。
どちらにせよ、
今この布団の中で、紫音の首から肩にかけてのあたりには、
優里の唇が触れたという記憶だけが、薄く染み込んでいる。
それで十分だ、と一瞬思った。
でも、次の瞬間には、もう十分なんて、どこにもなかったみたいに、まだまだ足りなくてたまらない。
「……紫音さん」
耳元で、もう一度名前を呼ぶ。
さっきから何度も呼んでいる名前なのに、
今度のそれは、自分でも分かるくらい、少し濁った声色になっていた。
「…なに……」
息の混ざった返事。
「もっと、抱きしめてもいいですか」
「……もう、じゅうぶん……」
「こんなんじゃ全然足りないです」
即答すると、
紫音の肩越しに、小さく震える気配が伝わってきた。
笑ったのか、どうしようもないって呆れたのか、恐怖したのか、その全てか。
それでも、背中に回された腕の方は、また少しだけ力を増して、優里のパジャマをぎゅっと掴んだままだった。
それを確認してから。
優里は、布団の中で、身体の位置を少しだけずらした。
紫音を、ベッドの真ん中側に押し戻すように。
優里自身の身体を、その上にかぶせるみたいに。
真正面から覆い被さる角度ではなく、少しだけ斜めに。
完全に体重を預けるのではなく、片肘をついて支えながら。
それでも、腕の中に閉じ込められた小柄な身体には、
上下左右、どちらへも逃げ場がなくなった。
「…ゆーり………?…」
見上げるような角度で、名前を呼ばれる。
枕に少し頭を預けたままの紫音の視界の中、
優里が真上から覗き込んでいるのが分かって、優里の胸の奥がざわりと揺れた。
「……重くないですか」
「…あったかい……」
答えになっているような、いないような、いつもの返事。
でも、腕はちゃんと優里の背中を抱き寄せてくる。
「……これで、…逃げられませんね」
「……もともと……逃げてない……」
額を軽く合わせて、視線を絡めたまま、優里はゆっくりと言い切る。
「紫音さんが、どこまで有名になっても」
「……」
「世界中の誰が紫音さんに恋をしても」
胸の奥に渦巻く、暗いものを、言葉にする。
「こうやって、押さえつけて、刻み込めるのは、わたしだけです」
ほんの少しだけ、笑って見せる。
冗談めかしているつもりなのに、
笑い方が、どこか危なっかしい自覚はあった。
紫音は、長いまつげを一度だけ瞬かせて、
それから、ゆっくりと目を細めた。
「…ゆーり………こわい…よ?……」
「……自覚はあります……ていうか」
「……まぁ」
遮るような声。
ほんの少しだけ、腕の力が増した。
「………………べつに……イヤじゃない…けど……」
喉の奥で、小さく零れるみたいに落ちた言葉。
たぶん本人は、自分で言ったボリュームを分かっていない。
布団の外にいたら、聞き逃すくらいの小ささ。
でも、今はこの距離だから、全部聞こえてしまう。
「……っ」
優里の胸の奥で、なにかが、完全に溶けた。
「……じゃあ、もっとしますね」
「……や、もう、じゅうぶん……」
「無理です。あと5時間くらいはかかります」
苦笑いを混ぜながら言ってから、
もう一度、唇を重ねた。
さっきまでよりも、少しだけ優しく。
でも、深さだけは、変えないまま。
服の上から、触れていい場所を選びながら、
指先と唇と、体温全部を使って、
優里の手で触られる感覚を、
紫音の身体の中に、ゆっくり、ゆっくり刻み込んでいく。
壊したいという衝動と、
壊したくないという感情が、
どちらも同じくらいの重さで優里の胸の奥に居座って、すこしどころか、半身位はもう越えていたとしても、最後の1歩だけは、どうしても越えさせてくれない。
だから、その手前の最前線で。
ぎりぎりまで近づいた場所で、それを味わうように。
腕の中の名雪紫音を押さえつけるみたいに抱きしめながら、
唇と、指先と、呼吸と、名前で、
何度も何度も、静かに刻み付けていく。
ソファの上で眠る紫音に囁いたときよりも、
ずっと、はっきりと伝わるように。
逃げ場のない距離で、何度も、何度も。
腕の中で震えているのは、
もしかしたら、優里の方かもしれない。
それでも構わない。
この人が、寝言でも好きと言ってくれた夜を、
今度はちゃんと、起きている目の前で刻み直せたなら。
それで十分のはずだった。
ーー
…そこから先は、どれくらいキスをしていたのか、途中から、もう時間の感覚が分からなくなっていた。
唇を重ねて、離して、また重ねて。
首筋に噛みついて、鎖骨のあたりをなぞって、また口づけに戻って。
その合間に、背中を撫でて、腰を引き寄せて、
わざと口をずらしてキスをして、溢れる息を味わうようにしたり、ただ抱きしめて頭をひたすら撫でるだけ撫でたりもした。
ときどき、紫音の指先が、背中にまわした手で、ぎゅっとパジャマを掴み返してくる。
しがみつかれるたびに、「まだ大丈夫」「まだ嫌がっていない」と勝手に判断して、限界を測る線を、優里自身でじわじわ後ろにずらしていく。
気がつけば、枕の位置も、布団の向きも、最初の形からすっかり変わっていた。
ベッドのシーツには、ところどころ湿り、皺が寄っていて、
枕カバーの端は、いつのまにか少し濡れている。
それが汗なのか、息なのか、キスの名残なのか、優里自身でも判別がつかない。
「……っ、は……っ……」
目の前で、紫音が、息を荒くしていた。
薄いパジャマの襟元は、何度も乱れを直したはずなのに、また少しずれていて、
白い首筋から鎖骨にかけて、うっすらと汗の光が滲んでいる。
額には前髪が貼りついて、
耳のあたりには、細い髪が何本か汗で頬に貼り付いて落ちていた。
滅多に見られない汗をかいた姿。名雪紫音の汗。
それが今は、考えられないくらいの密度で、布団の中で溜まっている。
「……大丈夫、ですか……?」
一応、そう尋ねてみる。
答えの代わりに返ってきたのは、
喉の奥で震える、小さな息だけだった。
「……っ、ん……ぁ……」
完全に力を抜いてしまっているわけではない。
むしろ、背中に巻き付いている腕は、さっきより少しだけ強くなったくらいだ。
それでも、目元の赤さと、荒い呼吸と、時々ふるふる揺れるまつげを見ていると、
どう考えても余裕があるとは言えない状態だ。
(……やりすぎましたよね、完全に……)
心のどこかが、ようやくそう呟いた。
けれど、それと同時に。
視線の端で、ゆっくりと首筋をつたう汗の筋が、
妙にくっきりと目に入ってきてしまった。
白い肌の上を、透明な線が一滴、ゆっくりと落ちていく。
喉のくぼみの少し上あたりから、鎖骨の窪みに向かって、細い道を描くみたいに。
ごくりと、喉が、勝手に鳴った。
(……やば)
自分の反応に、優里自身で苦笑する。
それでも目は、首筋から目を離せない。
ステージ終わりに見かける汗とは違う。
メイクもヘアセットも溶けた、誰にも見せるつもりのない顔で、
布団の中で、優里だけのせいでこんな風になっていて、流れた汗だ。
そう思った瞬間、胸の奥で何かが、ぞくりと鳴った。
「……しおん、さん……」
名前を呼ぶ声が、自分でも分かるくらいかすれていた。
首筋を伝っていた汗が、ちょうど鎖骨のあたりで、ぽとりと落ちそうになる。
反射的に、顔を近づけていた。
唇を落とすというより、掬い取るみたいに。
滴りかけていた汗の筋を、そっと舌でなぞる。
「……っ」
紫音の身体が、びくん、と跳ねた。
塩の味がした。
汗と、甘い体温と、ほんの少しだけ、いつもの香水の残り香が混ざった味。
思っていたよりもずっと、ちゃんと名雪紫音の味がした。
胸の奥で、何かが勢いよく燃え上がる。
(……なにこれ……)
知ってはいけないものを知ってしまったみたいな、背筋のぞくりとする感覚と、
そのくせ、もう一度確かめたくてたまらないみたいな、どうしようもない渇きが、同時に喉の奥に湧き上がってくる。
「……ゆーり……?」
耳元で、小さな声がする。
さっきまでの悲鳴と嬌声を混ぜたみたいな声とは少し違う、
困惑と、恥ずかしさと、うすく甘い何かが混じった、掠れた呼びかけ。
その声すら、今の優里には燃料にしかならない。
もう一度、垂れかけている汗を、鎖骨に溜まっている汗を啜り、舐めとってしまいたい衝動に駆られる。
首筋に浮かんだ光を、ひとつ残らず優里のものにしてしまいたい。
この人の汗も、息も、全部優里の中に取り込んでしまいたい。
(……なに考えてるんですか、わたし)
一瞬遅れて、ようやく正気が追いついてきた。
視線を少し引いて、改めて紫音の顔を見つめる。
目尻は赤く、涙の名残がうっすら光っていて、
唇はさっきまでのキスのせいで、まだ少し腫れぼったい。
髪はほとんど崩れかけて、
息は、ようやく落ち着きかけてきたとはいえ、まだ不規則だ。
そして、腕の中でしがみついてくれてはいるけれど、
その力は、正直なところ、さっきまでよりも明らかに弱くなっている。
頭の中に、最悪の言葉が浮かんだ。
(今なら、何をしても、抵抗されないかもしれない)
胸の奥が、ぞっと冷える。
それは、きっとさっきまでの優里なら、
興奮の一部として、そのまま飲み込んでしまっていたかもしれない言葉だ。
でも、こうして首筋の汗を舐めてしまった直後だからこそ、
一瞬の高揚のあとに来る怖さが、そのままストレートに胸に刺さった。
(……だめだ)
冷静になった、というより、
一周回って、ようやく、きちんと怖くなった、という感覚だった。
布団の中で、紫音の身体から、ほんの少しだけ距離を取る。
と言っても、腕の中から完全に離すわけではない。
抱きしめる力を、ぎゅうっと締め付ける状態から、
やさしく包むくらいの力加減まで落とす。
呼吸はまだ荒いけれど、
紫音の瞳の奥には、ちゃんと意識の光が残っているのが分かった。
「……ごめんなさい」
思わず、口から零れた。
謝ったところで、さっきまでの時間が帳消しになるわけではないのは分かっている。
それでも、言葉にしないと、自分の中で何かが歪んだまま固まってしまいそうだった。
「……なんで、あやまるの」
間近で、かすかな声が返ってくる。
「……やりすぎました。……ちょっと、調子に乗りました」
「……ちょっとどころじゃ……」
言いかけて、紫音は一度、ふう、と息を吐いた。
そして、腕を外すどころか、むしろ首元に回して、
自分からさらに少しだけ、ぎゅっと抱きついてきた。
胸元に額を預けたまま、小さな声で続ける。
「……大丈夫」
「……」
そこで言葉を切って、
わずかに頬を擦り寄せてくる。
「…優里になら……こんなふうに、されるの……きらいじゃない……かも……しれない……」
その一言で、さっきまで冷えかけていた心臓が、また勢いよく跳ねた。
けれど、熱に浮かされすぎたさっきとは違う。
今度は、そこに、はっきりとしたブレーキの感覚も一緒にある。
「……わたしも、紫音さんにこういうことするの、すこし……いやかなり、……好きなのかもしれません…」
自分に言い聞かせるように、そう告げた。
もっと触りたい。
もっと舐めたい。
もっと、ぐちゃぐちゃにしてしまいたい。
そんな欲望が、胸の奥でまだまだ暴れているのは、よく分かっている。
それでも、今なら何をしても抵抗されないという思考と、
だからこそ絶対に、これ以上はしないという線引きが、ようやく同じ場所に並んでくれた。
それだけで、少しだけ、満足した。
紫音の汗だくの姿も、
首筋の塩味も、
乱れた前髪も、
全部、今夜のご褒美として、胸の中にしまって、今はここでやめておく。
息が少し落ち着いて、
抱きしめる腕の力が、ようやくわずかにゆるんだころ。
紫音は、布団の中で小さく息を吐いて、
額を優里の胸元に押し付けるみたいにして、そっと目を閉じた。
「……ねむい……」
「そりゃあ、時間も時間ですし、…こんなにキスされたら、疲れますよね」
「……ゆーりのせい……」
「……あはは…反論の余地がないですね…」
苦笑いしながら、肩口にちいさくキスを落とす。
もう噛まない。
もう跡もつけない。
ただ、おやすみなさいの代わりに。
紫音も、少し遅れて、背中に腕を回してくれた。
さっきよりも、はっきりとした力で。
抱きしめられているのはどちらなのかなんて、もう判別できない。
ただ、互いの息と鼓動が、少しずつ落ち着いていくのを確かめながら、ふたりはしばらくの間、余韻を味わい楽しむみたいに、何も言わずにくっついていた。混ざりあって溶け合うみたいに。
襲いたくてたまらない衝動と、
それでも壊したくない尊さと。
そのふたつを、ぎゅっと胸の奥で折りたたむようにして、優里は、腕の中の温度を確かめ続けた。
やがて、紫音の呼吸が、さっきまでの乱れをすっかり失って、規則正しいリズムに戻っていく。
耳元で、「……ん……」と小さな寝入り端の声がした。
それを合図にしたみたいに、優里のまぶたにも、そっと眠気が降りてくる。
抱きしめる腕の力だけは、緩めないように気をつけながら。
腕の中で、優里はとても静かに、けれど確かな幸福を噛みしめながら、ゆっくりと眠りに落ちていった。
新しい年の最初の夜。
ふたりは同じ布団の中で、抱き合ったまま、同じ夢の続きをきっと見ていた。
現実になるかどうかも分からぬ切実な夢は、胸の中の祈りにもよく似ている。
今年も、平和でいい一年になりますように。
キスシーンもうちょいえっちにしてもいいですか?それともこれ以上はやり過ぎですか?
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いいぞもっとやれ
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これ以上は解釈不一致