プロ野球空想選手列伝   作:三宅繭

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地元仙台 天性のアーチスト
「宮城野フルスイング主義 ― 大原龍ニという物語」


「宮城野フルスイング主義 ― 大原龍ニという物語」

 

 

1 宮城野のリトルスラッガー

 

宮城県仙台市宮城野区宮城野。貨物列車の音とスタジアムの歓声が混ざる街で、大原龍ニは1989年7月に生まれた。

 

少年野球ではキャッチャー。どこから見ても“4番キャッチャー”なガッシリした体つきだが、指導者泣かせの一点があった。

 

「全部フルスイングしていいですか?」

 

まだ小学生のくせに真顔でそう聞いてきた。コーチが「カウントによる」と返すと、

「じゃあ全部有利カウントってことで」

と言って本当に振り続けた、という逸話が残る。

 

リトル・シニアでは4番キャッチャー。

三振かホームランか、という極端な打者だが、肩は強く送球は鋭い。捕ることも投げることもできる“素材型の主砲”として、仙台界隈では早くから名前が知られる存在だった。

 

 

2 仙台栄進高校 1番センターから4番センターへ

 

仙台栄進高校に進学すると、彼の将来を決定づける転機が訪れる。

監督は、捕手よりも広い外野の芝生でこのパワーを生かすべきだと考え、外野手転向を告げた。

 

「お前、センターやれ。打つことにもっとエネルギー使え」

 

1年のうちは控え。

しかし2年の春から「1番センター」でレギュラーを掴む。初回先頭打者、初球からフルスイング。

ファールでも客席がどよめくようなスイングが“名物”になっていく。

 

3年では「4番センター」。

守備は俊足強肩、打撃では高校通算92本塁打。

ただし、きれいなフォームとは言い難い。棒立ちに近い構え、相手が振りかぶるとステップを大きく取り、上半身の捻りでボールを掬い上げるような打ち方。コーチからフォームの矯正を勧められるたびに、

 

「フォームは打てなくなったら考えます。」

 

と返すようなタイプだった。

 

甲子園には春夏で1度ずつ出場した。スカウトとマニアの間で語られる「とんでもないスイングをする右投げ左打ちのセンター」という存在だった。

 

 

3 高校ビッグ4、そして仙台へ

 

2007年ドラフト。

「高校ビッグ4」のひとりとして、大原の名前が報じられる。

 

テンプターズ、オックス、そして地元・仙台ゴールデン・カップスが1位指名を表明。

抽選の結果、交渉権は仙台が引き当てる。

 

「地元で、フルスイングしてこい」

 

地元の英雄になれる道が目の前に置かれた。

ドラフト会見で、大原はいつもの調子でこう言った。

 

「全部フルスイングしていいですか? …怒られない範囲で頑張ります」

 

この“フルスイング宣言”は、のちに彼のキャリア全体を象徴する言葉として、繰り返し引用されることになる。

 

 

4 2008〜2010年 ボロカス期と片鱗

 

2008(19歳)

プロ1年目。年俸1500万。

一軍では12試合出場で打率.000、0本塁打。

守備固めや代走での出番が多く、打席に立ってもプロの変化球にバットが空を切る。

 

ベンチでは村野監督にこう言われる。

 

「お前のフルスイングはな、“フルスイング”じゃなくて“無計画な全力”や。プロは計算して振るんや」

 

若手会に戻ると、

「今日もボロカス言われました」

と笑って話すが、内心では“プロの壁”を痛感していた。

 

 

2009(20歳)

48試合 .235/6本。年俸1600万。

代打・第4外野手として一軍に帯同する時間が増える。

 

ホームの仙台で放ったプロ初本塁打は、またしても初球フルスイング。

スタンドインした瞬間、村野監督がベンチで小さく笑ったと言われる。

 

「ああいうのを“計算された無茶”って言うんや」

 

この年の終わり頃から、チームの中で「将来の4番候補」としてささやかれるようになる。

 

 

2010(21歳)

80試合 .248/10本。年俸2200万。

先発出場も増え、“レギュラー候補”の位置まで浮上する。

 

しかし、好不調の波が激しい。

3試合連続ホームランのあと、20打席ノーヒット。

今年から就任したブラック監督からは引き続き辛辣な言葉を浴びせられる。

 

「お前はジェットコースターだ。客は楽しいけど、ベンチで見ていると辛い。」

 

大原は、それでもフルスイングをやめない。

「中途半端な当て打ちでプロに残るくらいなら、フルスイングでクビになりたい」

そう話していたという。

 

 

5 2011年 震災と22歳の覚悟

 

2011(22歳)

134試合 .262/18本。年俸4000万。

 

3月、東日本大震災。

地元・宮城野の街も揺れ、スタジアムも被災する。

「野球どころじゃない」という感覚が、選手にもファンにも広がる。

 

大原は避難所で炊き出しを手伝いながら、自分の職業について考え続けた。

 

「俺らがグラウンドに戻ってもいいのか」

 

球団から「プロ野球をやる」と聞かされたとき、胸の奥に残ったのは罪悪感と、よくわからない怒りだった。

 

それでも、再開した試合でスタンドに人が戻ってくる。

子どもがユニフォームを着て、名前入りのタオルを振っている。

 

「ああ、俺らは“日常”の一部なんだな」

 

この年、大原は初めてフルシーズンに近い形で出場し、18本塁打を記録。

数字以上に、「立ち続けること」の意味を学んだ1年になった。

 

 

6 2012年 初ゴールデングラブと“完成前夜”

 

2012(23歳)

138試合 .274/25本。年俸8000万。外野でゴールデングラブ初受賞。

 

昨年から指揮を取る月野監督のもと「月野チルドレン」の一角として大原は依然としてフルスイングだが、守備・走塁の評価も上がり、「総合力の高い外野手」としてリーグの注目を集め始める。

 

「フルスイングはそのままでいい。ただ、相手バッテリーの考えを一個だけ読め」

 

コーチ陣の助言で、初球からでも“狙い球”を意識するようになる。

それでも、打ったあとのフォロースルーは相変わらず大きい。

この年は、観客が「あ、入った」と打った瞬間に見上げる本塁打が増えた。

 

 

7 2013年 無敗のエースと本塁打王

 

2013(24歳)

140試合 .282/34本/101打点。

パ・リーグ本塁打王、ベストナイン外野。チームはリーグ優勝、日本一。

年俸は8000万のままだが、立場は“仙台の顔”へと変わる。

 

先発ローテーションには、無敗で突っ走るエース・坂本将大。

3番ジャレッド、4番大原、5番マイケルという破壊力抜群のクリーンアップ。

 

「坂本が0点に抑えてくれるから、1点でも多く取れば勝てる。それでも、確実に1点を取りに行くより、フルスイングで3点を取りに行きたい」

 

そう言って、大原は打席に立つ。

序盤は三振も多かったが、夏場から益々打球が角度を帯びる。

 

秋。

仙台の街は、“初優勝”の熱気で沸き立つ。

日本シリーズでも4番として打ち続けた大原は、「地元球団の初優勝を決めた4番」として歴史に名前を刻む。

 

シーズン後、球団は4年10億(2014〜2017)の複数年契約を提示。

本来ならもっと高くなるはずの年俸を、大原はこう言って飲んだ。

 

「仙台で4年保証してもらえるなら、俺はそれで十分です」

 

地元愛とフルスイング主義、そのままの答えだった。

 

 

8 2014〜2016年 “最強のフルスイング”期

 

2014(25歳)

143試合 .270/30本/92打点。年俸2.2億(4年10億の1年目)。

 

優勝の翌年、チームはやや失速。

大原自身も数字だけ見れば立派な30本だが、本塁打王には一歩届かない。

 

相手バッテリーは徹底的に外角攻めとシフト。

それでも大原は広角にスタンドへアーチをかける。

このころの彼は、“型にはまらない教科書外の4番”として、子どもたちの人気を集めていく。

 

 

2015(26歳)

143試合 .276/41本/112打点。

本塁打王&打点王の二冠。年俸2.5億。

 

キャリアハイのシーズン。

「完成されたフルスイング」と評される年である。

 

「甘い球は全部スタンドに運ぶつもりで振っています。…まあ、実際はそんなにうまくいかないですけど」

 

と言いながら、本当に甘い球はほとんど仕留めた。

インハイの速球を引っぱってポール際にねじ込むホームラン、外角低めをレフトスタンドに放り込むホームラン。

“教科書どおりのスイング”ではなく、“教科書に載っていない結果”を量産した。

 

この年、大原の年俸は2.5億。

41本塁打を放つ主砲としては、明らかに“安い”。

のちにこの4年10億契約は、「球団史に残る神契約」と評価されることになる。

 

 

2016(27歳)

141試合 .280/38本/105打点。年俸2.6億。

 

打撃は安定しており、本塁打数もリーグトップクラス。

しかし本塁打王は、アレードが39本でかっさらっていく。

あと1本届かなかった。

 

シーズン終盤、敵地でアレードに並ぶ38号を放った試合後、

「もう1本行きたいね」と笑う大原に、相手監督がこう言ったという。

 

「君がもう一本打ったら、うちのアレードが泣くからやめてくれ」

 

結局、39本目は大原には出ず、タイトルは逃した。

だが、この年までの5年間で大原は完全に「パ・リーグを代表する左の長距離砲」として確立されている。

 

 

9 2017年 腰の悲鳴と、生涯仙台宣言

 

2017(28歳)

118試合 .265/24本。年俸2.7億(4年契約の最終年)。

 

腰の違和感に悩まされるシーズンだった。

春先にフェンス激突のプレーで腰と膝を痛め、その影響で出場試合数は5年ぶりに120試合を割り込む。

数字もやや寂しい。

 

一方で、FA権取得が迫る中で他球団の動きも活発になる。

テンプターズやオックスは、年5億×4〜5年級の条件を用意するという噂が飛び交う。

 

しかしオフ、仙台ゴールデン・カップスはそれらを上回る形で、

 

5年22億(2018〜2022)+出来高

2018〜20年 5億

2021〜22年 3.5億

 

という大型延長契約を提示する。

 

会見で、大原は迷いなくこう口にした。

 

「FAも考えましたけど……やっぱり、仙台でフルスイングしていたいので」

 

“生涯仙台宣言”とも言えるひと言だった。

腰と膝に不安を抱えながらも、彼は再びバットを握る。

 

 

10 2018〜2019年 ポジションチェンジと中軸としての責任

 

2018(29歳)

136試合 .271/31本。年俸5億(5年22億の1年目)。

 

腰と膝への負担を考慮し、一塁やDHでの出場が増える。

外野のレギュラーには若手や新外国人が台頭してくるが、打線の真ん中は変わらない。

 

「守る場所は変わっても、打つ仕事は変わらないので」

 

そう語るように、31本塁打で主砲としての役割を果たす。

5億という年俸に見合う働きだった。

 

 

2019(30歳)

135試合 .263/29本。年俸5億。

 

打率はやや落ちるが、長打力は健在。

チーム事情によっては外野に回る試合もあり、身体をだましだまし使いながらシーズンを戦い抜く。

 

このあたりから、ファンの間では

「そろそろ“レジェンド”のキャリアをどう終わらせるか」という議論が始まる。

それでも、まだ“引退”という言葉は本人の口から出てこない。

 

 

11 2020〜2021年 コロナ禍と通算300号

 

2020(31歳)

104試合 .245/18本。年俸5億。

 

コロナ禍で短縮シーズン。

無観客試合が続き、スタンドからの歓声がないままフルスイングを続けることに、大原は違和感を覚える。

 

「打ったあと、“シーン”としてるの、寂しいですね。

お客さんがいてくれたんだなって、改めてわかります」

 

腰痛に苦しみ、成績は18本塁打と物足りない数字。

年俸5億と打撃成績だけを見れば、明らかにオーバーペイの年である。

それでも、球団もファンも「こういう年もある」と受け止めた。

 

 

2021(32歳)

112試合 .257/21本。年俸3.5億(契約後半1年目)。

この年、大原は通算300号本塁打を達成する。

 

節目の一発は、地元・仙台でのナイター。

フルカウントからのインコース高めを、デビュー時から何度も空振りしてきた“あの球”と同じ軌道でスタンドに叩き込む。

 

「300本、全部フルスイングでした」

 

お立ち台でそう言って笑う姿に、球場全体が拍手を送る。

地元の子がフルスイングで打ち込んだ300号を盛大に祝った。

しかし、ファンは知っていた。この一発に至るまでの膨大な空振りと、膝・腰との戦いを。

 

 

12 2022年 ベンチのレジェンド

 

2022(33歳)

97試合 .238/12本。年俸3.5億。

 

完全に“控え寄り”のシーズンになる。

若い選手がスタメンの座を奪い、大原は代打やDHでのスポット起用が中心となる。

 

ベンチでは、打席に向かう若手を呼び止めて一言だけ伝える。

 

「絶対にフルスイングしろ、とは言わない。

でも、“これだけはやる”って決めて打席に立て」

 

自分自身が守ってきた“フルスイング主義”を、少しだけ噛み砕いて、後輩たちに渡そうとする年だった。

 

契約最終年としては物足りない数字だが、球団もファンも、この3.5億を“功労年俸”として受け止めていた。

 

 

13 2023年 ラストイヤーと、仙台の夜

 

2023(34歳)

78試合 .231/7本。年俸1.5億(単年+出来高)。

 

5年22億の契約が切れたあと、球団は1年契約1.5億+出来高を提示する。

数字だけ見ればまだ他球団からのオファーもあり得たが、大原の答えはシンプルだった。

 

「引退するなら、仙台のユニフォームで終わりたい」

 

すでに“引退覚悟”の1年だった。

 

出場試合数は78試合。

代打や右投手先発時のDHなど、役割は限定的になっていたが、それでも時折、かつてと同じ角度のホームランを放つことがある。

 

シーズン終盤、ホームでの試合も残り少なくなってきた頃。

代打で迎えた打席、初球をフルスイング。

打球は右中間スタンドへゆっくりと時間をかけて吸い込まれた。

 

「最後まで、フォームは教科書っぽくならなかったですね」

 

試合後の引退セレモニーで、大原はそう語って笑った。

 

「でも、“フルスイングの主役フォーム”って呼ばれたのは、ちょっと嬉しかったです」

 

スタンドには、背番号と名前の入ったユニフォームを着た子どもたちと、震災の年に彼の背中を見ていた大人たちが並んでいた。

 

 

14 フルスイングで描いた“仙台レジェンド”

 

高卒で地元球団に入団し、

東日本大震災を経験し、

無敗のエースの背中を追いながら、本塁打王を二度獲り、

複数回のベストナインとゴールデングラブを手にし、

5年22億の大型契約を経て、

最後まで仙台のユニフォームを脱がなかった男。

 

大原龍ニの15シーズンは、

教科書的なフォームとはほど遠い“フルスイング”であり続けた軌跡そのものである。

 

記録としては、NPB史上もっとも数字が飛び抜けたレジェンドではないかもしれない。

しかし、仙台ゴールデン・カップスという球団にとっては、「初優勝を決めた4番」であり、

宮城野の街にとっては、「震災からの時間を一緒に過ごした4番」だった。

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