「お、お兄ちゃん……また年下の女の子に手を出して……うぅ……お兄ちゃんの妹は私だけなんです……」
「人聞きの悪いことを言うな、かえで―――って、お前、この子が見えるのか!?」
食材を買って『トウカイテイオー』と名乗るウマ耳娘を家に連れて帰ると、いつものパンダの部屋着に身を包んだ妹のかえでが俺を出迎えるやいなや未成年者略取誘拐の嫌疑を吹っかけてきた。
しかしながら驚くべきことは、帰ってくるまでの道中、誰にも気づかれなかったトウカイテイオーのことを普通に視認できていることだ。
「見えるよ? お馬さんみたいな耳と尻尾を付けたジャージの女の子……」
「えっ!? 本当!?」
「ひゃぁ!」
トウカイテイオーがかえでに詰め寄ろうとしたが、かえでは俺の背にさっと隠れてしまう。
「トウカイテイオー、すまんが、妹のかえでは少し人見知りなんだ」
「そ、そっか……ごめんね、かえでちゃん」
「うん……」
「それよりトウカイテイオー、風呂に入ってこい」
「えぇっ!? ボクに何する気なのさー!」
「お、お兄ちゃん、手が早い……」
「違う! 飯を作ってやるから、その間に入ってこいってだけだ! 秋とはいえ夜通し歩いてたんだから汗もかいただろう、着替えならかえでが麻衣さんから貰った服で合いそうなものを置いといてやるから!」
「そ、そうなんだ……わかった、行ってくる。ありがと……」
「おう、ゆっくりしてこい」
俺はトウカイテイオーを脱衣所に送り出すと、かえでに状況を説明して嫌疑を晴らす。
「お兄ちゃん、あの子は……」
「七里ヶ浜を散歩してたら、何というか……迷子?になってたんだ。家にも警察にも行けないって言うからとりあえず連れてきた」
「そうなんだ……」
「中等部2年って言ってたから、かえでより1つ下か。嫌かもしれないけど、服を貸してやってくれないか?」
「それは別に良いけど……お兄ちゃん、大丈夫?」
大丈夫、と言うのは麻衣さんにどう説明するのかということだろう。
「ああ、麻衣さんなら今日はオフだったと思うから後で電話しておく。かえでは昼ご飯が出来るまで部屋で待ってなさい」
「わかった。お昼は何にするの?」
「ハンバーグだ」
「やったぁ! お兄ちゃんのハンバーグ!」
献立を聞くとかえでは鼻歌を歌いながら自室に戻って行った。ハンバーグとはいえ出来合いを家で焼くだけなのに、あれだけ喜んでもらえると作りがいがあるってものだ。
もちろん、麻衣さんの手作りとは比べものにならないがな。
俺は買ってきた食材などを一旦冷蔵庫にしまうと、居間にかけてある固定電話から麻衣さんの電話番号をコールする。
《もしもし?》
「あ、麻衣さん、おはようございます」
《おはよう、咲太。どうしたの、まだ午前中よ?》
「えぇ、それが、またちょっとトラブルに巻き込まれまして……」
《たいがい咲太もお人好しね……わかった。準備して向かうからお昼には着くと思う。お昼ご飯は?》
「材料だけは買ってあります」
《じゃあ作ってあげるわ》
「いいんですか?」
《大丈夫よ。咲太とかえでちゃんの2人?》
一瞬答えに窮するが、ここは正直に答えておくのが吉だろう。
「……もう1人、女の子を保護しています」
《……そう。それ、いつの話?》
「ついさっきの話です」
《……じゃあ、許してあげるわ。すぐに相談に来たっていうことでしょ?》
「ありがとうございます!」
《詳しい話はそっちに行ったときに聞かせてもらうわ。それじゃ》
「はい、それでは」
受話器を置き、ふう、と一息つく。
少なくとも麻衣さんに関しては、今のところ俺は正解ルートを踏めているようだ。問題は麻衣さんが彼女を認識することが出来るかどうか、ということだ。
トウカイテイオーの現在の状況が『思春期症候群』に由来するものであるならば、俺なりに仮説はある。だがその仮説が合っていたとして問題の根本的な解決には至らないだろう。
府中にあるというトレセン学園に通う中等部2年で、種族はウマ娘。話を聞いている限り、俺たちが住む日本とあまり変わらない世界のようだ。彼女から聞いた府中、中山、大井、川崎といった地名は共通。彼女自身もその辺りには違和感を持っていない。唯一の違和感が、彼女自身の種族に関すること。
俺が競馬に詳しかったり、あるいはこの家にインターネットにつながるものがあれば、もう少し詳しく調べることが出来たのに。後で麻衣さんにお願いして少し調べてもらおうか―――などと考えながら、トウカイテイオーの着替えを準備し、声をかけて脱衣所に入る。
音の様子からすると、まだ浴室にいるようだ。
「トウカイテイオー、寝てないか? タオルと着替え、洗濯機の上に置いておくから。サイズが合わなかったりしたら言ってくれ」
「ぴゃぁっ! ちょっと、いきなり入ってこないでよ! ボクが出てたらどーするつもりだったのさ!」
「その時はラッキー、とでも思っておくさ」
「バカ! 変態! 不潔!」
「ところで、かえでの下着で構わないか? 洗濯しようと思うんだが」
「咲太のデリカシーどこ行っちゃったのよ!」
「こっちは妹の家事をすることだってあるんだぞ? お前みたいなおこちゃまの下着を見たって何とも思わない」
「ボクは気にするの!」
「ハハッ、元気出たじゃないか」
じゃあ俺は昼食の準備をするから、と脱衣所から出ようとすると「ちょっと待って!」とトウカイテイオーに呼び止められた。
「どうしたんだ?」
「……パンツ」
「は?」
「パンツ、もう使わなさそうなのを妹さんにもらって。あとハサミ」
「ハサミをどうするんだ?」
「尻尾のところ、穴を開けるの。“普通の人”のは入らないから。あとはズボンじゃなくてスカートだと助かるな。ズボンだと同じように穴を開けなくちゃいけないの。スカートだと押し込めば何とかなると思うから」
「なるほど、尻尾があるとそういう不便があるんだな……。わかった、準備しておくよ」
1つ賢くなってしまった。この先の人生でこの知識に需要があるかはわからないが。
「……ありがと」
「気にすんな。あと上はどうする?」
「上?……バカぁぁぁぁ!」
トウカイテイオーの叫び声を背に俺は脱衣所から出る。
まぁ
何にしても少しは元気が出たようで良かったよ。
▼
その後すぐ麻衣さんは家に来てくれた。2人で昼食を作りつつ、ここまでの状況を簡単に共有する。完成したころ、ちょうど着替え終わったトウカイテイオーがリビングにやってきた。
「あら、貴女がトウカイテイオー? はじめまして、桜島麻衣よ」
「はじめまして、お姉さん誰……ってお姉さんも私のこと見えるの!? この家、一体どーなっちゃってんのさ!」
「まぁ落ち着けって」
「可愛らしいわね」
「麻衣さんには負けるがな」
「ワケワカンナイヨー!」
「麻衣さんは俺の恋人だ」
「もっと訳わかんないよ! どーやったら死んだ目をした咲太にこんな美人の恋人が出来るの!?」
「失礼なやつだ、色々あったんだよ。じゃ、昼ご飯も出来たしかえでを呼んでくるよ」
俺たちは4人で麻衣さん特製にんじんハンバーグ定食を食べた。俺がグラッセしたにんじんを「甘くない……」などとボヤきながらも、トウカイテイオーはパクパクと完食した。
完食すると眠気がきたのかうつらうつらとし始めたので事情聴取は後回しにして俺のベッドで寝かせることとし、俺と麻衣さんは食器を片付けた後トウカイテイオーの状況について考察を進めることにした。
「ウマ娘、ねぇ―――」
「麻衣さんは競馬わかりますか?」
「わかるわけないじゃない」
「ですよね……。彼女の話を聞いていると、やはり競馬と関連があるような気がするんですよ。そのスマホで何か調べてもらえませんか」
「いま調べているところ……えっ!? 咲太、これちょっと見て!」
「これは―――!?」
麻衣さんはスマホを操作しながら俺の話を聞いていたが、ある画面に行き着くと俺の方に《WEB KEIBA》という競走馬のデータベースを見せつけた。
1頭の馬の写真とともに、そこには『トウカイテイオー』と記載されていた。明らかに彼女と何らかの繋がりがあるだろう。
「トウカイテイオー、平成初期に実在した競走馬だったのね」
「30年も前の……これはトウカイテイオーが起きたら要確認だな」
「戦績は12戦9勝。これって、すごく優秀なのよね?」
そこには有馬記念や天皇賞といった、俺でも知っているレースの名前が載っていた。
「おそらく……。しかし本人と関わりがあるかはまだわかりませんよ。って言うか、牡馬って男馬ってことですよね」
「そうね。でも、取っ掛かりは出来たんじゃないかしら? 彼女が何らかの思春期症候群を発症しているとして、これと全く無関係とは思えないわ」
俺は「確かに」と相槌を打ちながら麻衣さんの考察に耳を傾けた。それは俺も考えたことなのだ。
双葉ほど深い考察はできないが、今までの思春期症候群の事例に沿って解釈するなら、彼女の存在に何かしらの量子的な揺らぎが発生したことに端を発しているのだろう。
その揺らぎは俺たちの世界の『何か』と共鳴し、彼女が
「なるほど。彼女が他の人に認知されないことについては?」
「そこまではわからないわよ。でも逆に言えば『私たち』には観測出来ている」
「つまり、過去に思春期症候群で量子的な揺らぎの影響を受けた人には観測出来る―――のか?」
「可能性としてはね」
麻衣さんはカップに入れた温かいお茶をすすりながら一息ついた。
双葉の意見も聞いてみたいところだが、今日はバスケ部の試合を峰ヶ崎高校でやっているはずだからな。やめておこう。やれることをやってから、月曜にしておこう。
「ちなみに、まだ馬の方のトウカイテイオーは生きてるんですか?」
「もうとっくに亡くなってるみたいね。お墓は……北海道にあるみたい」
「北海道か……さすがに行けないな」
「そうね」
「馬、馬ですか……」
「確か藤沢にも乗馬クラブ無かったかしら。ほら、小田急から見えるところ」
「あぁ、そう言えばあった気がしますね。もし手詰まりになったら行ってみますよ」
「そうね、彼女が何か気づくかもしれないし。あとは、そうね―――行ってみるしか無いんじゃない?」
「え、どこへ?」
間抜けにも聞き返す俺に、麻衣さんは「競馬場」と短く返答した。
なるほど、確かにそうだ。実際のレースを見るのは乗馬クラブへ行くよりも良いかもしれない。
「私、今晩はのどかと約束があるから今日はここまでだけど、何かあったら電話ちょうだい」
「わかりました。明日は?」
「ドラマの撮影よ。遅くならなければ、夜には来れるかも。ま、それまでに解決してくれているといいのだけど」
「ありがとうございます。それにしてもデートはまたお預けかー。せっかく麻衣さんと会えたのになー」
わざとらしくがっかりした様子を出すと、心もち頬を赤くした麻衣さんが目線をそらしながら小声で言った。
「キス……くらいならしてもいいけど」
「口に?」
「ほっぺたによ!」
テーブルの下で足を踏まれる。ダブルでご褒美だな、これは。