「いや、しかし、すごい人だな……」
「当たり前じゃん。天下の天皇賞だよ?」
思わず
「G1があるといつもこんなもんなのか?」
「今日はまだマシな方だよ。見た感じ5万人くらいかなぁ? ボクの引退有馬記念*1とか、昨日、咲太が言ってたオグリキャップの引退有馬記念*2は、平気で10万人超えてたから」
確か横浜アリーナで最大収容人数は2万人ほどだった。その何倍も競馬場にいるという事実に驚かざるを得ない。
「そんなに入るのか……。っていうかお前さん、そんな人気だったんだな」
「わっはっは! ワガハイは無敵のトウカイテイオー様だもんね! 老若男女から大人気だったんだから!」
競馬場と言えば汚い格好をしたオッサンが赤ペンを耳に刺して新聞片手に野次を飛ばしている印象だったが、確かに周りを見てみると家族連れやカップル、女子同士のグループなど、比較的老若男女問わず集まっている印象だ。プロかアマかはわからないが、ごてごてとしたカメラを携えた人もいる。*3
今日の入場料は1人500円。馬がいる公園で遊ぶ行楽だと思えば非常にリーズナブルかもしれない。ちなみにちゃんと2人分買ったが、入口のお姉さんには「1人しかいないのに?」と、とても不審な目をされたということは付言しておく。*4
俺たちはキョロキョロと周りを見ながら中へと進んでいく。トウカイテイオーはあちらの世界との差異を探しているようだ。
初めて来たが、思った以上に清潔感のある建物である。かすかに漂ってくるケモノ臭が競馬場に来ていることを実感させてくれる。
「中はあんまりアッチと変わんな……何あれ? 人が並んでるけど」
「ん? ああ、どうやら馬券売り場みたいだな」
「バ券? こっちの世界にもウイニングライブがあるの?」
「ウイニングライブ? なんだそれは?」
「レースが終わったあと、出走したみんなでライブをするの。アイドルみたいに。1着の子がセンターで踊ることができるの!」
「それはそれは、馬が踊るなんて見てみたいもんだな」
「ウマ娘だもんね!」
アリーナや武道館を超える人数が入るこの会場でライブするなんて、本当にやるならそれはそれで大舞台だよな。
彼女……トウカイテイオーは俺から見ても非常に整った容姿をしている。自分で言っていたからどこまでのものかはわからないが、きっとあっちの世界では、少なくともそんじょそこらのアイドルとは桁違いの知名度だったのだろう。
そんなことを思いながらも俺は「まぁそれはさておき」と彼女の抗議を無視しながら馬券について解説する。簡単なシステムくらいなら知っているからな。
「レースを予想する。あそこで馬券を買う。当たる。お金が増える」
「何それギャンブルじゃん! レースを賭け事にするのはホーリツイハンなんだぞ!」
「残念ながら、この
むう、と膨れるテイオーはしぶしぶながら「じゃあ、パドックから見てみようか。早くホンモノの馬?も見てみたいし」と俺を先導して人工ではない光の当たる場所へ連れ出した。
パドックでは穏やかな目をした馬が16頭、ぐるぐると同じところを周回していた。こうやって馬をじっくり見るのは初めてかもしれんな。良し悪しは全くわからんが。
「ほぇ~! これが馬なんだね! 柄が無くて茶色い痩せた牛みたい!」
そっちにも牛はいるんだ。
「1レース目に出る馬たちだな。『2歳未勝利戦』?」
「『未勝利戦』っていうのはね、デビューしてからまだ勝っていないウマむ……馬が出るレースのことだよ。2歳っていうのは……多分、デビューして間もない馬のことなのかな? ボクたちの世界だとジュニア未勝利って言うんだけど」
「未勝利戦、結構多いんだな」
その辺においていたレースプログラムを見てみると、未勝利、メイクデビュー、1勝クラス…と、芝とダートがそれぞれあり、午前中は『なんとか賞』みたいな名前が無いレースばかりだ。
トウカイテイオーの解説によれば、普通は1つ勝つのも大変なことらしい。俺なんかは『G1』とか『有馬記念』とかその辺りしか知らないし、多分普段から競馬に興味無い人は同じようなものだと思うが、そんなところに出ることができるのは上澄みも上澄みとのことだ。
勝てなかった馬が全部が全部、牧場や乗馬クラブのようなところに引き取られ余生を過ごすなんてのは不可能だと俺でもわかる。きっとそういった馬のうち何割かは食卓に上がることになるのだろう。
人間の都合で産まれて、人間の都合で走らされて、勝てなかったら殺されて……と考えると、罪深い競技であるとも感じる。
「あ、ウンチしてる」
「言わんでいい」
▼
1レース目を観戦した俺たちは、2レース以降をスキップして東京競馬場の中をぶらぶらと見学した。レースは迫力があって確かに面白かったが、賭けることが出来ない(賭けるつもりもないが)俺たちはどうしても暇を持て余してしまう。トウカイテイオーはレースを見て一通り興奮した後に「人が乗って鞭で打つなんて可哀そう!」と叫んでいたが、そういうものなのだから仕方ないだろう。騎手の仕事を奪ってやるな。
コンコースを歩いていてふと脇を見ると、『JRA競馬博物館』という看板が見えた。競馬開催日は無料ということもあって、俺はトウカイテイオーを誘い入ってみることにした。"トウカイテイオー"が30年前の馬なら、歴史にこそ何か手がかりがあるかもしれないと思ったのだ。
中に入ると意外にも人は少なく、隠れた穴場ってところだ。他の人とは十分に距離があるからトウカイテイオーとは小声で話していれば大丈夫だな。
館内を見回してみると、ぱっと目の付くところに今年度の顕彰馬のコーナーがある。イクイノックス……聞いたことが無いな。
「トウカイテイオー、お前、この名前知ってるか?」
「イクイノックス? うーん、聞いたことが無い……って、えぇぇぇぇぇ!?」
「どうした急に。こっちはあんまり大声出せないんだぞ」
「お、親がキタちゃんだ……」
「キタちゃん、キタサンブラック? 知っているのか?」
「ボクと同じチームにいるウマ娘だよ! 小学生の時から知ってる子なんだけど、ボクに憧れてトレセン学園に入学してくれたって言うくらい、すっごい良い子なんだから!」
「なるほど……ってコイツのことか?」
過去の顕彰馬のゾーンを見てみると、3つ前の顕彰馬のところにキタサンブラックがいた。
「あの演歌歌手の所有する馬だったのか。すごいな」
「あー……戦績はボクの知るそれと同じ。G1を7勝。うん、キタちゃんと一緒だ。この子が……」
「少なくとも、この世界とお前の世界が無関係、ってことは無さそうだな」
「……そうだね」
俺とトウカイテイオーは改めて世界の繋がりを認識した。
複雑そうな顔をする彼女を尻目に、俺は過去の顕彰馬コーナーをさかのぼっていく。そうすると何代か前に―――いた。
「"トウカイテイオー"」
「これが……ボク……」
「……お前はお前だろ」
「ありがと」
麻衣さんに見せてもらった写真の通りだ。額の流星は、彼女の前髪の色が変わった部分とそっくりである。
「アーモンドアイ、ジェンティルドンナ、オルフェーヴル、ウオッカ――これも同じチームの子なんだけど――、テイエムオペラオー、エルコンドルパサー、タイキシャトル、ナリタブライアン、それからボクとマックイーン。知っている子の名前がほとんど。これでこの世界とボクの世界が無関係だなんて言えないよね」
「お前の言っていたシンボリルドルフもいるな」
「うん。これでハッキリわかった。ボクは、ボクの魂に導かれてここにやってきたんだ」
「魂、か……。問題は『何のために』ってところだな」
「うん」
トウカイテイオーは軽く返事をすると、"トウカイテイオー"の肖像画の前で立ち尽くした。その姿はまるで絵の中の彼と会話しているようでもあり、自分の中の
しばらくの間そうした彼女は、視線を肖像画に固定しながら独り言の様に口を開いた。俺も視線をそちらに向け、彼女に並び立つ。
「ボクはね、咲太」
「おう」
「無敵のテイオー様ではあったけど、後悔の無いトゥインクルシリーズではなかったんだ」
「というと?」
「走り方のせいか、怪我が多くて。大事なレースの前に3回も骨折しちゃったんだよね」
「大丈夫だったのか?」
「それなりに大きい怪我ではあったけど、なんとか。でも、さすがに4回目の骨折が判明して引退。有馬記念で引退って言ったけど、別にそれで引退するって公言したワケじゃなかったんだよね。有馬記念の後、骨折がわかっちゃったんだ」
「それは……すごいな、お前」
「ありがと。ま、それが一つ目の後悔。もうちょっとトゥインクルシリーズで走りたかったなーって」
「一つ目、か」
「二つ目はね、カイチョー」
「会長……シンボリルドルフのことか」
「ボクがトゥインクルシリーズでデビューした時、世の中のみんなはボクのことをこう呼んだんだ。"皇帝の後継者"って」
「皇帝の後継者が帝王か。洒落が聞いてていいんじゃないか」
「でしょ? ボクもそれを誇りに思ってる。でもね、居ないんだ」
「居ない? 誰が?」
「ボクの後継者」
「キタサンブラックではダメだったのか?」
「キタちゃんはボクの後継者じゃないよ。憧れって言ってくれたことは嬉しかったけど……あの子にはあの子の受け継いだものがあるから」
トウカイテイオーはそう答えると、踵を返して人の少ないギャラリーの中をふらふらと歩きまわる。
「人はね、咲太。ウマ娘に夢を見る存在なんだ」
「夢を、見る……」
「例えばこのオグリキャップ。彼女――こっちでは彼か――には、地方出身者の夢が重ねられた。地方から
「勝手に自分の理想を重ねてるだけじゃないのか」
「そうだよ、勝手に重ねてるだけ。でも、勝手でもいいじゃない」
「いいのか」
「いいんだよ。そりゃあ面倒くさいファンとかマスコミの人だっているけどさ、純粋に応援してくれる人って本当に力になるんだよ。それで、ボクたちは応援してくれる人たちに、ボクたちの走りやライブで夢や希望を魅せるんだ」
俺を見て「素敵でしょ?」とにっこりと笑う彼女は年下であるということを感じさせず、超一流のアイドルであり、超一流のアスリートでもあるという事実を魅せつけるようであった。
俺は競馬というものについて、単に走らせて、賞金が貰えて、観客はギャンブルに興じて、というものでしか認識していなかった。勝てない馬の末路を思うと残酷だなという印象を受けるし、おそらくそれらも事実ではあるのだろう。しかしながら、それでもなおこれほどまで多くの人が、多くの時間をかけて馬という生き物に向き合う。向き合いたいという気持ち、それが彼女の言う『夢を乗せる』ということなのだろう。
「そうだな、素敵だ。ちなみにお前に重ねられた夢っていうのは?」
「ボクには『"皇帝"を超えるウマ娘は現れるのか』という問いに対する
「確かに親子だからな……」
「だから逆説的にではあるんだけど、ボクとこっちのボクは似て非なる存在なんだ。違う夢を乗せて走ったわけだからね」
「お前自身の夢はどうだったんだ?」
「ボク自身? そりゃあカイチョーを超えることだよ。それを目指してトレセン学園に入ったわけだし。過去形になっちゃったから困ってるんだけど―――まぁつまるところ、今のボクは迷子、あるいは探し物の途中っていうことだね」
「探し物は見つかるのかね……」
「何となくは見つかったよ。ところで―――」
「咲太。君には、夢はある?」
???「センセイ、あんた、夢はあんのかい?」
???「日高の馬で有馬を勝つ!」