1685年フィンランド、アルムフェルトは無事に任官試験を終え、現在は准尉からさらに昇進し、中尉として竜騎兵小隊の隊長を任されるまでになっていた。前世では中等教育までしか受けていなかったものの、この時代においては格別の教養であり、測量や読み書き、論理的な思考能力の高さは、年齢以上のものがあると評価されてのものであった。しかし彼は、自身の将来に焦燥感を抱いていたのである。
スコーネ戦争終結後、スウェーデン国王カール11世とデンマーク王妹ウルリカ・エレオノーラが婚約、北欧には長い平和が訪れていた。これ自体は悪いことでは無いが、彼が実力を発揮する機会もなくなってしまったのである。
(このままでは、すぐに頭打ちだ)
こうなってしまうと、優先して昇進されるのは彼のような庶民ではなく、主に貴族の子弟である。どこかで、キャリアを積む必要があった。
その契機となったのは、ウーシマー・ハメーンリンナ連隊に所属する騎兵隊の少将、オットー・ヴェリンク伯爵の推薦だった。
「私もかつてフランス軍に従軍していたのでな。君がキャリアを求めるならば、私からフランス軍への入隊を斡旋しても良いぞ」
「よろしいのですか? 私は高貴な血筋でもない、新米の尉官に過ぎませんが……。」
「君の能力の高さは私も知っている、ここにいても出世の芽がないならば、いっそかつての私のように、フランス陸軍の最新の戦術を学んで来る方が、余程有益なことだからな。思うようにやってくると良い」
「閣下のご厚意に感謝いたします」
こうして1685年、カールは祖国を離れフランス陸軍に出向、シャルトル公フィリップ殿下の麾下にある竜騎兵連隊に配属されたのである。
当時、ヨーロッパ最大の軍隊であったフランス陸軍の用兵術は、かの軍隊がルイ14世の膨張政策の下で数多の戦闘を重ねてきたこともあり、同様に欧州最高峰のものであった。そもそも竜騎兵とは、必要に応じて下馬して歩兵として戦う場合と、騎乗して騎兵として戦う場合を使い分ける必要のある兵種である。これにより必然的に、竜騎兵隊の指揮官は歩兵隊と騎兵隊の指揮の両方に習熟していなければならなかった。肥沃な土地が少なく軍馬の少ないスウェーデンでは、軽騎兵や重騎兵に優先的に馬が回され、中間的な、悪く言えばどっちつかずの竜騎兵の数は少なく、その戦術もあまり発展していなかった。そのため、スウェーデンのそれよりも遥かに体系化されたフランス陸軍の竜騎兵の運用マニュアルは、カールにとって極めて重宝するものだった。
カールはその後演習などで成果を上げ、中隊付に任命されるなど、このまま順調な出世を遂げていくはずだった。しかし1688年、彼の未来に突如として暗雲が立ちこめたのである。