かくしてパーフェクトサッカーは引き継がれる。 作:ホイップる
合併案
――北陽学園 生徒会室――
「南雲原中学校と北陽学園の合併案については以上となります。」
南雲原中学校の生徒会長である千乃はそう告げると、正面に座る男を一瞥した。
夕方の柔らかな光が差し込む静かな生徒会室。広くもない空間に置かれた長机の上には、分厚い資料がいくつも重なり、付箋が鮮やかな色を添える。静寂を破るのは、紙をめくる音と、時折窓の外を吹き抜ける春の風だけであった。
北陽学園の制服に身を包んだその男――月伊霧 芽育は頬にペンを小突いたまま、淡々と資料に目を通していた。生徒会長である彼の眼差しは冷静で、嫌に鋭い。
今日は南雲原中学校と北陽学園の合併案について、経営方針と諸課題を生徒会同士で話し合う重要な日である。
本来、こうした議題は理事長や経営陣が進めるのが筋であるが両校は特殊な事情を抱えており、現状では生徒会長が実質的な権限を握っていると言っても過言ではなかった。
二人しかいない生徒会室に広がる極秘資料の数々。この場での決定が、両校の命運を大きく左右する。その現実が、静寂の空間に妙な緊張を走らせていく。
「月伊霧君、なにか意見はありますか?」
「いや、特にないよ。細かいところはこれから詰める必要があると思うが、方針は今のままで行こう」
短く返すその口調には、自信と余裕が滲んでいる。第1段階はクリア。千乃は息付く間もなく次の話題に移る。
「そうね。課題点と対応方針も素案をまとめてみたのだけど、どうかしら?」
「それなりに仕上がっているが、合併後の課題欄のところが気になるな。特に部活動はお互い力を入れているからこそ、合併後の各部の取り扱いや施設の増築なんかは急ぎ対応が必要になるだろう」
月伊霧はそう言うと、指先で資料を軽く小突く。彼の真面目な時ほどぶっきらぼうに言ってのける性分に、思わず肝が冷えた。千乃は気圧されながらく、小さく頷いて言葉を返す。
「そうね……正直、部活棟の増築だけでは対応できないことも多いわ。似たような活動方針の部活は基本統合することになるでしょうね」
「だろうな。そこは生徒会長である程度方針固めて指示出ししていくしかない。その他は何とかなるだろう……以前送った北陽の意見書も大いに汲み取ってくれて助かるよ。そちら綺麗な校舎を使わせてもらう代わりに、合併による余分な増設費・雑費は全面的にこちらが負担するという話でまとまっているから安心してくれ」
千乃はその言葉に少なからず安堵した。
北陽側の強気な姿勢は知っていたものの、こうして明確な協力体制が確認できたのは南雲原としても大きい。このまま、持ちつ持たれつの関係を続けていれば、両校にとってより良い合併になると確信した。
「そう、なら良かったわ。あとは各学校の出資者の同意と内部決裁のみね」
「あぁ、北陽は大体同意取れてるし、理事長の最終決裁ももう時期下りる。来月には合併の具体的な調整もできるだろう」
「ええ、出資者の同意は運営体制を整えてから行うからもう少し時間かかりそうね……生徒に話すのはもうすぐ先になりそう。」
「うちは運営緩めだから学生にもある程度説明しちゃっているが、南雲原は状況的にも仕方ないだろ」
「それでも、なるべく早く報告できるよう努力するわ」
「頼もしいこった。さすがは千乃会長……いや今は千乃理事長と言った方がいいか」
「っっっ!! からかうのはやめなさい。貴方に言われると気味が悪いわ」
思わず声が上ずってしまい、千乃は自分の言葉にさらに頬を熱くする。反射的に睨みつけるが、それは威嚇というより、半ば照れ隠しに近かった。
月伊霧は、そんな彼女の変化を楽しむように肩を竦める。生徒会室の窓から差し込む光が、彼の嫌味な性格を照らしだす。飄々とした態度のくせに、こういう時だけ妙に絵になるのが癪であった。
「おー怖い怖い」
軽く両手を上げ、「参った参った」とでも言うように笑みを浮かべる。その仕草が余計に煽っているのだと千乃は気付き、余計に胸がざわついた。
――相変わらず人を苛立たせるのが上手い男。
そのはずなのに、なぜだか表情を強く崩せない。腹立たしいが、会話の主導権は完全に月伊霧に握られている。
「それはそうと、千乃はフットボールフロンティアって知っているか? お宅のサッカー部も今年から出場してるんだが」
「……えぇ、もちろん。次の対戦相手が北陽学園であることも」
「はは、面白いよな。まさか、合併する学校同士が戦うなんてな……まぁどちらも準決勝に出れると思えば儲けもの。」
なにか含みのある言い回しである。どのような意味にも受け取れるが、自身にとって都合の良い意味ではないと直感した。たまには軽口でも叩いてみるかと、千乃は月伊霧にジャブを放ってみた。
「あら、もう負けた後のことも考えてるのかしら。さすがは鬼道有人以来の天才ゲームメーカー。番外戦術もお得意ね」
「なぁに、南雲原中が負けた時は1年間、北陽・南雲原中学として名乗れるようにしてやるだけだよ。フォローアップまで完璧だろ?」
月伊霧も狙い済ましたような大振りのカウンターで応戦する。その裏には“北陽が負けるはずがない”という確固たる自信が見えていた。
実際、フットボールフロンティアの勝敗は、合併後の学校名に大きな影響を与える。もし南雲原が負けて名前が残れば準決勝には進めない。協会への諸申請や世論を考えても、一度敗れた学校が勝ち上がることは道理として通じないだろう。
月伊霧の言葉は、千乃にとって確かな敵意として受け取るには十分であった。
「うちを創設間もないと思って油断してないかしら? たしかに経験者は少ないけれど、他と引けを取らないと思っているわ」
「知ってるさ。桜咲 丈二、木曽路 兵太、そして……笹波 雲明」
「……?!」
千乃の瞳が揺れた。
「素人の寄せ集めで、雷門中2人を引き入れた西ノ宮中に勝つだけのことはある。数名は粒ぞろいが揃ってるし、戦略も中々悪くない……が、現段階で北陽の厚みに勝てる要素はない」
月伊霧は完全に“分析済み”の口調で言った。たった1試合とはいえ、南雲原中の状況は徹底的に調べ上げられている。
(北陽学園のパーフェクトサッカー……分析もお手の物ってことかしら)
「南雲原中のサッカー部事情は聴いている。今後、これまでの謝罪も含め、全面サポートして行く方針らしいが、合併後に北陽学園サッカー部がその恩恵を根こそぎ全部貰っちゃう……なんてことにならないといいな」
挑発めいた言葉を残して、月伊霧はひらひらと手を振りながら立ち上がる。
「まぁ、試合楽しみにしてるわ」
吐き捨てるようにそう残し、月伊霧は生徒会室を後にした。扉が静かに閉まり、空気が一気に軽くなる。
千乃の胸に広がるのは、不安、怒り、そして焦燥。様々な感情が複雑に絡み合った。
もし北陽に大敗してしまえば、合併後、南雲原中サッカー部は確実に不利な扱いを受ける。主要メンバー以外は追い出される……そんな事態もあり得ない話ではない。
――私の仕事は、南雲原中に相応の環境を与えてあげること……
千乃の脳裏には、西ノ宮中に逆転勝利を収めた彼らの姿が思い浮かぶ。創設直後で経験も乏しい中、あの勝利はまさに奇跡だった。
それが今、経営戦略の煽りで消えかけている。ならば守らなければならない。
千乃は拳を膝の上で強く握りしめた。
必要とされるなら、動くしかない。それが、彼女に課せられた“使命”だった。ついでにあの嫌味な男にも一泡吹かせられないかと、千乃は思考を巡らせながら北陽学園を去った。
―――数日後 南雲原中学校 サッカー部部室―――
千乃はその日の生徒会業務を終えると、手帳を閉じて小さく息をついた。窓の外は夕焼けが校舎を赤く染め、放課後のざわめきが廊下に残っている。合併発表に向け、理事長兼生徒会長として連日奔走し続けていた彼女の足取りは、わずかに重い。
しかし、南雲原中サッカー部の次の対戦相手も決まっている。数日遅れを取ってしまった分、身体に鞭打って歩みを進めた。
扉の前に立つと、中から数人の声が重なって聞こえる。作戦会議のような真剣な雰囲気が漂っていた。千乃は一度だけ呼吸を整え、静かにドアを開いた。
部室の中では笹波 雲明を中心にサッカー部の面々が揃い話し合っていた。半ば割り込むように――余計な話をしていた四川堂にも注意を促し――千乃は話し始めた。
「次の対戦相手が決まりました。対戦相手は北陽学園です。天才ゲームメーカーとも名高い月伊霧 芽育と、キャプテン空宮 征を中心として、幅広い戦略で戦うパーフェクトサッカーが持ち味です。」
「北陽学園といえば、この間、雷門中と互角にやり合ったところって話よね?」
忍原達にとっては桜咲から共有されたスプリング杯の映像が記憶に新しい。円堂ハルに注目が集まる一戦であったため雷門中ばっかり目で追ってしまったが、大きく崩れた印象もない。地力で言えば間違いなく北陽学園が格上だと察する。
試合を何度も見ていた桜咲は部員に向けて補足する。
「あぁ、3-1で負けちゃあいるが、点差以上に互角の勝負だったと言われている。実際、どっちが勝ってもおかしくない試合だった」
「それって王者同等の強さってこと……?!」
「なぁに、誰であろうと不足はねぇよ!」
古道飼は大きな体格を縮こませ身震いする一方で、柳生は自信満々に腕を鳴らす。2戦目にして相手する強豪を前に、十人十色のリアクションを示した。
「北陽学園……空宮 征……」
その中で笹波の声は小さかったが、その拳は膝の上で硬く握られる。
かつてのライバルである空宮 征とは、一度病気や精神的な不安定さ故に、関係を絶ってしまっている。フィールド上での再開に嬉しく思う反面、後ろめたい気持ちもあった。
「あら笹波くん、まさかもう諦めてる訳ではないでしょうね。」
千乃は腕を組み、不敵な笑みを浮かべる。声色から冗談だという事は笹波も分かっているが、同時に発破をかけられているように感じだった。
笹波は過去ともサッカーとも向き合うため、改めて決意を固める。
「諦めてなんかないです。やるからには勝つつもりで挑みます。」
「当然、そう願いたいわね。私としても、この勝負は是非とも勝って欲しいと思っているわ」
千乃は満足そうに頷く。
「それと、サッカー部の申請も先日受理いたしました。承認に加えて、今後大きな運営予算も確保しています」
「え、いいんですか?」
笹波は以前まで対応と大きく異なることに驚きを隠せず、思わず千乃に問いかけた。
「えぇ、これまで学校側の落ち度としてサッカーに悪影響を及ぼしていた。その罪滅ぼしとして相応の優遇をさせていただきます」
「大ラッキー! これで練習にも身が入りそうだぜ!」
木曽路が両手を上げて明るく声を上げると、緊張していた部室の空気がようやく和らいでいく。だが、そんな中でも忍原は千乃の顔をちらりと見て小さく眉をひそめる。
「確かにこの上ないほど高待遇ではあるんだけど……ねぇ四川堂先輩」
「ん? どうした」
「なんか今日の千乃会長、顔色悪くない?」
忍原は不安そうに千乃の表情を伺う。
部室の蛍光灯の白い光が千乃の頬を照らす。その肌は普段よりもわずかに青白く見えた。
四川堂は問いかけに小さく瞬きをし、心当たりがあるのか視線を横へ滑らせる。隣にいた百道も同じように眉を寄せて無言で頷いた。考えていることは同じだった。
「……あぁ、千乃会長は最近、頭を悩ませていることも多いみたいでね。理事長も兼任されてからずっと仕事詰めで疲れもあるのだろう」
「学外の打ち合わせも多いですし、電話もひっきりなしにかかってくるみたいです。生徒会室に戻ってきた際には心身穏やかでない時もチラホラ……」
四川堂の言葉に百道も続ける。その表情はいつもの冷静なものではなく、どこか曇りがかかって見えた。2人とも生徒会の活動の中で千乃の疲れが積み重なっているのを肌で感じていたのだろう。
「うわっ……いくら理事長といっても、ちょっと忙しすぎない?そんなんじゃ、身体壊しちゃうよ」
忍原は声を潜めながらも、あからさまに眉をひそめた。彼女の視線は、机のそばに立つ千乃へ向けられている。
「四川堂君、百道さん、あまり生徒会の内情のことを言うのはやめて貰えないかしら。特に今は生徒に話せない話題も多いのよ」
「は、はい!申し訳ありません!」
まるで静電気が走ったかのように、四川堂と百道は反射的に背筋を伸ばす。二人の緊張が椅子の軋む音にまで伝わり、それが部室全体の沈黙をさらに深めた。
千乃の声は決して強くない。むしろ落ち着いていが、その裏側にある責任の重さと疲労の影が、言葉以上の圧として部員に伝播していく。
千乃はそんな空気を、しばらく胸の奥で味わうように受け止めていた。そして、一度ゆっくりとまばたきをし、呼吸を整えるようにほんの少し息を吐く。
その仕草は、心の奥に溜まっていた何かをそっと流すようでもあり、一方で「切り替えなくちゃ」と自分に言い聞かせているようにも見えた。
「まぁいいわ……」
静かに語尾を落とすその瞬間、部室の重さがわずかに和らぐ。
「……それと、このサッカー部に私も入れてもらいます。マネージャーとして」
「「……えぇ?!」」
千乃の言葉に、部員全員は驚きを隠せなかった。その瞳は生徒会役員の責務でも、理事長としての威厳でもない。なにか強大な力に立ち向かうが如く、新たな決意に漲っていた。
【設定ガバめな小ネタ集】
「以前送った北陽の意見書も大いに汲み取ってくれて助かるよ。」
月伊霧というこの男、一応北陽学園の生徒会長であるが、気がついたら色んな決裁権を貰っていた。そのため、北陽学園の運営を一部担っている。
給料とかは普通に貰ってないので、都合が悪くなったら労基へ駆け込もうと思っている。なお、証拠集めをしようにも、真っ当な経営陣が多くて大した音声データはない。
「合併による余分な増設費・雑費は全面的にこちらが負担するという話でまとまっている」
北陽学園はお金はあるが敷地が狭いため増築が難しい。また、建物自体が古く、建て直しが必要なところも多い。一方で南雲原中は土地も広く建物も比較的新しい。しかし、野球部の権限が強く新設するにも野球部OB出資者にお伺いを立てる必要であった。南雲原中の経営再建には野球部OB出資者を排除し、風通しを良くするには相当分の資金の補填をする必要があったこともあり、以前より北陽学園に合併の話を持ちかけた。北陽学園の理事長からは「合併はいいけど、細かい調整は学生同士、うちの生徒会長と話してね。彼、うちの決裁権結構持ってるから」と言われ今に至る。
千乃も似たような境遇の学生がいるということで最初は嬉しく思っていたものの、とんだドブカスが出てきたことにより今では悩みの種に変わっている。
「鬼道有人以来の天才ゲームメーカー」
昨年のスプリング杯で月伊霧が1年生ながら鮮烈デビューを果たした際の見出し。とある男女の雑誌記者から取材を受け、半分猫被りで応じていたら翌日某雑誌と系列ネット記事の一面に載っていた。曰く、「少年サッカー界の新脳」。サッカーが国家事業に片足突っ込んでいるこの世界ではバズりにバズり、北陽学園サッカー部でも弄られに弄られている。この時、来年は誰かに仕返ししようと月伊霧は決意した。
「学外の打ち合わせも多いですし、電話もひっきりなしにかかってくるみたいです」
言うまでもなく某ドブカスのせいである。