かくしてパーフェクトサッカーは引き継がれる。   作:ホイップる

12 / 23
“少年サッカー界の新脳”襲来~南雲原編①~

 

―――北陽学園 ミーティングルーム―――

 

 ホワイトボードに残された戦術図は、すでに何度も書き直された痕跡を刻んでいた。乾ききらないインクが重なり合い、線と線が交差するたびに、雷門中との一戦がいかに濃密であったかを雄弁に物語っている。

 午後の光は窓越しに斜めから差し込み、床に落ちた影をゆっくりと伸ばしていた。その動きが、時間だけは確実に前へ進んでいることを示している。

 

 騎士部は、視線を落としたまま一度、深く息を吸った。胸の奥に残る圧迫感は、思考を整理するたびに蘇ってくる。雷門中との試合は単なる敗北ではなく、騎士部の心に爪痕を残す体験だった。

 

 想起の底から現実へと戻り、彼女は当時の感触を言葉に変えていく。感情を削ぎ落とし、できる限り正確に。

 

「正直、キーパーから得点を決めることはおろか、ペナルティエリアにすら入れないと思いました。そのくらい気迫がある相手でした。」

 

 冷静な報告の裏で、喉の奥に残る引っかかりが消えない。それは恐怖ではなく、力でねじ伏せられたことへの純粋な悔しさだった。

 騎士部は、言い終えてから自分の指先がわずかに震えているのに気づき、机の縁にそっと押し当てて止めた。

 

 月伊霧は椅子にもたれ、天井を仰ぐようにして短く息を吐く。視線はどこにも定まっていないが、その頭脳にはすでに盤面が再構築されている。

 

「あぁ、今でも思うよ……でもさ不思議だよな。確かに雷門は強い。強いがそこには戦略もクソもないんだぜ。拙い連携と大して手堅くない安定志向のやつらに負けたんだよ」

「芽育君……」

 

 言葉は荒いが、そこに感情的な八つ当たりはない。むしろ、その分析は異様なほど冷静だった。騎士部はその横顔をじっと見つめる。

 

「前の戦略ミーティングでは言葉を濁したが、俺たちのタクティクスは圧倒的な個の集団に負けたんだ」

「……えぇ、みんなも薄っすら分かってます」

 

 薄っすら、という表現は正確だった。

 チームの誰もが感じていたが、誰もが口にしたくなかった部分でもあった。言語化した瞬間に、敗北が確定してしまうような気がしていたからだ。

 

「だからこそ俺は分析と戦略で王者雷門を否定する。」

 

 月伊霧はその目に確かな闘志を燃やす。

 

「芽育君らしいですね。でも1つ違いますよ。俺がじゃないです。俺たちがと言ってください」

「……ふはっ、そうだな。俺たちのパーフェクトサッカーで勝ちにいくぞ」

 

 月伊霧の力強い言葉に騎士部は小さく頷き、手に持っていたビニール袋からをおにぎりを取り出す。袋の底がやけに重い。あともう数個入っているだろう。

 明らかに騎士部一人で食べきれる量ではなかった。

 

「えぇ、それと……先程、購買でおにぎり買ってきたのですが、一緒に食べますか? 頑張ってる月伊霧君にご褒美です」

「騎士部はナイトじゃないよ、勝利の女神だよ……へぶっ!!!」

 

 言い切る前に、鮭おにぎりが月伊霧の顔面を直撃した。

 空気の切れる音がして、次に鈍い衝撃音が鳴った。おにぎりは潰れず、むしろ丸みを保ったまま彼の頬に張り付く。勢いは十分すぎるほどだった。

 

 沈黙。

 

 騎士部は一瞬きょとんとし、それから慌てて謝罪の言葉を探す。その頬はほのかに赤い。

 

 決して深い意味は無い……はずである。

 

 ミーティングルームには、張りつめていた空気が、少しだけ緩んで残った。

 

 

―――翌日 南雲原中―――

 

 校庭では、南雲原イレブンが銘蘭学院との試合に向けたアップを淡々と進めていた。笹波 雲明のメニューを基にした整然とした動き、無駄のない導線。ライン移動は角度まで揃い、パスのテンポも一定に保たれている。

 

 しかし、その中で目に見えない緊張が混じり始めていた。

 

「それで千乃会長、月伊霧 芽育が試合を見に来るって話は本当ですか?」

 

 四川堂が疑念を隠そうともせず口を開く。視線はグラウンドではなく、生徒会長へ向けられていた。千乃は若干うんざりした様子で答える。

 

「えぇ、確かでは無いけど、今日銘蘭学院と試合するという情報は知ってるようだったわ」

「なんでこっちの情報知ってるんだよ……」

 

 そんな会話をしていると、学校の校門付近に二人の影が見えた。

 

 銘蘭学院が訪れる時間はもう少し先であるが、そんなものお構いなしに影の正体である月伊霧と騎士部は、南雲原のサッカーコートへ足を踏み入れる。

 

 月伊霧の歩き方は軽く、騎士部はその半歩後ろで場の空気を測っている。

 

「よーっす!千乃、遊びに来たぞ」

「よくそんな堂々と偵察しに来れるわね」

「そんなこと言うなって、ほらこれ次の会議資料と部活動の会計予算案」

「そんな重要資料をここで渡さないで……というかメールで送りなさいよ。内容はあとで確認するわ」

 

 月伊霧は千乃へ親しげに声をかける。千乃は依然としてうんざりした表情であるも、その言葉に応じるように手渡された冊子を受け取った。なんということもない、業務的な会話である。

 しかし、普段の千乃の様子を見ている南雲原イレブンにっとって、ビジネスライク以上の関係に見えていた。

 

 南雲原イレブンは、一瞬状況を理解できずに固まる。

 

「あの月伊霧って人、千乃会長と交流あるって本当だったんだね」

「あぁ、会長自身は断じて否定しているがな」

「隣に居る子も北陽学園よね。凄い綺麗な人。もしかして、彼女だったりして」

 

 その視線が、自然と騎士部へ集まる。

 北陽学園では見慣れた存在だが、南雲原中の生徒たちにとっては異質だった。伝統ある家系に生まれた所作の端正さ。上品でありながら、決して壁を作らない佇まい。

 

 似た要素を持つとすれば南雲原中生徒会長のーーと、誰もが無意識に比較し始めた、そのタイミングで、騎士部が一歩前へ出た。

 

「初めまして千乃さん、騎士部と申します。お話は“芽育”君から度々伺っていましたので、一度ご挨拶をと思いまして」

 

 含みのある言い回しに、千乃の眉がわずかに動く。

 距離感の測り方が上手い。言葉の選び方も丁寧である。だからこそ、引っかかる。

 

「そう、あなたのことは彼から聞いたこともなかったわ。北陽学園の“チームメイト”かしら」

「ーーえぇ」

 

 千乃の妙に強調された言葉を受け取るも、騎士部は一切動じず、穏やかに返した。

 動じないことが、肯定にも否定にも見える。その曖昧さが、場の温度を一段上げる。

 

 和やかな日常会話のように見えながら、実際は軽い牽制が何度も交差していた。

 言葉の端で探り、声の高さで測り、沈黙の長さで押す。

 

 人の会話に対して敏感な亀雄は二人の背後に“何か”を感じ取り、忍原の背後で震えた。

 風が吹いたわけでもないのに、首筋がぞわりとする。試合前の緊張とは別種の、社会的な圧力だった。

 

「忍原先輩……あの人達怖い……」

「あ、あーー亀雄はあまり見ない方がいいかもねぇ」

 

 忍原の声は笑っているのに、目は笑っていなかった。

 そして、その視線の先では、笹波 雲明が遠くから一連のやり取りを静かに見ていた。表情は変えない。変えられない。胸の内側で脈が一度大きく打つのを、彼は呼吸で抑え込む。

 敵が偵察に来るという事実よりも、敵が「堂々と来られる」ことの意味を、彼はすでに計算していた。

 

「雲明、あいつどうする? 千乃会長の言う通り本当に来っちゃったけど」

 

 木曽路は笹波の隣に立ち、口元を手で隠して小声で話しかける。

 問いかけられた笹波は、グラウンド脇のベンチに腰を下ろしたまま、手元のバインダーを閉じた。紙が重なる音が乾いて響く。彼の体は走れない。だからこそ、思考だけは走らせる。目の前の盤面を閉じるのは、情報の切り替えの合図だった。

 

 木曽路の言葉端はギリギリ聞き取れたのか、月伊霧の注目は千乃から笹波へ切り替わる。

 

「へぇ、君が笹波雲明君か……月影と円堂に勝ったんだって?噂はかねがね聞いてるよ」

「彼らは前半しか出てませんでしたけどね」

「それも踏まえての実力差だから自信持ちなって」

 

「で? 北陽学園のやつらがどうしてこんな所にいるんだよ」

「なにって偵察だけど」

 

 柳生は挑発的にいいのけるが、月伊霧がなんとも思っていない素振りで返答する。勝気の強い柳生と桜咲が一歩、月伊霧の前へ詰め寄った。

 

 一触即発の空気感であったが、騎士部は月伊霧を制して一歩前に出る。背筋の伸びた立ち姿は、反射的に相手の姿勢すら正させる。彼女の所作は、丁寧さの中に「主導権」を混ぜるのが上手い。丁寧に頭を下げた時点で、相手は乱暴に出にくくなる。

 

「突然、お邪魔して申し訳ございません。こちらつまらない物ですが差し入れです」

「えっなになに……ってこれイイトコのお菓子じゃん!」

 

 紙袋が陽光を弾き、場の空気を一瞬だけ柔らかくした。

 それは、交渉の場で最も相手が「敵」から「客」へと一瞬だけ認識をずらす。その隙に、盤面の距離が縮む。効く種類のノイズであった。警戒心の角を削る。削っている間に視線の死角へ入る。

 

 現に忍原は紙袋の中身を覗くとSNSで見たことある包み紙に目を輝かせた。

 

「菓子折りなんかに騙されんな。偵察なんだぞ」

「それは最もな意見です。芽育君の我儘でご迷惑おかけします。お邪魔であればいつでも首根っこ掴んで連れて帰りますので申し上げてください」

「お、おう、お前も大変だな」

 

――あっこの子、問題児のお世話係だ!!

 

 視線と視線が交差し、南雲原イレブンの中で謎の共通認識が一斉に芽吹いた。

 月伊霧は気づかない。気づいていても目的が達成できそうであれば多分気にしない。彼の倫理感は基本的に盤面の外に置かれている。盤面の外は、だいたい騎士部が拾ってくれる。信頼関係ではなく、完全なる役割分担であった。

 

 笹波はその一連のやり取りを、言葉ではなく“コスト”として見積もった。

 

 止めるコスト。追い払うコスト。盗撮されるリスク。情報漏洩の確率。騒動の発生率。念のため、千乃の機嫌が損なわれる確率と、それが全体最適に与える影響も乱数的に加える。

 

 その計算は速い。体が走れない代わりに、思考は迷走しない。

 彼は一つの答えを導き、条件を添えて出力する。

 

「別にいいですよ、但し見るならベンチでお願いします」

「笹波君?!」

「う、雲明……いいのかよ?!」

 

 千乃と木曽路は驚きを隠せない様子で笹波の方を見る。

 

「止めても盗撮される恐れもあります。それなら見えるところでやってもらった方が幾分マシでしょう」

「合理的な判断に感謝するよ。どちらにせよ偵察は続ける気だったからね」

「流石に盗撮し始めたら下鶴監督に言いつけますからね」

「やっぱ、世の中アポイント取ってなんぼだよね。当日はお互い気持ちのいい試合にしような――コンプラダイスキ、イツモナカヨシ」

「凄い。あの問題児を完全に手懐けてる……」 

 

 仲間にも拘わらず釘を刺され、月伊霧は手のひらを反すように大人しくなる。監督への脅威なのか、騎士部の掌握力か、見えない力に南雲原イレブンは戦慄した。

 

 そのとき、別種の緊張が校庭に落ちた。

 

「な、なんで南雲原にあなたがいるんですの?!」

 

 声のもとをたどると銘蘭学院の面々がすでに校門の前まで集まっていた。その中心にはキャプテン鳳仙蘭花がいたが、その仮面を被り高貴に立ち振る舞う様子とは打って変わり、大きく声を荒げているようであった。

 その視線の先は月伊霧であった。

 

 月伊霧は、驚くほど自然に振り返った。刺さる怒気を受けることに慣れている顔だ。

 

「よっ、鳳仙。この間ぶり」

「なにが、この間ぶり、ですか?!先日は良くもあんな辱めを……!」

「大袈裟だって。ただ、ナンパしただけだろ?」

「それだけとは言わせないわよ……公然の場でハレンチなことしてきたじゃない!」

「……そんなことしたっけか?まぁそれはそうと」

 

 月伊霧は鳳仙と距離を詰め、仮面を外す。鳳仙は突然の出来後のに不意を突かれ、思わず声を漏らした。

 

 二人の影が一歩、サッカーコートに伸びる。

 

「あっ」

「うん、やっぱりこの方が可愛い。いつも仮面外せばいいのに」

「ーーんなぁ!」

 

 鳳仙は口をパクパクと開ける。これまでの気丈な振る舞いとは大きく異なり、言葉を選ぶ余裕すらなくなっていた。そこにいるのは“無慈悲な女王”ではなく、少女漫画の主人公のように幼気な美少女であった。仮面で見えなかった彼女の肌は白く、目の奥に戸惑いが宿っている。

 

 普段身に着けている仮面は武装だったのだと、周囲が一瞬で理解してしまう。 

 

 鳳仙の言っていた“先日”に何があったのかーー細かいところは分からないが、月伊霧の振る舞いに毒されてしまったことだけは、南雲原イレブンもひしひしと伝わる。鳳仙の後ろでひそひそ話をしている銘蘭学院の表情は個人差があれど、皆火照っている。熱の原因が運動ではないことだけは明確だった。

 

ーー「かっこいい」「やっぱりあの件は」「でもそんないきなり」

 

 意味深なワードが断片のまま飛び交い、断片のまま膨らんでいく。情報はいつも、足し算より掛け算で増える。

 

 そこで、二人は我慢の限界を迎えた。

 

「ちょっと芽育君。どういうことですか?」

「ねぇ、月伊霧君。説明して頂戴」

 

 騎士部の声は柔らかい。柔らかいが、柔らかい刃だ。

 千乃の声は冷たい。冷たいが、温度ではなく圧力だ。

 

 背後から確かに感じる2つ殺気ーー月伊霧 芽育、本日最大のピンチである。

 

 月伊霧は反射的に、盤面を探した。逃げ道。最適解。味方のカバー。

 しかし今ここにあるのはサッカーの盤面ではなく、社会の盤面である。彼の得意分野ではない。彼の背筋に、ようやく冷たい汗が浮かぶ。何が何だか分からない月伊霧は、自身の次に頭が切れると認める男、笹波へ振り返ると助けを求めた。

 

「さ、笹波クン……助けて……」

 

 月伊霧の声がひとつ裏返る。酷く弱々しい声であった。さっきまで“偵察は続ける気だった”と堂々と言っていた男の声とは思えない。

 

「残念ながら僕は他人の色恋沙汰に関わらない主義ですので」

「本当に何もしてないし。ってか、そんな可愛いもんじゃねぇだろ……ぐへっっ!」

 

 言い訳の最後は、言葉にならなかった。

 千乃と騎士部に首根っこ掴まれて、ベンチ裏に運ばれる。運び方が見事に無駄がない。腕力ではなく、手際で連れていく。

 

 しばらくすると、げっそりした顔の月伊霧が出てきた。音もなく、声もなく、引きずり込まれたその裏側で何が起こっていたか、南雲原イレブンは知る由もない。

 ただ一つ分かったのは、北陽の司令塔は盤面を支配できても、女子二人の視線の圧力だけは支配できないという事実だった。

 

 一部始終のやり取りが終わり、笹波は目を伏せてバインダーを開き直した。銘蘭学院との試合はもうすぐ始まる。選手は再びアップをはじめ、サッカーコートに集まっていたマネージャーや騎士部たちもベンチへ戻っていった。

 





「えぇ、それと……先程、購買でおにぎり買ってきたのですが、一緒に食べますか? 頑張ってる月伊霧君にご褒美です」
 騎士部が無理していると聞いて、無理矢理やめさせるため差し入れで買ってきた。月伊霧は予想通りにいとも簡単に騙され、おにぎりを騎士部と食べてからルンルンで一緒に帰った。
 この女神、実家でそれなりに帝王学を学んでいるため策士である。

「やっぱ、世の中アポイント取ってなんぼだよね。当日はお互い気持ちのいい試合にしような――コンプラダイスキ、イツモナカヨシ」
過去のトラウマ(下鶴の度重なる説教)がドブカスをこうさせてしまった。なお、遊び心は止められないので騎士部の一言がなければ普通に盗撮くらいしていた。

「それだけとは言わせないわよ……公然の場でハレンチなことしてきたじゃない!」
 本当の本当にドブカスはナンパしただけである。銘蘭学院はお嬢様学校なので少女漫画でしか見たことなく、少々刺激が強かった。また、サッカー部の全員可愛かったので、まとめて海公園辺りに連れて行こうとしていたあたり、ドブカスはドブカスである。
 中学生にしてはそこそこ裁かれるべき内容ではあるが、当の本人は気にしていない。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。