かくしてパーフェクトサッカーは引き継がれる。 作:ホイップる
前半戦の終盤、ピッチは目立った決定機を生まないまま、時間だけが過ぎていく。しかし、一瞬たりとも緩むことはできない。奪っては奪われ、繋いでは遮られ、その繰り返しが永遠と続く。
雨上がりの芝は、踏みしめるたびにわずかな湿りを返した。スパイクの跡が浅く刻まれ、次の瞬間には別の足がその痕を塗りつぶす。白線の上をかすめるボールは、ときに加速し、ときに失速する。規則性のない跳ね方が、判断の猶予をわずかに削った。
南雲原中も、サッカーバトルから一週間ほどの間、北陽学園の攻守レベルについていけるよう、アジリティの強化と個人技を中心に鍛え上げていた。その成果は確かにある。一対一に持ち込めば、身体の向きを変える速度も、最初の一歩も、簡単には崩れない。抜かれまいとする脚が最後まで残り、奪われまいとする身体がボールと相手の間に滑り込む。
しかし、北陽学園の連携やパスワークが南雲原中のそれを大きく凌駕する。南雲原中は、数的不利である場所に誘導され、中々得点機に絡むことができなくなっていた。
北陽ベンチでは空宮 征が腕を組み、自身のいない試合を見届ける。表情は平然としているが、指先を小突いてどこか落ち着かない様子であった。
ベンチからの景色は異様なほどに澄んでいる。
敵の配置、味方の洗練した動き、流れる攻防、その全てが覗いて見える。普段は自身のプレーで頭を働かせていた分のメモリが一人ひとりの観察へと注がれる。ジュニア時代から常にエースを貼っていた空宮は初めて見るものであった。
その新鮮な感覚に、自身は南雲原イレブンを支える人物を重ねた。
「これが雲明が見ている世界――」
呟きは、知らず口をついて出た。
ピッチ上の全員が、何かを考えている。統率・連携がとれている北陽学園に対して、南雲原中は動きがばらついているが、無秩序に動いているわけではない。むしろ必死に一定の型へ収束させようとしている。その根幹は笹波雲明の意図が入り込んでいるものだと、空宮は分かった。
そして、前線の二人――忍原と桜咲はベンチに視線を合わせると、口角を上げ、鋭い眼で北陽ゴールへ照準を合わせる。
何かを狙っている。それは間違いなく、北陽学園から一矢報いるもの。
そう脳裏をよぎった矢先、ボールが南雲原の中盤を経て、忍原の足元へ転がり込んだ。忍原は一瞬だけ速度を落とす。次の動作のために呼吸を整えると、忍原に合わせて桜咲も並走を始めた。
城壁道と矢倉が道を塞ぐが、細かいフットワークとワンツーでそれを躱す。
2人はキーパー陣内と相対する。
桜咲が忍原を追い越すタイミングで忍原はシュートを放った。
「はぁぁぁ!」
「また、あのシュートか!無駄だ!!」
北陽の守護神、陣内は迷わなかった。重心を落とし、『グラビティデザート』の構えで受け止めようとする。
その様子を見て忍原はニヤリと笑った。ボールが陣内の間合いへ入る前に、大きく旋回し桜咲の元へ向かう。桜咲はその大胆な軌道にタイミングを合わせて上空へ飛んだ。
その様子を目で追っていた月伊霧は陣内に忠告するように叫ぶ。
「違う!これはオーバーライドだ!」
陣内の瞳孔がわずかに揺れる。その瞳の奥にはダイレクトボレーの構えをした桜咲を確かに捉えていた。
「これが新必殺技ーー『春雷』だぁ!!」
桜咲の足が迷いなく振り抜かれる。
ボールは鈍い音を鳴らして、一度地面へ突き刺さる。芝というより土に吸い込まれるような角度だった。湿った地面も耐えきれずに砂埃が爆ぜ、視界が一瞬だけ曇る。
ーー刹那、紫色の光線が陣内の横を掠めてゴールネットに突き刺さった。
「っっ!!」
砂埃が晴れたときにはすでに、網が大きく震えている。支柱が硬質な音を返し、その響きがスタンドの端まで届いた。
驚いた表情でゴールネットに振り返る陣内をよそに、月伊霧は着地し、ボールの行く末を見届けた桜咲を見る。目を細め、彼の中でたった一つの単語が遅れて浮かぶ。
この威力は想定外。
ボールはネットから跳ね返り、1回、2回と弾む。漸く実況も観客も、北陽イレブンでさえも、そこまできて漸く試合が動いたことに気が付いた。
「ゴォォォル!!南雲原中の連携シュートが北陽ゴールに突き刺さるっっ!!!」
南雲原の選手たちは地鳴りのようにどよめく会場の中で、抱き合って喜ぶ。強豪相手の初得点、前半終了間際の成果としては十分であった。
笹波雲明は、座ったまま小さく頷いた。表情は穏やかなまま変わらない。しかし、その目の奥の鋭さだけが、今の一撃が偶然ではないことを告げていた。
陣内でも反応できなかったその威力は北陽イレブンに衝撃を与えた。
電光掲示板が「1-1」と表示されるのと同時に前半終了のホイッスルが鳴る。
笛は長く伸び、芝の上に落ちる影もまた長くなる。汗で重くなったユニフォームが風に貼りついて離れた。歓声が収束しきらないまま、選手たちはそれぞれのベンチへ歩き出す。その歩みは同じであれど、胸の奥底で感じるものは大きく異なる。
「おっとここで前半終了です!北陽学園優勢に思えたこの試合、前半は1-1で同点のまま試合を折り返します!」
戦況を冷静に考えつつも、北陽イレブンはどこか重々しい足取りであった。疲労以上に南雲原の必殺技シュート『春雷』の一撃が記憶にこびりつく。
思い返すはスプリング杯の初戦。前半終了間際の同点打はかつて自分たちが“挑戦者”として、歯を食いしばりながら勝ち取った一撃だった。そして今、似た構図が逆向きに現れている。自分たちが守る側に立ち、南雲原中が牙を研いで喰らいついてくる側にいる。
その脅威は点差よりも深いところで、胸を締め付けた。
ベンチへ戻る足音が、芝を踏むたびに湿った音を返す。背中越しに聞こえるスタンドのざわめきは、甘い余韻と刺々しい興奮が混ざり合っていた。誰もが「次」を見たがっている。そういう時間帯のざわめきほど、選手の鼓膜を正確に打つ。
後半、どう立て直すか、北陽イレブンの冷静さが求められる場面で、若干一名、試合の興奮を抑えられない者がいた。
「巻き返しが難しい、前半終了間際のこのタイミングであんな隠し玉使ってきやがった……!はは、本当に面白いぜ!そう来なくっちゃなぁ!笹波雲明!!」
月伊霧はベンチへ戻りながら、妙に恍惚とした表情で天を見上げた。勝負の緊張が、彼にとっては逆に栄養になる。瞳の奥にある火は、悔しさというより好敵手に出会った愉悦で揺れていた。
騎士部はタオルで額を押さえ、眉間にしわを寄せる。息を整えながらも、その視線は芽育の横顔を逃がさない。
「そう来なくっちゃ、ってオーバーライド技のアドバイスしてたの芽育君ですけどね」
その一言で、ベンチの視線が一斉に月伊霧へ刺さった。本人はタオルで顔を拭きながら、何事もなかったように視線を泳がせる。泳がせた先に逃げ道があると思ったのかもしれないが、矢倉、陣内が逃がすまいと詰め寄る。
「……よし、すぐ給水してミーティングだ。みんあ落ち込まずに後半切り替えていこうな!!」
「待て待て待て待て待て――」
「おいコラ逃げんな!説明しろぉ!!」
月伊霧は急に指揮官の声色を上げて立ち上がり、ボトルに手を伸ばした。あくまで自然に。あくまで誠実に。だが、彼の誠実さは北陽学園にとって逆に不自然であった。
矢倉が月伊霧の首根っこを掴む。掴まれた月伊霧は軽い悲鳴を上げ、動物園で脱走し、捕獲された小動物みたいな動きで抵抗した。
月伊霧は周りを見渡す。そこに味方はいない。
「べっつにー!!!偵察ついでにちょっと足の怪我指摘しただけだし!俺悪くねぇし!!」
こういう場面では開き直ることこそ、彼にとって最後の手段であった。
「言い回し的にはほとんど助言みたいなものでしたけどね」
「騎士部ぇ?!」
「やっぱり言ってんじゃねぇか!ふざけんな、反省しろバカ」
しかし、それを騎士部は良しとしない。穏やかな声で、とどめの釘を打つ。矢倉の説教は熱いが、騎士部の一言は冷静に外堀を埋める。芽育の逃走ルートが、脳内で一つずつ消えていく。
逃げ場も言い訳も責任逃れも封じられ、月伊霧は観念して矢倉に吊るし上げられた。パンチも蹴りも飛んでくることはない。それがかえって怖い。目に見える痛みより、目に見えない沈黙のほうが長く刺さる。
悔しさの行き場が曖昧なとき、人は余計なところへ引きずられる。だが今は、ちょうどいい殴り台がある。しかも殴られている本人が、怒られ慣れている。慣れているからこそ、反省の顔が薄い。それが一層腹立たしい。
やり取りがひと段落したところで、下鶴監督はベンチ脇でアップを済ませていた空宮征へ視線を向けた。
「さて前半は引き分けで折り返した訳だが……空宮、後半からいけるか?」
「もちろん、アップもばっちりです。それに……ベンチから見ていましたが、前半雲明はあの必殺技を出し渋っていたように思います。恐らく、地面が乾いた状態でインパクトを残すようにしたかったんだと」
「なるほどな。あの『春雷』とかいう必殺技は砂煙が多いほどこちらの印象にも残りやすい……地面が乾ききった後半で使われていたら対処も遅れていたかもな。」
「さっすが、キャプテン。30分ベンチで温めておいたかいがあったよ。」
そのやり取りを聞き、月伊霧が反応する。説教の最中でさえ、耳だけは動いていたらしい。口元がわずかに吊り上がる。計画が計画として成立した瞬間の、いやな笑みだった。
空宮は、その笑みの意味を読み取ると同時に、怒りを露にした。嬉しさと苛立ちが同じ場所で燃える。戦友だからこそ、許せない。
「お前、初めからこれを狙って下げやがったな」
「おう、お前なら雲明の意図も読めるんじゃないかと思ってな。結果は上々。後半の作戦プランは事前に話した通りーー荒らしまくろうか」
「ったく、お前ってやつは……まぁおかげで今日の各選手の状態も頭に入れることができた。今なら芽育が昨日話したタクティクスも十分できるよ」
空宮の言葉は、ぶっきらぼうに聞こえても承認だった。自分を外した三十分が無駄ではなかったと、彼自身が証明している。
その返答に月伊霧は満足そうに頷いた。頷き方が、腹立つほど堂々としている。
だが空宮はそこで、もう一つだけ引っかかっていた棘を抜こうとした。ベンチで観ていたからこそ見えた“自分が蚊帳の外だった理由”を、確認しなければならない。
「って、なんでこの作戦の意図は俺には伝えられなかったんだよ。いつもならミーティングの時に事細かく説明してただろ」
「んー、笹波 雲明となるべく同じ感情で見てほしいからかな」
「は??そりゃどういう」
「試合に出たくても出れない気持ち、その中で高度な戦略知識を持つ笹波雲明の意図を読み取る必要があったわけ」
「……っ!!お前そんなことまで考えてたのか」
「まぁあとは強いて言えば、サ・プ・ラ・イ・ズ」
「それが本命だろ!俺の感動返せ!」
ベンチの端から、誰かの笑いが漏れる。緊張感のある中で、ちょっとした緩和。決して気の緩みではなく、入りすぎた肩の力がスッと降りているようであった。後半は月伊霧の戦略プランも動き出す。
試合を巻き返すためにも、この僅かな時間で細かい戦略を詰めていった。
月伊霧は、最後に一度だけピッチのほうを見る。陽は雲の向こうで薄く、影が伸び始めている。芝の濃淡がさっきよりも少しだけ強い。乾いていく時間は敵にも味方にも等しい。等しいからこそ、読みの差が出る。
両校ともにピッチに戻ると、審判は時計を確認する。そして、後半開始の合図を告げる笛が鳴った。
「さぁ、キャプテン様。出たくて出たくて仕方のなかった前半戦、マルっとそのまま後半で働いて貰うからな。残るはあの連携必殺技『春雷』だが、あの類は起点から崩しにかかろうか」
空宮がボールを軽く踏み、足裏で転がした。自分の身体が、再び“現場”へ戻っていく感覚がある。ベンチで観た世界を、今度はピッチで壊す番だ。
後半が始まる。この30分で勝負は決するーー