かくしてパーフェクトサッカーは引き継がれる。   作:ホイップる

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“少年サッカー界の新脳”襲来~雷門編②~

 

―――雷門中 理事長室―――

 

 円堂夏美と月伊霧芽育は、重厚な木製テーブルを挟んで向かい合っていた。

 

 壁に掛けられた歴代の表彰状や写真に目をやると、少年サッカー界の輝かしい功績の数々が映っていた。強豪の仲間入りをしたばかりの北陽学園とは大違いである。

 初代雷門サッカー部のマネージャーと目の前に移る凛々しい学園長を見比べながら、25年の歴史を密かに感じていた。

 

 月伊霧はソファの端に背中を預けてはいるものの、落ち着いているとは言い難かった。背筋は反射的に伸びているが、足先が小刻みに跳ね、無意識のうちに緊張が漏れ出している。視線は夏美の目元から逸らさないよう努めているが、まばたきの回数がそれを裏切っていた。

 

 言い訳を許さない沈黙の中で、彼は事の経緯を一つずつ、できる限り丁寧に説明した。途中で冗談を挟む余裕もなく、言葉を選び、語尾を整え、誤魔化しのない形で話し終える。その結果、月伊霧のしおらしい表情には、年相応の反省と素直さがにじんでいた。

 

 夏美は一通り事情を把握すると小さく深いため息をつく。

 

「――それで勝手に雷門中に乗り込んで来たってわけね」

「はい、ごめんなさい」

 

 短いやり取りだったが、室内の緊張はわずかに緩んだ。

 しょんぼりと肩を落とす月伊霧を前に、夏美は責めるような視線を向けない。もともと教育者として一定の指導は見据えていた。しかし、動機があまりにも純粋で、なおかつ正面から謝罪する姿を見せられてしまえば、強い言葉を投げる気にはなれなかった。

 

「特に生徒に危害を加えなければ厳しく怒る訳でもないわよ。で、帰りはどうするのかしら?」

 

 問いかけは穏やかだが、選択を迫る声音だった。

 

 月伊霧は一度、瞬きをする。頭の中で地図を広げ、現在地から北陽学園までのルートをなぞろうとしたが、その思考は途中でぷつりと途切れた。現金はあるが学生の知れてる金額だけである。交通系ICもない。場所と県名は把握しているが、それだけでは帰れない。選択肢は驚くほど少なかったーー否、何も考えていなかったのだ。

 

「カエリ?」

「想像以上の無計画ね……なるほど。わかったわ」

 

 夏美はため息を飲み込む。問題を感情で評価するのではなく、解決すべき事案として切り分けている。その手は自然にポケットへ伸び、スマートフォンを取り出した。画面を操作する指先に迷いはなく、すでに次の手を読んでいる様子だった。

 

 コール音が一つ、二つ。自分が“厄介ごと”として処理されている感覚が、月伊霧の胸に現実味をもって落ちてくる。

 

「夏美です。改くん――」

 

(まじか、この人監督と知り合いだったのか)

 

 胸の奥で心の声が跳ねる。下鶴 改。北陽学園の監督。その名がここで出るとは想像していなかった。

 

 理路整然とした話し方、細部まで見逃さない指導方針。電話越しで会話をする夏美の声と、不思議なほど重なる。似た者同士は引き寄せられるのだろうか、と場違いな思考が頭をよぎった。

 

「突然申し訳ないのだけれど、無一文の北陽学園の生徒が一人雷門中に来たみたいで、迎えに来てもらうことって出来るかしら……えぇ…いや、それはちょっと……分かったわ」

 

 通話は短い。だが、短いからこそ結論は明確だった。夏美は通話を切らぬまま、目線だけを月伊霧へ向ける。

 

「か、監督は何と……」

「下鶴監督は貴方に電話を代わるようにと」

「はい……」

 

 月伊霧は汗ばんだ手のひらを服で拭い、咳払いをひとつしてからスマートフォンを受け取った。耳元に当てるだけで、背筋が条件反射に伸びる。

 

「おい月伊霧。お前、今雷門中にいるって本当か?」

「はい、おっしゃる通りです」

 

 いつもより低い声に聞こえるのは、電話口のせいだと自分に言い聞かせる。

 

「そうか……残念ながら、俺らがお前を迎えに行くことはない。誰にも迷惑をかけず、明後日の練習までに北陽学園に戻ってこい」

「いや、そんなの無理――」

「分かったな」

「――はい」

 

 ブツッ……ツーツーツー

 

 月伊霧はスマートフォンを耳から外し、画面を見つめた。通話終了の表示が、やけに冷たい。さっきまでの音声が嘘みたいに切り落とされている。

 

 夏美へ返す手が少し遅れた。

 

「一応聞くけど、下鶴監督はなんて?」

「明後日の練習までに自力で学校に帰ってこい、と言われました」

「明後日まで?どうやって……」

「とりあえず一旦野宿して、朝にヒッチハイクしようかなと思います。ヒッチハイクは得意なので上手く乗り継いでいけば」

「ヒッチハイクって、こっから長崎まで何時間かかると思ってるのよ……」

「過去の経験だと14時間です。明日オフだったので耐えました」

「全然耐えてないし、そもそもなんで経験あるのよ……」

 

 夏美の突っ込みは鋭いが、声色に呆れ以上のものが混ざっている。驚き、半分。理解不能、半分。そしてそれらをまとめて“あなたは何者なの”と問う含み。

 

 月伊霧は胸を張るわけにもいかず、かといって縮こまるのも癪で、虚しさをごまかすような曖昧な笑みを浮かべた。過去のヒッチハイク経験を誇る場面ではない。だが、“今できる”と自信をもって言える手段がそれしかないのも事実だった。

 

 夏美は小さく首を傾げ、思案する仕草を見せたあとで、程よい落としどころを提示した。感情に流されず、現実的で、しかし冷たくはない。理事長として積み重ねてきた判断の癖が自然とそうさせているのだろう。

 

「今日は私の家に泊まっていく?ハルもいるし、遠慮は要らないわよ」

「……ハイ、1日お世話になります。誰にも迷惑をかけるなとの指示も出ているので、宿代として料理くらいは皆さんに振る舞わせてください」

「えぇ、それじゃあお願いするわ」

 

 彼女にとってそれは特別な施しでも何でもない選択だった。しかし月伊霧にとっては違う。言葉を失い、ほんの一瞬だけ状況を理解できずに立ち尽くしてから、ようやく深く頭を下げた。野宿を覚悟していた身にとって、想像以上の重みのある言葉であった。安堵と感謝が、遅れて込み上げる。

 

 

 

 仕事が残っているという理由で、円堂夏美はそのまま円堂ハルと連れ立って帰路につく。

 

 夜道を照らす街灯の光は柔らかく、これまでの喧騒が嘘のように静かだった。ハルは歩調を合わせながら横目で月伊霧を一瞥する。そして、半ば呆れたように口を開いた。

 

「月伊霧……さんだっけ、すごいね。こんな変なことするやつ初めて見た」

「うるせぇ、あんな所でトランク開けっ放しにしてるのが悪い。あとため口でいいよ。負かしたやつに敬語とか使うな」

「色々無茶苦茶だろ……分かったよ。まぁ、俺は母様以外の料理食べれるならいいけど」

 

 軽口の応酬ではあるが、最初にあった妙な緊張はいつの間にか薄れていた。言葉の端々に混じる遠慮のなさが逆に距離を縮めている。

 

 ハル月伊霧の手に下げられた買い物袋へちらりと視線を落とす。

 

「え、なにお前の母さん料理下手なの?」

「見た目は綺麗だよ。あ、ここ俺ん家」

「色々察したわ――って家、豪華だな!!」

 

 門構えを見上げた月伊霧は、思わず声を上げる。塀の高さ、玄関までのアプローチ、外灯の配置。どれもが自分の家とは明らかに違っていた。豪邸と呼ぶほどではないが、住む人間の余裕がそのまま形になったような佇まいだった。

 

 ハルはその反応に慣れているのか、肩をすくめるだけで歩みを止めない。扉に手をかけると、ふと思い出したように呟いた。

 

「そういや、とっちゃんは今日休み取ってたから家にいるっけな」

「あれ?お前の父親といやぁ――」

「おかえり、ハル。お、珍しく友達も連れてきたのか」

「やっぱり!!円堂守じゃん!!!」

 

 玄関先に現れた人物を見た瞬間、月伊霧の思考は一気に跳ねた。サッカー界では知らぬ者のいない――いや、もはや伝説として語られ、銅像にまでなっている存在が、まるでごく普通の父親のように立っている。そのギャップが現実感を奪う。

 

「とっちゃん、今日こいつ泊めてくからよろしく」

「おう、そうか!まぁゆっくりしていけよ」

 

 あまりにも自然なやり取りだった。日本サッカー界の英雄といつもの家族の会話。その落差に月伊霧は一瞬、自分が夢の中にいるのではないかと本気で疑った。

 

 リビングに案内されると、そこはサッカーファンの理想を具現化した空間だった。FFI優勝時の写真、各国代表のユニフォーム、試合で使われたボール。どれもが歴史の断片であり、同時に日常の一部としてそこにあった。

 

「君、さっきの雷門との試合に出てた子だよな」

「は、はい!北陽学園の月伊霧 芽育です!!」

「スプリング杯見てたの?」

 

 緊張で背筋を伸ばす月伊霧に、円堂守は柔らかな眼差しで問いかける。その視線には勝敗を超えた純粋な興味があった。

 

「あぁ、さっきまで鬼道と一緒に見てた」

「き、鬼道ってあの鬼道有人?!」

「あぁ、あいつも月伊霧のこと褒めてたぞ。少年サッカーでは敵なしの戦術眼だってな」

「うへへまじか……ま、まぁあの試合は僕の采配でほぼ勝ってた様なものですしね」

 

 その言葉に、ハルの眉がぴくりと動く。調子に乗りかけた月伊霧の肩をすかさず叩いた。その表情は嫌ににこやかである。

 

「さすが、試合の後ぶっ倒れながら泣きじゃくってた男の言うことは違うなぁ」

「は??試合後で汗かいてただけだし」

「随分汗かきなんだね。俺、全然疲れてないからびっくりだな」

「俺らの必殺タクティクスで完全封殺したからな。運動量足りなかったんだろ」

「その結果、俺3得点。お前3ホーマー」

「あ゛??喧嘩売ってるのか?今ならいくらでも買うぞ、コラ」

 

 軽快な応酬に、円堂守は堪えきれずに声を上げて笑った。

 

「はは、2人とも仲良いんだな。ハルも中学入って、早速友達ができて良かったな」

「「誰が友達になるか、こんなやつ」」

「やっぱり仲良しじゃないか」

 

 言葉とは裏腹に、そのやり取りには不思議なものがあった。少なくとも円堂守はハルが同じ温度感で話している姿を見たことがない。

 

「そういえば、その袋どうしたんだ?」

「あ、これですか、晩御飯の食材です。下鶴監督に『迷惑かけずに帰ってこい』って言われているので、泊めてもらう代わりにご飯振る舞うことで許してもらおうかなと思ってまして……あ、冷蔵庫借りますね」

 

 そう言うと、月伊霧は迷いなくキッチンへ向かう。その動きは妙に手慣れていて、よそ者の遠慮がない。円堂守はその背中を見送りながら、少し考えるように頷いた。

 

「……そうか、冷蔵庫はそっちにあるから、自由に使ってくれ」

 

 廊下の奥で円堂守とハルは小声で言葉を交わす。二人の考えは、自然と同じ方向に収束していた。

 

「なぁハル」

「あいつが言うには何時も家で自炊してるらしいから、簡単なやつは作れるらしいよ」

「……そうか」

 

 2人は静かにハイタッチした。その挙動に決して深い意味は無いはずである。ただ、妙な安心感がそこにはあった。

 

 

 

 しばらくして夏美も仕事から戻り、キッチンの使い方を軽く説明すると、月伊霧は料理に取りかかった。最初は夏美も後ろから様子を見ていたが、包丁の運びや火加減に迷いがないのを確認すると、邪魔になると判断してリビングへ戻る。

 

 食卓に並んだのは、市販の合わせ調味料を使った中華料理だった。切り方は不揃いだが、香りと色合いは申し分ない。コールスローサラダと味噌汁、白米も添えられ、食べ盛りには十分すぎる量であった。

 

 世間話を挟みながら食事は進み、会話の切れ目に箸の音だけが残る時間もあったが、不思議と居心地は悪くなかった。月伊霧は食べ終わると当然のように立ち上がり、最後まで皿洗いを引き受ける。

 

 流しに向かう背中は、居候という立場を自覚しているというより、長年そうしてきたかのように迷いがない。すべてを片付け、風呂も済ませると、髪を軽く乾かした状態でリビングへ戻った。

 

 ソファでは円堂ハルが、テレビのバラエティ番組に視線を固定したまま動こうとしない。画面の光が顔を照らし、昼間の試合とは別人のように力が抜けている。

 

「おーい、ハル早く寝ようぜ」

「なんだよ、まだ早いだろ。テレビもう少し見たいんだけど」

「何言ってんだよ。お泊まり会と言えばこれから本番だろ?いいから来いって」

「お前、よく今日負けたやつにそんな図々しく行けるよな……ったく、分かったよ。とっちゃん、母様、おやすみ」

 

 そう言ってテレビを消し、名残惜しそうに立ち上がる。二人分の足音が廊下に響き、家全体がゆっくりと夜の静けさへ沈んでいく。

 

 その背中を円堂守と夏美は並んで見送る。扉が閉まる音を確認してから、守は小さく息をつき、肩の力を抜いた。

 

「あの月伊霧っていう子は今日ハルとあったばかりなのか?」

「ええ、試合の後でイナズマキャラバンに乗り込んできたらしいわよ」

「なんじゃそりゃ……北陽学園には面白いやつもいたもんだな」

 

 守の声には呆れと同時に、その言葉尻には楽しげな響きが混じっていた。夏美は苦笑しながらも、理事長としてではなく一人の母として、その様子を思い返す。

 

「本当ね。改くんもかなり手を焼いていたみたいだけども」

「だろうな。まあ、ああいうやつの方がハルも遠慮しなくていいのかもしれないな」

 

 守はそう言ってソファに腰を下ろす。ハルが見せる素の表情を思い出し、悪くない夜だと心の中で評価していた。

 

 一方その頃、二階の部屋ではすでに布団が二組、きちんと並べられていた。整えられた畳の上に、柔らかな間接灯の光が落ち、影が穏やかに伸びている。月伊霧は一歩踏み入れた瞬間、環境の違いを全身で感じ取り、感心したように息を吐いた。

 

「いやー野宿も覚悟してたが、こんなふかふかの布団で寝られてラッキーだったぜ」

「こっちは最悪だよ。月伊霧がいると休むものも休まる気がしないんだけど」

 

 円堂ハルは半ば本気、半ば冗談といった調子で言い返す。だが声色には昼間の試合で張り詰めていた硬さはもう残っていない。

 

「まあまあ、そう言うなって――で、早速だけどハルは誰派なの?」

「誰派……って何が?」

「何って、決まってるだろ!赤袖さん、星村さん、有海崎さん……雷門中で誰推してるの?」

「あーそういうこと」

 

 ハルは納得したように頷くが、その目はどこか冷ややかだった。もっとも、当の月伊霧はその温度差に気づく様子もなく、楽しげに話を続けた。

 

「当たり前だろ。あんな可愛い子ばかりいやがって、羨ましすぎるだろ。俺も今から編入しようかな」

「絶対に来ないでよ。それに北陽学園にも女性部員いないわけじゃないでしょ」

「騎士部のことか。あ、さてはお前狙ってるなー!うちの紅一点に目をつけるたぁ、黙ってられないなぁ」

 

 そう言いながら、月伊霧は借りている部屋着の袖を掴み、妙に芝居がかった構えを取る。歌舞伎役者めいた大仰な動きに、ハルは呆れ半分で鼻を鳴らした。

 

「別にそういうのじゃないって。月伊霧こそどうなんだ……ってナオさんか」

「やっぱり雷門だと星村ナオさんだなぁ。あの天真爛漫な感じ、推せる」

 

 その即答を聞きながら、円堂ハルは布団に腰を下ろし、内心で少し考え込む。星村も月伊霧も、互いに相手を好意的に見ている。それが憧れなのか、もっと別の感情なのかまでは分からないが、自分が割って入る理由は特にないように思えた。

 

 もっとも、月伊霧と自身が頻繁に連絡を取ることは普通に面倒であるのも事実である。

 

 円堂ハルは枕元に置いたスマートフォンを手に取った。画面を点け、少しだけ間を置いてから、何気ない調子で切り出す。

 

「そうだ、写真なんだけどさ――」

 

 

―――星村宅にて―――

 

 星村ナオはパジャマ姿で脱衣所を出た。

 床に残る水滴を避けるように歩いていきながら、タオルで濡れた髪を両手で包み込み水気を吸わせていく。指先に絡む髪はまだ温度を帯びており、湯気がわずかに視界を曇らせた。

 

 湯上がりの身体は不思議なほど軽い。指先から肩口にかけて、熱が薄く膜を張ったように残っている。頬に触れる夜の空気が少しだけ冷たく感じられるのは、体温との差だけではない。今日一日の出来事が、まだ現実として整理されきっていないせいだった。

 

 胸の奥に居座る高鳴りが、自然と鼻歌に変わる。意味のない旋律が喉を抜け、白い湯気と一緒に天井へ溶けていった。心が勝手に浮ついていることを、本人もはっきり自覚している。

 

「ふんふんふーん♪って連絡?誰から?」

 

 夢見心地で自室へ戻ると、机に置かれていたスマホの画面が光っていることに気が付いた。雷門のメンバーから連絡が来たのかを当てをつけて覗き込む。

 

「――っ!こ、これって!!」

 

 星村の声が裏返る。慌ててスマートフォンを掴み、画面を胸元へ引き寄せた。鼓動が一拍、二拍と速まり、その振動が指先にまで伝わってくる。通知を開くまで息をすることすら忘れていた。

 

 

――チャット『月伊霧 芽育』――

ゲームメイク

「さっきぶり!ハルから直接やりとりしてくれって言われて、連絡先もらった!これ一緒に撮った写真ね!」

『月伊霧 芽育からデータが共有されました』

――――

 

 

 夕方の校舎前、差し込む斜めの光、近くで見た表情と声色。握手をした手の温度と微かに感じた柑橘類の香り。文字を追うだけで、今日の出来事が鮮明に蘇る。

 

「は、ハル君……!どうしよう、推しと繋がっちゃった……!」

 

 独り言が自然と漏れた。理性が追いつくより先に、感情が溢れてしまう

 

 ファンからしてみれば、これは間違いなくプレミア物だった。ただ写真を撮っただけではない。名前が表示され、言葉が交わされ、プライベートに触れてしまっている。まるで禁断の果実を手にしたかのような背徳感と、それを上回る自己肯定感が、胸の内を満たしていく。

 

 

ーーこれは危ない。

 

 

 心のどこかで警鐘が鳴る。それでも手は止まらない。星村ナオは一度深呼吸してから、共有されたデータをダウンロードした。サムネイルが表示される。二人並んだ姿が画面いっぱいに広がった。

 

 ほんの一瞬、迷ったあと、彼女はそれをスマートフォンのトップ画面に設定する。ロックを解除するたびに目に入る位置だ。指先が少し震えているのも、気にしないことにした。

 

 次は、返信だ。

 

 だが、指が止まる。文章を考えようとすると、頭が真っ白になる。変に思われたらどうしよう、距離感を間違えたらどうしよう。そんな不安が一瞬だけ胸をかすめる。

 

 それでも、画面の向こうにいるのは、さっきまで確かに話していた人物である。深く考えすぎるより、今の気持ちをそのまま送る方がいい。そう自分に言い聞かせる。

 

 星村は覚悟を決め、震える親指で文字を打ち込んだ。

 

 

 

――チャット『月伊霧 芽育』――

ナオ

「月伊霧 芽育君、ありがとう!写真とかあまり撮ったこと無かったから、ちょっと緊張しちゃってたかも!」

ゲームメイク

「分かる。あの時、俺も手汗やばくってさー」

「あと同い年だし、俺の事は月伊霧でも芽育でも好きに呼んでね!」

ナオ

「そしたら芽育君って呼ぶよ!私もナオでいいから!」

ゲームメイク

「まじか、アツすぎる。ナオって呼ぶわ」

「次は絶対負けないからな!あと、また東京遊びに行くからそれはそれでよろしく!」

ナオ

「はーい!雷門だって負けないんだらね!」

ゲームメイク

『なんと!』

――――

 

 

 やり取りが増えるたびに、胸の奥がじんわりと熱くなる。返事が来るたび、世界がいつもより色づいたように感じられた。

 

 星村は月伊霧から送られてきたスタンプを指でそっとなぞった。画面越しでも、そのコミカライズされたデザインが自分を模したものだと実感できる。それを推しが使ってくれている。その事実に不思議な誇らしさが込み上げてくる。

 

 そのままベッドに腰を下ろし、幸福に耐えきれずに枕へ顔を埋める。布の匂いが現実へ引き戻す代わりに、甘い感情を閉じ込めてくれた。

 

 声にならない笑いが、枕の中で震えた。

 

 今日は、きっと忘れられない一日になる。

 

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