かくしてパーフェクトサッカーは引き継がれる。 作:ホイップる
激闘から数日
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【速報】“少年サッカー界の新脳”地区予選二回戦で敗れる
> これマ?
>相手どこよ
>南雲原ってとこらしい
>どこそこ?強いの?
>しらん、最近できたんだってさ
>大海原とかならともかく、ぽっと出の学校に負けるの草
>何が新脳だよ!ザコじゃん
>必殺技も使えないんでしょ?今どきそんな選手いないだろ
>やっぱ、時代は円堂ハルよ。あれは怪物
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「これから統合記念式典を始めます。まずは千乃妃花理事長より、統合宣言及び挨拶――」
「はいっ」
四川堂の式典進行に合わせて、千乃は短く返事をした。
壇上へ向かう足取りに迷いはない。背筋はまっすぐに伸び、靴音は規則正しく体育館の床を打つ。その姿は、思わず同じ学生であることを忘れてしまうほど凛としていた。
旧南雲原中の生徒たちはもちろん、旧北陽学園の生徒たちも、例外なくその姿に目を奪われる。
生徒たちの胸にある感情は一様ではない。好奇心、警戒、期待、不満。そのどれもが体育館の片隅で小さく蠢いていた。
千乃は壇上までの道中で、その不穏な気配を肌で感じ取る。
『統合』という聞こえの良い言葉の裏には、少なからず戸惑いや反発、そして測りきれない不安が残っている。校章が変わる。所属が変わる。昨日まで当たり前だった何もかもが、一新されてしまう。
だからこそ、この記念式典は単なる節目ではない。新しい南雲原中学が何者として歩き出すのか、その第一歩を刻むための場でもあった。
(月伊霧君、これを知っててプログラムを入れ替えたわね――)
理事長という新たな肩書きを背負い、壇上に立つ今日。千乃はその重圧を確かに感じながら、脳裏に一人の男の姿を浮かべていた。
進行上の都合、来賓への配慮、統合式典としての見栄え。そんな取ってつけたような理由を並べて式次第を組み替え、自分の挨拶を千乃の後ろへ回した男の姿を。
理屈は通っている。だが、その裏に「自分が先に立つのは御免だ」という本音が混じっていることくらい、千乃には分かっていた。
その一方で、たまたま隣同士で並んでいた品乃と空宮は、顔を正面へ向けたまま小声で言葉を交わす。
「あれが南雲原の理事長……学生がやってるって本当だったんだな」
「本当は試合前に顔合わせする予定だったんですけどね。まぁ、ウチのきな臭い生徒会長よりはマシなんじゃないですか?」
「違いない」
空宮は思わず喉の奥で笑いを噛み殺す。
もっとも、その“きな臭い生徒会長”が今も体育館のどこかで余計なことを考えているであろうことは、二人とも容易に想像がついていた。
千乃は壇上へ上がると、懐から三つ折りになった紙の束を取り出した。指先で端を揃え、無駄のない動作で広げる。その所作一つひとつに、普段から人前に立つことへ慣れている気配がある。
軽く息を整え、マイクへ口を近づける。
話し始める前の一瞬の呼吸音。体育館のざわめきが、ゆるやかに沈んでいった。
「本日は、南雲原中学校と北陽学園中等部の統合記念式典にご参列いただき、ありがとうございます。此度の統合は昨年より、北陽学園生徒会執行部との入念な調整のもとで実現して参りました」
会場のあちこちで、背筋を伸ばす気配があった。
表情を引き締める者もいれば、腕を組んだまま視線だけを上げる者もいる。どこか他人事として式典を聞いていた生徒たちの意識が、少しずつ壇上へ引き寄せられていく。
「統合するにあたり、不安や戸惑いが生まれるのは当然です。これまで大切にしてきたもの、守ってきた伝統が変わることに抵抗を覚えるのも自然なことでしょう。ですが、変化とは、失うことだけを意味しません」
千乃は言葉を続ける。
「新しい環境下でしか起こりえない化学反応。それを自らの手で掴み取って頂きたいです。これまで交わることのなかった力、視点、価値観が重なり合うことで、以前のどちらにもなかった可能性が生まれる――私は、それを信じています」
その瞬間、どこかで小さく息を呑む音がした。
彼女の言葉は甘い理想論ではない。最後の言葉に垣間見えた貪欲な姿勢と整然とした態度が、それを確かなものにしていた。
「本日ここに、両校の統合を正式に宣言します。そして、この新しい学校に集う全ての生徒が、互いを知り、認め合い、胸を張ってこの場に立てるよう、私も責任を持って尽力することを約束します」
千乃は壇上から生徒の表情を見渡す。そして、一人ひとりと目が合うのを確認した。
「以上です。ありがとうございました」
一礼。
拍手は最初こそ控えめだったが、やがて全体へ波のように広がっていく。
千乃は顔を上げると、胸の奥に詰めていたものをそっと吐き出すように小さく息を漏らした。表には出さなかったものの、やはり緊張はしていたのだろう。
千乃は静かに一礼し、そのまま壇上を降りた。惜しみない拍手が背中を包む。舞台袖へ戻るまでの数歩は、思っていたほど重くなかった。
その数歩先――そこには、プログラムの資料を眺めながら、山積みの備品に寄りかかる月伊霧芽育の姿があった。
紙面を追っているようで、その実ほとんど見ていない。不思議とこういう時だけ、月伊霧と千乃は目が合わない。
当の本人はこちらに気づくと、いかにも楽しそうに口角を上げた。
「あ、終わった? お疲れ、千乃理事長」
「その呼び方はやめなさい。あなたに言われると虫酸が走るわ」
「なーに、せっかくの統合記念日だぜ。祝い事なんだから称え合うもんだろ。千乃理事長」
月伊霧はわざわざ敬称を強調すると、千乃の肩を軽く叩く。
千乃は普段と変わらずふざけた様子を横目で見ると、再びため息をついた。
この問題児が暴走する前に式典を進めてくれないかと、千乃は四川堂へ振り返り、目配せをする。
四川堂はこちらの気配を察したように、僅かに哀れみを滲ませた表情で頷いた。ごく一部ではあるが、これまでの千乃の気苦労を知っているため、腹の底では若干同情していたのだ。
「あなたね……ほら、次はあなたの番よ。精々、ヘマしない事ね」
「まぁ見てなって」
そう得意げに呟くと、月伊霧は壇上に向かって歩き出す。その足取りは元より軽い。
先ほどまでの千乃とは対照的に、厳粛さよりも舞台慣れした余裕が先に立っている。リハーサルと明らかに違う動きで合図をすると、四川堂は何食わぬ顔で生徒に向けてマイクで話し始めた。
「千乃理事長、ありがとうございました。続きまして、生徒代表の挨拶。南雲原中学“新生徒会長”――月伊霧芽育」
その名を呼ばれると、体育館中が騒がしくなった。
事前の周知もない、突然の生徒会長交代であったのだ。
ざわめきは一気に広がり、顔を見合わせる者が相次いだ。中でも旧北陽学園の面々はどこかワクワクしているような、呆れているような、どちらにせよ明るい表情が見て取れた。
他の生徒と同様に、たまたま近くで並んでいた桜咲、忍原、木曽路、笹波の四人も驚きを隠せなかった。
「新生徒会長って……あいつが?!」
「っていうか、確かうちが統合する側だよね? なんで新しい生徒会長があいつなわけ?」
「千乃会長が正式に理事長になるからとかっすかね?」
木曽路は腕を後ろに組みながら呟くが、ほかの面々は納得のいかない様子である。
生徒会執行部である四川堂や百道に聞けば何か分かるかもしれないが、今は式典の運営に駆り出されている。この疑問は晴れぬままだった。
笹波は状況を元に、冷静に分析する。
「元々、北陽学園の生徒会長は月伊霧芽育だったようですし、業務分担を考えれば適切かもしれないですね」
壇上を見上げながら静かに言う。
「理屈は分かるが……あいつに務まるものなのか」
「何がともあれ、今は挨拶で判断するしかないんじゃない?」
忍原はそう言って、壇上へ目をやる。
既に月伊霧はマイクの前に立ち、深く一礼をしていた。
その所作は想像以上に丁寧であった。
礼の角度、顔を上げるタイミング、背筋の伸ばし方。型は崩れているが、絶妙に隙がない。普段の軽口やふざけた態度を知る者ほど、その落差に戸惑ってしまう。
「南雲原中学の皆様、初めまして。千乃理事長に代わって生徒会長となりました、月伊霧芽育です」
千乃とは異なり、穏やかで青さの残る声色が体育館に響く。月伊霧の言葉は耳に心地よいだけでなく、聞き手の注意を自然に引き寄せた。
「私から皆様に言えることは一つだけ……ピンチも変化も、等しくチャンスです。でも、チャンスをものに出来るのは、先に結果を残した者だけ。それを肝に銘じてください」
会場が嫌にピリつく。
言っていることは厳しい。だが、どこか熱を帯びている。
「これまで南雲原中学と北陽学園はまるで縁のなかった学校です。むしろ、私の所属しているサッカー部では、先日まで敵同士――しかし、昨日の敵もなんとやら。今日からは心機一転、互いに強くなるために協力し合うことになります。馴れ合いではなく、お互いに競い合う良い関係性を目指していきたいものです」
その言葉の末尾を言い終えた時、笹波は月伊霧と目が合った。
一瞬の出来事であるが、その口角は僅かに上がっていたように見えた。
「おっと、これはサッカーに限らず、他の部活動も授業も同じことですね――その結果がどうなれど、どうぞお手柔らかに」
頭を下げた月伊霧の表情は、最後まで穏やかだった。
だからこそ、会場の多くはその言葉を前向きな激励として受け取った。
だが、彼を知る者たちだけは、そこに混じったわずかな野心を見逃さなかった。特に、大会の最中、その熱に当てられた経験のある南雲原サッカー部は思わず背筋が伸びた。
「う、雲明、あれってもしかして……」
「もしかしなくても、レギュラー争いのことでしょうね」
「完全に俺らを挑発してやがんな。試合に負けても相変わらずムカつく野郎だ」
「えぇ、私達も負けてられないわよ……それはそうと、周りの黄色い声援も凄いわね。ウチも、向こうも」
忍原は辺りを見回す。
旧南雲原中の生徒たちの中でも、女子生徒を中心に色めき立った会話が聞こえてきた。
「あの爽やかな人だれ?! 北陽側の生徒だよね?」
「立ち振る舞いも千乃理事長に劣らない上品さ……やだ、私ファンになっちゃった!」
「確か、サッカー部って言ってたよね。あとで調べてみようかな」
「ちょっと強気な感じも良くない?」
「分かるっっ! 爽やかなのに、ただ優しいだけじゃないって言うかー!」
旧南雲原中の一般生徒から見れば、月伊霧は突如現れたドラマさながらの王子様のようであった。
穏やかな声。整った所作。人を惹きつける言葉選び。そこに少しだけ混じる挑発的な余裕。ミステリアスな雰囲気も合わせて、事情を知らない者にとってはこれ以上にない魅力に見える。
旧北陽学園の生徒もまた、古参ファンのごとく陶酔しきっている。
「あぁ、流石は月伊霧様……今日も凛々しい」
「所詮、噂も噂ね。生徒会長の堂々たる姿は健在だわ!」
「やっぱり壇上に立つと映えるのよね、あの人」
「普段との落差がまた良いのよ」
「分かる。あれでサッカーになると急に獰猛になるの、ずるいわ」
彼女らにとって、月伊霧が人前で完璧に振る舞う姿は初めてではない。北陽学園の生徒会長として、彼はすでに何度も壇上に立ってきた。
普段がどれほど破天荒でも、壇上に立てば、決めるべき場面ではきちんと決める。旧北陽の生徒たちは、その無茶苦茶な切り替わりを何度も見てきた。
だから壇上の月伊霧へ向ける視線には、驚きよりも安堵があった。見慣れた生徒会長が、ようやく戻ってきたのだと。
月伊霧は壇上から降りると、舞台袖へ戻ってくる。
会場の雰囲気を肌で感じ、意気揚々と鼻を鳴らした。
「ちょろいちょろい」と両手を力なく揺らす姿は、いつにも増してわざとらしい態度である。
「まぁ、ざっとこんなもんよ」
その様子を、千乃は腕を組んで見ていた。
人差し指とつま先で静かに小突く音が、彼女の苛立ちをはっきりと映し出している。
「お疲れ様。気持ち悪いくらいの猫被りね」
「ひどくない? 今の俺、かなり良かったでしょ」
「事実じゃない。それともアレは素?」
「いんや。我ながら反吐が出るね」
月伊霧は舌先を出しながら肩をすくめる。
「まぁ、信頼は金なりってね。楽するためには、民衆の支持を集めるところから始まるのさ」
「生徒会長として最低の動機ね」
「結果的に学校運営が円滑になるなら、動機なんて些細なことだろ」
「そう、殊勝なことね」
千乃は淡々と返す。
小気味よい台詞回しを聞き流しながらも、その視線はいまだ月伊霧を捉えていた。
「それと、最後の発言はどういうことかしら。受け手によっては随分挑発的に捉えられるのだけど」
「やだなぁ、言葉の通りだよ。何を思ったのか知らないけど、思い過ごしじゃないかな」
「本当かしら」
「本当本当。新しい学校をよりよくしていきたいという、清らかな生徒会長の願いです」
「その清らかな生徒会長は、旧南雲原サッカー部の方を見ながら言うのね」
一瞬だけ目を逸らす月伊霧を、千乃は見逃さなかった。
言葉は滑らかに出ている。
表情も崩れていない。
それなのに、どこか噛み合っていない。
まるで頭の中で先にいくつもの返答を並べ、そのどれを選ぶべきかでわずかに詰まっているようで——その実、思考停止しているようであった。
「……視野が広いんだよ、俺は」
「便利な言葉ね」
「長所を褒めてくれてありがとう」
「褒めていないわ」
千乃は冷ややかに言う。
そして、月伊霧の不調に気づいていたのか、それとも単なる気まぐれか。いつもなら煙に巻かれるだけのやり取りを、今日は少しだけ追い詰めてみたくなった。
「また変なこと企んで、FFの二の舞にならなきゃいいけど」
「なんのことやら」
月伊霧は肩をすくめる。
いつものように、悪びれもせずはぐらかす。都合の悪い話題を煙に巻く時の表情だった。
しかし、千乃は逃がさない。すかさず次の手に出た。
千乃はおもむろに制服のポケットからスマートフォンを取り出す。そして、禁断の一言へ踏み込んだ。
「ネットニュース、SNS」
「……ナンノコトヤラ」
声だけが、不自然に片言になった。
月伊霧にしては珍しい崩れ方だった。普段なら、ここで即座に二つ三つの屁理屈を並べ、相手が呆れる方向へ話をずらす。だが今の返答は、あまりにも雑だった。
千乃の中で、引っかかっていた違和感が確信に変わる。
「効いてるじゃない」
「効いてないし。あぁ、全然効いてないとも。俺は生徒会長として、学校全体の印象管理に配慮しているだけであって」
「目が泳いでいるわよ」
「――っ、うるせぇ」
「そう。あと一言、余計なことを言っていたら蹴り飛ばしていたところよ」
「なんで?!」
千乃は、そこで追及を止めた。
反応はもう十分だった。月伊霧が取り繕おうとしていることも、その取り繕い方にいつもの切れ味がないことも、今の数秒で分かってしまった。
普段なら、ここからさらに軽口を重ねて逃げるはずの男が、今はどこか受け身の浅さを見せている。
これ以上踏み込めば、冗談では済まない何かに触れてしまう。そう告げるように、千乃の直感が静かに警鐘を鳴らしていた。
「何がともあれ、これ以上、南雲原の名に恥じぬよう努めることね」
「へいへい、理事長サマ」
普段なら、二つ三つは余計な言葉を返す。屁理屈をこね、話題をずらし、最後には相手が呆れる方向へ持っていく。
だが今回は、それ以上言い返さなかった。
不貞腐れたように口を尖らせ、そのまま舞台袖の奥へ歩いていく。千乃は離れていく、少し丸まった背中を見届けながら、ひとり呟いた。
「本当、調子狂うわね……あの様子だと“噂”は本当なのかしら」
舞台袖の外では、まだ生徒たちのざわめきが続いている。
FF九州地区予選二回戦、南雲原中対北陽学園。
その試合から、わずか数日。南雲原が北陽を下し、笹波雲明が月伊霧芽育の戦術を上回ったという結果は、学内外に瞬く間に広がっていた。
“少年サッカー界の新脳”と呼ばれた選手が、新興校に敗れた。
それだけで、周囲が騒ぐには十分だった。
南雲原には称賛が集まり、北陽学園と月伊霧には好奇の視線が向けられる。試合の内容を知らない者ほど、結果だけを面白がった。
本人が見ないようにしても、その気配は消えない。
廊下で途切れる会話。
不自然に伏せられるスマートフォン。
同情とも嘲笑ともつかない視線。
自分の名前が聞こえた気がした瞬間にだけ、妙に鋭くなる耳。
月伊霧芽育は、紛れもない天才である。少なくとも一時代を築いてきたプレイヤーであれば輝く原石に目を奪われる。
その事実は、一度や二度の敗北で覆るものではない。
それでも、世間の声は少しずつ彼自信を蝕んでいく。
そしてそれは、日を追うごとに、本人にも気づかない小さなズレを積み重ねていくのかもしれない。