ほさかだもん   作:カレー大好き

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第3話 南ハルカ

荷物をあさっていたなるが偶然見つけた写真立て。

それは保坂にとって、とても大切なものだった。

宝物と聞いたなるは子供ながらに気を利かせて、中を見る前にどのようなものか聞いてみた。

 

「こん中に先生の宝物ば入っちょっとか?」

「うむ。その中にある写真には、俺に力を与えてくれる女神が宿っているのだ……」

 

そう言うと保坂は、静かに目を閉じて過去に思いを馳せた。

恋に燃え、愛に萌えた、あの懐かしくも輝かしい日々。

そう、あれは卒業を間近に控えた寒い冬の頃のことだ――

 

 

 ☆★☆★☆★☆

 

 

今より5年前の2月。

3学期も半ばを過ぎて後は卒業を迎えるだけとなった保坂は、とある悩みを抱えていた。

やたらと自信家なクセに恋愛に対してだけは変に奥手となってしまう彼は、この期に及んでも片思い中の春香と会話すらできていなかった。

このまま卒業してしまったら、まったく接点が無くなってしまうというのに……。

 

「許してくれ南ハルカ! 恋人を引き裂く悲しき運命(卒業)にはこの俺でも抗えんのだ!」

「いやいや、恋人どころか知り合いでもないのに、嘘はダメでしょ?」

 

相も変わらず勝手な妄想に耽っている保坂だったが、その発言を傍で聞いていたクラスメイトの【速水】がツッコミを入れてきた。

しかし、当の本人は妄想などとは思っておらず、すぐさま反論してきた。

 

「果たしてそうかな? 離れ離れになるとはいえ、南ハルカと結ばれる可能性が潰えた訳ではない。それに、今はまだ知り合いではないとしても……」

「しても?」

「俺たちの運命が重なる時まであきらめずに歩み続ける! いや、2人で共に進んでいこう! するとどうだ、2人は将来、誰もがうらやむ恋人同士となるではないか!」

「保坂、卒業する前に現実の将来を考えて」

 

前向きすぎて逆に将来が見えていない保坂に対して、生暖かい目をした速水が適確なアドバイスを送る。

だが、内心では彼の変人っぷりを存分に楽しんでいた。

 

「(まったく、保坂は最高ね! コイツのおかげで、最後までおもしろい高校生活が送れるわ)」

 

心の声を聞いてみたらとんでもない悪女(?)だった。

彼女は、女子バレー部の元部長でスタイルの良い美人なのだが、普段は細い目で【おもしろいこと】を探求している変わった人物でもある。

つまり、知人をからかっておもしろイベントを発生させようとする困った趣味の持ち主なのだ。

そのせいか、奇行の多い保坂と一緒にいることが多く、傍から見てると仲の良い恋人同士のように見えなくもない。

しかし、残念ながらお互いにその気はまったく無かった。

とはいえ、保坂にとって重要な人物であることは間違いない。

 

「なぜなら速水は、南ハルカの友達だからだ!」

 

保坂は、いつの間にか教室からいなくなっていた友人の名を叫ぶ。

そうだ、彼女に頼べば【あの願い】が叶うかもしれない。

そのように思い立った保坂は、昼休み中にどこかへ行った速水の後を追った。

恐らくはあの場所にいるだろうと当たりをつけて向かってみたところ、案の定彼女はいた。

 

「ふっ、やはりここにいたか。こうまで的確に行動が読めるとは、案外、俺とお前は相性が良いのかも知れんな、速水よ!」

「おおうっ!? 何やら凄まじい悪寒が!?」

 

勝手に保坂から仲良し認定されて身震いしている速水がいる場所は2年生の教室前だった。

そのクラスには速水と仲が良いバレー部の後輩が2人おり、彼女たちと友人である春香も同じクラスにいる。

どうやら速水は、後輩の2人と廊下で会話している最中のようだ。

残念ながら春香はいないようだが、事ここに至ってはもう高望みはすまい。

今は、アレを手に入れることを優先しよう。

 

「ふむ、マキとアツコも一緒にいたか。実に好都合だ」

「げっ、保坂先輩!?」

「えっ?」

 

無駄に男前な様子で近づいてくる保坂の姿に気づいた後輩たちは、一斉に表情を変えた。

彼女たちは、速水と春香の友人でバレー部に所属している【アツコ】と【マキ】だ。

長身のアツコは、女性としてもバレー選手としても理想的なスタイルの持ち主で、最近さらに胸が大きくなってきているらしい。

自己主張が苦手なせいで損をする場合が多いものの、見た目通りに優しい性格の美少女だ。

一方、中学からアツコと友人関係にあるマキは、彼女と対照的に小柄で背が低く、本人もその点を気にしている。

それでも、持ち前の陽気な性格で元気に今を楽しんでいる、美人と言うより可愛いという表現が似合う少女だ。

この2人は前述の通りバレー部に所属しており、先ほどまで先輩の速水と楽しく雑談をしていたのだが……そこへ招かれざる客が現れてしまった。

最近は大学受験のおかげで保坂との遭遇率が減っていたため、つい油断をしていた彼女は大いに慌てた。

 

「(懲りずにまた来たよ、この人! っていうか、もうすぐ卒業だってのに、まだハルカのこと諦めてなかったのー!?)」

 

嫌な事実に気づいたマキは、こちらの気も知らずに堂々と近づいてくる保坂に対して嫌な顔をした。

変な妄想癖のある彼の奇行を知っている彼女は、出会って間もない頃から【きもちわるい】男だと警戒しているのだ。

そのため、彼の毒牙(?)から春香を守るために色々と妨害活動をしていたりする。

実際は、保坂がヘタレだったり、やたらとタイミングの良いすれ違いなどが発生して2人が接触すること自体が無く、彼女の努力はそれほど意味がなかったのだが。

 

「やっぱりハルカに用があるのかな?」

「それしかないでしょ! でも、丁度ハルカは職員室に行ってるから助かったよ」

 

アツコとマキはひそひそと話をしながら安堵する。

幸か不幸か万事がこんな感じで、保坂と春香の仲は一向に進展していなかった。

しかし、今回彼がここに来た理由は彼女に会うためではない。

 

「速水、並びにマキとアツコ、少し時間をもらえるか?」

「ん~? こんなところまで来て一体なによ?」

「うむ、お前たちに折り入って頼みたいことがあるのだが……」

「やだ」

「まだ何も言ってないじゃないか」

「あ~ごめんごめん。別に悪気があったわけじゃないんだけどさぁ、もうすぐ卒業しちゃうのに、未だにハルカちゃんと話すらできないヘタレの頼みを素直に聞くのも癪だから、とりあえず拒絶してみただけよ?」

「思いっきり悪気がこもっているじゃないか」

 

この時、何かおもしろいことが起こりそうな雰囲気を察した速水は、楽しい時間を存分に味わうために保坂の話をわざとじらせた。

それはもう夫婦漫才のようなやり取りで、様子を伺っていたマキは思わず噴出しそうになる。

こういうところは仲の良い先輩後輩にしか見えないのだが、やはり保坂はマキにとって天敵と言える男だった。

どうしても聞いてもらいたい頼みごとがあった保坂は、なぜか上着を脱いで上半身をさらけ出しながら、廊下のど真ん中で土下座したのである。

 

「頼む、お前たち! 俺のために、一肌脱いでくれまいかっ!!」

「とか言いつつ、アンタが一肌脱いでどうするっ!!?」

 

公衆の面前でこんな事をされては、流石の速水も度肝を抜かれる。

もちろん、一緒にいた後輩2人も……。

 

「ひゃうっ!? (なんで脱ぐんですかー!?)」

「この人、やっぱりきもちわるい!」

 

確かに、ツッコミどころ満載の行動だった。

とはいえ、ここまでされては無視もできない。

というか、元々聞いてやるつもりではあったので、速水たちは呆れながらも話を促す。

すると、保坂にしては控えめな内容の答えが返ってきた。

 

「実は、お前たちに南ハルカの写真を撮ってきてもらいたいのだ。もちろん、彼女に事情を話して了承を得たものをな」

「ハルカちゃんの写真? そんなものどうすんのよ?」

「もちろん、俺の宝物にするのだ」

 

まったく気後れすることなく堂々と宣言する保坂。

一般的な常識で考えると、かなり危険なかほりがする提案だ。

しかし、ある意味で純粋過ぎる彼の心には、よこしまな考えなど微塵もない。

残念ながら後輩2人からは疑われているものの、付き合いの長い速水はちゃんと理解しているので、もう少し事情を探ることにした。

 

「まぁ、アンタの気持ちは分かるけど、写真のためにここまでする必要は無いんじゃない?」

「いや、それは違うぞ速水。今の俺には十分に必要な試練なのだ」

 

ここで保坂は、無茶な行動をしでかした事情を語った。

それは、高校を卒業した後の進路が原因だった。

保坂は、大学に進学しつつ父親と同じ書道家としての道を進むことに決めたのだが、流石の彼も人並みに不安を感じていた。

書道に関しては、子供の頃より指導を受け続けているので、技術的な問題はほとんど無い。

だが、それを裏付ける実績がまったく無い点に問題があった。

文武両道に秀でている保坂は、学生時代に様々な興味を抱いて色々なことに挑戦してきた。

いや――本音を言うと、高校までは自由を謳歌したくて、母親が熱心に勧めてくる書道から逃げていたのだ。

 

「いわゆる反抗期というヤツだな。今思えば、恥ずかしいことをしていたものだ」

「ふぅん、アンタにも恥という概念があったんだー」

「速水先輩、要点はそこじゃないです」

 

まぁ、ツッコミを入れたアツコ自身も速水の感想を理解できるのだが……。

それはともかく、現在の保坂は若さゆえの過ちを悟って書道家を目指すことにしたわけだ。

しかし、覚悟を決めたからといって、マイナス要素を解決するのは容易ではない。

反抗しつつも大切にしていた書道で中途半端な行動をしたくなかったため、これまで一回も公の評価を受けたことが無かったのだが、その事実が今になって重くのしかかってきているのである。

 

「だからこそ、愛する人を傍に感じて未来へ進む活力にしたいと思ったのだ。南ハルカには、それだけの魅力があるのだから!」

「ふぅん、書道ねぇ。アンタにそんな裏設定があったなんて、ちょー意外ー」

「っていうか、なんでバレー部から書道家なのよ!? つながり無さ過ぎでしょ!」

「2人とも、気にするところが違うと思う……」

 

聞いてみたら意外とまともな理由だったものの、いきなり出て来た書道という単語のほうが食いつきがよかった。

ただ、荒唐無稽な所は実に保坂らしいと言えるため、速水はすぐさま納得した。

 

「(それはともかく、コイツにも人間らしいメンタルがあったとはね~……しゃーない、ここはひとつ借しを作っておきますか)」

 

彼にはこれまで十分におもしろい思いをさせてもらったので、彼女としては珍しくお礼をしてやろうと思った。

なにげに酷い受け取り方をしているものの、速水のおかげで保坂の望みは叶う事になる。

 

「よろしい、この私がアンタの願いを聞き届けてあげようじゃないの!」

「おおそうか! この保坂、お前の誠意に感謝する!」

 

速水の協力を得られた保坂は、やたらと爽やかな笑顔で喜んだ。

しかし、マキとアツコはその結果に驚く。

 

「ええっ!? いいんですか速水先輩!?」

「そうですよ! 何に使うか分かったもんじゃありませんよ!?」

 

まだ少しだけ保坂の言葉を疑っているマキたちから不満げな意見が出た。

もちろん友人を思っての反応なので十分に納得できる発言だった。

ただ、保坂は2人が――特にマキが思っているほど嫌うべき人物ではない。

確かに、この男にはきもちわるい部分があるものの、彼の愛は本物なのだから少しくらい協力してやってもいいはずだ。

だって彼は――

 

「2人とも、もうすぐコイツは見事に失恋するかもしれないんだから、散り際くらい花を持たせてあげなさいよ」

「おい速水、説得するにしても言い草が酷すぎるぞ」

 

あまり誠意は持ってなかったようだ。

しかし、彼女も悪魔ではない。

内心では、彼の恋が続けばいいなとは思っていた。

綺麗で優しい春香は結構モテるのだが、恋愛に対してとても奥手なので、恐らく進学した後も恋人ができる可能性は低いと思われる。

そうなると、まだまだ保坂とのおもしろいやり取りが楽しめるはずだ。

 

「(ふふふ……私ってば、何て酷い女なのかしら。でも、アンタが悪いのよ保坂。アンタのキャラがあまりにもおもしろ過ぎるから!)」

 

保坂は、気づかぬうちに変な女に目を付けられてしまっていた。

しかも、この時閃いた速水の読みは当たり、春香は就職した後も恋人を作らず、悩み多き年頃になった妹たちの世話にかかりきりとなる。

そのおかげで(?)速水は、大人になった現在も2人をネタにおもしろいことを企み続けていた。

仕事の合間に保坂と会っては春香の近況を伝え、未だに彼の反応を楽しんでいるのだ。

 

『まだよ、まだ終わらないわ! 知り合いの恋バナほど、おもしろいモノはないからね~♪』

 

まことに傍迷惑な女である。

とはいえ、流石にこのままでは悪いと思ったのか、最近になってようやく春香に紹介してやったりもしているので、一応は汚名返上していたりする。

以下のやり取りは、その際に初めて2人が会話した時の回想だ。

 

『それにしても、保坂先輩が有名な書道家さんになるなんて驚きましたよ!』

『いや。俺の方こそ、後輩の君に名を覚えてもらえて光栄の極みだ』

『そんなの当然ですよ。保坂先輩はあの高校で一番の出世頭ですし、雅号が私の名前と同じですから』

『あっはっは! 実に縁のある偶然だな!』

『はい。実は、初めて知った時につい嬉しくなって、家族と盛り上がったんですよ?』

『そうかそうか、それは良かった。俺も、あの名を選んだ甲斐があるというものだ!』

『……言いたい。あの雅号は、ハルカちゃんの名前を勝手に使った危険な妄想の産物だということを、今ここでぶちまけてやりたい……』

『え? 何か言いましたか、速水先輩?』

『いんや、別に? (まぁ、これはこれでおもしろいかな……後でマキたちにも教えてあげようっと)』

 

――そのように、速水のお膳立てで始まった保坂と春香の関係だが、今もほんのりと進展している。

ただし、お互いに奥手なせいで相変わらず奇妙なすれ違いが続いている上に、独り身のマキからも嫉妬に近い妨害を受けており、その歩みはうぶな中学生以上に遅い。

それでも、意外に春香からの感触は良くて、いずれは本当にくっつく可能性も出て来たのだから世の中おもしろいものだ。

 

「むむっ!? 何やらおかしな未来が見えた気がする!」

「突然なに言ってるのよ、マキ……」

 

変な電波を感じてマキがおかしなことを言い出したが、それは置いといて……とにかく、土下座までした保坂の頼みは叶うことになった。

春香には3年生のファンが写真を欲しがっていると説明して納得させ、仲良し4人組で一緒に撮ったものを渡すことにした。

その写真こそが保坂の宝物だった。

 

「ありがとう、お前たち! この恩は、いつか必ず、この身をもって返してみせると約束しよう!」

「「それは結構ですから、今すぐ上着を着てください!!」」

「あっははは!!」

 

数日後、念願が叶った保坂は嬉しさのあまり半裸になり、それを直視するはめになった後輩2人は恩を仇で返された。

そして速水は、そんな彼らの様子を見て、高校生活を締めくくるような大笑いをするのであった。

 

 

 ☆★☆★☆★☆

 

 

以上のような経緯を経て、なるが手にしている写真立てには愛しい女性の写真がおさめられている。

可愛らしく微笑んでいる春香を中心に、微妙な笑顔のアツコと不機嫌顔のマキ、そして、心なしか邪悪な笑みを浮かべた速水が写った写真が。

 

「見目麗しく、慈愛に満ちた彼女の存在は、まさに女神と呼ぶに相応しいのだ……」

「ほえ~! そがんすっと、こん中に入っちょっとは女神さまの写真なんか!?」

「そうだ! たとえ厳重に梱包されていようと俺にははっきりと感じられる。彼女からあふれ出る慈愛の心を。それこそが、女神の証と言えるだろう!」

「おお~、何かよく分からんけど、ばりすごかー!」

 

保坂は、初対面の幼女にまで己の愛を熱く語った。

もちろん彼の心は純粋そのもので嘘偽り無いのだが、残念なことにきもちわるいと言わざるを得ない。

ただ幸いな事に、幼いなるも純粋だったため、彼の言葉に対して素直に興味を持った。

彼の言う女神とは、いったいどんな容姿なのだろうか。

 

「ねぇ先生。こん中ば、なるに見せちくれんかな?」

 

写真を見るための許しを得ようとしたなるは、写真立てに向けていた視線を保坂に向けた。

その瞬間、彼女は気づいた。

保坂がものすごい勢いで涙を流していることに。

 

「おーいおいおい!」

「えぇ―――!? 先生が、ばり泣いちょる―――!?」

「ああ、南ハルカ。今すぐ君に会いたい……会って愛を確かめあいたい!」

 

この時保坂は、過去を思い出した拍子に感極まってしまったのだ。

今、彼の心は、ここへ来る前に空港まで見送りに来てくれた春香のことで一杯となっていた――

 

 

今より数日前、五島へ行くことが決まった保坂は、想い人の春香へ真っ先に知らせた。

しばらくの間は直に会うことができなくなると。

話を聞いた彼女は当然のように残念がり、悲しそうな表情を見せる。

 

『どうしても行かなければならないのですか?』

『ああ……この旅は、未熟な俺が新たな一歩を踏み出すための試練なのだ。故に、背を向けて逃げるわけにはいかないのさ』

『そう、ですか……』

 

その言葉で保坂の覚悟を感じ取った春香は、己の本心を押さえ込んで笑顔を向ける。

 

『それではせめて、あなたのことをお見送りさせてください』

『もちろんいいとも、ハルカ』

 

そうして更に時が経ち、ついに保坂が東京を離れる日がやって来た。

約束どおり空港まで見送りに来てくれた春香は、憂いを秘めた笑顔を向けて、旅たつ保坂に言葉をかけた。

 

『保坂さん、不慣れな土地での1人暮らしは大変でしょうけど、くれぐれもご自愛くださいね?』

『ありがとう。その言葉だけで、俺は不死身の超人になれるよ』

『もう、そうやってすぐ調子に乗るんだから』

『あっははははっ、すまないハルカ。俺は不器用な男だからな』

 

春香は、軽い冗談を言う保坂の胸を優しく叩きながら綺麗な笑みを浮かべた。

しかし、その笑みは次第に泣き顔へと変化し、ついには涙があふれ出して頬を伝っていく。

 

『う、うう……』

『泣いているのか、ハルカ……』

『いいえ、泣いてなんかいません。これは、目にゴミが入っただけです』

『そうか……君がそう言うのならば、そうなのだろう』

 

それが誤魔化しだと知りつつも、あえて気づかぬ振りをした保坂は、春香の肩を優しく抱いた。

その時、彼女は彼も泣いていることに気づく。

 

『保坂さんの方こそ泣いているじゃないですか』

『いや。この涙は、近くに潜んでいる忍者がタマネギをきざんでいるせいさ』

『ふふっ、貴方がそう言うのなら、そういうことにしておきます』

『あっはっは、なかなか言うようになったな、ハ・ル・カ!』

 

春香は、自分を気遣う保坂に対して同じような言い回しで答える。

そうして気持ちを通じ合った2人は、一緒に涙を流しながら再会を誓い、共に笑いあうのであった。

 

『『あはは、あはは、あはははは! あはは、あはは、あはははは!』』

 

 

――というのは保坂の妄想で、残念ながら真実はかなり違う。

彼の旅立ちを聞いて見送りに来てくれたことは事実だが、それほど長期間の滞在になる訳ではないと聞いていたため、『お土産楽しみにしてます』と笑顔で言われながら、ごく普通に見送られた。

ただ、【基本なまけもの】の春香がそこまでしてくれるだけでもかなりの進歩なので、彼の妄想もあながち間違いではない……かもしれない。

まぁ、自分の境遇に酔いしれて泣き笑いしている彼の行動がおかしいのは確かだが。

 

「あはは、あはは、あはははは! あはは、あはは、あはははは!」

「うわ―――!? 今度は泣きながら笑い出しよった―――!?」

 

未だに妄想の中にいる保坂は変な状態になってしまい、なるを大いに困惑させた。

しかし、とても良い子に育っている彼女は、保坂の様子を見てひとつの答えを出した。

涙を流しているということは、自分が何かいけない事を言ってしまったのではないかと。

そう思った途端に、彼女は強い罪悪感を抱いてしまった。

だから、真摯な気持ちを込めて謝罪した。

 

「先生、ごめんなさい!!」

「……ん? なぜ君が謝るのだ?」

「なぜっち、先生、ばり泣いちょるけん、なるが先生の好かんことば言ったせいじゃと思ったとよ……」

「なるほど、そういうことか。だが、君が謝る必要はまったくないぞ?」

「そんじゃあ、許してくるっと?」

「当然だ。許すも何も、君に悪いところなど微塵もないではないか」

 

まったくもってその通りだった。

なるは誤解してしまっただけであり、すべての責任は保坂の妄想癖にある。

それでも、真実は知らないほうがいいこともある。

現に、とても純粋な心を持ったなるは、許してもらえたことに心の底から安堵していた。

 

「はぁ~、良かったぁ~! 許してくれて良かったぁ~!」

 

なるはそう言うと、気が抜けたように座り込んだ。

どうやら、かなり緊張していたらしい。

 

「どうした、琴石 なるよ?」

「うん……謝っとは、ばり怖かね。でも、謝ってよかったぁ」

「うむ、そうだな……」

 

保坂は、可愛らしく微笑むなるを見て清々しい気持ちになった。

この子はなんて美しいのだろう。

 

「君は本当に良い子だな」

「え? なんで?」

 

なるは保坂の発言に疑問符を浮かべた。

なんで先生を泣かした自分が良い子なのだろうか。

謝ったばかりの彼女はそう思ったものの、それはただの誤解であり、人がこの程度の過ちを犯すことは当たり前なので、元より気にする話でもない。

保坂が評価したことは、彼女が素直に謝った点だった。

 

「君の言う通り、自分の非を認めて謝ることはとても恐ろしく、難しいことだ。それこそ、大きな国の偉い人でもできないほどにな。ゆえに、今の君は、世界でもっとも良い子だと言っても過言ではないのだ!」

「ほえ―――!? なるは、いつの間にか世界一になっちょっとか―――!?」

「そうだ! 今年の良い子・オブ・ザ・イヤーも夢ではないぞ!」

「うわーい、やったー! 言っちょることはよく分からんけど、つまりは一等賞っちこったいねー!」

 

言葉の意味はよく分からないが、とにかく褒められているらしい。

幼いなるにもそれだけは伝わり、何となく誇らしくなった。

それにしても、このおかしな青年との会話は驚きの連続で、とてもおもしろい。

 

「(こん先生といると、ばり楽しかね~)」

 

大人の視点で見ると奇妙な保坂も、子供の目から見ると面白かっこいい青年に見えるらしい。

でも……涙を流していた保坂の様子は、ちょっとだけ寂しそうだなと思った。

たぶん、引っ越してきたばかりで寂しいんだろう。

 

「(先生ば元気にしたかけど、どげんすればいっかな~?)」

 

なるは、なぜか上着をはだけて胸元を出している保坂を気にすることなく考え込んで、ひとつの答えを出した。

そうだ、これから自分の好きな場所に案内して、先生を楽しませてあげよう。

お気に入りの綺麗な景色を見てもらえば、先生も良い気分になってくれるに違いない。

先ほどの会話で保坂が寂しがっていると感じたなるは、彼を元気づけてあげるために行動を開始した。

 

「先生、これから良かもんば見せてやるけん、外に行こうや!」

「ほう、それは興味深いな。いいだろう、君の提案に乗らせてもらうとしよう」

「さすが先生! 話が分かるったいねー!」

 

なるの優しい心遣いに気づいたのか、保坂は迷うことなく了承した。

ただし、その前にやらなければならないことがある。

 

「先に冷蔵庫を中に入れて、カレーの下ごしらえも済ませておこう。このまま放っておいたら、買ってきた食材が痛んでしまうからな」

「はーい! なるもカレー作るー!」」

「あっはっは! 今夜は特製カレーでお祝いだ!」

 

並々ならぬ熱意を注いでいる料理に関しては手抜かりなんてしない。

たとえアホな行動をしていても、こういうところは冷静な保坂であった。

ただ、一番優先すべき書道の事を再び忘れてしまっている点はいただけないのだが……もはやお約束と思うしかないかもしれない。

 

 

 ☆★☆★☆★☆

 

 

30分後、やるべきことを終えた保坂は、汗ばんだシャツを寝室で着替えて外に出て来た。

その間、バレーボールを塀に当てながら待っていたなるが、元気な様子で歩み寄ってくる。

 

「遅かぞ、先生ー!」

「うむ、待たせたな」

「そんじゃあ早速、出発すっぞー!」

「ああ、どのような絶景を見せてもらえるか、期待しているぞ、琴石 なる」

 

出かける前に気合を入れ直し、いよいよなるのお気に入りの場所へ向かう。

それにしても、今日出会ったばかりとは思えないほどの仲良しっぷりである。

ただ単に、保坂の純情ハートが子供のなると同レベルだったからかもしれないけれど……。

何はともあれ、これまでのやり取りですっかり意気投合した2人は、既に家族のような関係を築きつつあった。

 

「先生ー! 早よ行かんと見逃しちまうぞー!」

「そうか、ならば急いで向かわねばならんな」

「おうよ! 超特急で行くっけんねー!」

 

仲良く並んで歩き出した2人は、親子のようにじゃれあいながら家の前の道に出た。

しかし、先へ進む前に、少し離れた場所にいる人影に気づいて足を止める。

借家へと続くゆるい坂道の途中に、なると同い年くらいの少女がいたのだ。

 

「ん? あの子は……」

 

謎の少女を見た保坂が疑問符を浮かべる。

すると、となりにいるなるが彼女に向けて親しげに話しかけた。

 

「あれぇ? 今日は用事ばあるっち言っちょったのに、なしてこがんとこにおると?」 

 

どうやらなるは彼女のことを知っているらしい。

というか、状況的に考えると同じ学区に住んでいる友人なのだろうが、初対面の保坂にはその程度のことしか分からない。

果たして、あの少女は何者なのか。

答えはバレバレだとしても、ちょうど区切りがいいので次回まで引っ張ることにする。




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