ほさかだもん   作:カレー大好き

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第4話 ひな、妖精に会ったよ!

太陽の位置もだいぶ低くなり、あと2時間くらいで日が暮れる頃。

冷蔵庫のセッティングとカレーの下ごしらえを済ませた保坂は、なると共に借家からでかけた。

良いものを見せてあげるという彼女の提案に乗り、これからその目的地へと向かうことになったのだ。

そして、家の前にある小道に出て来たところで、少し離れた場所に立っている少女に気づいた。

こちらに向かっている途中だったらしく、その表情は予期せぬ遭遇に驚いているように見える。

しかし、なるの姿を確認して落ち着きを取り戻したのか、ゆっくり近づいてきた。

どうやら保坂のことを気にしているようだが、笑顔を浮かべた友達がいるので安心したらしい。

 

「ひなー!」

 

期せずして親友と出会えたなるは、嬉しそうに両手を上げながら駆け寄ると、彼女の首に右腕を絡めてお互いのほっぺたをくっつけあった。

彼女流の親愛表現でもって喜びを表現しているのだろう。

とはいえ、なるにはひとつだけ気になることがある。

今日は母親と一緒に商店街へ出かけるため遊べないと言っていた彼女が、どうしてここにいるのだろうか。

 

「どがんして、ひながここにおると? 買いもんば早めに済んだとけ、遊びに来たんか?」

「うん……」

 

ひなと呼ばれた少女は、なるの問いかけに曖昧な返事をしながら保坂を見上げる。

何か意味ありげに登場した彼女の名前は【久保田 陽菜】と言って、なると仲良しの同級生だ。

胸元あたりまで伸ばした綺麗な黒髪とピンク色の髪飾りがチャームポイントの、大人しそうな女の子である。

基本的には見た目通りに良い子だが、遊ぶ時はなると同じくらい活発になり、意外なギャップを感じさせる一面も持っている。

ただ、人見知りが激しくて、感情的になるとすぐに泣いてしまうといった弱点(?)もあった。

実際、この後すぐに保坂も実体験することになる。

 

「先生、紹介す。なるの友だ、ひな!」

「うむ。初めまして、可愛らしい少女よ。俺の名は保坂だ」

 

なるの言葉に合わせて自分も自己紹介をする。

おかしな性格の彼としては控えめな、ごく普通の挨拶だ。

しかし、それでも何かを感じ取ったのか、ひなは突然怯えだした。

 

「ひっ!? ひぃぃぃぃぃ!」

「ん? 急にどうしたというのだ?」

「ひなは極度の人見知りじゃっけん!」

「ああ、そういうことか」

 

保坂は、なるの説明を聞いて納得した。

この子は見た目どおりに繊細なのだな。

ならば自分は、節度ある大人として適切な対応をすべきだろう。

 

「それでは、君が慣れるまであまり話しかけないほうがいいかな、恥ずかしがり屋のお嬢さん?」

「ひぃぃぃ……びゃあああああああ!」

「おっと、なにか気に触ることを言ってしまったか?」

「ううん、そげんこつばなかよ? ひなは先生にかまってもらいたいらしか」

 

どうやら彼女は、感情の起伏が激しくて涙もろい性格らしい。

まことに扱いが難しい子である。

だからといって、自分勝手に怒りをぶつけたり、めんどくさがったりしてはいけない。

成長途中にある年頃ならよくある状況なので、ここは大人として適切に対応すべきところだ。

ゆえに保坂は、ひなのために助言をしてあげることにした。

 

「いいか子供たち。確かに人は泣きながら生まれ、成長していくものだ。ゆえに君の涙は正しく、美しい。だが、それだけではいけない。いけないのだ……」

「……びぇぇ~?」

「なしていかんとね?」

「なに、理由はとても簡単だ。涙で曇った(まなこ)では、差し伸べられた手も見えなくなってしまうからな。誰かと仲良くなりたい時は、涙を拭いて微笑むべきなのだ。少女の笑顔には、見る者の心を魅了する素敵な魔法が込められているのだから」

 

子供たちの目をしっかりと見つめた保坂は、急に中二病っぽいことを言い出した。

あまりにも恥ずかしいセリフを真剣に言うので、話を聞いていた子供たちは思わず噴出しそうになる。

すると保坂は、その隙を突くようにひなの頭を撫でた。

そして、先ほどの有言実行とばかりに、とびっきりの笑顔を浮かべてこう言った。

 

「さぁ、俺と……仲良くなろう」

 

今度のセリフは、そこはかとなくきもちわるかった。

撫でられたひなもちょっとした恐怖を感じとり、更に激しく泣き出してしまう。

 

「いゃああああああああ!」

「う~ん、参ったな。どうやら俺は嫌われてしまったらしい」

「そいは違うぞ、先生! ひなは嬉しくても泣くけんね~」

「ほう。ようするに、多感な年頃というわけか。女心とは、幼くても複雑なのだな。しかし、この程度で弱音を吐いている場合ではない。いずれは、南ハルカの娘たちとも仲良くならねばならないのだからな。むしろ望む所だ!」

 

こんな状況を望んでどうする。

しかし、自らの奇行で状況を悪化させることが多い彼は、ある意味で逆境にも強い男だった。

泣いているひなの対応に困っているうちに、なぜか春香との結婚生活を妄想しだして、逆にやる気を増大させたのである。

 

「ふっ、いいだろう。試練とは、困難なほど乗り越え甲斐があるというもの……。ならば、真正面から受けて立つまで! そして同時に約束よう、南ハルカ! 試練を乗り越え成長した暁には、この俺が必ず君を幸せにしてみせると!」

「先生、さっきからなんば言うちょっとね?」

 

不思議そうな顔をしているなるを他所に、保坂はいつもの妄想に浸る。

確かに彼がここに来た理由の中に対人関係の向上も含まれており、なるたちと仲良くなることもその一環と言えるが、もっとも最初に治すべきはこの妄想癖だろう。

実際にかなり変だし……。

 

「俺が、必ず! 必ず、俺が!」

「おーい、先生ー! 急に独り言言い出しち、どがんしたとかー!?」

 

保坂の勘違いが妄想の進行と共にエスカレートしていく。

親友のなるがひなの反応を喜んでいると判断したので仕方ない部分もあるが、実を言うとその判断自体が正確ではなかった。

確かにひなは、カッコイイ美青年に優しく接してもらえて嬉しい気分を感じている。

しかし、それと同時に別の印象も抱いていた。

 

「(このお兄ちゃん……なんか変だ!)」

 

これまでのやり取りでナニカを感じ取ったひなは、内心でそう思った。

実際に彼女の勘は当たっており、保坂は色々な意味で普通の男ではない。

それでもひなは、都会から来たおかしな青年に対して、なると負けないくらいに強い興味を持ち始めていた。

実を言うと、彼女がここにやって来た理由の中に保坂への興味も含まれていたのだ。

 

 

 ☆★☆★☆★☆

 

 

ひなと出会う1時間ほど前。

カレーの具材を買うために商店街へやって来ていた保坂は、八百屋で野菜を吟味していた。

 

「ほう、思っていた以上に良いものが揃っているな」

 

美味そうに育ったニンジンやジャガイモを手に取りながら満足げにうなずく。

その様子を近くで見ていた店主のおばさんが、見慣れない保坂に話しかけてきた。

 

「あんちゃん、この辺じゃ見かけん顔だけど、観光かね?」

「いいえ。この度、郷長の借家に引っ越してきた保坂という者です」

「へぇ~、こん島にこげん若もんが来っとは珍しかね。どこん人かな?」

「東京です」

「そげな大都会から!? ばり思い切った決断ばしなさったとねぇ」

 

人の良さそうな八百屋のおばさんは、事情が分かると笑顔で歓迎してくれた。

保坂の方も、初対面の人相手にまったく気後れすることなく自然に会話を進める。

そうして親睦を深めつつ必要な物を買うと、気さくなおばさんに別れを告げて次の目的地に向かう。

 

「さぁ、次は肉の買出しだ! 豚か、牛か、もしくは鳥か。それが問題だ……」

 

書道そっちのけでカレー作りに熱中しだした彼は、中に入れる肉の種類を考えながら歩き出す。

その際になぜかシャツを脱ぎ、胸元を大きくはだけて周りにいる人たちの視線を集めてしまったりしているが、意外にも問題視されていない。

幸い今日は結構な暑さなので、男が半裸になってもさほどおかしくはなく、イケメン好きな奥様方にとっては良い目の保養となっていたのだ。

因みに、ひなを連れて買い物に来ていた彼女の母親もその中に含まれていた。

 

「ありゃ~、良か男ん来たね~」

 

ひなの母親は、セクシーな格好で歩く保坂の姿を目撃して素直な感想を漏らした。

ここへ来る前にこの島では珍しい引越しの車を見たが、あれがそうだったのかと納得もする。

しかし、先ほどのやり取りを近くで聞いていたひなにとっては少し困った状況になった。

彼の言っていることが本当なら、なるたちと一緒に使っている秘密基地が無くなってしまうからだ。

 

「(そういえば、今はなると美和姉たちがいるはずだけど……)」

 

秘密基地について考えているうちに問題が起こりそうなことに気づいた。

もし、何も知らないなるたちとあの人が遭遇したら怒られてしまうかもしれない。

だとしたら自分は………………どどど、どうしようー!?

 

「びぇぇぇぇぇぇん!」

「えぇっ!? 急にどがんしたとか?」

 

こうして、なるたちの様子が気になったひなは、早めに買い物を切り上げてみんなと合流することにしたのだった。

少しだけ、都会からやって来たカッコイイお兄さんに興味を抱きながら――

 

 

 ☆★☆★☆★☆

 

 

そのような経緯でなるたちを探していたひなは、秘密基地から脱出してきた美和とタマを見つけて事情を聞いた。

2人の話によると、なるはまだ基地に残っているようだが、郷長もいるから大丈夫だろうと判断して放ってきたらしい。

 

「美和姉たちは、なるを見捨ててきたの?」

「いやいや、そげんこつばなかとよ? あん時は緊急事態やったとけ、仕方無かったっちね! それに私たちは、なるの力ば信じておるけん!」

「うん、そうだね! なるだったら、今頃あの人と仲良くなって遊んでるんじゃないかな~!」

「……(何となく言い訳っぽく聞こえるなぁ)」

 

ひなは挙動不審なお姉さんたちに疑惑の眼差しを向けるも、とりあえず信用して1人で秘密基地までやってきた。

どうやらあのお兄さんは怒っていないようなので、ひとまず気を落ち着けながら来たのだが、笑顔のなると出会えてようやく安堵できた。

それでも、一緒にいた保坂はやたらとマイペースで、人見知りの激しいひなは思った以上に途惑ってしまった。

それが、保坂たちの目の前で彼女が泣いているという現在の状況に繋がっている。

 

 

「うわぁぁぁぁぁん!」

「ん~、今日のひなは、ばり泣きよるな~。先生と会えて、そげん感動しちょるんか?」

「ふむ、君のような可愛い少女にそこまで喜んでもらえるのは男冥利に尽きるが、このままでは落ち着いて話せんな」

 

微妙に勘違いしたままの2人は、同じような感想を抱く。

とはいえ、ひなが泣きやむまで待つのも気まずいし、時間が経ちすぎればなるの提案も達成できなくなる。

そこで、保坂は一計を案じた。

後でなるを喜ばせてやろうと準備してあった仕掛けをここで披露することにしたのだ。

実は、出かける前にシャツを着替えたのはソレの準備をするためだった。

 

「(これを見せれば、彼女も笑顔になるだろう。いや、絶対にしてみせる! そのために、コレを用意したのだ!)」

 

ニヒルな笑みを浮かべた保坂は、仕掛けの成功を確信する。

 

「(このように、俺の一挙手一投足には一切の無駄が無い!)」

 

その時はひなの存在を知らなかったのに、勝手に都合よく解釈して自画自賛する。

とはいえ、実際にこうなることを見越していたかのように【とある仕掛け】を用意していたのだから偶然とは恐ろしい。

それはともかく、いつもおかしな彼が施した仕掛けとは果たしてどのようなものなのだろうか。

 

「子供たちよ、これから良いものを見せてやろう」

「えっ、良いもの?」

「うむ。これを見れば、ひなも笑顔を見せてくれるはずだ」

「おお~! なんば見しちくれるんか、楽しみやね~!」

「……」

 

こういうイベントが大好きななるは素直に興味を示し、泣いていたひなも気になったらしく、涙をふき取りながら保坂を見上げる。

 

よし、これで準備は整った。

 

 

「ならば見せてあげようか、この俺の甘美なる姿を!」

 

そう言うと、保坂はゆっくりとシャツのボタンを外し始めた。

2人の幼女の前で上着を脱ぎ出す男……傍から見れば非常に危険な構図である。

だがしかし、イイ顔をした彼がシャツの裾を鳥の翼のように広げた瞬間、その意味が劇的に変わった。

 

「うわ―――!?」

「先生が輝いちょる―――!?」

 

なるの言う通り、雲の切れ間から注ぐ強い西日に照らされた保坂の体は、なぜかキラキラと輝いている。

その理由は、彼のシャツと体を埋め尽くすようにセロハンテープで貼り付けられている【駄菓子】のパッケージが太陽光を反射しているからだ。

出かける前に、商店街で見つけて衝動買いした駄菓子をなるにあげようと思いつき、色々と趣向を凝らした結果……なぜかこうなった。

 

「どうだ子供たち! おいしいお菓子をみんなで食べれば、あっという間に仲良しこよしだ!」

 

驚くべき行動を実行した保坂は、たくましい胸元を曝け出しながら笑顔を作る。

普通に考えるとかなりマヌケできもちわるい光景だ。

しかも、腹に巻いたうま○棒の列がダイナマイトを巻いた危険人物のように見えるので、人によっては恐怖すら感じさせる。

しかし、純粋な心を持ったなるとひなは、幸運にも彼の奇行を好意的な目で見てくれた。

 

「うお――! 先生が駄菓子屋みたいになっちょる――!!」

「キラキラしててすごく綺麗~! まるで【お菓子の妖精】みたいだね!!」

 

子供たちは保坂の予想以上に強い反応を示し、ひなに至っては非常に興味深い感想を抱いた。

確かに、シャツの裏側に埋め尽くされている色とりどりのパッケージが妖精の羽に見えなくもないが……子供の感性は、時に大人の常識を超えるものらしい。

流石の保坂も妖精に例えられるとは予想がつかなかった。

 

「ふっ、お菓子の妖精か。こそばゆい響きだ」

 

保坂は、実に子供らしいひなの言葉に気を良くした。

彼女自身も、いつの間にか泣きやんで、目を輝かせながらこちらを見つめている。

よし、狙い通りだ。

やはりお菓子には、子供を笑顔にさせる素敵な魔法が込められているのだな。

 

「(人はお前たちのことを甘いヤツだと言うだろう。だがそれでいい。その甘さは、子供たちを幸せにするための優しさなのだから)」

 

まるで仲間と接するような心境で感謝の気持ちを抱いた瞬間、お菓子の妖精は唐突に閃いた。

彼の想いを形にした【お菓子の歌】を。

 

「彼女のことを~愛すクリーム♪ 想いは日増しに増し増しマシュマ~ロ♪ 愛しいあの子と~チューインガム♪ いつかは叶うさ~イエス・アイ・キャンディー♪ デートでサービスケット~♪ 手は抜きませんべい~♪ チョコっとでも、ダメな~の~さ~♪ あなたとわたしとふ菓子~♪ 絆をからめるキャラメル~♪ お菓子食って~、い~と~をか~し~♪ プリンプリンと胸弾む~♪ おやつみたいな~、マイ・スウィート・メモリー♪」

 

即興で歌を考えた保坂は、指揮を取るような仕草をしながら歌いだした。

高校時代に数々の迷曲を生み出してきた彼だが、その才能(?)は大人になっても健在だった。

かつて、小学5年生だった南 千秋を魅了したことのある彼の歌は、5年の時を越えてなるとひなの心にも不思議な感動を与えていた。

 

「なん、その歌!? 先生が作ったとか?」

「うむ。君たちのおかげで、美味い菓子から上手い歌詞を作ることができたのだ。改めて礼を言わせてもらおう」

「えへへ~、なるたちは何もしとらんよ~。先生がばりすごかけん、良い歌ば作れたとけ。なるは感動したっちた!」

「うん。あんな面白い歌を作れるなんて、本当にすごいよねー!」

 

子供たちは次々に褒め言葉を言うと、保坂に尊敬の眼差しを向ける。

大人が聞けば苦笑するような内容でも、幼い彼女たちにとっては素直にすごいと感じられた。

なぜなら、この2人には保坂に対する悪意が無いからだ。

悪意が無いから、歌を作れる技術を素直に賞賛できるのである。

もちろん趣味で作った保坂の歌は、誰もが認められるほど素晴らしいものではない。

しかし、物の価値が分からない子供の意見だからといって一蹴するほど簡単な話でもない。

 

「(表裏の無い純粋な評価とは、クリエイターとして何物にも代えがたいものだからな)」

 

保坂は、拙い自分の歌で喜んでくれている子供たちの反応を受けて、改めて考えさせられた。

人の心の有り様というものを。

利害や拒絶などといった醜い感情で生じるつまらない悪意が無ければ、保坂の作ったおかしな歌でも好意的に受け入れ、楽しむことが出来る。

しかし、多くの責任を背負うことになる大人の世界ではそう簡単にはいかない。

 

「(人の業とは、子供のように無邪気なままではいられないのだ。悲しいことにな……)」

 

もちろん、それは書道家とて例外ではない。

生活資金を稼がなければならない以上、どうしても他者と争い優位に立つ必要がある。

そのような状況で個人の思い通りに芸術活動をおこなっていくことは非常に困難をともなう。

社会から認められ続けるために不安定要素を極力減らすのは自明の理であるからだ。

芸術の世界では、先ほどの歌のように安易に作った作品を発表して迂闊に評価を落とすわけにはいかないのである。

だからこそ自分は、著名な書道家である父親の字を見習い、多くの人々が好む流行に沿った作品を作り続けて――自分の可能性を封じてきた。

無意識の内に自身に向けていた【妥協】という悪意によって。

 

「そうか……館長の言いたかったことは、そういうことだったのか!」

 

不意に何かを思いついた保坂は、ここへ来るきっかけになった出来事を思い出す。

後に【カレーなる惨劇(笑)】という名がついた、館長との熱いやり取りを。

あの時彼は、保坂の字を見てこう言った。

 

『君の字は確かに上手い。だが、手本のような字と言うべきか、賞のために書いた字と言うべきか。君自身の個性が感じられない』

 

あの時は1位を取った自分の書を否定する館長の意見に疑問を持っていた。

なぜ多くの人が上手いと認めてくれる字を書いて文句を言われるのだろうかと。

しかし、今は館長の気持ちが何となく理解できる。

あれは【保坂 春香】の書きたい字ではないだろうと言いたかったのだ。

 

「(流石は館長、良く分かっておられる……。ようするに、俺は恐れていたのだ。他者から受ける評価というものをな)」

 

だからこそ、悪評を受けないように無難な作品しか作ってこなかった。

当然、売るための作品なら需要に応えることも必要だが、己の道を探求し続けるべき書道家としては、それだけではダメなのだ。

少なくとも、書道展に出品する作品は父親の模造品などではいけなかった。

他人の言葉で綴ったラブレターでは、自分の本心を伝えることなどできないのだから。

 

「(ふっ。こんなにも基本的なことを忘れていたとは、これでは叱られても仕方がないな)」

 

ようやく館長の真意に気づいた保坂は、己の過ちを反省した。

唯一無二の作品を生み出すことにこそ心血を注ぐべき芸術家が、他者の評価を恐れてどうするのかと。

それは、書道家として生きていく道を選んだ自分の存在意義を否定することに他ならない。

他人のマネをするだけで満足している程度の愚か者には、決して未来(さき)など見えないのだ。

そんな当たり前なことをなるたちのような小さい子供に教えられるとは、本当に情けない。

 

「(これが、大人になって悪意に汚れた者の報いか。だからこそ、純真無垢な子供たちの言葉が心に響いたのだろう。そしてその瞬間、かつての純粋さを取り戻した俺はこう思ったのだ。人とは常に、そうあれかしと!)」

 

保坂は、小難しい言葉を使って今の心境を表現した。

大げさ過ぎてわけ分からないだろうが、ようするに「素直に気持ちを伝えられることは、とても大切なのだなぁ」という意味である。

 

「(芸術家としてこれほど嬉しい事はない。そんな素晴らしい感動に気づかせてくれた2人には全力で感謝せねばならんな!)」

「お~い、先生! 急に黙り込んでどがんしたと?」

「いや、なんでもない。それより、このお菓子を君たちにあげようではないか!」

「わーい! なるはチョ○バットが欲しー!」

「じゃあひなは、うま○棒のコーンポタージュ味ー!」

「あっはっは! いいだろう。どれでも好きなだけ持っていくがいい、可愛い怪盗たち!」 

 

保坂は、重要なことに気づかせてくれた子供たちに感謝して、お菓子を大盤振る舞いする。

その際、体に貼り付けたテープを思いっきりはがして不必要に痛い思いをしてしまったが、余計な心配をさせまいとあえて平然を装うのだった。

 

 

 ☆★☆★☆★☆

 

 

そのように、おかしな出来事があってから十数分後。

好きな駄菓子を選び終わった3人は、仲良くそれらを食べながら海の見える場所までやって来た。

そこには磯に沿って遊歩道のような小道が通っており、広大な海と豊かな木々に囲まれて気持ちよく歩ける環境となっている。

その道を更に進んでいくと、この辺りの人たちが使っている漁港や村落に行き着く。

 

「波の音が聞こえると思っていたら、想像以上に海が近かったのだな」

「おうよ! いつも海水浴ば行った後は、先生ん家で昼寝すっとよ?」

「それでね、甘いスイカとか冷たいアイスを食べるんだ~」

「ほう、それは面白そうだな。幸い季節は夏だから、近いうちにみんなで行くとするか?」

「「うん、行く~!」」

 

お菓子作戦ですっかり打ち解けた3人は、仲良く話をしながら小道を進んでいく。

しかし、あまりのんびりはしていられない。

予期せぬイベントで時間を費やしたせいで、なるの見せたいものに間に合うかギリギリのタイミングとなりつつあった。

 

「先生、早よ急がんと間に合わんぞ~!」

「早く早く~!」

「あっはっは! そんなに走っては危ないぞ、子供たち!」

 

なるとひなは競争しながら先を行き、保坂はその後を早歩きで追いかける。

元バレー部で背が高い彼はそれでも十分ついていけた。

 

「それにしても、この島に来て初日だというのに色々なことがあったな」

 

綺麗な景色を見て気分が落ち着いた保坂は、今日起きた出来事を思い返してみた。

美しい大自然に囲まれた新しい我が家に、親しみ易い島民たちとの楽しい会話。

どれも既に思い出深い記憶となっている。

特に、なるとひなとの出会いは、自分の成長を期待させるような予感を抱かせた。

 

「よもや新天地に来て早々に2人の少女から慕われようとは思わなかったが……良いことには違いない。その証拠に、彼女たちからは早速大事なことを教えてもらった」

 

保坂は、子供たちの元気な様子を見守りながら目を細めた。

またしてもシャツを脱いで胸元をはだけているので一見すると変質者だが、彼の心はどこまでも清らかだった。




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