ユニゾンクエストⅡ(仮)~筋肉とサイコパスと犬と神々~ 作:ケルベロス(通称・ベロちゃん)
※
いわゆる『かまいたち』的なダメージ効果を期待できる攻撃呪文、真空の刃・バギ。僧侶系術者が好んで習得する傾向が顕著であり、またムーンブルク王家の代名詞でもある。聖なる一陣の風がこの国を護って来たのだ。
ただ、あたしはいまだに未習得だったりする。複雑な思想的背景など微塵もない。初めて呪文を覚える時、目の前に
が、父王はそれらの雑音をあっさりと斬って捨てたという。
「トンヌラの好きにさせたれよ。よかろうもん、別に」
話は前後するがあたしの幼少時、そろそろ魔法の英才教育を……という段になるや、父はその役を当時の魔導士団の団長であるヤタガラス翁へ丸投げした。
「めんどっちい。やだ。かんべんしてちょ」というのが言い訳のすべてだったと、後年ネコ師匠が教えてくれた。
さて、幼いあたしが父王の御前にて翁と初対面時、「どうしておじいちゃんはネコちゃんみたいなお顔なの?」と質問、それを聞いた父は「だーはっはははは!」と涙を流さんばかりに大笑いし「よぉしよぉしトンヌラ、お前は今日からこの方をネコ師匠とお呼びしろ。私が許す。ヤタガラス先生もそれでお願いします、ぜひぜひ」と強引にねじ伏せたらしい。ネコ師匠誕生秘話である。
そんな具合いに父王はかなりの短絡思考というか、とにかく色々何かと雑なヒトなのである。
あたしはそんな父方の血を色濃く継いでいる。
間違いない。
※
夜明けが近い。
ほどけつつある夜のとばり。地平線の
そんな緑の大海原の只中にて、あたしは四人組の野盗と向かいあっていた。対峙ではない。雌雄はとっくに決しており、どちらが優勢なのかは歴然であった。
暁にじむ天を焦がすベギラマの業火を背負い、仁王立ちのあたし。キンダタ盗賊団の半裸の変態親分は、居心地悪そうに正座。三人の子分どもも以下同文。
あたしは開いた右手を差し出した。「キメラのつばさ、持ってるでしょ? 有るよね?」
「あ……えっと、そのぅ……」と、なにやら歯切れの悪い変態親分。と、子分のひとりがおびえ気味に小声で言う。
「お姫さまが盗賊からカツアゲだなんて……」
あたしはギロリとそいつをにらんだ。
「ああ? なに、文句あんの?」
「いえ、ないっス……」
子分はゴソゴソと皮鎧のすき間を探り、キメラのつばさをひとつ取り出した。
「他には? まほうの聖水とか持ってないの?」
「あ、ボクら魔法は使わないんで……はい」
あたしは舌打ち。「チッ……しけてやんな」
すると別の子分が「あの、巻き物なら……」と口を滑らせてくれた。
「あ、バカ、お前」と変態親分があわてて誤魔化そうとするも、すでに遅し。
「なに? 巻き物あんの? 出して」
「お姫さま、追い剥ぎみたいになってるッス……」と、また別の子分が小声でつぶやく。
あたしはギロリとそいつをにらんだ。
「ああ? なに、文句あんの?」
「いえ、ないっス……」
背負い袋を下ろし、ゴゾゴソと何やら取り出す子分たち。千切れたくさり鎌、折れた槍の穂先、刃の外れた片手斧(※ただのこんぼうである)等など、くず鉄がズラリと陳列されていく。いや、どれだけ貧乏盗賊団なんだよと、逆にものすごく気の毒になったくらいである。
結局、彼らは追加で二本の巻き物を献上してれた。多くの人の手を渡って来たのだろう、どちらも表面が荒れ模様で封じられている呪文名が読み取れない。さて、鬼が出るか蛇が出るか。
巻き物は開くか開かないかである。開かない場合、原因は三つ。そもそも魔力が無い。規定のレベルに達していない。既に習得済みの呪文である。このいずれかだという事。
ベホマとはいわない。ルーラ、せめてリレミト。これで戦略の幅がかなり拡がる。
願いを込めて、あたしは一本目の封に指を掛けた。スルスルとそれはほどけ、概要が頭の中へ染みるように入って来る。と、同時に巻き物は一瞬にして燃え尽きた。込められていた権限があたしに移行したからである。
……。
…………。
【取り扱い説明書】
◯メデテーナ(消費MP 1 )
効果……日常における微笑ましいキセキがおこります。
(実例)
◎茶柱が立つ。
◎卵の黄身がふたつ。
◎通り雨のあとのぼんやりした虹。
◎気になるあのコと目が合う。
◎野良猫が寄ってきた!
◎野良猫が触らせてくれた!
◎イケメン転校生が隣の席に!
◎キャッ! センパイ!
◎ハラペコハラペーニョ!
……などなど。ステキなキセキをいただいちゃお!
※キセキかどうかは個人の感想です。
※戦闘には使用しないでください。
※類似品にご注意ください。
……。
「サルが言ってたクソ呪文じゃねーか!」
あたしはコメカミ辺りの血管をブリブリ浮かせ、殺意を込めた目線で盗賊団をにらんだ。
「さらに怒ってはるー! ひー!」と、素っ頓狂な声を挙げ、マスクの奥で目を白黒させる変態親分。
「そそそそんな!」
「サル? サルって?」
「ぎゃあぁぁ! ごめんなざいぃ!」
子分たちも右にならえの動揺を披露。そんなヘッポコ盗賊団の取り乱し方が変に味わい深く、不謹慎ながらも思わず笑ってしまった。
……亡国の瀬戸際にいるんだけどなぁ、あたし……
しかし、こういう精神状態であるべき、というのがネコ師匠の教えなのだと改めて思う。
……うん、感情に呑まれてないよ……揺れたり取り乱したりする事はあっても、もう自暴自棄になったりしない……師匠の教え、ちゃんと守るよ……
もちろんこれは再会した時に叱られないようにである。うちの師匠があの程度の事で
あたしだけ蚊帳の外のプランBなんてお断りだ。ならばプランCである。徹底抗戦。持てる戦力のすべてを出し切る。籠城戦のプランAと何が違うんだとか今は考えない。
……今すぐに戻るから……師匠……
願いを込めて、二本目の巻き物を開く。
…………。
……まさかのバギだった。
こんなところで、こんな形で習得するとは。いつかは憶えなければなと感じつつも、つい後回しにしていた呪文がこの一連の流れで頭の中に入って来た……まぁ、いい。損ではない。オヤジも喜んでくれるだろう……
……と、あたしはようやく父王の事を思い出した。我ながら酷い話ではある。が、実際にそうなのだから仕方ない。
……うちのオヤジは……
ネコ師匠よりも若く、体力もある。何より深く考えない。たとえ玉座に一人きりであろうと、あのヒトなら何も問題はない。二百体のドラゴンを目前にしても『クッソだりぃわ。なんなんコレ?』などと愚痴りながら、生あくびをかみ殺す。そういうヒトだ。父の生死を楽観視している訳でも現実逃避している訳でもない。希望を手放してはいないだけである。絶望からは何も生まれはしない。突破口などまるで望めない。あたしはまだ諦めていない。それだけである。
そう決意を新たにしているところへ「あのよぉ、お姫さん」と、変態親分がよそよそしく語り掛けて来た。
「その……ムーンブルクで何かあったのか?」
「……」
あたしは小さく吐息をひとつ。余計なお世話だが、盗賊なら盗賊らしくしてほしい。変な同情とか優しい詮索とかやめてほしい。調子が狂う処ではない。
「ムーンブルク好きッス。親切なおねえさんがいっぱい」
「ごはんも美味しいッス」
「あちこちにお花が咲いてて街並みもきれいで、歩き回るだけで楽しいッス」
と、目をキラキラさせながら便乗してくる子分たち。
……もう、お前らほんと盗賊なんて辞めろって……まったく向いてないから……
背後のベギラマを仕舞い、あたしは連中に近寄りながらゴソゴソとローブの懐を探る。聖なるナイフが出て来たので、正座している親分の前にそっと置いた。
「……へ?」
マスクの中で目が点になる親分。
「売っぱらってゴールドにして。キメラのつばさと巻き物の代金。王家仕様だから闇ルートでさばいてね……あなたたち、ムーンペタ出身なの?」
「一応……」とうなづく親分。
「そう……町は好き?」
すると変態親分はプイッと横を向いた。「……ガキの頃に色々あってよ、反発して他所を転々としたけど、結局ここに帰ってきちまった……好きっちゃ好きなのかもな」
気恥ずかしさからなのか、正座の姿勢をモゾモゾ変える親分を見ながら、あたしはひとりうなづいていた。故郷を想う気持ちに王族も盗賊も関係無い。当たり前である。
「あたしもムーンペタ好きよ。地ビール美味しいよね」
「お、さすがへべれけ姫。わかってるやん」
「誰がへべれけだ。今は酔ってねぇし……ま、いいわ。そんじゃね」と切り上げ、あたしはくるりと背中を見せた。
そこへ「待てって!」と親分が叫び声を上げ、呼び止められる。
「取り込み中なんだろ、血まみれ姫。どうだ? 俺たちを雇えよ」
思わず目線を親分に返す。穴あきマスクの下に、真剣な双の瞳があった。
「術者だよな? 俺たちが
それを聞き、よせばいいのに子分たちがたちまち色めき立つのである。
「さっすが親分!」
「お姫さまの親衛隊ッス!」
「ロイヤルガードッス!」
やいのやいのと沸き立つ一同の中で、マントをひるがえし変態親分はゆっくりと立ち上がった。たくましい右腕を持ち上げ、拳をグッと握って見せる。
「装備はアレだがな、腕っぷしには自信がある」
嘘ではないようだ。見事な逆三角形の上半身に、それを支える太ましい脚部。
……ひとりで戦っては駄目です……
……頼もしき前衛を見つけるのです……
師匠の教えがよみがえる。
……ただ、やはり頼めない。
決して親分が変態だからお断りしているのではない。命のやり取りを避けられないからである。彼等は故郷のために体を張るべきだ。
「その気持ちはムーンペタのために使って。町が好きって事に正直になればいいんだべさ。きっと居場所も見つかるって。そういうもんじゃね?」
「えっ! あ、ちょっと!」
とポンコツ盗賊団の驚きの声を聞きながら、キメラのつばさを頭上へと放り投げた。座標指定はムーンブルク王国の城下、繁華街の中央道へ。
キメラのつばさはフワリと舞い、淡い光が降り注ぐ。それに全身を包まれ、あたしは一瞬で上空へ。
サル……決着をつけよう。王族だから、姫だからなんて特別扱いは御免こうむる。ひとりで戦う訳じゃない。師匠と連携すればいいのだ。勝機は有る。必ず見つける。見つけなければ。
さぁ、ムーンブルクへ。炎と煙、そして魔物どもの吐息と体臭がむせ返るほどに満ち満ちた故郷へ。
決しよう、運命を…………
※
そして、あたしは降り立った。
出迎えてくれたのは静寂。
鉛色の空の下、それ以外は見渡す限りすべてが白。どこまでも白。ずっと白。果てしなく隅々までが白に支配されていた。
視覚の違和感に続き、予期せぬ体感が追い打ちをかける。寒い。とにかく寒いのだ。傷だらけのローブの隙間から忍び込む冷気。あたしは思わず自分を抱きしめた。
視線を足許へ。ブーツが半分ほど埋まっている。雪。
絵に描いたような大雪原、その只中にあたしは居た。目を凝らせば離れた場所にこんもりした森や雑木林が点在しているのがわかった。しかし、その景色に憶えはまったくない。
どこ?……ここ……
ちらちらとわた雪が舞っている。音も無く、ただ静かに。
ムーンブルクじゃない。でも、間違えるか? ルーラの座標指定を?
母国への帰還をどうして間違えるのだ?
「……ここは旧ロンダルキア王国領内、国境沿いの外輪山、そのひとつの山中だ」
押し殺したような低音の声音で、不意に話し掛けられた。反射的に左右と背後も見やる。周囲には誰もいない。いないのだが……この現象はつい先刻体験したばかりだ。不可視化の呪文レムオル、その使い手がいる。
……姿は隠せても気配は断てない……ネコ師匠の言葉。感覚をギリギリまで研ぎ澄まし周辺を探る。
……と。
明らかな違和感がやや離れた位置にあった。その場所だけ宙を舞う雪が避けている。何かがそこにいる。ただ見えていないだけで。
あたしの凝視に気付いたのだろう、「……つまらん」と吐き捨てるような小さな声が聞こえた。
「……雨やら雪やらの影響をもろに受けてしまうなぞ、使用条件が限定的過ぎる。実につまらない呪文だ。笑えんよ。不愉快だ。わかってはいたがな」
すると透明の幕がゆるゆると溶けるように無くなって、声の主がその大柄な姿をあらわにした。
黄金色の体毛に覆われた、どっしりとした筋骨隆々の体。ムチのようにしなやかで長い尾と、屈強そのものの両の翼。そして顔面は牛や馬を思わせる造形で前後へ長く、その頭頂部に対の角を誇らしげにかざしていた。魔法を巧みに操る悪魔族か。左手には先端が三叉で上背を超える長尺の槍を所持しており、近接戦闘もお手の物のようだ。悪魔は、その槍を傍らの雪面へ乱暴に突き刺した。
……やはり敵か……
あるいはヒトならばという淡い期待は露と消えた。まったくよろしくない展開ではあるが、仕方ない。
言動から鑑み、この場所への移動はこいつの仕業と断定していいだろう。パルプンテは不確定要素しかなく、バシルーラは行く先を指定不可。考えられるとすればルーラであり、あたしのキメラの翼の使用に合わせて被せてきた……という事になる。つまりこいつは少なくともムーンペタから側にいたという訳だ。しかし、あたしがムーンペタを訪れたのはバシルーラの無作為な結果でしかなく、待ち伏せは出来ない。そもそもあたしをつけ狙っていたのならばムーンブルク城下のあの現場からだ。あの場にこいつもいた。だが近くに潜んでいたのならネコ師匠が気づいている。つまり少し離れた地点から傍観していた、という事になる……そう、不可解さを覚えるのはここだ。パズズの手助けをするでもなく、ただ待機していた。連携すればあたしを拘束する機会などいくらも有っただろうに……サルの配下では無いということ……?……別の指示系統……なのか?……
一度ゆっくりと深呼吸。鼓動は早まっているが、落ち着いているのを確認してから話し掛ける。
「……あんたがあたしの移動を邪魔してくれたって事よね?」
読みづらい表情の中、ひときわ印象的なくすんだ黄色の双の瞳でチラリとこちらをうかがう魔物。感情を削ぎ落とした声が答えてくれた。
「……キメラのつばさはしょせんつまらん消費アイテムに過ぎない。ルーラを封入する触媒として適切だったというだけで、それ以外の何ものでもない。込められたルーラも万人向けの魔力の編み方で微弱にして単調、術者の信念とかけ離れたつまらん仕様なので、仕上がりとして自己主張に欠けるのは避けられない。故に同じタイミングでルーラを被せられれば、たやすく干渉を許してしまうと、そういう理屈だ。はじめまして、ムーンブルク王女。私はベリアル。仰々しくもつまらん肩書きをいくつか有するが、ハーゴンの臣下だという理解だけでこの場は充分だ」
「!」
息を呑む。なんと、こいつがベリアルにいさんか。ハーゴン軍の幹部にして、あのパズズの上に立つ存在。
……別線での単独作戦行動な訳か……サルも知らなかったってこと?……
詮索が表情に出たのだろう、ベリアルは片方の眉を一瞬だけピクリと震わせた。
「申し訳ないが王女、あまり時間がない。バシルーラで飛んだ貴女を追い、ルーラで何箇所か回らざるを得なかった。貴重な時間を無駄にした」
「……だったらお開きにしてよ。悪いけどムーンブルクまで送ってくれる?」
「違う。私ではない。後が無いのは貴女の方だ」
「言われなくともムーンブルクに戻るわさ。つーか、あんたのおかげでせっかくのキメラのつばさが無駄になっちゃったんですけど? 弁償してよね」
魔物は『フンッ』と小さく鼻を鳴らした。
「清々しいほどに好戦的だな、王女。ビーストモードの意図せぬ開眼も納得ではある。なるほど、パズズの奴が気に入ったのもわからんでもない」
あたしは露骨に顔をしかめて見せた。「あのサルの話はやめてもらえる? 気分悪いわ」と、不満を口にしてみせたのだが、そういう機微を汲んでくれる魔物はやはりいないのである。ベリアルはずけずけと話を続けた。
「私の目的を明かす。パズズは私的に王女を取り込もうとしているようだ。当方としては、みすみす貴女を渡したくはない」
「はあ?」と、呆れるしかないあたし。
「いやいやいや、なに言ってんの? あのサルの部下にどつかれて鼻血ブブブーってなって、さらにザラキをブチかまされたんですけど? いのちの石パッキーンってなったんですけど?」
ところが「わからない話ではない」と、魔物は即答だった。
「ロトの血筋ならザオリクが百パーセント効く。恐らくは拘束してから蘇生させるつもりだったのだろう。私でもそうする。パズズは初手よりあの手この手で貴女を翻弄し、動揺させようとしたはず。術者の対処法として基本に忠実だったのだ。それほど貴女との接触を望んでいた」
「バケモノにモテてもなんも嬉しくねぇわ。やめちくり」
するとベリアルは、その太い首を左右に振って見せた。
「……違う。パズズが執着しているのは【上の世界】だ。奴は彼の地への移動手段を模索しており、その契機をロトの末裔に求めた。ハーゴンの目をあざむいてまでもな」
「……上の……世界?……」
「【レティス】に聞き覚えは?」
「?」
「城の宝物庫の全容を把握しているか? 【神鳥の杖】を見たことは?」
意味不明の単語の羅列。頭がついて行けず、うっかり主導権を渡している事に気付く。
「……いや、質問攻めにされるいわれはねぇし。情報を引き出したいのならまず白旗を挙げさせろよ、魔物」
「よかろう。だが……」と、ベリアルは挑発に乗った素振りを見せながらも、異なる切り口で返してきた。
「勘違いもはなはだしいが、私には今ここで争う気は無い。パズズの追手から貴女を隠すためにこの場所へと導いた。攻略戦終了の後、奴は当然として各地へ捜索の手を伸ばすはず。さすがに身を潜めているのがロンダルキアとは思うまいが、しかしいつまでも滞在している訳にもいかない。ここに居てはローレシア王子たちとの合流が出来ない。それを踏まえての提案である。選択肢は二つ。城へ戻りむざむざと犬死するか、勇者としての使命を果たすため一旦雲隠れするか。お勧めは後者だ。後ろを見ろ。雪に隠れてはいるが、宝箱がある。カギはかかっていない。中身をあらためるがいい」
ゆっくりと振り返る。雪面の一部が確かに不自然な感じに盛り上がっていた。目線を魔物に戻す。何も語らない瞳が、ただあたしを観察するように見ていた。
……罠……にしては手が込み過ぎか……
サクサクと雪を踏み分け、その場所へ。雪を払うと、赤い宝箱のフタが現れた。開けてみる。
フサフサの毛で覆われた何かが見える。毛皮……のようだが、準ずる違う何かのようだ。おそるおそる取り出してみれば、それは全身をすっぽりと包み込む着ぐるみだった。珍しい品だが初見ではない。半笑いを浮かべてベリアルを見返す。込めたのはもちろん軽蔑である。
「……イヌぐるみ……って、なに? ふざけてるの?」
もちろん魔物は真剣だった。が、眼の色に若干の変化が訪れたのはこの時である。薄い歓喜。悪魔はほくそ笑んでいた。
「違う。見た目がヒトサイズのイヌに成るただの愉快な着ぐるみではない。そいつは【負け犬のイヌぐるみ】、呪いの装備品だ。身に着ければ本物のイヌになってしまうという抱腹絶倒の逸品である。しかし、緻密に実装された呪詛は極めて強固にして粘質的、高位の聖職者によるシャナクですら解除は不可能だ。ヒトに戻るにはムーンブルク王国の秘宝、真の姿を映すという聖遺物【ラーの鏡】でしか叶わない」
「……だから? なに? 言いたい事がさっぱりわからないんだけど?」
ベリアルはさらりと言ってのけた。
「イヌになれ」
「は? バッカじゃねーの。なるか!」
もちろん心底から罵倒、拒絶で返したが、魔物はどこ吹く風と微動だにしなかった。
「イヌになった後、ムーンペタにて解放する。そのまま二日も過ごせばローレシア王子一行が訪れる筈だ。事情を察した彼らがラーの鏡を入手、貴女は無事解放されるだろう。あとは望むままに。正規の手順を踏んでロンダルキアへ来るがいい。ルーラでこの地点に再訪するのはお勧めしない。ここからハーゴンの神殿を目指すのなら徒歩では三カ月やそこらで済まない距離だからだ。素直に地下迷宮を進め。私は神殿の六階で勇者たちを待っている。心ゆくまで傷つけあおう」
あたしは叩きつけるようにイヌぐるみを宝箱へ押し込み、フタをバタンと踏みつけてやった。
「だから、ならねぇっての! なんでイヌになんなきゃなんないのよ! あほか!」
「意味はある」と、ベリアルは当然のように答えた。
「繰り返す。もはや猶予は無い。パズズのドラゴラム隊はとっくに城へ張り付き、陥落は時間の問題である。父王は風前の灯。しかし、今この場で、私の目の前でイヌになるのなら父王は助けてやる。私ならドラゴラム隊を止められる。今ならまだ父を救える。まだ間に合う」
「余計なお世話だ、モーモー野郎。魔物の情けなんか必要ない。勇者の使命とか知るか、ボケ。お前はここでブチ殺す。その後でサルをブチ殺し、そしてハーゴンのハゲをブチ殺す。これがあたしの使命だ」
今度はあたしが鼻で笑ってやる番だった。「うちの適当グータラおやじは筋金入りの適当でグータラだけど、おあいにくさま、ドラゴンの二百匹なんて屁とも思わない。グータラだけどね」
すると一転、魔物は沈黙した。
一片のわた雪があたしの目の前でくるくると愛らしいダンスを披露。開いた手のひらに着地して、音も無く溶けた。
……嫌な予感しかしない。
一呼吸の間を挟み、魔物は口を開いた。
「……貴女は親が特別だと思っている。自分の親に限ってそうそう死ぬようなことはないと。違う。現実を見るのだ、王女。モシャスで騎士に化けていたあの小さな御老体の事を、貴女は口の動きからして師匠と呼んでいたようだが?」
……。
……浮世は皮肉で溢れており、当たってほしくない予感ほど当たる。ここで師匠の話なのか。心臓を口から吐き出しそうになるほど心配でたまらない。だから意識しないようにしていたのに……今は自分の出来る事をやる。厄介事を済ませて最速で現場に戻る。ただそうしたいだけなのに、どうして魔物はここまで嫌味な奴ばかりなのだろう……
「……だったら何さ?」
「あの御老体がどういう最期を迎えたのか、知りたくはないか」
……あたしのココロが微細にひび割れた瞬間だった。いのちの石のように。
「……なに言ってんだ、お前……嘘つくな、おい。言葉を選べ。最期とか言うな」
啖呵を切るが声は震えていた。体が熱い。体温が勝手に上昇していた。魔物は容赦なく、嬉々としてこちらの神経を逆撫でして来た。
「覚悟の上であったにせよ、勇敢な方だ。御老体もドラゴラムを選択、目前の一体と四つに組んでの乱戦となったが、悲しいほどの多勢に無勢、やがて両腕を喰い千切られ、ドラゴラムが解けるも、それでも周囲を囲んだドラゴンたちは……」
ブツリ、と頭の中ではっきりと何かが切れる音がした。
「うるせぇぇってんだよ! その口をつぐめ! クソ牛!」
絶叫はひび割れていた。涙声になっている。あたしは大粒の涙をボロボロとこぼしていた。
「貴女は目を反らしているに過ぎない。その涙の意味を自身へ問え。本当はわかっている。自分ひとり生き残ってしまう事実を受け入れたくないだけだ。虚無の中で、ひとりぼっちになるのを恐れている」
と、冷静に返すベリアル。魔物はずかずかとヒトの心に踏み入る。サルもそうだった。奴等とて血も流さば痛みも感じているはずなのに。
「黙れ! うるせぇぇんだよ、黙れぇ! 黙れよ!」
吐き出した激情と共にベギラマを放つ。無詠唱の五重掛け。ベリアルはたちまち全身を業火に飲まれた。一方ザクザクと消化されて行くあたしの魔力。感覚としてもう残りは平時の五分の一以下だ。もちろん構ってなどいない。目の前の外道を焼く。それだけに全身全霊を注いだ。
さらに重ねる。さらにさらに重ねる。大雪原のそこだけを煌々と真紅に染め、そしてベギラマは膨張し続けた。
しかし、そんな莫大な火中にあってなお、ベリアルはまばたきすらしていないのである。どういう魔法抵抗値なのだ、こいつは!
「ぐぅ……」
苦悶の悲鳴を漏らしたのは結局あたしの方だった。
……これがベギラゴンなら……イオナズンだったら……
これでもかと火力を上げても無しのつぶて。魔物は身動きひとつしないままに、「……つまらん」と小さく吐き捨てた。
「……貴女の生存だけを願い、命を捨てた騎士や魔道士たちの尊い思いに背き、それでも勝ち目の無い戦いへかたくなに戻ろうというのなら好きにしろ。無駄に死ぬがいい。騎士団も魔道士団も壊滅、父王もむざむざと頓死、王家は潰え国は瓦解。残された国民たちは虐げられ無慈悲に扱われる。しかしこの場合、ムーンブルクに
燃え盛るベギラマをまとったままに、ベリアルは一歩前に踏み出した。
「イヌとなり、ロトの末裔たちと合流しろ。その上でハーゴンを討ち滅ぼせ。これは戦略的一時撤退と同意である。恩師の死を無駄にしてはいけない。せめて父の命だけは拾え。繰り返す。もう時間が無い。選べ、王女。死かイヌか」
そして悪魔は開いた右手を差し出した。
あたしの手を取るように。
「 決せよ、運命 」