ユニゾンクエストⅡ(仮)~筋肉とサイコパスと犬と神々~   作:ケルベロス(通称・ベロちゃん)

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22 ベギラマお嬢 血風録 その六

 

 

※

 

 

 

 

「 決せよ、運命 」

 

 

 

 

 

悪魔は開いた右手を差し出した。よろしければ一緒に踊りませんか? と誘うみたいに。

 

どこまでもどこまでも雪で覆われ、すべてを白で塗り潰された旧ロンダルキア王国の大雪原にて、舞い散る雪片たちが見守る只中での事である。

 

あたしは頬を伝う涙をぬぐう。そして悪魔へ、柔らかくにっこりと微笑み返した。

 

「うるせえ、くたばれ」

 

 

 

※

 

 

 

「……そうか」と魔物……ベリアルは短く答えた。何かを悟ったように付け加える。「残念だ」

 

それは同意。あたしだって死にたくはない。それでも譲れない事はある。

 

「ムーンブルクへ戻る。イヌになんかならない。最後まで戦う。死んだら死んだ時だわさ。あの世でみんなに頭を下げて回る。あたしのために身体張ってくれたけど、死んじゃってごめんって謝る。色々怒られるだろうけど、まぁ仕方ない。意地はって死んだ自分が悪いのだから」

 

「父王の事はいいのか?」と、ベリアル。余計なお世話である。

 

「腐ってもあたしは王女だ。自分の親を助けるため、魔物に魂を売れと? そんな下衆なまねが許されるはずがない」

 

……結局のところ、あたしは勇者として出来損ないだったという事である。世界に平和を取り戻すどころか、自分の国に降りかかる火の粉すら満足に拭えなかった。何も出来なかったに等しい。

 

ただただ無力だった。

 

「……あとの事は他のロトの末裔たちに任せるわ、うん……きっと彼らがハーゴンのハゲ頭に鉄槌を下す。それでいい」

 

言いたい事は言った。胸の中にくすぶっていたものがすっきりと晴れはしなかったが、いく分か楽にはなったのを感じる。

 

さて、現状。

 

ムーンブルクに戻りたいが、それを成すには障害を排除しなければならない。

 

目の前には過去に遭遇した中でも最強レベルの魔物。どんな魔法が得意でどんな特技を振るうのかなど、手の内がまるで読めない。それなのにあたしの魔力はもう底が見えかけている。ベギラマで三回、ベホイミならギリギリ二回……というところか。しかし、相手はあたしの呪文では毛ほどの傷もつけられない魔法抵抗値を持ち、もはやベギラマは無意味だ。ラリホーとマヌーサは習得しているが、試すだけ無駄である。『にげる』という選択肢もまた、初めて訪れたこの大雪原では結局悪あがきでしかない。となれば、手持ちの打突武器は無いので徒手空拳、殴る蹴るの一択となる。

 

『姫さーまは前衛の素質もお有りのようで』とか何とか、いつぞやの討伐遠征の時にアールグレイ卿からお褒めの言葉を頂いた。しかし、戦士なり武闘家なりの訓練などまったく微塵として積んではいないので、過度の期待はやめておく。

 

体格差から鑑み、初手で詰みの可能性が大。まぁ、やむなし。イヌになってまで命乞いをするよりかは遥かに清々しいと思える。決して自暴自棄になっているのではない。定められた運命を受け入れようとしているだけだ。

 

でも、はかない人生だったとは思わない。良い友、良い師に恵まれた。幸せな環境だった。

 

……親は…………オヤジは、まぁ、好き勝手自由にさせてくれた。感謝している。よくよく考えてみたら、まだオヤジと一緒に呑んだ事がなかった。芋焼酎を片手に、今は亡き母との馴れ初めなどを聞いてみれば良かったのだろうか……事態がここに至ってはもはや叶わぬ望みではあるが。

 

覚悟と共に一歩前へ。特に身構えるなどはしない。

 

「……よし。じゃ、ちゃっちゃとやろうか、魔物」

 

あたしは真っ直ぐにベリアルを見た。奴も避けない。真っ向から結び付く互いの視線。

 

ところがである。

 

「……わかった。ではムーンブルクへ帰れ。本国で死ぬといい」

 

「え……」

 

「わたしのルーラでは大手門の手前が限界になる。足許の宝箱の底を調べるがいい。キメラのつばさが入っている。貴女の座標指定なら中庭まで飛べるはずだ。パズズと決着をつけるのなら装備を整え、魔力を回復すべきだろう。一旦城に戻るのが賢明だ」

 

想定外の発言に、あたしは同じ反応を繰り返してしまった。

 

「え……」

 

何を言っているのだ、コイツは? サルにあたしを渡したくないからイヌになれと言う主張ではなかったのか。それを曲げてまで、あたしを逃がすと言うのか。こちらの覚悟を尊重すると?

 

……違う……こいつの狙いは別にあるのでは……

 

と、勘繰ってみるのだが、魔物は相変わらず感情の読み辛い顔を維持していた。

 

「魔物には魔物なりの正義もあれば、好敵手へ払う敬意もある。疑う気持ちは当然だが、ここは愚かしくも従順であれ。素直にもらっておいた方がいい」

 

あたしは無言のままに宝箱を再び開ける。【負け犬のイヌぐるみ】を投げ捨て、底を探る。たしかに、箱の隅にはキメラのつばさがひとつ隠してあった。

 

「……」

 

このまま乗せられていいのか?

 

疑問は尽きない。奴は何かを企んでいる。それは間違いないのだが、その先が読めない。とにかくこいつは喋りすぎだ。情報過多にして真意を悟られないようにしている。サル以上に姑息な奴……なのだが、考えてもわからない。時間だけが溶けてゆく。脳裏に浮かぶのは二百体のドラゴン、それに囲われた城……あたしの愛するたったひとつの場所。

 

「……礼は言わないわよ」

 

ベリアルはゆっくりとうなづいた。「もとより求めていない。勇猛にして聡明なるムーンブルク王女、会えて光栄だった。良き死を。貴女の魂が安らかであらんことを」

 

「……ギュウモツ煮込みは二度と食べない。あんたを思い出すから」

 

ベリアルは小さく一度だけ『フンッ』と鼻を鳴らした。

 

より力を込めた目線で一瞬だけ睨み、プイと横を向いてからキメラのつばさを宙へ放った。ムーンブルク城の中庭へ。

 

解放されるルーラ。降り注ぐ淡い光に全身が包まれた、次の刹那である。

 

視界の隅にて違和感が奔る。

 

全身の色を投げ捨てるように、ベリアルはその巨体を周囲へ溶け込ませた。

 

「!」

 

レムオル……しまった! と気付いた処で後の祭り。もう身体はふわりと浮いている。

 

これが狙い……屈辱に奥歯を軋むほどに噛むが、すでにそこはもう見慣れた中庭であり、あたしはストンと着地していた。

 

 

 

 

 

※

 

 

 

 

「クソがぁぁぁあ!」

 

周囲に怒声を振りまく。しかし、気配はもうない。

 

「出て来い、ウシぃ! てめぇぇぇえええ!!」

 

叫んだところで出てくる訳もなく、あたしは失意と怒りに震えるしかなかった。

 

同行。

 

むざむざと魔物の幹部を城内へと導いてしまった。大失態どころではない。

 

……のだが、頭が少し冷えてくると同時、不可解な点も滲んで来た。

 

城の中に用があるとしても……ではあたしがイヌになる事を了承していたらどうするつもりだったのか?……宝箱に入っていたのは【負け犬のイヌぐるみ】と【キメラのつばさ】……『選択肢は二つ』だと言ったベリアル……宝箱の中身は『イヌになる⇒ YES / NO 』に対応しており、どちらを選んでも準備していたシナリオがあったという事だ……では忍び込める可能性が半々だったのなら、城への執着もそれにならう、という事になりはしないか?……

 

「……何が目的なんだ?……あいつ……」

 

サルのサル知恵にもさんざん振り回されたが、ベリアルの腹芸にも不愉快さを極めるほどに困惑させられ、迷わされている。が、奴を見失っている以上、考察は後回しである。状況を再度確認。

 

中庭に人の気配はなかった。彼方にて魔物の雄叫びを含む騒音が城をぐるりと取り囲んでいる風ではあるが、まだ城内への侵入は防げている模様だ。

 

ならばベリアルの行動は一択、大手門の開門、閂(かんぬき)の破棄だ。軍勢を城内へ導きこうとするはず。

 

門へ。そう身体が反応仕掛けて……踏み出した一歩が止まる。

 

……そうか?……本当にそうか?……ベリアルとサルは別行動だったじゃないか……目的が異なるのならば……

 

「違う!」

 

あたしは腰をひねって半回転、門とは真逆の方向へと走り出した。

 

ベリアルはパズズを出し抜こうとしている。だったら現状維持だ。そう考えるはず。

 

今宵、何度も煮え湯を飲まされた。もうごめんである。好き勝手にはさせない。

 

玉座へ。ベリアルは必ず追ってくる。目的は王だ。言っていた何とかの杖がムーンブルクに有ると踏んでいるのだろう。いいだろう、案内してやる。毒を喰らわば皿までも。

 

あたしは持てる体力を振り絞り、中庭を疾風のごとくに駆けた。

 

 

 

 

 

※

 

 

城内を進む。

 

こちらにも人の気配はない。開け放たれた備品庫の扉、廊下の隅に投げ出された歪んだ鉄の盾、随所に散らばる千切れたやくそうの欠片など、騒然としていたのが手に取るようにわかる殺伐さ。察するに戦闘員は城外にて迎撃、非戦闘員はすでに国外へ移動……真偽は定かではないが、籠城戦はすでに終盤だという事だ。劣勢なのは言われなくともわかる。

 

……ウグイスちゃんとヘタレシスターは脱出しただろうか……鬼畜神父とエロばばあは……無事を願うしかない。

 

長い廊下を直角に何度か曲がり、あたしはようやく謁見の間へとたどり着く。常駐の衛士の姿はなく、大扉も全開となっていた。

 

大広間へと踏み入る。広々とした室内に人影はなく、ただ空間だけをもてあそんでいた。

 

と、思われたのだが、上座にひっそりと気配があった。一段高い位置に玉座が有り、それに腰を下ろす人物と、その傍らに立つ人物。王のみに許されたその豪華な装飾の椅子には、専用の真紅のローブをまとい、背筋を丸めて父が座っていた。

 

横に立つ騎士はアールグレイ卿だった……本物だろう。絵に描いたような満身創痍。鋼の鎧は傷だらけで、盾も無く、右手で抜き身の片手剣をだらりと下げていた。

 

そんな二人と目が合う。

 

「……ん?……おう……」

 

父の目が丸くなった。「トンヌラか」

 

そして表情が柔らかく緩む。

 

アールグレイ卿はどこか険しい顔付きで、何も言わずにただあたしを見ていた。

 

父が続ける。「無事だったか。そうか、良かった」

 

「……よくはない」

 

眉間にシワが寄っているのを自覚しながら、あたしはズカズカと玉座へと歩み寄った。

 

「なんだ、あのプランBってのは? ふざくんな!」

 

「ん……なんの話?」

 

そこへアールグレイ卿が割って入る。「姫さーま、それは違うなり」

 

父は卿へ顔を向けた。「何か知っとるん?」

 

「御意」

 

短く答え、自称ロマンスグレイの長髪を揺らしながら(※白髪である)ハッスル騎士団長は玉座の側を離れた。あたしに近づく。

 

「姫さーま、プランBはヤタガラス先生の発案です。私も賛同し、喜んでコピーに応じましたが、陛下には一切合切内緒でした」

 

……師匠の決断だったのか……また震えそうになるココロを押さえつけ、そのままアールグレイ卿の目の前まで進む。

 

吐息がわかるほどの距離まで近づいてから「通して下さい」と、卿をやり過ごす。

 

そのすれ違いざま、可能な限り声を下げ、早口で告げた。「幹部、レムオル、ここに来ます」

 

無言のまま、騎士団長はその場に立ち止まった。

 

あたしは国王の前へ。

 

父はにんまりと笑った。「もちょっと近う寄れ。顔をよく見せてくんろ」

 

言われるままに顔を寄せると、父は「うんうん」とうなづいた。

 

「ヤタガラス先生、何かやっとったんか?……まぁ、ええわ。あの方の事だから、お前のためやったんやろ。聞かんでもわかるわ」

 

何も答えられない。プランBがあたしを想っての事だったのは間違いないし、それを台無しにしたのもあたしだ。

 

言い淀んでいると、父はかなり深いため息をこぼした。

 

「……みんなに逃げろ言うたんやがなぁ、騎士やら魔道士やら何百人も残りおったわ。みーんな王さまの命令ガン無視なんよ。笑けるやろ?」

 

「……オヤジは? 逃げないの?」

 

聞きはしたけれど、さすがにこの答えは想像通りだった。父王は首を横に降る。

 

「ホイホイ逃げる訳いかんやろ。こう見えて王さまなんよ」

 

そして皮肉っぽい微笑をその頬に刻んだ。「ロトの末裔でもあるしな」

 

その時である。

 

「姫さーま」

 

扉の方を見つめながら、離れた位置にいるアールグレイ卿があたしを呼んだ。

 

「来ました」

 

明け放たれた両開きの扉。その形に切り取られた空間。もちろんそこには誰もいないのだが、ただならぬ気配がたたずんでいた。

 

「レムオルを解きなさいよ。もう意味ねぇ事すんなや」

 

そう焚きつけるやいなや、空間がぐにゃりと歪んで、魔物は色を取り戻した。

 

黄金の肌を持つ大柄の悪魔。ハーゴン軍の、恐らくは幹部の中でも高位に座するであろうベリアル。大雪原での接触時と変わらずに、感情を放棄したような面構えをしていた。

 

「使えない呪文だとか何とかさんざんレムオルの事こき下ろしていたくせに、かなり重宝してるやん」

 

精一杯の嫌味のつもりだったが、悪魔の方が一枚上手だった。

 

「おかげで何とか想定内には収まったようだ。ありがとう王女。右往左往したが、つまらなくも有意義な一日だった」

 

あたしは憤慨する。「こっちは迷惑千万だべさ。このツケはあんたにつけていいの? サル? それともハーゴンのハゲ頭?」

 

「まさか」と、悪魔は即答だった。「貴女が噂通りのじゃじゃ馬だったから、シナリオ分岐を二択に抑えられた。王女、ツケは貴女に。自業自得だ」

 

一瞬で頭に血が昇るが、視界を遮るようにアールグレイ卿の背中が動いた。

 

「魔物、御前である。慎め」

 

するとベリアルは背筋を伸ばし、姿勢を正して見せるのである。

 

「お目もじ叶いましたこと、誠に恐悦至極、ムーンブルク国王陛下。私はベリアル。大神官ハーゴンの狗(イヌ)だ」

 

父王は素直にうなづいた。

 

「あ、そう……ん、犬なん? 牛ちゃうん?」

 

が、あたしが目を奪われたのは、奴が左腕で小脇に抱えている品物だった。【負け犬のイヌぐるみ】。

 

あの一瞬のやり取りの中、わざわざ回収して来たというのか。

 

……そこまでする訳って……

 

理由はもちろん不明のままだが、ひとつの疑問はゆるゆると解けた。

 

『イヌになる⇒ YES / NO 』の答え。

 

断固としてイエス。そういう事なのだ。あたしのイヌ化こそが、ベリアルの主目的だった。

 

……そこまでこだわる意味って……

 

と、そんなあたしの視線に気付いたのか、ベリアルは「うむ」と微かにうなづいた。

 

「その疑問は真っ当至極、答えはサマルトリアのハーツクライ殿下に尋ねるが良かろう。おそらく彼は、その身をもって理解している数少ない存在だ」

 

まさか、ここでうどん王子の名が挙げるとは。どういう繋がりなのか、皆目見当もつかない。

 

妹がまあまあブス以外にも、伏せておかねばならない事情があるのか……

 

呆然とするあたしを尻目に、悪魔は再び父王へと視線を戻し、淡々と話を進めた。

 

「さて、戦局はもはや最終盤、勝敗はすでに決している。もはや抵抗は無意味なのだが、それでも引けない理由が有るのもわかる。それを踏まえての提案である。こちらの条件を飲めば、王女の命だけは助けると保障しよう」

 

ベリアルは【負け犬のイヌぐるみ】を、バサリと床上へ放った。

 

「呪いの品である。こいつで王女をイヌにしろ。実父の言葉なら、このおてんば姫も耳を貸すのではないのか」

 

「ウシがぁぁぁああ!」

 

憤怒のままに絶叫するあたし。

 

同時、アールグレイ卿の姿が掻き消えた。

 

刹那でベリアルの目の前へ。が、悪魔は騎士団長の剣を右手の槍で凌(しの)いでいた。

 

「ぬ!」

 

すかさず爆炎が膨らむ。ベリアルのイオナズン。無詠唱。範囲が広い。広間の半分が飲み込まれ、爆風は遠慮なく玉座まで届いた。

 

あ、と思ったのも束の間、あたしの前に影が立ちふさがる。父だった。「下がっとれ」

 

断固として拒否。下がれるものか。あたしは父王の横に並び立った。

 

晴れない煙と舞う粉塵の最中、アールグレイ卿とベリアルの、剣と三叉の槍による火花散る攻防が続く。

 

父王がぽつりと漏らした。

 

「あのウシちゃん、相当の手練れやな」

 

「わかるの?」

 

「ああ」と父は珍しく素の表情で答えた。「アールグレイ卿の疾風突きを躱(かわ)す奴なんて、ここ二十年で初めて見たわ」

 

「だったら!」

 

あたしは早口のまま、畳み掛けるように続けた。訴えるように。

 

「オヤジ、バギクロス出来るやん! バイキルトもベホマも有ったよね? 卿を助けないと!」

 

「そやな……」

 

と、少しだけ妙な間を取ってから、父は不意にこちらの方へ向き直った。右腕を伸ばし、あたしの顔をペタペタと触る。

 

「ちょ……え? なに?」

 

戸惑うあたしだったが父王は構わず、優しく何度も頬をさすられた。

 

「トンヌラ……察するにお前、ここへ来る前にウシちゃんと接触しとるな? 何を話した?」

 

「え……同じような事だよ。あたしがイヌになるのなら、オヤジの命だけは助けてやるって」

 

「……そうか……」

 

そして父は微笑んだ。心から。満足げに。ゆっくりと開いた左手を持ち上げ、あたしの前にかざした。

 

「……あのな、わし、実はこっちの呪文の方が得意なんよね」

 

「!」

 

ズン……という感じに身体が重くなる。錯覚ではない。背筋にも腰にも力が入らない。抜けてゆく。

 

やがて意識が濁り始める。膜が張られるように。睡気……ラリホーだ……

 

「な……ちょっ……」

 

もはや言葉もつむげない。視覚も怪しくなる。薄っすらと閉ざされるよに、段々と視界が狭まっていった。辛うじて機能している聴覚が、父の声を拾った。

 

「……娘を助けてくれるのなら、そりゃ悪魔にも魂を売るわさ……そういうもんよ、親なんてのはな……よかろうもん」

 

「……ちが……違う……それは……」

 

「……かあさんとも約束したんよ……どんな犠牲を払っても……トンヌラだけは守るってな……」

 

「……オヤ……」

 

あたしの意識は、そこでプツンと絶たれた。

 

 

 

 

 

※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……

 

……明るい……昼間のようだ……

 

……視線が低い。

 

どうやら草原の中らしいのだが、あたしを取り囲む雑草たちの背がとても高いのである。

 

あ……寝っ転がっているからだ……と、上半身を起こすも、やはり目の高さに強烈な違和感。

 

なんなん?……これは……と、左右を見渡し、次に両手を見た。

 

毛むくじゃらの前脚。

 

手のひらを返す。肉球。

 

「…………」

 

……マヌーサ? いや、メダパニか?

 

あれ?……そうそう、確か直前まで戦闘中だった。あたし自身が戦っていた訳ではないが……剣を振っていたのは……

 

『あっ!』

 

と、自分では叫んだつもりだったのである。しかし、声として発せられたのは「ギャワン!」だった。

 

慌てて立ち上がる。四つん這い。くるりと背後を振り返れば、同じく毛で覆われた後ろ脚と尻尾が見えた。

 

小川! 水面! なんか、全身が映るところ! 顔! 顔を見たい! 見なければ! 全速で駆け出した。

 

尋常ではない加速。認識している速度をあっさり上回る。当然である。脚は四本なのだから。

 

矢の速さで草むらを抜け出た。

 

なだらかな丘陵地帯。遠方に町が見える。ムーンペタ。間違いない。町の近辺には小川が流れていたはず。そこまで行けばいいのだけれど……

 

速度を落とし、やがてあたしは立ち止まった。ペタリと座り込む。もういい。わかった。

 

イヌだ。イヌになっている。そういう事だ。

 

ベリアルはシナリオを完遂した。悪魔は目的を果たした。

 

「……」

 

言葉が出ない。

 

いや、イヌになっているからではなく、絶望と屈辱からである。

 

王家なのに、勇者の血筋なのに、あたしは国も民も守れなかった。その上でイヌにさせられ、ひとり生かされている。

 

……オヤジとアールグレイ卿はどうなっただろう……あたしがイヌとして城外にいるという事実がすべてを物語っている……のだが、奇跡を願った。二人はあの状況を何とか切り抜けた。絶対そうだ。そうに決まっている……

 

血がにじむほど、ギリギリと犬歯を噛んだ。

 

母国ムーンブルクは魔物の手に落ちた。上等だ……あのウシとサルとクソハゲ、必ず、絶対にブチ殺す。このままで済ますものか……

 

 

ムーンペタに二日間留まれば、筋肉王子御一行が訪れるので彼等と合流、なんたらーのカガミでイヌの呪いは解除される……と。

 

これもベリアルの筋書きなのだが、今は乗るしかない。悪魔の意図している事はまったく想像もつかないが、やむを得ない。まずは呪いをどうにかしないと。

 

筋肉ダルマとうどん王子には結構な借りが出来てしまい、まったく愉快ではないが仕方ない。何もかもすべてあたしが弱いからだ。あたしが悪い。

 

ゆっくりと立ち上がり、ヨロヨロと歩き出す。

 

ムーンペタへ。

 

 

※

 

ほどよく整備された街道をとぼとぼと進む。

 

平原のずっと先まで見通せる往来に人の影は少なく、たまに旅人とすれ違うがチラリと見られる程度で済んだ。ただの野良イヌなのだから、まぁそれはそうである。一度だけキャラバン隊の子供に抱き上げられて焦ったが、頭を優しく撫でられ「ばいばい」と離してくれた。胸中複雑な思いで彼らを見送っていると、ふと、ある考えにたどりつく。呪文詠唱の可否についてである。

 

人語は聞き分けられるのだが、喋れない。ワンワンキャンキャンとしか発声出来ないのならば、呪文はどうなるのか。

 

念の為に道から外れ、草むらに身を隠す。気を失っている間に魔力は八割程度回復していたので、詠唱を試みる。結果、無理だと判明した。効果が結実しない。イヌ語では申請が通らないようだ。ただ、魔物は彼等の言語で呪文を操っているので、とどのつまりは習熟度、慣れなのだと思う。

 

だからなのか、なんと無詠唱では発現したのである。ベギラマとベホイミ、あとバギとメデテーナ(四葉のクローバーを見つけた)。この四種だけ使用出来た(ギラとホイミは省略)。苦手意識がかなり干渉するようで、ヒャドはまったく駄目だった。やや心許ないが仕方ない。二日間だけなら特に不自由はしないだろう。戦闘に巻き込まれはしない筈である。あたしは街道に戻った。

 

違和感を覚えたのは、その直後である。

 

最初は錯覚かとも思ったが、どうにも違う。被マホトラほどではないにせよ、小さな穴が開いていて、そこからポタリポタリと魔力がこぼれ落ちているような……そんな感触の悪さである。

 

……なんだべさ?……これは……

 

少し考え、仮説をひねり出した。

 

ようするに【質量差の呪い】である。イヌになった事で、モシャスと同様の症状が出ているのだ。全身をお座敷イヌ程度にまで圧縮されている分、常に体力を削られ、それを補うために魔力を消費しているという事らしい。それでも負荷は蓄積され、身体への影響は計り知れない。ネコ師匠が吐血していたのは、つまりそういう理由なのでは……あまり思い出したくはなかったので、ブルブルと頭を振って蘇りかけた映像を払った。

 

あまり長時間イヌでいる事は避けるべきなのだろう。二日間が限度なのかもしれない。モシャスが廃れた訳を、あたしは身をもって理解した。

 

そうこうしていると、ようやくムーンペタの町並みがはっきりと見えてきた。

 

……お腹すいたなぁ……

 

国が滅んでも腹は減る。生きている証なのだと割り切り、前を向いた。

 

さて、どうしよう。寝床は建物の裏とか空き地の隅とかで何とかなるにしろ、食事はいかんともしがたい。まず喋れない。ゴールドが無い。身元を証明出来ない。絵に描いたような無い無い尽くしの八方塞がりである。加えて前脚ではフォークもスプーンも使えない。文字通りのイヌ喰い……コレはちょっと出来ないかも……

 

肩を落としながら、あたしはムーンペタの町中へと入って行った。

 

 

※

 

 

行き交う人々で町は活況だった。ムーンブルクの悲報はまだ巷間には伝わっていない感じか。

 

町の中央にいるのは抵抗がある。建物の影に身を隠し、筋肉王子たちが訪れるのを待つとしよう……そう思った矢先である。

 

脇腹の辺りを背後からヒョイっとつかまれ、そのまま持ち上げられる。

 

あわてて振り返れば、相手は見た顔だった。正確には見た事のある覆面。

 

「んー、どこから来たんだぁ、ワン公」

 

緑色の目抜き覆面とマントにパンツ。それ以外は身に着けず、筋肉隆々の裸。変態親分ことキンダタだった。

 

「見慣れない顔だな、お前……ん?」

 

露出気味の性癖はそのままのようだが、声自体はとても優しく穏やかだった。

 

……あ、町に居場所見つけられたんだ。良かったやん、おやぶん……

 

そんな安堵からか、あたしの腹の虫がキュルルンと鳴ってしまう。

 

「なんだ、腹へってんのか?」と親分は目許で笑い、そっと下ろしてくれた。次にパンツをゴソゴソと探り、干し肉の欠片を取り出した。「ほら。食べな」

 

……いや、どこから出してんのよ、それ……

 

後ずさるあたし。遠慮すんなってとか何とか、食い下がるおやぶん。

 

静かなにらみ合いはそこそこ続き、結局あたしが全力でおやぶんの手を噛むことで幕切れとなったのである。

 

 

 

 

 

「ぎゃあああぁぁぁぁ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【ベギラマお嬢 血風録】

 

 

 了。

 

 

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