ギフト『全知全能』 絆の系譜 ―神獣と精霊の祝福― 作:煌人
地下七十階層、ノーライフキングが支配していた古代神殿の入り口。
死の王の気配が霧散したその場所は、今や月光が振り注ぐ静かな夜の砂漠へと繋がっていた。
俺は神殿の巨大な門の前に立ち、右手を軽く掲げる。
「氷結魔術――『クリスタル・ドーム』」
パキパキと音を立て、視界を遮らないほど極限まで透明度を高めた薄い氷の壁が、周囲五百メートルを包み込む。
外では絶え間なく吹き荒れる砂嵐が氷の壁に当たり、さらさらと流れて落ちていく。
その内側には、外の灼熱が嘘のような涼やかな風が吹き、俺たちの移動要塞『パレス』がその優雅な姿を現していた。
「あぁ……やっと一息つけるわね。あの骸骨の王様、意外としぶとかったし」
アルシェラが、雷花文様和装の打掛を脱ぎ、寝巻き用の黒い小袖に着替えてリビングから出てきた。
褐色肌の彼女の肩には、雷の精霊ライラが心地よさそうに羽織っている。
「がはは! だがこれで最終階層も完全攻略だ。今日は盛大に祝杯をあげようぜ、ヨシテル!」
バルトが土の精霊グラディと共に、パントリーからキンキンに冷えた酒瓶を抱えてやってくる。
「旦那様、見てんしゃい! パントリーからバリすごかお肉が出てきたばい! 今日はこれば焼くとね?」
カグヤが白と椿の小袖を揺らしながら、サシの入った最高級の肉を高く掲げた。
「ああ、今日も贅沢にいこう。砂漠の月を見ながらBBQだ」
俺たちはパレスの入り口前にテーブルと椅子を並べ、バーベキューコンロに魔力で火を灯した。
氷の壁越しに見える空には、ダンジョンの天井に開けた大穴から、本物の月光が砂漠へと降り注いでいる。
黄金に輝く砂丘が青白い光に照らされ、幻想的な風景を作り出していた。
「なのです! お肉なのです! 早く焼くのです!」
リフィが空中で跳ね回り、カエルムたちフェンリル親子も、自分の属性刺繍が入った大型クッションの上で、肉が焼ける香りに鼻をひくつかせている。
ジューッという心地よい音と共に、脂の甘い香りが立ち昇る。
俺はジョッキにビールを注ぎ、仲間たちへ手渡した。
「よし、最終階層突破と……俺たちの新しい装備に。乾杯」
「「「「「乾杯!!!」」」」」
喉を鳴らしてビールを流し込む。この瞬間のために生きていると言っても過言ではない。
イシュタルは赤い百合の小袖の袖をまくり、手際よく肉を焼きながら大阪弁で笑う。
「ほんま、ヨシテルの作るもんは食いもんから服まで全部反則やわ。アトランティアに来てまだ数カ月や言うのに、あんた一体何者なん?」
その言葉に、皆の視線が俺に集まった。
夜風が氷の壁に守られた空間を優しく吹き抜け、焚き火の爆ぜる音だけが響く。
「……何者、か。俺はただの日本人だよ。こっちに来る前は、日本っていう国の大学に通いながら、生活費を稼ぐためにバイトに明け暮れる……どこにでもいる学生だったんだ」
「ダイガク? バイト?」
アルシェラが不思議そうに首をかしげる。
彼女たち召喚されたメンバーにとって、俺の故郷の概念は未知のものだ。
「大学は、魔法はないけど学問を学ぶための大きな学校みたいなものだ。バイトは……そうだな、他人の仕事を手伝って報酬をもらう、臨時の仕事のことだ。俺はコンビニっていう、一日中開いている店で品物を並べたり、レジを打ったりしていた」
「ヨシテルが、店番……? 想像できへんわぁ。あんな神速の剣振るう人が、大人しく店番してたん?」
イシュタルがクスクスと笑う。
「ああ。毎日決まった時間に起きて、電車っていう鉄の箱に揺られて学校へ行き、夜まで働いて、帰って寝る。そこには魔物もいなけりゃ、命のやり取りもなかった。空は青くて、夜になれば街中が電気の光で溢れている。……そんな、退屈で平和な世界だ」
俺は遠く、氷の壁の向こうに見える青い月を見つめた。
この世界に来てから、まだ数カ月。
だが、あの平穏な日々が、まるで何千年も前の出来事のように感じられる。
「旦那様は、その……ニホンに帰りたかとは?」
カグヤが少し不安そうに、俺の小袖の袖をそっと掴んだ。
「……どうだろうな。あっちには家族も友達もいた。でも、あっちにいた頃の俺は、今の俺みたいに『生きてる』っていう実感が薄かった気がするんだ。……何より、あっちにはお前たちがいないからな」
俺が笑ってそう言うと、カグヤはパッと表情を明るくして
「アタシも、旦那様がおらんならどこにも行きたくなか!」と抱きついてきた。
「俺もそうさ。アレス、お前はどうだ?」
バルトが酒を煽りながらアレスに振る。
「……僕は、前の世界では影の中でしか生きられなかった。でも、ここでは君たちという家族がいる。ヨシテル、君の故郷の話は興味深いけれど……今のこの生活が、僕は一番気に入っているよ」
アレスは焚き火の光を受けながら穏やかに微笑んだ。
「そうね。私たち、みんな故郷がない者同士。でも、ヨシテルが私たちを呼び寄せて、こうして名前と場所をくれた」
アルシェラが美しい褐色肌を月光に晒しながら、優しく俺を見つめる。
「……重い話になっちまったな。ほら、肉が焼けたぞ。最高級の和牛だ」
俺は焼き上がった肉を皆の皿に分けた。
パントリーの魔法で完璧な状態で保存された肉は、口の中でとろけるような甘みを放つ。
「旨ぁーい! ほんま、この肉があれば何もいらんわ!」
イシュタルが幸せそうに頬を膨らませる。
「旦那様、アタシ、旦那様の世界のお話ばもっと聞きたいたい! 『デンシャ』とか『コンビニ』とか、バリ面白そうやもん!」
「いいぞ。一晩じゃ語りきれないくらいあるからな」
月は高く昇り、砂漠の静寂を青く染めていく。
透明な氷の壁の中、黄金の砂の上に展開された『パレス』からは、絶えることのない笑い声と、家族の温かな魔力が漏れ出していた。
俺はビールを飲み干し、横たわって大穴の向こうの星空を見上げた。
地球にいた頃の自分が見たら、今の状況を信じるだろうか。
神話級の武器を作り、絶世の美女たちや豪快な仲間、それから神獣たちに囲まれて、ダンジョンの底でBBQをしている自分を。
「……本当に悪くないな」
俺は小さく呟き、隣で楽しそうにしゃべる仲間たちの声を聞きながら、心地よい酔いの中に身を委ねた。
最終階層までの道のりは険しかったが、本当の旅は、きっとここから始まるのだ。
俺は明日、この砂漠のどこかに眠るという「一万年前の真実」を求めて進む決意を、静かに固めていた。