僕のヒーローアカデミア 空拳ヒーロー エアーマン 作:ダレ狐
職場体験 4日目 奥穂高岳 3000m付近
拘束されたはずの泥水の体が、不自然に脈打った。
心操の捕縛布で拘束された際の衝撃で、洗脳が解かれていた。
捕縛布の隙間から、どろりとした液体が滲み出る。
それは血でも汗でもない。
粘度を持った泥水そのものだった。
「……何だ……?」
次の瞬間、泥水は首を無理やり動かし、個性の泥水でポケットをまさぐった。
取り出されたのは、もう一本の注射器。
「やめろ……!」
マウンテンベアが踏み出すより早く、泥水はそれを自らの首筋へ突き刺した。
注射器の中身が、一気に流れ込む。
泥水の喉から、言葉にならない声が漏れた。
皮膚が波打つ。
骨格が崩れる。
肉体の輪郭が、曖昧になっていく。
やがてそこに立っていたのは、人間ではなかった。
全身が泥で形作られたような、不完全な人型。
目の位置にある空洞から、濁った水が滴り落ちていた。
「……過剰摂取……!」
誰かが呟いた。
泥水は、ゆっくりと首を傾ける。
次の瞬間——
身体が弾けた。
泥が爆ぜ、捕縛布を引き裂きながら四散する。
そのまま地面を滑るように移動し、岩肌を伝い、山頂方向へと流れていった。
「クソ……!」
マウンテンベアが舌打ちする。
一瞬だけ、空を見上げた。
降り続く雨。
緩み始めている地盤。
最悪の条件が、揃いつつあった。
「交野! 大学生達を退避させろ! 最悪を想定する!」
「了解!」
交野は迷わなかった。
次々と大学生に触れ、拍手を打つ。
次の瞬間、大学生達の姿が消える。
小根達の足元——
あらかじめ触れていた石と、瞬時に入れ替わった。
その頃。
心操は、歯を食いしばっていた。
(もう一度……)
個性を使う。
そう決めて、一歩踏み出した瞬間。
地面が、唸った。
泥水が、山肌から噴き出す。
まるで土砂崩れそのもののように。
「下がれ!」
マウンテンベアが地面を叩いた。
直後、隆起した岩塊がせり上がる。
巨大な壁のように、心操と大学生達の前へ立ちはだかった。
泥の濁流が、岩に叩きつけられる。
衝撃が、骨に響く。
「……チッ……!」
岩の向こうで、泥水が咆哮のような音を上げる。
標的を失った泥は、次第に制御を失っていく。
地面を削り、岩を砕き、周囲へと広がっていった。
このままでは——
本当に、山が崩れる。
泥の奔流が、岩壁を削り続けていた。
衝撃の振動が、足元から伝わってくる。
「……まだ、止まらねぇのか……」
マウンテンベアが低く唸る。
泥水はもはや狙いを定めていない。
ただ、周囲すべてを呑み込むように、泥を噴き出し続けていた。
このままでは、本当に山肌ごと崩れる。
その時だった。
上空から——
風を裂くような音が降りてきた。
「……何だ……?」
心操が顔を上げる。
次の瞬間、巨大な影が三つ、雨雲の下を滑るように降下してきた。
それは——鷲だった。
だが、生き物の動きではない。
不自然な羽ばたきでこちらに向かって来た。
「……鷲? あれはログハウスで見た剥製の鷲……?」
交野が息を呑む。
ログハウスに飾られていた、鷲の剥製。
それが三体、空中を滑空していた。
その背に——
「お待たせ〜」
九十九が、マウンテンベア達に呼びかけた。
彼女の個性——付喪。
無機物を動物のように動かせる個性。
持続時間は、その物が大切に使われた時間に比例して長く動く。
その辺の石などを動かす場合、持続時間は最大3分。
「クソォォォォォ!!!」
泥水が九十九達に向けて、泥水を砲弾のように飛ばして攻撃を仕掛けた。
「おっと、今度は私が止める! ウォーターシールド!」
今度は白河が前に出て、周囲の雨を吸収しながら大きな水の盾を形成し、攻撃を防いだ。
「マウンテンベア!」
火種が飛び降りて、マウンテンベアの近くに寄った。
「マウンテンベア、小根君からの伝言です。僕のヒートチャージガンのリミッターの解除の許可をしてください!」
「火種、こんな時に何を?」
「白河さんの個性でヴィランの攻撃を防ぐことは出来ても、水の攻撃は向こうの力を増大させるだけです!」
「なるほど、火種君のサポートアイテムなら、あの泥水だけ吹き飛ばすことが出来る……」
「だが、実践はまだ無いんだろ? こんな不安定な足場に、この3000mの高さ、この悪天候だぞ?」
「だからです! 通常なら危険の可能性がありますけど、雨の中で向こうの水系の個性なら威力が半減します!!」
「なるほど、少なくとも山火事のリスクは減るのか……」
心操の意見を聞いて、マウンテンベアは考えていた。
このままでは土砂崩れの危険がある。
そうなれば被害は尋常ではない……そして、彼等の連携を見て……可能性にかけようと覚悟を決めた。
「わかった。但し、泥の攻撃のみだからな」
【プロヒーロー マウンテンベアによる、ヒートチャージガンのリミッター解除承認】
火種の腰に装着しているヒートチャージガンのホルスターがロックを解除し、火種は銃を取り出して構えた。
「交野さん、鷹野さんを入れ替えで呼んでもらえますか?」
「鷹野さんを? わかったわ!」
「交野、俺と鷹野を入れ替えろ!」
「了解!!」
交野は急いで心操に触れ、拍手をして個性を発動し、鷹野を入れ替えで登場させた。
「って、いきなりだな!」
「鷹野さん! すみません、ターゲットのタイミングを僕に教えてください!!」
「そういうことか……わかった。火種、私が後ろから指示してやる!!」
「おい、交野。火種は何故、鷹野を呼び出したんだ?」
「恐らく、鷹野さんの【鷹の目】でターゲットを狙うのでしょう。確か鷹野さんは、陸自のお父さんに格闘技と銃の扱いを教わっていて、クレー射撃のジュニア部門で全国大会3位って聞きました」
「そんなに凄いのか……」
「火種、どこを狙いたいんだ?」
「あの泥人形は直撃は避けたい。リミッター解除した火力なら、足元に当てるだけでも一瞬で蒸発させられるはずです!!」
「わかったよ!」
「おのれぇぇ!!」
「させないよ!!」
泥水が火種達を狙ったが、白河が再び水の防御壁を形成した。
そして、その水をわざと泥水の足元に向けて攻撃した。
その瞬間、泥水の足元はさらにぬかるんだ。
だが、過度に膨張し、動きが緩まった。
「火種さん、相手の足元に、私の個性が展開しているところを狙って!」
「今だ、火種!」
「当たれ! バースト・ショット!!」
バァァァァン!!
ヒートチャージガンから大きな炎弾が放たれ、
泥水の身体が、ひび割れた陶器のように軋み始めていた。
ヒートチャージガンの炸裂によって、周囲の水分は一瞬で蒸発し、泥水の身体は乾燥しきった泥塊へと変わっていく。
剥がれ落ちる泥の破片が、雨に打たれて地面へと崩れていった。
「クソォォォォォ!!!」
泥水が、怒号と共に腕を振り上げる。
空中の水分を強引に集め、泥を再構築しようとする。
だが——
さっきまでの勢いはない。
「マウンテンベア!!」
「ナイスアシストだ!!」
マウンテンベアは一気にヴィランの元に駆け付け、個性を迎撃しようとしたが——
「ガァァァァァァァ!!」
「!?」
野生動物特有の咆哮によって萎縮して動けなくなった瞬間、マウンテンベアはヴィランの腕を掴み、そのまま怪我をさせないよう注意を払いながら背負い投げを決めた。
編入組の生徒達は、マウンテンベアが俊敏に動きながらもヴィランに対して細心の注意を払って拘束する姿を見ていた。
彼等は、プロとの実力差を改めて感じていた。
数時間後
山の麓付近には、すでに数台のパトカーと救急車が到着していた。
回転灯の赤が、雨粒の中で滲むように揺れている。
拘束された泥水は、特殊拘束具と抑制装置を重ねられ、複数の警官とヒーロー補助員に囲まれていた。
過剰摂取したトリガーの影響はまだ残っているのか、泥の表層が時折、呼吸するように脈打っている。
「対象、安定しています。ですが、薬物反応がまだ不安定です」
「分かった。搬送中も監視を続けろ」
淡々としたやり取り。
だが、その声の奥には、明確な緊張が混ざっていた。
山岳災害クラス。
一歩間違えれば、下流域まで被害が出ていた可能性がある。
少し離れた場所で、心操達は簡易テントの下に集められていた。
雨音が、布越しに鈍く響く。
「怪我の確認をします。順番に手を出してください」
救急隊員の声に、編入組の生徒達は素直に従った。
戦闘が終わったことで、ようやく指先の震えに気付く者もいる。
マウンテンベアは、警察官と向かい合って立っていた。
「今回の主戦闘は、あなた方ヒーロー側で間違いありませんね」
「ああ。だが、学生達の連携がなければ、被害はもっと広がっていた」
警察官は、小さく頷いた。
「トリガーの使用は確認されています。最低でも二本。
残りが流通している可能性もありますので、こちらでも追います」
「頼む」
短い会話。
だが、現場の重さを十分に物語っていた。
少しして、別の警官が近づく。
「学生の皆さんにも、簡単な状況確認をさせてください。
形式的なものですので、緊張しなくて大丈夫です」
その言葉に、何人かが小さく息を吐いた。
心操は、テントの外を見た。
パトカーの光。
担架。
拘束されたヴィラン。
——本当に、終わったんだ。
そう思った瞬間。
胸の奥に、遅れて重さが落ちてくる。
守れた。
止められた。
その事実だけが、静かに残っていた。
「……心操、大丈夫か」
マウンテンベアの低い声。
「はい」
短く答える。
だが、それだけで十分だった。
やがて、警察側の処理が一段落し、
現場はヒーロー側の管理へと移っていく。
雨は、まだ降り続いていた。
だが——
戦闘の気配だけは、確かに消えていた。
雄英高校 放課後 職員会議室 相澤視点
部活動の声だけが校舎の奥から微かに聞こえてくる。
その静けさとは対照的に、会議室の空気は重かった。
俺は壁にもたれたまま、ゆっくり目を開ける。
眠いわけじゃない。ただ、考えることが多すぎるだけだ。
机の上には、今日だけで三度目になる資料の束。
山岳区域でのヴィラン制圧報告。
警察からの正式記録。
そして——マスコミ対応報告。
「……では、現状を整理しましょう」
根津校長の穏やかな声が、静かに会議室に落ちる。
「砕条君の脳無の単独制圧事案。
そして、編入候補七名による山岳でのヴィラン拘束。
この二件が、想定以上に報道されています」
モニターには、昼のニュース映像が止まっていた。
若いヒーロー候補の活躍。
そんな見出しが、やけに大きく映っている。
俺は小さく息を吐いた。
……分かってはいた。
だが、ここまでとは思っていなかった。
「問題はマスコミの動きです」
一般科の担任が、疲れた声で言う。
「本日、校門前に報道陣が二十社以上。
一般科の生徒にまでインタビューを試みています」
「経営科も同様です」
別の教師が資料をめくる。
「“ヒーロー教育の裏側を知る生徒”として接触を受けています。
……正直、授業運営に支障が出始めています」
数人の教師が、無言で頷いた。
その顔色を見て、俺は視線を落とす。
……現場だけじゃない。
学校全体に、もう波が来ている。
「加えて…」
普通科の先生がバツの悪そうな顔をしていた。
「生徒の中に彼等編入希望の子に"嫉妬"と言うか…不平不満が目立つ様に」
沈黙が落ちる。
俺は顎に手を当てた。
元々、ヒーロー科以外から編入は余り快く思われてないのは知ってる。 体育祭の後だと尚更だ。 しかも、彼等編入組は、例年よりも多く そして活躍した。
しかし、それを面白くないと生徒の不平不満は当然でる。
雄英高校もヒーロー科のみで運営はしてない以上、他の科の先生や生徒に負担を強いる訳にはいかない。
もう、中途半端な立ち位置には置けない。
「……結論を出す必要がありますね」
根津校長が、ゆっくりと言う。
「本来、編入判断は期末まで観察予定でした。
ですが現状——」
一拍置く。
「予定を前倒しし、正式にヒーロー科所属とする。
その上で、学校として保護・管理する体制に移行するべきでしょう」
すぐに反対は出なかった。
……出せる空気でもない。
俺は目を閉じる。
実力は、もう証明してる。
現場で、生き残った。
守った。
連携も取れていた。
問題があるとすれば——
まだ学生だってことくらいだ。
「……俺は、賛成です」
静かに言う。
「もう“候補”のまま外に晒す方が危ない」
数秒遅れて、
ぽつ、ぽつと賛同の声が続いた。
やがて——
「では、決定としましょう」
根津校長が穏やかに締める。
「来週の月曜日。
1年生のヒーロー科のみ体育館で集会にて、正式発表とします。
……相澤君、準備の方をお願いしますね」
「了解です」
短く返す。
椅子が小さく軋む音。
会議は終わりに向かう。
俺は立ち上がりながら、天井を見た。
……忙しくなるな。
だが、それでいい。
あいつらが前に進むなら、
俺は教師として、前に立つだけだ。
職場体験を終えた翌週の月曜日 緑谷視点
「デク君、おはよう!」
「麗日さん、おはよう!」
僕達の怒涛の職場体験を終えた翌週の月曜日の朝。
教室に行く前に体育館に来るようにと、相澤先生から電話連絡が来て、皆で体育館に集まり、職場体験の出来事を話していた。
そんな中で……
『ダハハハハ! 爆豪、何だその頭は!?』
切島君と瀬呂君が爆笑していたのは、ツンツン頭のかっちゃんの髪型が、昔のサラリーマンとかのイメージで見る8:2ヘアーになっていたからだ。
「洗っても癖が付いて直らねぇーんだ! おい、笑うな!!」
「やってみろよ、8:2坊や!!」
「んだと!!」
かっちゃんの怒りが爆発して、髪型が元に戻った。
『戻った〜!』
先週の保須市の事件の激動から、日常に戻ったみたいで、
僕達は学生生活がまたスタートするんだと考えていた。
そんな時、校長先生が壇上に上がった。
「やぁ〜ヒーロー科1年生の諸君、職場体験お疲れ様!!
今日は急遽集会になったのは、君達に大事な話があったからさぁ〜」
周囲はザワついていた。
正直、保須市の事件の事だと思った。
でも、わざわざ集会にする事なのかな? ホームルームで話せそうなのに。
「君達は、職場体験での色んな事件の事だと思っているだろうけど、
勿論その事もあるけど、もっと重要な話があるのさ。
さぁ〜壇上に上がって」
根津校長に言われて、壇上の裏から現れたのは、砕条君と心操君を始めとした編入組の8人と、ヒーロー科担任のA組担当・相澤先生、B組担当の管赤先生だった。
「既に彼等の救助訓練で、君達は周知していると思うけど、
今回の職場体験先の担当プロヒーローからの評価が非常に好評だった事、
そして最近のヴィラン犯罪の活発化に伴い、当初の予定より早く、
彼等を本日からヒーロー科に在籍させる事を職員会議で決定しました」
『えぇぇぇぇぇ!!!』
前に相澤先生からは、砕条君でも二学期からの予定だと聞いていた。
あまりにも突然の決定に、ヒーロー科の皆は驚きを隠せなかった。
「おい、まだ校長の話の途中だ!」
相澤先生が抹消の個性を発動しながら睨み付け、全員が一瞬で静かになった。
「さて、クラス分けだけど——
A組は、交野環奈さん、砕条拳志さん、心操人使さん、鷹野目々さん。
B組は、小根鍊工斗さん、白河操さん、火種弾さん、九十九円子さん。
になります」
「砕条君、心操君、A組に来るんだ!!」
僕は、彼等との学生生活が凄く楽しみになった。
職場体験で見た、それぞれの覚悟。
プロヒーローの背中。
自分の未熟さ。
全部が、まだ胸の奥で熱を持って残っている。
でも——
これからは、同じヒーロー科の仲間として、同じ場所で前に進める。
きっと、また大変な事も起きる。
ヴィランも、事件も、きっとなくならない。
それでも。
それでも僕達は——
ヒーローになる為に、進み続けるんだ。
ここからが、本当のスタートだ。
これで職場体験編終わります。