ヴィーヤウトゥムノ伯国鉄獄覚書   作:松永闇斎

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逝き過ぎるということ ~恐怖!吸血女子短大生 VS 怪奇蛆虫爺~ (3)

(鉄獄へ向かえ。『冥王』を凌ぎ、『サーペントの瞳』を奪え)

 あの事故の夜に告げられた呪いの言葉が再び脳裏をよぎったときから、朱音の記憶の多くが、緩やかに蘇りつつあった。

 それはイオアンナの「介抱」──吸血による選択的な消去によって一時的に奪われたものであり、同時に、かつての朱音に狂気をもたらし、蝕み続けた忌まわしき精神の腫瘍でもあった。

 〈烙印者〉となっている朱音の精神は、恐るべき恒常性をもって、それらを修復してゆく。

 今度は絶望と錯乱を引き起こす悪腫としてではなく、良性を保ったもの──すなわち、痛ましいものなれど、ただ己に起こった、飲み込むべき「かつての事実」として。

 記憶が順に蘇る────

 

 ───────────────

 

「どこなの?ここ?」

 〈烙印者〉の呪いを受け、その効力が発動した直後、朱音が誰にともなく口にした第一声はそれだった。

 さもありなん。

 己が被った地球での交通事故と、その激痛の一時がまるで夢のように雲散霧消し、唐突に別の夜へと放り込まれたのだから。

 されど、その言葉に誰も答えてくれない。

 それもまた、さもありなん。

 ここは辺境の地──「サーペントの瞳」を使命とした〈烙印者〉の、すべての始まり。全く孤独なる道筋の開始点であるのだから。

「ねえ、ほんと、ここ……どこなのよ?私、事故にあったんじゃ?……あんな……なのに」

 もう一度、誰に問うでもなく問いかける。やはり返事は来なかった。

 ただ、あの時、己に何かを施した影が、脳裏に響く声で囁いた命令だけが、なぜかこびりついて離れなかった。

(鉄獄へ向かえ。『冥王』を凌ぎ、『サーペントの瞳』を奪え)

「何よ?『サーペントの瞳』って?何で、私がそんな物を奪うとか……手に入れるとかって何?……ちょっと、さっきの不審者!出て来なさいよ!私に何をしたの!?」

 普段から事なかれを望む自分でも耐え難い理不尽に対し、苛立ちまじりに声を荒げる。しかし、あの不審な影は、欠片として再び姿を現すことはなかった。

 朱音は、せめてもの手掛かりを求めてすがるように、周囲を見回した。

 西欧中世の装いに似た古い城塞都市、その門を思わせる前に、自分はいつしか立っていたらしい。

 周囲に人の影はない。そこが「辺境の地」の「外郭」と「内郭」を結ぶ門の一つであることは、後に知ることになるのだが、この時の朱音には到底理解できるはずもない。

 重ねて言えば、今は朱音がいた元の地球とほぼ同じ刻限の闇夜であり、人影は稀になることは必然であるのだが、それもまた、彼女に意識することはできない。

 つい先ほど、交通事故のショックを通じて、自分が人ならざる吸血鬼になっていること──その一環として、自身の眼が暗視の能力を持っていることなど、およそ思考の埒外にあって当然である。

 すなわちこの時の彼女は、自分が昼にいるのか夜にいるのか、どのような時刻にあるのかすら分からぬ心地にあった。

 夜にしては、あまりにも周囲の姿かたちが赤みを帯びつつもはっきりと見え、昼にしては、空に浮かぶ天体──故郷でいう月と星々にあたるもの──がいくつも奇妙に眩く瞬いて見える。いずれにも思えない。

「ねえ、なんなのよ……この空模様……誰か……教えてよ……」

 不安げに、泣きそうな声でか細く嘆き、呟いた。

 答えは来ない。いくら問いかけても、返事は来ない。

 あの交通事故で気を失ってから、ずっと悪夢を見ているだけなのではないか、という願望に満ちた考えにふと思い当たった。

 安直な発想で、己の頬をつねってみるが、痛みは明瞭である。

 そんな逃避は早々に諦めた。彼女の無意識は半端に現実を理解していた。

 事故の直前よりもはるかに鋭敏になった耳から、五月蠅いまでに聞こえて来る、夜間の様々な環境音。

 事故の折に擦り剥けて、ボロボロになったはずが、すっかりと事故前に復元されている外出着、春向けのコーデ。

 その薄着には本来耐えかねる程の辺境の地の寒気が、そうと感じられながらも、全く不快にも脅威にも感じられない、奇妙な肌加減。

 それら一切合切が、現実離れしているにもかかわらず、それでも確かな現実であると──認めざるを得ない。

 その無意識の自覚に押されてか、朱音は不承不承嘆くのをやめ、座り込んだ身を己の意志で立ち上がらせた。

 あの壮絶な事故の負傷の一切を感じなくなっているばかりか、恐ろしいほどに身が軽く感じられた。

 ふと、そんな違和感に押されて、試すように軽く両足だけをバネにして飛び上がった。

 その身は想定の倍以上──六十センチほども彼女の体を浮かせた。

 飛び降りた後の脚への衝撃の感触も、気味が悪い程に薄い。

 それらもまた「夢ではなく現実らしい」と、彼女の無意識は告げていた。

 だが、納得はいかない。その不安に、いよいよ怖気が走る。

「もう何が何だか……私……事故で死にかけていたんじゃないの? ねえ?」

 もう誰も答えないことが分かっていても、何かに問いかけずにはいられなかった。

 そして、依然変わることのない沈黙が、その孤独が、朱音を蝕む。

「誰か!ねえ!誰かあ!答えてよ!」

 怯え竦み、震えた声で叫びを上げる。

 もうそうするしかできなかった。

 思考は先ほどから益体もなく様々に散るばかりで、何もかもが分からない。なのに、この分からない状況が確かに現実であることだけは分かる。

 そんな何もかもが分からずじまいが故の恐慌に陥った彼女の知能は一時的に退行した。大きな赤子のように、ただ庇護を求めて喚き散らす他、何もできなくなっていた。

 やがて、数分ほどして──そんな彼女の叫びに応じるものが現れた。

 だがそれは、彼女の恐怖を慰める声でも、ましてや具体的な救済の手でもなく──ただ、急所を狙った後頭部への衝撃。

 いまだ与り知らぬ人外の身にも、脳震盪は起こる。彼女はそれをこの時初めて思い知らされた。

「ヴォエ!」

 意識こそ──不運なことに──即座に途切れることはなく、突然の物理的衝撃に地面を文字通り舐めさせられた朱音は、内から襲い来る吐き気にえづく。

 空腹こそ、緊張と不安も相まって感じていなかったが、己の胃は空であったらしい。わずかに胃液だけが逆流した。

 そして、そんな前後不覚に陥って倒れ伏した彼女に与えられたのは──さらなる殴打。

 朦朧とした感覚の中で、複数の声が聞こえる。いずれも野太い男の声だ。

「!!……!!……」

 何を言っているのかは全く分からない。

 どことなく欧州か中東の言語に聞こえる。しかし母語は日本語、会話も辛うじてできる程度に学んだ外国語と言えば地球の「中国語」と「現代ラテン語」しかない朱音には、まるで理解できなかった。

 ただ確かなのは、その語調の強さと、嗤い交じりの響きからして、間違いなく自分を侮辱し、罵る類のものであろうということだけ。

 倒れ伏したままでも、最初の一打に全く劣らない、ただただ容赦のない殴打が続く。

 頭にさらに何発もの棍棒が振り下ろされ、恐らく頭蓋骨は粉々に割られた。

 四肢の骨も、背骨も、数々の打擲のあいだに砕かれ、きっと無惨な姿を晒していることだろう。

 ──だろう、と他人事のような推測になっているのは、つまり、この時点で朱音の意識は今の肉体を離れていたためだ。

 頭蓋骨が割られ、脳髄に致命的な損傷が与えられるより前の段階。

 数度の激痛を伴う攻撃の時点で、医学的に朱音は既に死亡していた。

 死因は、苦痛のショックによる心臓麻痺。

 あの夜の事故と同じく、苦痛を浴びせられた瞬間に、その恐怖が脳裏に蘇り、人外となった肉体でもなお、それには耐えられなかったのだ。

 ──羽津朱音、この時点ではいまだ与り知らぬ吸血鬼体質にして〈烙印者〉となった身で、初の死亡。

 場所は地上。

 死因は、辺境の地の「外郭」にたむろする「戦傷兵士」たちによる暴行であった。

 

 ───────────────

 

 気持ち悪い泥沼のような何かに流されるまま揺蕩い、彷徨った感覚の後──

 朱音の意識は、急激に「正常化」した。

 彼女は吸血鬼として全くの五体満足のまま、再び、夜の得体の知れぬ都市の門前に立っていた。唐突に、ただそうなっている事実に気づいたのだ。

 あの最初の交通事故の苦痛も、その次の男たちの棍棒による袋叩きによる苦痛も、確かにトラウマとして心中に刻まれたまま。

「え……?あ……?え……?」

 呆けた声にならない声を何度か上げた後、確かな苦痛の記憶が反芻された瞬間。

「ああああ!アアアアア!」

 次の朱音は、何からということも定かでなく、絶叫の声を上げながら遁走を始めた。

 吸血鬼として覚醒した身体は、皮肉にも依然として軽い。

 軽すぎて、まだ変質した肉体の操縦を十全に把握しきれない朱音の神経系は、幾度も滑稽かつ大げさな転倒をもたらす。

 彼女はそのたびに紅く擦りむいた白い肌の苦痛を省みることなく、間抜けな声を上げながら、己自身でも分からない遁走を続けた。

 後から思えば、赤面するほどに本当に間抜けなことこの上ない。

 先ほど彼女に死をもたらした暴漢たちは、既に己の身の回りにはいなかったというのに。

 ただこの時、思考の狭隘に陥っていた彼女は、実にこう感じていた。

 ──誰かが、誰もかれもが、自分を苦しめようとしている。

 あの夜の交通事故。運転手の後ろから天より降り立ってきた黒づくめの人影。己の眼に今映っている昼とも夜とも言えぬ光景。

 説明を求めようとも誰も答えない。助けを呼ぼうとも、慰めの言葉も、救助の手もない。

 ただ、物言わぬ暴行だけが己の身に降りかかる。

 間違いない。何かが、とんでもなく巨大な「何か」が、自分に不幸をもたらしている!

 何かは分からない。だがそれは途方もない悪意をもって、己を苦しめようと、今も舌舐めずっているに違いないのだ!

 ──これも、後にイオアンナから語ってもらった結論からすれば、被害妄想に過ぎなかったことは言うまでもない。

 確かに、この状況をもたらした「イェンダー」は、世界どころか多元宇宙を股にかける「秘密結社」ではあった。

 彼らが彼女に施した〈烙印者〉の呪いは、今の彼女に事実この上ない苦痛をもたらしている。

 ただ、その本質はどこまでも「作為」であって、「悪意」ではないのだ。

 それでもこの時、彼女は逃げた。ひたすらに「何か」から逃げた。

 かつての常人であったならば、とっくに息を切らし、疲労と酸欠で倒れてしまいかねないほどの時間を、いつしか彼女の神経系が新しい肉体に慣れ、転倒しなくなった頃には、己も自覚しないほどの速さで。

 辺境の地を広く取り巻いている流民、不可触民たちの外郭をも抜け、「荒野」へと。

 彼女にもう少し落ち着きと理性があれば、気づけたはずだった。

 「荒野」に至った時点で、いつしかその空模様は、吸血鬼の視野が見せた明るく見える星や月ではなくなっていたことに。

 ただ灰色に薄い虹がかかった、あまりにも狂った彩色になり果てていることに。

 それは「溶けた時空間」──一種のワームホールに至った状態なのだが、今の彼女に知る由はやはりない。

 そんな荒野を、半狂乱に走り回る彼女のもとへ──次の死が、けたたましく舞い降りた。

 それは鳥だった。

 全身黒づくめで、体長一メートルにも及び、翼を広げれば幅は二メートルに近い。

 猛禽といって全く差し支えない大きさの鳥。

 大鴉(オオガラス)、あるいは「ワタリガラス」か。

 問題なのは、この「ワタリガラス」は朱音のかつていた地球のそう呼ばれる種とは、全く似て非なるものであったことだ。

 まず大きさが、本来体長七十センチ程度と言われる地球のワタリガラスと比べて二回りは大きい。

 そして、それ以上に問題であったのは、その狡猾な攻撃性と、実に備わっている狩猟能力。

 この「荒野」の「ワタリガラス」は、己より大きな獲物を平然と狙い、仕留め、喰らう。そのような習性を持っていた。

 狂乱したまま走り回り、時折、絶え絶えに絶叫を漏らす朱音。

 どこまでも広がる奇妙な地平線や森にばかり視線が行き、己の上空を飛ぶそれには、全く気付かなかった。

 空の死神は、獲物がいかなる錯乱に陥っているかはつゆ知らず、ただその最も死角と見える角度から、翼を操って急降下した。

 獲物が目鼻の先に至った瞬間、宙転。その鋭い爪で、狙いやすいことこの上ない頭部を切りつける。

「ギュア!」

 突如、奇妙な風を感じたと思った瞬間、側頭部に鋭い痛みを覚えた朱音は、奇妙な金切り声を口から漏らした。

 その痛みを感じ取った本能が一時に正気をもたらしたが、すべては遅かった。

 威嚇の鳴き声を上げながら、「ワタリガラス」はさらに爪と嘴という凶器で重ね重ね朱音を襲う。

 その過程は、「前回」と同様に一方的だった。

 朱音の筋線維を引き裂くほどの爪が、彼女の四肢の機能を着実に破壊していく。

 まず、左腕の上腕筋が断裂して動かなくなった。いまだ慣れていない吸血鬼の肉体で走り回っていた元より不安定なバランスが崩れ、再び転げて倒れた。

 そのまま伏して倒れた朱音に対し、今度は右足の腱を爪で引き裂く。

 倒れ伏して、なお起き上がろうとする朱音の振る舞いを読んだかのように、ワタリガラスは朱音の頭頂部を強く嘴で突いた。

 頭骨は彼女の脳こそ無難に保護したが、重ねて重ねて与えられる苦痛に、朱音はパニックに至った。

「いやあああ!もういやあああ!」

 辛うじて残った四肢の機能で必死に襲い来る敵を振り払おうとするが、猛禽は全く動じない。

 ここに及んで朱音が最後にもたらした致命的な失態は、その身を仰向けにしてしまったことだった。

 骨に守られていない、柔らかな腹を天に向け晒す愚行。

 満を持してワタリガラスは、その腹に向けて鋭利な嘴をざっくりと突き刺した。

「……ごっ」

 腹直筋と腹膜筋を突き破られた新鮮な苦痛に、朱音はうめく。

 もう彼女に、抵抗する手段は残されていなかった。

 四肢は半ばが動かず、地虫のように這いずる真似すら、苦痛と物理的な損壊でまともにはできない。

 最早、ワタリガラスの目前にあるのは、新鮮な活け造りの皿も同然であった。

 この時の朱音が、いつから死に至っていたのか、今でも定かな記憶はない。

 ただ、さぞうまそうに朱音の臓腑の一部を踊り食いする光景だけが、断片的に脳裏に蘇る。

 いずれにせよ、二度目の死は荒野にて、ワタリガラスによってもたらされた。

 

 ───────────────

 

 気持ち悪い泥沼のような何かに流されるまま揺蕩い、彷徨った感覚の後──

 朱音の意識は、急激に「正常化」した。

 彼女は吸血鬼として全くの五体満足のまま、再び、夜の得体の知れぬ都市の門前に立っていた。唐突に、ただそうなっている事実に気づいたのだ。

 ────そう、最初の死の後も、二度目の死の後も、全く変わり映えないまま。

 変わらぬのは、朱音の記憶に確かな絶望と、その心に希死念慮へと陥るには十二分な傷が刻まれていること。

「は────はははははははは───」

 朱音は、乾いた笑いを呆けた口から漏らした。紅い眼を曇らせたまま、依然変わらぬ奇妙な視界の夜を見回す。

 もう結構だ。とっとと終わらせてほしい。

 速やかに己の命を絶ってくれる者はいないか?

 この絶望をいち早く終わらせてくれるものはないものか?

「ねえ?誰かあ!……誰かいないの?」

 誰でもよい。速やかに、苦痛のない無へと自分を導いて欲しい。

 その善意を求めて声をかけるが、残念ながら、またも応じるものはいなかった。

「ああ、もう──仕方ないなあ」

 乾いた笑いを浮かべたまま、朱音はそう言うと、ふと城門──「辺境の地」の内郭のそれ──の前に穿たれた堀の存在に気付く。

 ゆっくりと歩き、覗き込むと、深い穴の底に水が張られている。水深は二メートルはありそうだ。

 少なくとも常人には到底渡れようのない、強固な城塞の守りである。

「はい、自分の面倒は自分で見ます。私ってえらい!はい、さようなら」

 そう声高々に宣言しながら、朱音は己の身を堀へと擲った。

 派手な水音。

 重力に任せた勢い通り、その身は水底に強かにぶつかる。

 堀に落ちた外敵が、張られた水の斥力に守られることがない程度には浅く、そこから打撲を受け、あわよくば骨折した身には泳げないまま溺死する程度には深い。

 そんな悪意を凝らした堀の寸法である。

 吸血鬼化しているため、幾分かは強靭になっていた朱音の身には、その寸法こそ微妙に合わなかったかもしれない──だがそれも、しかるべき受け身をしていればの話である。

 水底に激突したショックで、肺腑の空気をあらかた吐き出してしまった後、一メートル半程度の彼女の背丈では、息を継ぐために水面に顔を出せる余地がない。

 彼女の故郷・地球の吸血鬼伝承には、その身にとって流水が毒であるとの言い伝えがあるが、これは迷信であった。

 彼女の吸血鬼化は、人類のミュータントの一種であり、この点においては人間と変わらない。ただ溺れによる窒息だけが死因たりえる。

 果たして彼女は血中の酸素を失って、意識を失い、身動きが取れなくなり、そのまま溺死者となった。

 羽津朱音、三度目の死。

 絶望の果てに自殺し、溺死した───

 

 ───────────────

 

 気持ち悪い泥沼のような何かに流されるまま揺蕩い、彷徨った感覚の後──

 朱音の意識は、急激に「正常化」した。

 彼女は吸血鬼として全くの五体満足のまま、再び、夜の得体の知れぬ都市の門前に立っていた。唐突に、ただそうなっている事実に気づいたのだ。

 終わらない。死に至ることすら、許されない。

 〈烙印者〉とは、かくなるものだった。

 しかし、やはりどこまでも、朱音にそれを知る由はなかった。

 それから、大半の理性を失った朱音は、ひたすらに死を経験し続けた。

 

 ───────────────

 

 そのまま始まりの場から一歩も動くことなく、声を上げることすらなく。痴呆のように立ちすくむこと数時間。

 やがて、昇った朝日の光に吸血鬼の白い肌を蝕まれた──朱音の地球で伝え聞かされる多くの吸血鬼の弱点が迷信とされている中、唯一、日光だけは長時間の暴露により致命傷となり得る事実のものであったためだ。

 末期には細胞を破壊された全身が内出血を起こし、立てなくなるほどに衰弱した。

 辺境の地の「外郭」の民は、今度は奇妙な病気持ちであると朱音を訝しんだ。

 初回の暴漢のように襲う者こそいなかったが、その滅びゆく身を案ずる者もいなかった。

 彼女はそのまま、崩れ落ちるように倒れ込み、壊死した細胞特有の腐臭を放ちながら動かなくなった。

 羽津朱音、四度目の死因──日光。

 

 ───────────────

 

 坐して待つだけでも死が訪れることを、本能で理解した朱音は、ふらつくように辺境の地の「内郭」へと歩みを進めた。再び堀に落ちるような真似だけは、本能が避けた。

 だが、それだけである。四度の死を経て彼女の心はとうに崩れ、理性は崩壊していた。

 夜間の門の先、城門の詰め所を守る──というよりは、その場しのぎのねぐらとしていると思しき輩らが、朱音に声をかける。

「おい、小娘。『内郭』に入りてえなら、しかるべき『資格』を見せな」

 不潔で貧相な服装、されど剣だけはそこそこ磨きの入ったチンピラ。

 『資格』というのは詰まるところ何らかの通行料である。

 あるいは別解として、別段「内郭」の市民から公的に認められているわけでもない、ただの門番を気取っているだけのこのチンピラを力で叩き伏せるという選択肢もあるだろう。

 しかし、そもそも何を言っているのか、朱音には聞き取れない。

 元から異邦人の彼女には理解できない言葉を、因縁がけを、その崩壊した知性がなおさら咀嚼できるはずもなかった。

 頭一つ背丈の高いその男に荒々しく肩を掴まれたが、朱音は「あー」と反応し、やがてガタガタと痙攣しだした。

「けっ、犯る気も起きねえ、気持ち悪い女だな……くたばれや」

 依然として朱音には聞き取れないスラング交じりの言語でそう吐き捨てると、男はお世辞にも卓越しているとは言い難い、だが殺意のこもった剣を二度、三度振り下ろし、実に苛立ちを紛らわすような調子で朱音を斬殺した。

 チンピラの徒党──周囲のゲラゲラと囃し立てる声だけがその間、朱音の耳にこびり付いた。

 羽津朱音、五度目の死因──貧しげな傭兵。

 

 ───────────────

 六度目からの朱音は、より奇妙な、ただ確実に深刻な精神状態にあった。

 「死に戻り」を果たし「正常化」が行われるも、その度に精神は即座に「解離」していた。

 これは己の現実ではない──そうだ、「目の前」にいるのは全く別の自分だ。そうだ、こんな自分など知ったことではない。

 当然だ、こんなことがあり得るだろうか?

 交通事故に遭遇してから、変な死神もどきにさらわれたと思ったら全くの別世界。言葉も通じない、そもそも一切合切が、己を殺しにかかってくる。そしてまた元に戻る。

 死ぬためだけにまた、元に戻される。

 馬鹿馬鹿しい。本当に馬鹿馬鹿しい。

 こんなことが現実であるはずがない。私がこんな目に遭うはずがない。だから、今「目の前」にいる私は断じて「私」ではないのだ。

 そうだ、そうに違いない。いや、そう決まった───

 ということで、「目の前の私」は、城壁の外に広がっている汚い貧民窟を彷徨いだした。

 奇妙な眩さに彩られた空が、身を刺すような閃光になった頃、間抜けに私はそれを浴びて叫びながら転び回った。

 ははは、馬鹿だなあ「目の前の私」ってば。四度目で自分の体がおかしくなっているのは分かっているじゃないの。

 日陰に籠りなさいよ。

 そうそう、そうやって休めばいいの。もー本当に馬鹿なんだから「目の前の私」ってば──

(痛い、痛い、苦しい、もう死なせてください、正しく死なせてください)

 ──駄目駄目。あなたはきっと悪いことをしたからこんな目に逢っているのよ。

 思い出して御覧なさいよ、あの夜の交通事故。振り返れば自分のせいじゃない。

 合コンの帰りに酔っぱらいながら、歩きスマホして信号のない公道を通り過ぎようとしたんだから、ダンプに跳ねられるのも当たり前じゃないの。

 だから、きっと罰を受けているのよ──昔、法事のお坊さんが、一番ひどい地獄に無間地獄って言うのがあるって話していたじゃない。多分、それよ。ええ、きっとそれよ。

 だから、六度目の死因──辺境の地「外郭」の貧民窟に紛れ込み、着ぐるみを剥がされ、暴行の果てに死ぬのも当然ってわけ。

 

 ───────────────

 

(痛い、痛い、頭から血が出る。脳味噌まで飛び出てしまいました)

 ──七度目の死因──また内郭に入り込もうとして、夜間の門で自警団気取りのチンピラに棍棒で頭を叩き割られて殺された。これも罰。

(いやだ、恥ずかしい。汚い。肌が痒い、痛い。吐き気が止まらない)

 ──八度目の死因──奇妙な体質の珍種として外郭の汚い見世物小屋に叩き込まれ、しばらく弄ばれたが、三日も持たないうちに衰弱死。これも罰。

(痛い、息ができない、死んじゃうまた死んじゃう)

 ──九度目の死因──門の橋をあてどなくうろちょろしている間に、すっ転んで、またも堀に落ちる。水底に強かにぶつかって全身打撲、そのまま溺れ死に。これは罰以前に、交通事故と同じ自業自得の事故死じゃないの。罰ですらないわ。阿呆くさい。

 ──十度目──十一度目──十二度目──十三度目────

 ああもう、数えるのも嫌になってきちゃったわ。罰だけど、無間地獄らしいから、もう数える必要もないわよね。「目の前の私」ってば。

(─────────)

 あら、もう目の前の私も「逃げちゃった」───どっか、別のところに考えが飛んじゃった。

 もう……だらしないわね。どうするのよ?「私の責任は誰がとってくれるのかしら?」

 仕方ないわね、もう一度、新しい「私」を生み出して………

 ああ、もう駄目だわ。すぐに逃げ出しちゃう。

 どうするのよ、痛いのも苦しいのももう嫌よ。嫌だわ。

 もう何もかも忘れちゃいたいなあ。そんな世界に飛び立てないかなあ。

 いや、多分もうちょっときっとそんな「やさしい世界」に飛びだてそうな気がしてきたなあ。

 

────────

 

 どうしてこうなっちゃったっけなあ……

 ああ、太陽かなにか分からないけど、相変わらず眩しいなあ。

 実際何なのかしら?子どものころからニュースで騒がれてた「大予言」で言われた彗星に見えるけど、ううん、違う、違うよね。彗星はもっとバーって動くもの……つらいなあ、誰かここから出してくれないかなあ……

 ああ、その次の痛い苦しい閃光が怖いんだから、日陰に逃げなきゃダメじゃない。

 本当に何なんだろう。

 そっか。あれだ。きっとそうよ。

 きっと悲運の女の子にやって来るお約束が、きっと来るのだわ。

 白馬の王子様!

 それもただの王子様じゃないわよ!

 今まで、私を苦しめてきた外敵を誰もかれも叩き潰して葬ってくれる、聖なる人殺しの王子様よ!

 ああ、早く来てくれないかなあ。おまちしてますわ。おうじさま。

 

────────

 

 あれ? なにかしら。

 すごい、なんかすごい。

 なんか、すっごい吸われてる。

 すごい、「私」が吸われてる。

 増えすぎた馬鹿みたいな、頭プーの「私」たちが何もかも吸われている。

 すっごい。すっごい。すっごい。

 何か、キモチイイ、キモチイイ、キモチイイ。すっごい。すっごい。すっごい。

 ダメです。でちゃいます。すっごい声でちゃいます。

 はあ、気持ちよかった。とんでもなく気持ちよかった。

 ………

 私、一体何とち狂っていたのかしら?

 ………

 知らない天井だわ──

 なんか、私の脇にすごい綺麗な人がいるんですけど。

 すごい肌が白い、髪も白い。美人だけど、多分男じゃないの?

 ああ、そうか、待ち望んだ「おうじさま」……お待ちしておりましたわ。

 

────────

 

 半刻ほどにわたり、朱音の一切の痛ましい記憶、その経緯が、彼女の口を通じて語られた。

 口下手な朱音の証言が、どれほど上手く、眼前のイオアンナ──千年吸血鬼に伝わったものか。

 だが、その不安は程なく払拭された。

 イオアンナは顎に手を当てて目を瞑りつつ、始終どこか薄ら呆れながらも、十分に納得している様子だった。

「成程ねえ……安心しなさい。ここまで話してくれたおかげで、大体は納得いったわ」

 イオアンナは、終始坐していた寝台横の机から腰を起こした。

「ついでに、あなたにこれからどういう処方を施すべきかも、何となく考え付いたから。ひとまずは、このまま素直に私を信じてついて来なさい」

 

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