ヴィーヤウトゥムノ伯国鉄獄覚書   作:松永闇斎

8 / 12
逝き過ぎるということ ~恐怖!吸血女子短大生 VS 怪奇蛆虫爺~ (6)

(あの子は少しは上手いことやれるようになっているかしら?)

 イオアンナは、己が鉄獄行の小休止──「食事」の間に、ふと己の新たなる「後輩」について慮りを寄せていた。

(意外と物覚え自体は悪くなかったことだし、二日足らずの間に与えた教訓だけでも、大分出来る子になったとは思うのだけれど、ねえ……)

 〈烙印者〉は、「イェンダー」に呪われた者として過酷な道を歩むことになるが、結局の所、全くの孤独と言う訳ではない。

 確かに鉄獄に連れていける「自我」は己ただ一つ───

 「身」でなく「自我」と呼ぶ理由は、つまり完全に自意識を〈烙印者〉に奪われて傀儡(ペット)と化した存在ならば、その支配力のキャパシティの限りいくらでも連れていける「隠し種」があり、実際にそれを得意とする〈烙印者〉もいるはいるのだが──

 あくまで、試練への踏破を成すことだけは、孤独な己の意志をもって全うすることを強いられる。

 されど鉄獄の外であれば、時空の寄せては返す波に揺られる形で、同じ〈烙印者〉たる「同志」と巡り逢うことが可能なのである。イオアンナと朱音の遭遇も、その無数の一例に他ならない。

 イオアンナ自身としては、この「同志」との巡り逢いの質と数こそが〈烙印者〉の大成を左右すると持論に抱いている。

 〈烙印者〉となった時点より前の各人の種族や身分、背景など、この百階層に分けられた地獄の中にあっては大した差にはならない。

 むしろそのような個人的優位に驕ったものから、却って真っ先に落とし穴に嵌り、永遠に抜け出せなくなったまま「忘却界」へと消え去っていくものだ。そう経験則を刻んでいた。

 しかるに、膂力と知恵に勝る吸血鬼の古老たる己が、ひよっこの新生子たる朱音に「同志」となり得ると述べたことは、何も安いおだてや励ましではない。真実本音を述べたつもりであった。

 一方で大きな懸念も彼女へと抱いていた。

 あそこまで覇気に欠ける、とことん荒事に向かぬ生まれ育ちの〈烙印者〉の例もこれまでには見たこともない。その未知数の程度もいまだ否定はできないところである。

(盲点だったと言えば盲点だったのだけれど……ねえ……)

 「イェンダー」の多元宇宙における神出鬼没ぶりと、その動機のあまりに節操のない傾向を思えばおかしな話ではなかった。奴らは〈烙印者〉が事を成し遂げるのではなく、〈烙印者〉を無数に産み出すことそのものを目的としている節がある。

 であるから、たまたま羽津朱音のように、己が地球の現代社会にして法治国家の行き届いた国民として生まれ育ち、平和な時代で何ら暴力に触れた事のない〈烙印者〉を生み出すことがあっても、何もおかしくはなかったのだ。

 敢えて、そこに悪意を見出すとするならば──イオアンナが「闇の支配階級」として、曲りなりに己の地球世界史にもたらした平和と秩序。その申し子たる娘をよりによって法と倫理の箍を外した世界に放り込むことで、「イェンダー」が当て擦りをしていると思えなくもないが、それはあくまで結果論であり、被害妄想が過ぎるだろう。

 ここ今更に及んでイオアンナはようやく自分が、かつての己と似た境遇にある朱音に同情の念を寄せているらしいことを自覚した。

 思えば、千年昔に、自分も似たようなものだったのだ。

 ブルガリアの寒村の無知無学な農民の子沢山の一人に生まれ、広き社会の見聞は欠片も知らず、己の最初からいた陰鬱な村落共同体だけが世界の全てであり──ギリシア正教の教えをただ純朴、というよりは盲目白痴のように信じていた。そんな己の生が、あの日、あの吸血鬼という存在によって突然暗転し──……

 いや、流石に時代の差が著しい。ここまでつぶさに比較していると違う所の方が多すぎる気はする。

(まあ、いずれにせよ結果を携えてまた会うことになるでしょう。最初に出会った時のように狂気の中で黄昏ている様子を見せていたら、また『荒療治』の余禄に、珍味の血をいただくとしましょうか……)

 そのような結論を結ぶと共に、イオアンナは自らの「今」に立ち返る。

 

 今は吸血鬼として、眼前にある生餌をその口で弄び楽しんでいる最中であった。

 鉄獄第二十三階層──この階層ともなれば、本格的に〈滞留者〉──鉄獄の〈混沌〉に招き寄せられた多元宇宙中からの迷い子どもの種類は多種多様である。

 中には「まとも」な人間や、それに準ずる人型生物と遭遇する機会も、もはやまばらではなくなってくる。

 吸血鬼たる彼女にしてみれば、過酷な道中だからこそ「食事」は常に良いものが得られるようあって欲しい。

 〈混沌〉に蝕まれて得体の知れない種となった訳の分からない生物もどきよりは、ある程度見覚えのある生き物の血の方がよい。その中でも、彼女の故郷の勝手知ったる人間の血の方がよい。さらに贅沢を言うならば、それは若く、十分な生命力を湛えた女の血であればなおよい。あわよくばそれが処女であってくれて、様々な「曰く」が獲物自身に備わっていれば、まさに最上の血の餌食である。

 以上を踏まえるなら、今イオアンナは、その「最上の血」を貪っていた。

 最高だ。

 普段から──特に〈烙印者〉となってからは、そうそう味わえる機会のない正餐である。

 まかり間違っても、こんな鉄獄などという地獄に引きずり込まれ、他の無粋な外敵に「駄目にされて」はならない代物であった。全くもって「命が勿体ない」。こうして生餌として「お救い」できたことは、全くの重畳であった。

 首筋への咬合から、血を含めたあらゆる本質を、無垢な餌食から奪い取り、貪る。

 全身をイオアンナの膂力で羽交い絞めにされ、吸血の影響で意識も朦朧とし、身動きは一切ままならぬ獲物の少女。彼女はそれでもなお虚ろながらに涙を流し、何らかの感情を外界に向けていた。

 血を吸って得られる記憶を掌握する限り、この娘はどこぞの中近代的な文明世界出身の魔術師、身分は曲がりなりにも貴族のようなものらしい。

 この鉄獄に至った成り行きまでは、背景世界が遠く隔たっているために、こと細かくは理解できない。だが少なくとも、この異界たる鉄獄の本質自体は承知した上で、財貨や名誉となるものを求めて「冒険」を試みたのだろう。

 身なりといった傍証を含めて推理するに、現地の貴族の子弟として政治なり経済なりの苦境に立たされ、その打開のために、同じ立場の貴族とその護衛十数名を連れての探索──おおよそその程度の筋書きだったのだろうか。

 彼らは、そこでイオアンナに狩られた。

 暗がりからの奇襲を受けた彼らの大半は、何に襲われたのかすら知る暇もなかっただろう。

 ただイオアンナの剣技を含めた、全く三次元的な体術によって、ある者は首を刎ねられ、ある者は心臓を貫かれ、またある者は蹴りで顔面を粉砕された。

 最後の生き残りとなり、今こうしてイオアンナに、命の一滴に至るまで貪られることとなった哀れな娘。

 彼女が何を見つめていたのか、ようやくイオアンナにも理解が及んだ。

 イオアンナが作り出した、無数の斬殺死体のひとつ。文字通り胴を袈裟に斬られ、その胸の切断部から肺腑と心臓をぶら下げた若い男の死体。とうに命なき肉塊と化したそれに、娘は虚しくも、救いを求めていたのだ。

(あら、そういうこと?……)

 その感情がしかと読み取れるようになった。本人に確認するかのように念を送る。

(あなた、この「冒険」に、一族の再起と繁栄を求めると同時に、あの従者とは将来を誓い合っていたという訳?……素敵ねえ、感動的だわ)

 喰らう血の旨味の秘密が分かった。これに勝る吸血鬼としての喜びは、そう多くはない。

(でも残念。もうあなたの一切は、あなたのものではない。この私の吸血鬼としての、そして〈烙印者〉としての、双方の糧として、一滴残らず私のものになるの。せめて、あの屍の血も吸って、私の臓腑の中で一緒にしてあげましょう、ね?)

 心底から嗜虐的な意識を吸血に込めて、彼女の絶望をさらに深める。そうすることで、血の味もまたいっそう深くなった。

 やがて餌食の命も途絶え、吸うものを吸い尽くされた骸は、その美しさも枯れ果てた。

 イオアンナは半ばミイラとなった娘の死体を打ち捨てると、約束通り、その恋人だったものと思しき骸の血も、残り滓をすすり取るように嗜む。

 満腹だ───

 さあ、張り切って次の獲物を殺そう。

 今回こそは、前回の「死に戻り」よりもさらに深く、鉄獄の深淵に潜り、「サーペントの瞳」を勝ち取るための、より多くを学び取ろう。

 意気軒昂に歩みを進めるイオアンナの脳裏に、しかし今一度、朱音の顔が思い浮かんだ。

(ああ、そういえばあの子……)

 二日の間に詰め込み教えた様々な訓戒の中に、ただ一つ、主要な項目が抜けている懸念に気付く。

 つい先ほど、己が行っていた文字通りの「茶飯事」のことだ。

 己にとっての千年の身近な常識は、他者にとっての非常識である。他人──あの宿屋の主人オティックを意図的にからかうことは出来ても、時にはどうにも失念してしまうものだ。

(あの子、〈烙印者〉としての殺しだけじゃなくて、吸血鬼としての「食事」も、まだ一度も経験したことがない可能性があるわよね?それも教えておくべきだったかしら?)

 彼女の事情自体が、さすがに稀の中の稀であるからして、今さら告げるのを逸したところで、さほど悪びれる気にはならない。

(まあ、この辺りは〈烙印者〉の理不尽ぶりとは違うわよね。きっと、ゆくゆく本能的に気づけるはずよ、うん)

 イオアンナは兎にも角にも、己の鉄獄行に集中することとした。

 

──────────

 

 朱音の内には、確かに何かが芽生えつつあった。

 最初の大きな蛇に始まり、似た大きさの蜥蜴かイモリか、同じく気色の悪い爬虫類。身の毛がよだつような姿かたちをした全長一メートル半の節足動物。これまた気持ち悪い産毛のようなものを生やした大型アリ。最早、生き物かどうかも分からぬベトベトした何か。

 かくなる害虫どもを順に、諸手で握った長剣の餌食にしてやった。

 本来ならば見向きもしたくないような生き物には違いない。なんならば彼らの反撃に噛みつかれ、這い回られ、少なからず傷を負った。

 それがどうした──こちらはもう数えきれないほど死んできたんだ。今さら一回の死の危険が、なんだというんだ?

 ああ、それよりも、そんな害虫どもを殺すたびに、己の内にこみ上げてくる確かな高揚感。

 これだ。

 これこそが、あのイオアンナ──〈烙印者〉の「先輩」たる方が仰っていた、本懐たる部分だったのだ。

 「害虫駆除」の八匹目か九匹目か──数えるのも少々億劫になってきた頃に、予感していた絶頂が朱音の内に訪れる。

 それに至った瞬間、胸を満たしていた高揚こそは一旦すっと消え失せたが、代わりに今度は、腹の底から湧き上がるような、ずっしりとした力の充溢が訪れる。

 とうとう、やった──至った。

 

────────────

 

『「動くものは殺せ」……それを繰り返していく内に、あなたは自分が一回り、力強くなった──そんな感覚を、やがて覚えることになるでしょう。そうなったら誇りなさい。それは〈烙印者〉の、最も重く、大切な一歩一歩よ』

『……はあ……いえ!はい!』

『〈烙印者〉はそれを繰り返すことによって、幾何級数的に強くなっていくことが出来る。それを数十度も成し遂げられるようになれば、私たちは「サーペントの瞳」を手に入れられるだけの力にまで至ることが出来ると言われているわ』

 

────────────

 

 確かに体が、何もかもが、より一層軽くなったように感じる。

 「辺境の地」で買って、ボロボロの外出着の上にまとった防具の数々が、最初のうちはどこか肩の凝るような重さを感じさせていたが、今は普段の衣服と変わらぬような心地に思える。

 手に握る長剣もまた、語るまでもない。

 羽津朱音は、今や酔うに酔っていた。

 イオアンナに出会うまでの、苦痛に満ちた無数の死で培われた狂気、学習的無力感は吹き飛んだ。

 能天気な調子で思わず口をついて出たのは、イオアンナから授かった次なる助言である。

「明日のために……その三! 『あらゆるものを奪い尽くせ』!」

 

────────────

 

『鉄獄や、それを含めた〈混沌〉に侵された領域へ、多元宇宙から流れ込んでくるのは生き物ばかりじゃない。あらゆる「物」も流れ込んでくるわ。その中身は千差万別にして玉石混交……気を付けなければ害悪ばかり被るけれど、ちゃんと目利きが出来るようになれば、その二の心得と同様に、あなたの力をさらに高めてくれるでしょう。そこら中に落ちているなら好きに拾えばいいし、敵が持っていたならば、容赦なく殺してでも奪い取りなさい』

『……ええと、つまり泥棒から、強盗殺人まで……容赦なくやれと、そう仰っているように聞こえるのですが?』

『ええ。「そう聞こえる」のではなく、「そうしろ」と言っているのよ。鉄獄は……〈混沌〉の坩堝は、無法こそが法。あなたがこれまで、無数に命を奪われてきたように、あなたもまた、命を含めたあらゆるものを奪い取ってよいのよ』

 

────────────

 

 第二の心得を成すために、「イークの穴倉」を巡り歩いて数刻は経っていた。

 なるほど、最も浅い「第一階層」の暗闇を、「動くものは殺せ」と歩んでいる間にも、様々な「落とし物」は目に入ってきた。

 この穴倉の住人が捨てた陶器か何かの欠片。

 「食事」のあとに残されたらしい、何かの骨。

 もっと分かりやすく、様々な生き物の死体──これについては、ごく新鮮なものの中には、己が作り出したものもいくつかあるのは言うまでもない。

 大抵は無価値な、持ち運ぶどころか触れるのも憚られる汚物ばかりであったが、注意深く見回せば、確かに「それら」もまたあった。

 ──しっかり封がされて、保存の利きそうな霊薬の瓶。

 ──錆びたり折れたりはしているが、振り回せばそのまま殺傷力になりそうな刃物や鈍器の類。

 ──土埃に塗れてはいるが、しっかり払って身にまとえば、寒気からも、刃や爪からも身を守ってくれそうな厚手の外套。

 ──朱音には全く預かり知らぬが、確かに文字らしい何かが書かれていて、それそのものに何か不思議な効力があるらしい「呪符」や、もっと大きめの「巻物」。

 ──正しく、絵物語の魔法使いが持っていそうな「杖」あるいは「魔法棒」。

 ──何より明らかに価値の分かりやすい、銅や銀、何らかの宝石の欠片。

 本来の持ち主が誰なのかも、何故ここに残されたのかも、まるで見当のつかぬまま、確かに無造作にいくつか散らばっていた。

 これこそが、イオアンナに勧められた「第三の心得」にまつわる計らいなのだろう。

 目ぼしいと感じられたものは、第二の心得を成す合間にも既にいくつか手に入れて、己の「影」に──〈烙印者〉の背嚢にしまい込んでもいた。

 あらかた狩るべき「害虫」を狩り終え、周囲に危険も感じられなくなった頃合いを見計らって、朱音は背中の影から、それら「戦利品」をいくつか取り出して見つめる。

 まずは霊薬。

 相変わらず内容の読めない呪符──紙切れの類。

 

────────────

 

『霊薬や、呪符の類についてはあまり得体の知れないままに口にしたり、扱ってみることは当然お勧めしないわ。明白に何らかの悪意をもって残されたものであることが多いの。逆に、そうでなく益あるものであったとしても、それを使った瞬間、何が起きたのかはっきりと分からないものが多いから。後で「辺境の地」で紹介した取引相手に、兎にも角にも売り払ったついでに、効用を聞かせて貰うのが一番賢明ね』

 

 

────────────

 

 イオアンナの言う通り、霊薬はいかにも汚らしい毒のような色合いであったり、常に封された容器の内側で泡立ち続ける奇妙なものばかりが揃っていた。

 得体の知れない、意味のない薬の服用を控えることは、故郷地球でも常識だったのは言うまでもない。

 呪符については、手に取って意識をそれに向ければ、それとなく口にすべき言葉が感じ取られた。それを呟き、念じて「燃やす」ことで、確かに魔術的な効果が発生するらしいのだが、やはり罠となるものがあると言われれば、試すことは憚られた。

 いずれも影の内にしまい込み直す。

 次に取り出したるは──

 

────────────

 

『武器とか、身に着けられるものについては、手に入れ次第、ひとまず己の背の「影」にしまい込めるだけ込んでおきなさい。そうすると、害あるものかそうでないのか、何となく〈烙印者〉の「感」が虫の知らせを告げてくれるわ』

『え、あの、刀剣の目利きとか、そんなことはもちろんしたことがないんですけど……中に仕舞っておくだけで、そんな「感」なんてものが働くものなんですか?せめて、その武器を握ってちゃんと見つめてみるとか?……』

『それは断じて止めておきなさい。私達が懸念すべき武器の「呪い」の大抵は、むしろそういう行為をすることで効力を発揮する……いわゆるブービートラップなのよ。だから変にじっと見つめたり、意識を集中させないこと』

『ええと、じゃあどうすれば……?』

『だから言っているでしょう?影に仕舞うの。それが出来る以上は、呪いの影響を受ける心配はないわ。私たちの背の影には、そういう特殊な触覚がある。それが、時間はかかるけれど、確実にそれが害あるものか、有益な戦利品になるかを、生理的な感覚で掌握してくれるでしょう』

『はい……』

『そうして役に立たなそうとか、薄気味悪いと感じたものは、さっさと捨てるか、いっそ折ったり壊しておくといいわ……まあ例外というものもあって、生理的嫌悪と有用性が必ずしも比例するとは限らない。使い方次第の珍品もそれなりにあるのだけれどね。今のあなたに、そういう「諸刃の剣」を扱える余裕は残念ながらないでしょうから、今は変な気を起こさずに、素直な直感だけに従いなさい』

 

────────────

 

 これらもまた、「先輩」の言う通りだった。

 古びた剣や棍棒といった獲物を「影」に仕舞い込んでしばらくすると、しかと「触覚」らしきものが武器に触れている気がする。

 それらが今、いかなる状態で、魔法の呪物としてはどのようなものが込められているのか──

 感覚が少しずつ形を持ち始める。

 それらを踏まえると、初めての収集は、どうやら外ればかりだったようだ。

 元より折れていた剣は言うに及ばず、今持っている長剣よりもいかにも飾りがきめ細やかで流麗な剣には、振るってみたい何かがあって密かに期待していた。

 だが、その実、持ち手の立ち振る舞いを阻害するような、ささやかにも確かな「悪意」が籠っている様子が、確かに朱音には感じられた。

 一方で、自分の腕より太い木製の棍棒や、地味な槍──自分の身長より長いそれがすっぽりと「影の内」に収まった時は驚いたものだが──には呪いこそかかっている様子はなかったが、武器としてもやはり凡庸。

 少なくとも、イオアンナに付け焼刃なりに仕込まれた剣技と、自分の初めての「害虫駆除」から手慣れてきた長剣に代わって扱いたくなるような代物には感じられない。

 朱音は、呪われた剣二振りだけを無造作に己の背後に捨てると、次の戦利品の類を取り出し、並べた。

 続けて──

 

────────────

 

『あなたにとって、恐らく一番、本来から馴染みが薄く、得体の知れないものは「杖」や「魔法棒」と呼ばれるものになるでしょうね。どう?こう言われてイメージはつく?』

『杖って、あれですね……ええと、お年寄りが持っているようなもの……みたいな普通のものの訳がないでしょうから、おとぎ話の魔法使いや仙人が持っているような……』

『あら、分かるかしら。そう、確かにあなたの答えとは似たものね。ただ少し違うところがあるの』

『それは?』

『あなたのイメージしたものは、魔法でも仙術でも、まあとにかく術法の類を様々に扱える者の証であったり、その増幅器としての実用品を指すわ。でも、我々が「鉄獄」でしばしば拾えるものは、少し性質が違う。誰でも扱えるのだけれど、ある特定の目的に即した単一の能力だけを込められた、使いきりの量産品めいたものになるの』

『量産品……』

『そう。私たちみたいに、多元宇宙中の「魔術」の数々に明るくない者でも、簡単な呪言を一つ正しく呟くか、もっと単純に目標に向けて振りかざすことさえできれば、即興でそれと同等のものを発揮できる。便利な代物よ。同じ「魔術」の恩恵に浴するという点では、霊薬や呪符、巻物に近いものがあるけれど、そちらは私たち自身に作用するのに対して、杖や魔法棒は使い手の外界に何か影響を与えるものが大半を占めている、という違いはあるようね』

『じゃあ、込められた魔術が分からないうちは、あまり振り回さない方がいいですね?』

『確かにそうね。でも、あなたが触れるであろう「浅層」の杖や魔法棒に限って言えば、もう少し積極的に試してみてもいいかもしれない』

『大丈夫なんですか?』

『あらかじめ安全を確保しておくこと。相手にしたくないような外敵を前にしていたり、命が差し迫っていたりはしない──ある程度余裕のある状況で、何か実験台に出来る存在に向けてなら、呪力を振るってみてもいいわ。あくまで私個人の経験談だから、慎重を期したいなら、霊薬や呪符同様、「辺境の地」で取引相手に売り渡す折に教えてもらってもいい。そこは、あなたの好きなようにしてみなさい』

 

────────────

 

 これまでの「害虫駆除」の成果に、すっかり躁気味になっている朱音は、思い出したイオアンナの許しに心浮つき、いくつかを試してみたくなった。

 三本見かけた杖や「魔法棒」──杖より幾分か短い小枝のようなもの──のうち、魔法棒の一本を握りしめる。

 「イークの穴倉」の中を再び探索することしばし、あの白色のベトベトした何か──本当に「ベトベト」としか名付けようのない生き物──を見かけた。

 あの生き物ならば、杖から放った魔法の効果が何か危うい、藪蛇なものであったとしても、恐れることはあるまい。

 「ベトベト」の大きさは、容積にしておおよそ百リットル。朱音の故郷の地にありふれたものならば、ドラム缶に丸々収まりそうな大きさの、白濁色をした軟体動物である。

 その動きはナメクジのように這うようであるが、実のところ解剖学的な構造をほとんど持ち合わせていない。ただ緩やかに、しかし反射的に周囲の生き物を飲み込み、全身で消化を行う──らしい。

 朱音自身は、「イークの穴倉」の最も浅い第一階層にはどのような生態がいるかをイオアンナから予め聞き及んでいること。以前「駆除」した折に、確かにその切断面から、消化しかかった小動物の崩れた肉と溶けかけた骨のような残骸を見かけたばかりであること──その程度しか知らない。

 いずれにせよ、気持ち悪い。

 「駆除」するのに良心が咎めるどころか、せいせいする類の存在であることが、朱音にとって肝心であった。

 イオアンナから学んだ、魔法棒の共通的な使い方を思い出す。

 金属で出来た魔法棒の先に目を向け、意識を集中した。その先から力が沸き起こり、自意識と繋がったような感触を受ける。

 さながら魔法棒自体が己の身体の延長になったような感覚──取り分けて、魔法棒の先端が己の指先であるかのように感じられるようになれば、扱いの第一段階は成功であるようだ。

 あとは、相手を指差すかのように、魔法棒の先を対象に差し向ければ──

 しかと魔法棒に宿った魔術的作用が、指向性をもって、魔法棒の先から抜けるように解き放たれる。

 さながら水鉄砲を扱ったような心地よさを感じた朱音は、魔術の作用が、しかと「ベトベト」に命中し、何かを起こした手ごたえを感じた。

 その作用を受けたベトベトは──外見的には、何ら変わった様子を見せなかった。

 それこそ「魔法」なのだから、燃え盛るとか、爆発が起こるとか、何か派手な光景が見られることを期待していた朱音は、内心いささか落胆した。

 だが、しばらくそのベトベトの動きを見ているうちに、その魔法の作用に気付いた。

 その形が、より平べったく床に広がり、動きが、より鈍足になっている──

 無論、元よりこの生き物はナメクジ同様、その寸法に比して緩やかな動きしかしない生き物なのだが、その動きが、いよいよ獲物を捕らえられる程度から、それすら覚束ないような、本当に微かなものに衰えていた。

 なるほど、この魔法棒は、恐らく相手の動きを、疲労か、何かの魔術的拘束なのか、とにかく遅滞させる効果があるらしい。明らかに戦いにおいて有用な代物だ。

 その作用が念のため誤解や気のせいでないのか、別の生き物でも試してみたい。

 朱音はそう思いながら、目の前でいよいよ無防備な姿を晒し出している嫌悪に満ちた生き物──ベトベトに、唐竹割りに長剣を振り下ろす。さらに細々と切り刻んだ。

 手足や臓物こそ持たない、極めて均一質な生き物に見えるそれも、ある程度質量を引き裂かれて失うと、一気に生命機能を失うらしい。

 それは、必死に切り裂かれた己同士を繋ぎ直そうと、なおも這い回っていたが、ただでさえ動きを拘束された状態では、それを到底果たせそうにない。

 何か、生理的な限界に達したと思しき瞬間、その水分をにわかに体外に排出しながら、朽ちていった。

 その有様を、朱音は〈烙印者〉たる力の高揚をしかと感じながら、嗜虐的な笑みで見つめていた。

 

──────────

 

『さて、ここまで話してきたことを、最初から一度も「死に戻り」なしで成功させるなんてこと、必ず成し遂げられるとは思っていないわ。少なくとも一度や二度くらいは、何かに躓いてろくに準備を進められなかったり、「イークの穴倉」で対峙した害虫たちに返り討ちにされる憂き目に遭う可能性の方が、幾分高いでしょうね……』

『はい……自分のことだから、どっかできっとヘマするんじゃないかなと、そう思っています』

『それは謙虚じゃなくて卑屈よ。「死に戻り」することになっても、粛々と当然のように再挑戦する。もっと言えば、それでも全身全霊を尽くして最初から一発で成功させてみせる──そのくらいの気概は持っておくのが、成功の必要条件よ』

『はい……えと、頑張ります……』

『ん。ともかく、私と再会するまでに、ある程度そういった成功を重ねて、「生けるもの」の殺戮から力を得ることに成功し、加えて持てる装備や物資の数や、その扱いにも慣れてきたと感じることができるようになったならば……「イークの穴倉」の最も浅い層だけではない、もう一歩深い階梯に進んで見せなさい』

 

──────────

 

 今が、その時だ。

 朱音の意識は高揚し、次なる力を、そして富を求めずにはいられなくなっていた。

 「イークの穴倉」そのもう一つ奥に至るための「坑道」に向けて、足取りも軽く歩みを進める。

 

──────────

 

『百の階層に及ぶと言われる、「サーペントの瞳」に至るまでの〈混沌〉の「階層」の深さ……その第一層から第二層への進出。言葉どおり、やっと一から二への進出となる訳だけれど、ともすれば、それは私がこれまで教えてきた『準備』を行って、零から第一層に潜るよりも、大きな前進をあなたにもたらすことでしょう』

『……ここまででも大変そうなのに。とんでもなく遠いお話に感じます………』

『まあ、そうでしょうね。そろそろ、あれこれと知識を詰め込むのも、量として限界でしょうから、今回の私たちが「交差」している間の教導はここまでにしておきましょう』

『はい……』

『眠くなってきたでしょう?』

『え、え? まあ、言われてみると確かに』

『眠くなるだけじゃなくて、私と、この私の「我が家」の光景が、どこか薄らぼんやりと輪郭が薄れていっているような、そんな感触も感じていない?』

『……それも、はい……仰る通りです』

『私もよ。ただ、私の方は、この部屋だけは据え置きで、あなたの姿形だけが、薄らぼやけた陽炎を取り巻いたように見えてきているの』

『わ、そ、その……それってどういう?』

『最初あたりに話したでしょう?私たち〈烙印者〉は、こうして結節点で交流することは出来ても、ずっとそのまま共に長居することは出来ない。必ず「鉄獄」に向かう時は一人、孤独行を強いられると。──どうやら、その時がそろそろ来たようね……残り三十分、いえ、もう二十分もないかしらね。薄れるのはあっという間だもの……』

『……あ、ということは、私、また、一人で、あの……その……』

『そうよ。ああ、そうね。出来ることなら早めにこの私の「我が家」を出なさい。迂闊にここにいたままだと、私とあなたの位相がズレきった瞬間、外の「辺境の地」の内郭に放逐されてしまうわ。ちゃんと抜け出ておかないと、ふとした拍子で堀に落とされたり、ひょっとすると城壁や家屋に生き埋めになる可能性すらある。間抜けな光景で済むならともかく、それだけでまた間抜けな死を無駄に一回経験するのは、決まりが悪いでしょう?』

『は、はい……でも、ああ、その、何ていうのか、私この後……ああ……』

『取り乱すな、羽津朱音!』

『!……』

『あなたは、今や吸血鬼にして〈烙印者〉!元の地球で平穏な日々を取り戻したかろうと、これから行く先で別の道を見出そうと、降りかかる火の粉を振り払い、多くの者を踏みにじらなければ、己が失い続けるしかないのよ』

『は……はい!』

『私はこの二日で、その術を叩き込めるだけ叩き込んであげたわ!これからも、こうして「結節点」で出会い次第、しっかり薫陶を込めてやるから、胸張って行くのよ!いいわね…!?』

『は……はい!………ありがとうございました!これからも出会えたらよろしくお願いします!』

 

──────

────

──

 

 あの時以来、己はまだ一度も「死に戻り」に至っていない。これは、奇跡だ。

 それを思うと──「胸を張って行け」──その励ましが、今や吹きすさぶ寒風ではなく、背を押す追い風のように感じられた。

 第二階層の入り口の前。今いる第一階層とを隔てるものは、入り口と第一階層を隔てるのと同じ、「時空の歪みの淵」であるらしい。つまり、イオアンナが教えてくれた通り、己だけが潜れる戦術的優位の場となることも、また変わらないはずだ。

 朱音は、その「淵」をためらいなくくぐる。

 物理的体験としては、十数メートルほどの坂を下りるような感覚そのまま。

 さあ、次の「害虫」はどんな気持ち悪く嫌悪すべきものか?

 大きな蛇、大きなナメクジもどき、大きなムカデ、その他得体の知れない虫の群れ──次はゴキブリでも出て来るだろうか?

 それでも一向に構わない。自宅を這い回り飛び回るのとは違って、確実に、しかと駆除できるのならば、それは却って心地よくすら感じる。

 ──少なくとも、自分が殺されたのと同じ回数以上には、殺してやる──

 今や狩猟者としての喜びが芽生えるのを遥かに通り越した、その嗜虐的殺意を、今の朱音が自覚していたかは疑わしい。

 いずれにせよ、その思考の偏りこそが、次に彼女が災難に見舞われる一因となった。それは、確かであろう──

 

────────

 

 「イークの穴倉」の第二階層に降り立ち、その下り穴から大きめの空洞を歩み進めること二十数歩。

 「それ」は、岩壁の死角から白い影となって飛びかかってきた。

 朱音の膝元ほどの高さから跳び上がり、顔面に──いや、一足飛びに首筋を目掛けてくる何か。

 突如の予想しない襲撃に、朱音は思わず「ひっ」と声を上げた。

 彼女自身、意図できていたかどうか定かではないが、首元を庇った左手が、その襲撃の犠牲となった。

 ──噛みつかれた。

 左手に、複数の異物感を伴う鋭い苦痛が走る。

 似たような痛みは、第一階層でも、蛇やムカデの攻撃で与えられた記憶がある。

「この!」

 しかし、それは今の朱音にとってチャンスでもあった。

 この種の顎を武器とする生き物は、総じてそれを行使している間にはそれ以外のことができない。いっそ、無防備にすら陥る。

 なべて口は頭部にあり。咬合とは、その頭部そのものを攻撃した敵の眼前に曝け出す行為に他ならない。

 無論、その咬合による拘束、損傷と苦痛とで獲物が身動きできなくなっていれば、一方的優位を取ることはできるはずだが、こと今回については、その通りにはなっていない。

 元の地球の人間、ただの日本人の娘に過ぎなかったかつての朱音なら、実際もう成す術なく、一方的に嬲り殺されていただろう。

 しかし今の朱音は、吸血鬼にして〈烙印者〉であり、何よりイオアンナからの薫陶をもって、そのことをしかと自覚するようになっているのだ。

 襲撃からの防御のために噛みつかれた左手を首元から離し、噛みついてきた対象の頭部を視界の真正面に向ける。そして、残る無事な右手の剣で、無防備になった敵の頭部か喉元に刃を突き入れればよい。

 それで、先ほどと同じように「害虫駆除」できる。

 噛まれた左手の損傷は、時間をおけば〈烙印者〉たる治癒力がほどなく直してくれる。万一その自然治癒が死に至るまでに間に合わなければ、あのムワートから買った霊薬が、すぐさま癒してくれるだろう。

 そうだ、このクソ汚い「害虫」も、これまでと同じように息の根を止めてやる。

 最早、歯をむき出した笑みすら浮かべるようになった朱音。

 己が「死に戻り」する度に復元される外出着が、これまでの探索の間に穴あき、擦り切れ、ボロボロになっている。今の噛みつきでもまたいくつか穴が開いたことになるが、そんなことなど最早省みない。

 右手の剣を構えつつ、しかと噛みついてきた相手の姿形を見捉えた瞬間──

 朱音は呆けた。

「『害虫』じゃない?……」

 思わず漏れた見解が、そのまま独り言となる。

 いかにも。今、目の前に襲撃してきた敵は「害虫」ではない。どう頭をひねってもそう解釈することが、朱音にはできない。

 犬。白い毛並みに、ほっそりとしつつも壮健な体躯をした白犬。

 断じて汚らわしくも忌まわしくもない。何なら今こうして噛みつき、敵意さえ露わにしていなければ、一目で見て好感を覚えてしまう。そんな犬であった。

 「害虫」ではない。「日常の友」──実家で飼っていたスポット柄の雑種犬の雌、アオイの顔を、不意に思い出してしまう。

「……ちょっと、止めなさい!……止めなさいってば!」

 思考が著しく切り替わった。先ほどまで「害虫駆除」に夢中になっていた己の意識は、遥か遠くに吹き飛んでいた。

 噛みつかれている左腕、本来ならば突き入れるべき長剣を握った右手を、滑稽なほどジタバタと振り乱しながら、朱音はその白犬に向けて、ただただ必死に制止の声をかける。

 はたして、白犬は噛みつきを止めると、朱音の胴を足場に飛び上がって距離を取った。だが、どう見ても朱音の制止に応じた振る舞いではない。

 己の噛みつきが、相手の急所を仕留めきれなかった。このままでは痛烈な反撃を浴びる可能性がある──そうしかと警戒しての、あくまで朱音を「敵」と認識しての一時的退避に過ぎない。

 朱音の方は、これまでに必死に積み上げてきた積み木が崩れたかのような、呆然とした表情で、ぶつぶつと、独り言をこぼし続けた。

「『害虫』じゃない……『害虫駆除』じゃない……」

 それは、今の朱音の精神が欺瞞してきた「倫理」において、最も深刻な問題であった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。