隠居したわたしが訳あり少女に"幸せ"を教えようと思う 作:けーか
"甘い"という言葉を聞き、みしろの目が
よほど昨夜のココアがよかったのだろうか。
であれば、次は昼頃に来てケーキなんかを食べるのもいいかもしれない。
「ふふ、じゃあフレンチトーストにしよっか」
カフェモカにフレンチトースト。
どっちも甘いのでわたしには無理な組み合わせだ。
注文のため卓上ベルを鳴らすと、一般的な者より少し低めの音が鳴る。
「はいはい、ご注文は?」
いかにもやる気のない接客だが、
まあほかに客がいることをあまり見たことがないので、わたし以外にもこうなのかはわからないが。
「カフェモカとフレンチトースト。あとブレンドコーヒーとサンドウィッチ」
みしろの分、続けてわたしの分の注文を伝えれば刀坂がぶらーと奥に引っ込む。
キッチリした容姿でいかにも"できる女"といった感じの雰囲気だが、刀坂は存外適当だ。
――現場においてはその限りではないが。
「……大人の人は、怖い?」
刀坂が来たとき少しうつむいていたため聞いてみる。
みしろは元々大人に利用されていた子だ。
であれば大人に対する恐怖心や不信感があるのは普通だろう。
「あ、いえ、そういうわけじゃ……いや、そうですね。ちょっと怖いです」
「……仕方ないことだと思うよ」
時間が解決する、とか。
これから慣れていけばいい、とか。
そういう無責任なことを言うわけにもいかないので、言葉に詰まる。
軽い慰めは痛いだけで、きっと救いにはならない。
「――やっぱり。
不意に言われたため、少しびくっ。
気を使われてしまったのだろうか。
……情けない。
少ししょぼくれていると慌ててみしろがフォローの言葉を口にする。
「あ……私、エナジーが可視化されて見えるので。それが少し優しく揺らいでて……気を使ってくれたのが、わかったので」
――エナジーが可視化されて見える、という部分は、あまり気にならなかった。
違法異能実験の被験者にはよくある拡張異能だ。
わたしの気に止まったのは前提の部分。
多分、みしろは
わたしのエナジー量は無限だ。
それを知覚できる人は今までにいなかったし、機械でも測定することができていなかった。
人に関しては、わたしのエナジーに飲まれてしまい、自分のエナジーすらわからなくなってしまう、というのが常だったのだが。
そのようなことができることに驚きつつも、みしろの受けたであろう異能実験に考えが及び少し心が痛む。
「……ありがと」
しばらくの間、わたしたちの間に沈黙が流れる。
店内にかかっている曲の音……ジャズピアノなのかボサノバなのか、どっちなのかはわからない。
それとドリップポットから湯の落ちる音。
昔のわたしはこういった静けさというのを感じると、どうにもソワソワしたのは子どもだったからなのか。
星堕との戦闘ばかりで、落ち着いた状況にこそ落ち着けなかったのか。
理由はわからない。
しかし今のわたしにとって、一年の隠居生活の中で慣れたのか、この最低限の生きているを感じられるような静けさは――嫌いではない。
わたしは嫌いではない、のだが。
みしろはあまり楽しくないのではないかと、みしろの方を見てみるとなにやら"にこー"っとしている。
わたしもエナジーを可視化して見ることができたのであればその笑顔の
とりあえずは食事を目的に外に出たわけだが。
せっかく外に出ているのなら、ほかの場所にもみしろを連れて行こうかと。
連れて行くにしてもどこにしようかななどと悩んでいると、テーブルの上に陶器のカップが置かれた音により意識が現実へ引き戻される。
――刀坂だ。
「お待たせ。こっちが暮澄の分。そしてこっちが――あー、っと……」
そういえば、まだみしろの名前を伝えていなかった。
わたしが伝えようとしたのを、か細い声が止める。
「み、みしろ、です……!」
自分の名前を伝えるという行為。
今この場で、それ自体には別に価値なんてない。
まだ合計で一日にも満たない付き合いの名前を、どうしてもいい印象を持てない大人という存在にそれを自ら伝えたという、ひとかけらの勇気。
それこそに価値がある。
「――みしろか。よく似合った名前だ」
「あ、ありがとうございまひゅ!」
褒められ慣れていないためか、こういったときに表情のコロコロ変わるみしろは非常にかわいい。
……名前はわたしがつけたため、自分のネーミングセンスを褒められたようで少し照れる。
「それじゃあ、ゆっくりしていけ」
そう言い残して刀坂が奥へと戻っていく。
――じー、と。
みしろが目の前に置かれたフレンチトーストを見ている。
その様子を見ていると、少しずつその目線が上がっていき、わたしと目が合う。
……ああ、
気づくのが遅れてしまったことを申し訳なく思いつつ、説明のために右手にナイフを持つ。
「この部分をこうやって、親指は添える感じ。やってみて」
わたしがやったようにして、みしろがナイフを持つが、ややぎこちなさがある。
――席を立って、みしろの横まで行き、その手にわたしの手を添える。
わたしの指先が触れ、みしろが小さく肩を震わす。
常だとその白髪と同化するようにも錯覚する肌に、ほんのりと赤みがさしている。
「このまま動かそっか」
みしろが"こくり"と頷いたのを確認して、フレンチトーストに"すぅーっと"軽く押すようにしてナイフをとおす。
そうすると切れた部分から、卵とバターの混ざった胸に詰まるような温かさをもった匂いがしてくる。
みしろもそれを感じ取ったのか、少し鼻を利かせるように軽く吸う。
昨日のわたしの匂いのこともだが、みしろにとって『匂い』というのは、安心を得るために重要な要素なのかもしれない。
フレンチトーストが一口で食べられる大きさまで切り分けられて、暮澄さんの体温と匂いが離れていく。
そのことに若干の寂しさを感じつつ、私のきゅう覚が眼前のフレンチトーストに集中する。
甘くて、温かい匂いだ。
「ほら、食べてみな」
暮澄さんと切り分けたうちの一片をフォークで刺して口に運ぶ。
外側の少しかたいところに歯をとおすと"じゅわ"という音が耳の奥で響く。
――湧き出てくる柔らかい甘さが心地いい。
昨日のココアに続いて、甘いものを食べると心に
そんな感覚を覚える。
私は『甘いもの』が好きなのかもしれない。
きっと今のこの気持ちは暮澄さんの言っていた「楽しい」や「幸せ」といったものだろう。
――ふと、前から視線を感じてみて見ると、暮澄さんと目が合う。
暮澄さんの表情は柔く、安心感を覚えるものだ。
今もその
その
私の血となり肉となるように。
私の足らない部分を埋めてくれる。
その感覚がたまらなくむず痒くって。
それでいて心地がいい。
――ああどうかこの瞬間が、今はまだ続きますように。