「おはよ。今日はいつもより遅いんだ」
「おはよう。今日はちょっと運が悪くて」
荻野千尋は、由利の友人の一人だった。それだけ挨拶を交わすと、自然と二人で学校への道を歩いていく。
由利はショートカットの髪をした細身の女子で、なかなかに可愛らしい。だが、千尋からすると今の姿は少々見慣れない。
もともと顔立ちは整っていたのだが、中学までは三つ編みでおさげに眼鏡という地味な存在だったからだ。千尋からすると、小学校で出会った頃の、真面目な委員長、という印象が強い。高校に入ってからの由利はそんな様子は全くなくなったので、千尋と一緒にいると不思議に思われてしまうこともある。
だが、中学の頃の由利は、そんな見た目だったからか、いろいろと危うげだった。面識のない先輩から告白されたり、不審者に付きまとわれたりといったこともあった。そんな中で千尋が少し手助けしたこともあって、由利は千尋の事情を少し知る存在でもある。
高校になり、今の姿になってからは周囲も落ち着いている様子を見ると、イメチェンは良い方向だったのだろうと千尋は思う。だが、中身はあまり変わっておらず、話す会話も学校の事や勉強のことだ。
「千尋はさぁ。この前のテストどうだった?」
「どうだったって?」
「相変わらず成績良いの? 中学の時はトップだったじゃん」
「中学の時も毎回トップだったわけじゃないけど。まぁ、上位だとは思う。高校だとさすがにトップは取れないね」
由利はそれを聞くと感嘆した声を出して、「さすがだね。やっぱり出来が違うのかな」と言った。そんな風に言いつつ、由利の成績も中学からトップ層だったし、今もそこまで悪くないだろう。
「私、昔はそんなに勉強できなかったし。勉強量の問題じゃない?」
「昔って?」
「小学校。ほら、こっち来てから、私、友達少なくてさー、勉強ばっかするようになったんだよねー」
自虐するようなことを千尋は言って、からかうように由利の方を見た。
「また反応しづらいことを言う」
それに対して由利は呆れた声色で反応する。
千尋がこの萱森町に引っ越してきたのは、小学五年生の時だった。それが由利と初めて出会った時でもある。
転校生である千尋の事をクラスメートは全員知っていた。千尋の家族の事は、テレビで散々「神隠し事件」として取りあげられていたからだ。
萱森町は小さな町で、昔ながらの人間関係も残っている。そんな場所だからか、人々の間には色々な噂話が飛び交い、家族構成や引越しの理由も町中の人が知るところだった。千尋が初めて学校に来る日取りも、どのクラスになるのかだって、知られていたのである。
「大学は東京行くの?」
由利の質問に、千尋は「んー、私は大学にいかないで就職かな」と返事をする。
「えっ、そうなんだ。へー」
由利はその先の事情を聞いてこない。千尋は、そこで立ち入らずに聞いてこない相手なら、話をしても良いか、と口を開いた。
「ちょっと家庭の事情もあってね。ま、絶対に大学に行けないってわけでもなくて、私自身が早く自立したいのもある」
「へぇ。自立ね。千尋は昔からしている方に見えたけど」
「そうかな。でも、やっぱり働かないとね」
学校が近づいてくると、自然と話題は元に戻っていった。千尋が休日にも勉強ばかりしているという話をすると、それは良くない、と由利は大げさに憤慨した。
「良くない。良くない。今度遊びにでも行こう」
「えー、……まぁいいけど」
「今週は?」
「あー、今週は用事ある」
千尋がためらいがちにそういうと、由利は期待のまなざしを向ける。
「お、それは遊び?」
「いや、父親と会いに行かないとでさ」
千尋がそう応えると、「そっか、じゃあしょうがないね」と事情を知っている由利はわざとらしく軽い返事をする。教室に着いたところで、「連絡するから、早めに予定を立てようね」と由利は言って席に向かっていった。
千尋と由利が小学校にやってきてすぐの頃、同じクラスの女子は皆が探りあうように千尋とコミュニケーションを取っていた。テレビで話題になってはいるが、実際にはどんな人柄なのかはわからない。少し接してみると、頭がおかしいということもないし、バカということもない。
小五にもなると何も考えずに交流できるほど幼くもない。一部の男子を除いて変な絡みをすることもなかった。(一部の男子は、千尋に大人の対応でたしなめられていた)
皆がどう接するかを保留にする中で、由利は千尋とは比較的交流が多かった。クラス委員に任命されていて、先生からも頼まれることが多かったからだ。六年生になり、クラス委員ではなくなった後も外の子に比べると仲が良かった。だが、それでも特別に仲が良いというわけではない。
転機になったのは、六年生になってしばらく経った後のことだった。帰る間際のタイミングに、由利は千尋に突然引き留められて、クラスの窓際に連れていかれた。
「あのさ。体調良くないんじゃない?」
言われた内容に、由利は驚いた。親にも言わずにいたことだったからだ。
「……うん、良くないと思う」
嘘をつかずに口にすると、由利は自分の体が急に重みが増したような気がした。
「なんかだるいというか。良くない感じなんだよね。でも、熱を計ってみても熱があるわけじゃないし」
話していると、由利は本当にしんどくなってしまって、ぽろぽろと涙が出始めてしまった。涙を流す由利に対して、千尋は近づいて背中をさすってくれる。
泣きながら「なんでわかったの?」と由利が聞くと、「なんとなく」と千尋は応えた。
それから由利が泣き止むまで千尋はそばにいてくれた。泣き止んだ由利は少し恥ずかしかったが、千尋は茶化すこともなかった。
「この後、ちょっと時間ある?」
特に用事が無かった由利が問題ないと頷くと、千尋は「じゃあ一緒に帰ろう」と言って歩き出した。
一緒に学校の外に出て、いつもは行かない方に進んでいく。
「どこに行くの?」
「そこの神社。たぶん効果あると思う」
由利が黙っていると、千尋は困った顔をした。
「まぁ、信じられないよね。でも、ちょっとだけだから、ダメだったとしても変なことしたな、って思ってよ」
小学校の近くには規模は小さいが古い神社がある。千尋はそこにつくと、由利にまず手水舎で手を洗い、口をゆすぐように言った。
その後、神社の拝殿にお参りに向かう。由利は何かあった時用の100円しか持っていなかったのだが、それを賽銭として投じて、身体が治るように願った。
神社に着いたくらいから、由利は急に気分が悪くなっていたのだが、口をゆすいだところで少しだけ気分が楽になって来ていた。そして、一通りの手順を終えると、なんだかすっきりした気分になっていた。
「なんかすっきりしたかも」
「良かった」
しばらくそこで過ごそう、ということになり、神社の隅の古びたベンチに腰を下ろして、千尋と由利は話をした。木の影にあるおかげで陽射しが遮られて、少し涼しいくらいの陽気だった。雲もない青空が見えていて、気分が良くなったせいなのかもしれないが、由利は世界が明るくなったような感覚になった。
「また気分が悪くなったら、また神社に来てみようかな」
「いいかもね。ここの神社は、落ち着いていて良いと思う」
「うちの近くだと、萱森神社かな。あそこは、千尋的にはどうなの?」
「うーん、あそこはあんまりよくないと思う……」
弱っていたところを助けてもらったせいか、由利は何の気兼ねもなく会話が出来た。
「ねぇ、仙石さんって、呼びづらいだろうから、由利で良いよ」
「ありがとう。それなら私も千尋って呼んで」
いざ話をしてみると、千尋はあまりにも普通だった。今までは最初の噂を気にしていたせいで、ちゃんと会話ができていなかったのだな、と由利は思った。
だが、そろそろ帰ろうか、という頃、また唐突に千尋は変なことを言い出した。
「あのさ。長い髪の大人の女の人で、ちょっと背が高い感じの人って心当たりある?」
「? 誰だろ」
「細身の体で、鼻が高い感じの……」
「うーん? 」
「いや、わからないならいいの。忘れて」
由利はその時には思い当たるものもなかったので、気にも留めなかった。
その後、しばらくの時間が経った後、同じ商店街のマリエさんという人がゆりの事を突然蹴り飛ばしてきた。
後にわかったところによると、まりえさんは母の幼馴染で、同級生だった。歳をとるにつれて感性が合わなくなって付き合いはなくなったのだが、お互い生活範囲が近いので無視できないというものだったらしい。
決定的だったのが、子供についてのことで、まりえさんは子供を望んでも得られずにいて、それがなぜか由利への恨みになってしまったらしい。
その行動は日中の周囲に人がいるときに行われたので、すぐ取り押さえられたので、怖いというよりびっくりした出来事だったのだが、驚いたのはまりえさんの容貌だった。
長い髪に背が高く、細身で鼻が高い…… あの時の千尋の言葉を由利は思い出して、やはり千尋には何かあるのだろうか、と思ったのだった。