厄介ごとが舞い込んできたのは、由利を経由してのことだった。
「千尋、ごめん。ちょっと来てもらってもいい?」
お昼休みにそうやって由利に話しかけられて廊下にまで出ると、体格の良い男子生徒が待っていた。
「どうも。キミが神隠しの子? 普通だね」
いきなり神隠しの子と言われて、千尋はぎょっとした。対面して、いきなり神隠しの事を言われたことが今までもないわけでは無いが、久しぶりのことだ。
「……荻野です」
「あぁ……、おれは三年の
袴田先輩と名乗る男の先輩は、一学年下の女子のところに急にやってきたにも関わらず堂々とした態度だった。
「ちょっと、お願いがあるらしくて」
由利が話そうとするのを、袴田先輩は「あぁ、オレから話すよ」と制止する。
「キミは知らないかもだけど、うちの実家は神社でさ。今度の祭儀で巫女さんをやって欲しいんだよね」
いきなりのことで、聞きたいことは多くあったが、まず最初に大事だと思うことを千尋は尋ねた。
「神社って、萱森神社ですか?」
「そうだよ。さすがに知ってるよね?」
「まぁ、そうですね」
萱森神社はこの地域の中で一際大きい神社で、あらゆる町のイベントごとに関わる場所になる。萱森町の成り立ちと同じくして出来た神社で、当然古くからある由緒ある神社だ。
だが、千尋にとって近寄ることを避けている場所だった。
「それで、祭儀とか、巫女ってなんなんですか?」
「あぁ、この秋にね。森のところで儀式をする必要があるんだけどさ。その手伝いをしてもらいたいんだよ。別に練習してもらうとかはないからさ」
「なんで私なんですか?」
千尋は気になったことを質問した。ピンポイントで千尋を指名する理由が分からなかったからだ。
「そうだよね。オレも最近知ったんだけど、神隠しの子に巫女をしてもらう伝統があるらしいんだ。それで、是非協力してもらいたい、って思ってるんだよ」
「……」
「いや、実はこの辺りって、神隠しの伝説が結構伝えられているんだよね。うちの父親って、そういう過去の伝承とかを調べるの好きでさ。今回祭儀をするってなった時に、うちの蔵の奥にしまわれていた本とかをひっくり返して、昔のやり方を復活させよう、とか言い始めてさ」
千尋が神隠しにあったことは、公然と知られていることではあったが、秘密とされている出来事であり、直接そのことを言ってくる人は今までいなかった。それを本人に直接言いに来る無神経さに、千尋は厄介ごとの気配を感じた。
「伝統なのかもしれないですけど、私は協力するつもりはないです」
「あぁ、なにもただ働きしてほしいってわけじゃないからさ。普通にバイト代は出すし」
「いや、お金の話じゃないんで」
断る判断をして、口に出していくがそのための理由を探すが、その前に袴田先輩は遮って言った。
「まぁキミが断っても、この、仙石さんにはやってもらうことにはなっていてね。せっかくなら、仲良い子と一緒にやった方が二人としても良いんじゃない?」
「千尋、別に気にしなくていいよ」
由利は軽い口調で言うが、どことなく自然な表情ではなさそうで、千尋はなにか事情がある事を悟った。外堀を埋めてきたということらしい。
もちろん、この状況だって千尋としては絶対に断れないわけではない。だが、千尋の脳裏には森の中の影たちの姿が思い浮かんだ。
結局、千尋はその手伝いを受けることにして、了承の言葉を返した。
「じゃあ、そっちの連絡先を急に教えるのは心配だろうから、オレのを渡しとく。これね、名前と電話番号」
紙を見ると、尖った字で”袴田弘毅”と書かれていて、下に電話番号の数字が書かれている。
「ま、短い期間だけどよろしく」
先輩の見せる表情は、なんだか見下したような表情で、千尋はどうにも好きになれそうではなかった。
千尋と由利は袴田先輩の件を放課後に話そうということにした。教室で待ち合わせしてから、屋上に繋がる人気のない階段に腰を下ろす。
由利はまず最初に千尋に対して謝った。
「本当にごめんね。変なことに巻き込んじゃってさ」
「いや、完全に狙われてた感じだし、……それに、由利も巻き込まれたんじゃないの?」
「そう! 最初はなんで私? って思ってたんだけど、その後に千尋も誘うって話になって、やられたな、って思ったよ」
その後、由利は珍しく憤りながら経緯を説明してくれた。
「祭儀ってさ。袴田さんが持っている鎮守の森を潰すっていう話なのね。千尋は知らないと思うけど、あそこって昔から大事にされていた場所だし、触れるの厳禁って感じだったから、うちのおばあちゃんとか大激怒してたの。袴田の若様はダメだってね」
「ちょっと待って、祭儀って鎮守の森でやるの? しかも、潰す……?」
「うん。大規模開発の候補になったんだって」
千尋は今更ながら、大変なことを引き受けてしまったことがわかった。
萱森神社は敷地の広い神社で、神社に隣接して”鎮守の森”と呼ばれている場所も存在している。そこは散策できる森というよりも鬱蒼とした気配のある森で、人は立ち入りづらい場所だった。
千尋が萱森神社を避けるようになったのは、その鎮守の森で”神さま”の気配を感じたことがあるからだった。
神隠しの世界に居たような神達の姿はこちらの世界で見ることはなく、見たとしても影ばかりだった。鎮守の森もこの辺りで一番多く“影”が存在する場所だが、以前、学校のイベントで神社に近寄った際に、森の中に影とは違う異形の神の姿を見たことがあるのだ。
そういった存在が過ごせるだけのなにかがある場所なのだろう。もしかすると、神隠しの世界に繋がっていたりするのかもしれない。千尋はそんなことを考え、萱森神社には近づかないようにしていたのだ。
衝撃を受けつつ、ひとまず千尋は話の先を促した。
「そんなだから、普段は協力的な家の人も皆反対で、うちもそうだったんだけど、町内会の会長さんとか達も一緒になってウチにやって来てお願いしてきたのね。そうしたらお父さんも、うちも氏子だし断れないからやりなさい、って言うの」
それだけならまだ良いんだけどさ、と彼女はさらに怒気を込めた。
「その後になって、袴田先輩がやって来て。千尋のことも誘うから案内してくれ、って言われたのね。なんだろうって思ったら、神隠しの子が巫女をやる伝統とか言い始めて、はぁー? って感じじゃん。腹立つー」
近くには人はいないが、階段の下の廊下には人が通る可能性もあるので、由利は声を抑えながら、じたばたと怒りを表現する。
「もともと袴田先輩もさ、萱森神社の跡取りっていうことでよく知られた人ではあるんだけど、あんまり評判良くないんだよね。部活とかでも態度が横柄だとか、自分は特別って感じでなんか偉そう、とかね」
「あ、そうなんだ。まぁ、今日の感じだけでもわかるよ」
「ね。今日の態度も酷いよね。断らないだろうって感じの態度でさ。腹立つな~」
千尋は由利をなだめるように言った。
「もういいって。けど、巫女ってなにするんだろうね」
「どうせロクなのじゃないよ。袴田の先代はしっかりしていたんだけど、若様に代替わりしてからあんまり評判よくないし」
「その、若様ってなんなの?」
「あぁ、袴田先輩のおじいちゃんが先代の神主で、お父さんが今の神主さんなんだけど、先代の頃から若様って呼ばれてて、まだ呼び名が変わってないの。先代が病気になっちゃって急に代替わりしたから、最初は様子をみようって感じだったんだけどね……」
「あの袴田先輩のお父さん、ってことでしょ? そんな若様っていう年齢じゃないよね?」
「そうだよ。だけど、会合をすっぽかしたりとか、挨拶だけしてさっさと帰ったりとか、昔からそんな感じなんだって。なんか研究好きで神社に籠っているんだって」
「へー、じゃあ、あの先輩が言ってた、伝統の儀式を再現っていうのは本当なのかもね」
「そうなのかな? まぁこの辺りは神隠しが良く起きるっていうのは私も聞いたことあるけど」
「うーん。そうなると、……怖いね。鎮守の森だものね」
萱森神社の鎮守の森で、異形の神の姿を見たのは一度きりだったので、いつも存在しているのか、それともたまたまだったのか、千尋にはわからない。けれど、常に存在していたとしてもおかしくない雰囲気がある場所ではあるのだ。
そこで下手な儀式を行うことも怖いが、”本当の儀式”を行ってしまうのも千尋としては怖いところだった。本当に何かが起こってしまうのではないか、という懸念があるのだ。
「仙谷さんだけ参加することにならなくてよかったかも」
千尋は呟くように言った。
「私も正直千尋と一緒だと心強いけど、……やっぱり、申し訳ないなぁ」
それから、久しぶりに一緒に帰ろう、ということになった。
階段を下りて下駄箱に向かう途中、由利は「あ、バイト代貰えるらしいから、終わったら一緒に遊びに行って、買い物とかしようよ?」とようやく笑顔を見せた。
「あ、いいね」
あまり怖がり過ぎるのも良くないだろう、と千尋は思った。何事もなく終わるなら、由利といい思い出になるだろう。
胸の内に残る小さな不安を消すように、千尋も笑った。