巫女としての参加を袴田先輩から打診された日の後から、祭儀の話が色々な人の口に上り始めるようになった。
単に時期が近づいたからか、巫女の手配が整ったからなのか、千尋にはわからない。交友関係が狭すぎて、どういう広がり方をしているのか、誰がどこまで知っているのか、そういうことは全く分からない。
例えば、学校帰りに家まで帰ると、家の並びに住んでいるおばあさんから呼び止められて、「これ持っていきな」とお守りを渡された。おばあさんはこの辺りの事情通で、千尋の家の事情もよく知っているのだが、巫女の件もどこからか知ったらしい。
学校でも、社会科を担当している教師から廊下で呼び止められて、祭儀に出る件で「親御さんは知っているのか?」と心配されるということもあった。言っておきます、と千尋は応えたが、実際には連絡はしていなかった。心配させるだけだからだ。
千尋にも影響はあったが、由利の方はもっと大変だったようだ。遠縁の親戚からも、「お前の所は反対しなかったのか?」と恫喝混じりの電話が来たと、疲れた顔で言う由利を千尋は慰めた。
「私のところに言われてもねぇ、って感じなんだけどさ。うちも客商売だし、無下にできないしね」
「大変だね。私の方は知られているわけでもないから、そういう心配はないかな」
「そうだよね。うちの両親がさ、行き帰りの道は人がいないところに行くんじゃないぞ、って言ってた。大丈夫だと思うけど、千尋も一応気を付けてね」
大げさな、と思ったが、神社や地域の有力者の力が強い事を考えるとあながち杞憂と言えないのかもしれない。
「わかった。けどさ、なんでそんなことしてまで、森を潰そうとするんだろ」
「なんかさ、借金らしいって聞いたよ。なんか投資に失敗したんだとか」
由利が語るところによれば、袴田先輩の父親はいろいろなことに挑戦してみる気質の人であったらしい。そのうちの一つが、神社の資産を使った投資であったらしい。もともと堅実な運用をしていたようなのだが、高い利回りの金融商品に集中して投資を行い、かなりの損失が発生してしまったのだという。
「それで痛い目にあって、今は逆に投資自体を控えているみたいだけど、それはそれで極端だよね。氏子連からいろいろ言われて、お目付け役がついたっていう話」
「だから、”若様”呼びなのかな。それにしても、由利は詳しいね」
「まぁ、もともと商店街の中にいるから、自然と話が来るのもあるけど、今回は私が巻き込まれたっていうのもある事があるから、色々話は聞くんだよね」
千尋は表面的な関係性しか見えないが、この地域の人間関係は複雑に絡み合っている。その中でも、由利は深いところに触れられる立ち位置のようだった。由利は千尋がいて心強いといったが、千尋にとっても由利はとても心強かった。
巫女として祭儀に参加することになって、思わぬ影響もあった。千尋と由利が巫女をやることを聞きつけて、今まで話をしたことのないクラスメートから話しかけられるようになったのだ。
クラスメートもこの地域の子であり、家庭の中で「クラスにいるの?」とか、「どんな子なの?」と聞かれることがあったらしい。
今まで、千尋は話しかけることをしないので、クラスの中では孤立した存在だったのだが、話しかける機会があれば全く話さないというわけではない。今回の事で話しかける話題が出来たことをきっかけに話すと、そんなに悪い相手でもないという評価ができたらしい。それ以降、普段から普通に話しかけられるようにもなった。
だが、一方で別のクラスの人や、先輩の男子から妙な目線を送られる、というようなことも出てきた。
千尋は気にしていなかったのだが、最近話すようになったクラスメートの一人の女子がその内容を教えてくれた。
「なにやらね。神主は巫女と婚約するのが慣習なんだって男子が噂してるみたい。知ってた?」
それを聞いて、千尋と由利は二人してうげーと苦々しい顔になった。
「なにそれ、一体誰が言ってるの?」
「袴田先輩本人が言ってるらしいよ」
それを聞いて、千尋たちはさっきよりももっと酷い顔になってしまった。
先輩に会いたくはないが、このままにしておくのも迷惑だ、ということで、仕方なく千尋と由利は昼休みに先輩の教室に出向いた。
教室に着いて先輩を呼び出すと、先輩の友人と思われる人が「どっちが嫁になるんだ?」と騒ぎ立てる。袴田先輩は「まだ何も決まってないぞ」と返すが、悪い気はしていなさそうな表情だ。
もっと明確に否定しろ、と腹を立てながら千尋は口を開いた。
「変な噂を広めるのはやめてくれませんか?」
「本気で受け取ってるの? そういったことが過去多かったってだけだよ」
袴田先輩は何でも無い顔で誤魔化そうとする。
「迷惑しているんです。先輩からも否定してください」
「わかった、わかった。しておくよ。はぁ、別にこっちも婚約したいわけじゃないんだから」
本気で受け止めてなさそうな態度に千尋は腹を立てて、さらに一言言おうとするが、「もういいから行こう」と由利に止められる。
自分たちの教室に戻りながら「良いの?」と私が聞くと、由利は言った。
「良くないけど、あんな態度の人に行っても埒が明かないよ。うちのお父さんの方から言ってもらお」
なるほど、と千尋は思った。由利の方からはそう言った手があるのだ。千尋はさらに尋ねた。
「まさか、無理矢理婚約なんてことにはならないよね」
あり得ないだろうと思いつつ、もしかしてこの地域にそのような力関係があるのではないかと危惧した。引っ越してきた千尋は、この地域にとっては未だによそ者なのでその辺りの機微は図ることが出来ない。
「どうだろ。今回みたいに無理を通そうとしてきたら、婚約はさせられるかもね」
「そうなの?」
「しがらみも多いし。……けど、そうなったら私がどこかに逃げるだけじゃない? とにかく成人までしたら、どうとでもなるでしょ。昔はその辺りの差配もやっていたんだろうし、袴田に嫁ぐっていうのは誉れっていう感じだったんじゃないかな」
そう言った後に、彼女は千尋の方を見た。
「というか、千尋は自分の心配はしないの?」
「いや、ないでしょ。私なんて」
「そんなに卑下しないでも良いと思うけど……」
千尋たちが袴田先輩の教室に行ったことで噂は加速し、クラスメートの男子からは「玉の輿だな」とからかわれたがすぐ隣の女子に「やめな」と強く制止されていた。
「ちょっと、うちの親に相談しようと思って連絡したんだけど……」
放課後、千尋は百合に話しかけられるが、由利はどうにも歯切れが悪かった。
「どうしたの?」
「その……うち来てもらって、ご飯でも一緒に食べようって言い始めてさ。嫌だよね? なんか、お父さんと一回会っておいた方が良いんじゃないかって話してて、そうなるとご飯の時間だし、千尋って一人暮らしでしょ? それで一緒に食べましょう、ってことらしいんだけど」
私は少し考えた後に頷いた。
「いいよ。ご飯の準備はしていたけど、明日に回せる奴だし。むしろ、食べさせてもらうのが迷惑じゃないか、っていうくらい」
実際、一人暮らしだし、行くときにおかしなものを見たらどうしようというのが、一番悩ましいところだった。だが、最近はうまく対応できているし、現状の解決をお願いするなら、それくらいは無理するべきだろう。
「こっちから誘ったんだから、迷惑ってことないよ。あー、でもなんかウチを見られるのは恥ずかしいね」
「うーん、私も少し緊張するな」
それから、学校を出て、いつもとは逆の電車に乗る。「一緒に帰るのはひさしぶりだね」と言う由利と一緒に、千尋は由利の家へと向かった。
由利の家は商店街の中でコンビニエンスストアを営んでいる。由利は店の裏手に回って、裏口から家に入る。裏口から入ってすぐの場所にある階段を上ると、由利の母がいた。
「あらー、こんにちは。千尋ちゃんね。悪いわねぇ、急に家に来てもらうことになって。一人暮らしなんでしょ? 夕飯の準備とかしていたんじゃないの?」
「あ、こんにちは。夕飯は大丈夫です。今日は作り置きしていたものもなかったので」
「まぁ、本当にちゃんとしているのね。うちの子も料理ぐらいすればいいんじゃないかと思っているんだけど、全然手伝ってくれないの。今は勉強が忙しいだろうから、仕方ないかと思うし、女の子だから料理するっていう時代でもないでしょ。だから、まぁ構わないかな、とは思うんだけど、私はご飯作るの結構好きだから、一緒にやりたい気持ちはあるのよね」
「ちょっと、お母さん、変なこと言わないで」
由利の母は、かなり会話好きのようで、それからも初対面の千尋にも気軽に話しかけてきて、話が絶えない。千尋の母とは違うタイプだ。
その後、由利の部屋に行き、好きな漫画の話をした後、本当にくだらない話ばかりしているとあっという間に時間が経ってしまい、ご飯の時間だと声をかけられるまであっという間だった。
再びリビングに入ると、由利のお父さんがいた。
「あぁ、今日は来てくれてありがとうね」
「お邪魔してます。こちらこそありがとうございます」
「うん。まぁまずは食べようか。うちの家内はご飯が得意で、僕はどれも好きなんだ。気に入ってもらえるといいんだけど」
皆で食卓に着き、揃って「いただきます」と言って食べ始める。客用の箸でまず小鉢の和え物に手をつけると、確かにおいしかった。
人の家でご飯を食べる、という経験が千尋には今まで無かったので、はじめは緊張していたのだが、この場でも由利の母親が話を続けてくれて、徐々に千尋も緊張がほどけてきた。
ご飯がひと段落着いたところで、由利の父が改まって口を開いた。
「今日は来てくれてありがとう。悪いんだけど、荻野さんの人となりを知っておきたくてね。実際会ってみたら、とてもいい子だってわかって良かった。これからも由利と仲良くしてほしい」
「はい」
「もう、お父さん何言ってるの」
由利が嫌そうな顔をすると、「ごめんごめん」と由利のお父さんは軽く謝った。
「萱森神社の巫女の件で、うちも迷惑しているんだ。特に婚約とかいう噂は、いい加減に、止めるように動こうと思っているから」
「ありがとうございます。でも、どうするんですか?」
「うちも商店街のつながりがあるから、そこからお願いしてみるよ。まぁ、大丈夫だろう」
由利のお母さんも「時間かかるかもしれないけど、心配しなくていいからね」と千尋に向かって微笑んでくれた。
「まぁでも、きっと、その袴田さんの子供も本気じゃなくて、状況を楽しんでいるだけだよ。影響力を持っている感じがするだろうし」
それに対して、由利は「え、気持ち悪いね」と顔を顰めた。
「まぁ、まだ子供だから。問題は袴田の若様の方だと思うけどね」
その後、遅い時間になってしまったので、帰りは由利のお父さんが家まで送ってくれた。由利と一緒に後部座席に乗って、話しながら帰るとずいぶんと早く家に着いた。
家の中は当然真っ暗だった。明かりをつけるが、いつもより家の静けさが妙に気になった。