ひとしきり事情が周囲に共有されて落ち着きが出始めたころ、千尋たちは休日に萱森神社に呼び出しを受けた。
千尋と由利は最寄り駅で待ち合わせをして一緒に向かうことにした。
「そういえばさ、婚約の話は全然なくなったよね。千尋もそう?」
「うん、大丈夫になった」
「お父さん、商店街の人に相談しに行ったら、会長さんが出てきて、すぐに伝わったらしいよ。なんか、結構不満持っている人がいたから、その不満の吐き出しみたいなことになっちゃったみたい」
「……そういうのすぐ伝わるのが不思議。昔いたところだと、そういうことなかったから」
「色々つながりがあるからね。しがらみもあるみたいだけど」
仙谷さんは面倒がなくなって快いという風だったが、外から見ている千尋からすると独自のルートで一斉に情報伝達されるのが、少し恐ろしかった。
萱森神社の近くになると、千尋は警戒心をあげて、少し早足になった。長い参道を抜けて、神社の社務所を訪ねると、袴田先輩の母親が出迎えてくれた。
「どうもありがとうございます。案内しますので、上がってください」
神社ということもあって、人をもてなすことに慣れているようで、千尋と仙谷さんは案内されるままに上がってすぐ傍にある和室に通された。和室は宴会も出来るような広さの場所で、しっかりと整えられていた。
座布団の上に座り、出されたお茶に軽く口をつけてから、心持ち小声で会話をした。
「初めて通されたけど、凄いところに通されたね」
「そうかな?」
「えぇ! もしかして、千尋って凄い良い家で育ってたりする? なんか、和室慣れしているような気もするし」
なるほど、と千尋は思った。確かに感覚がおかしくなっているかもしれない、と気づいたのだ。
なにせ湯屋では豪華絢爛と言うのがふさわしい部屋がいくつもあり、ちょっとした装飾ですら贅を尽くした造りだったのだ。それと比べればこの世界での贅沢品はどれも物足りない。
和室に慣れているのも当然で、千尋は少しの間とはいえ湯屋で他の従業員と一緒になって働いていたのだ。今まで和室で過ごす事が無かったので気がつかなかったが、当然所作は身体に染みついている。
千尋が弁明をしていると、和室に人がやって来た。袴田先輩ともう一人大人の男性で、顔立ちからも袴田先輩の父親でもある通称“袴田の若様”であることが分かった。
二人が目の前に座ったところで、千尋も由利も崩れた足を改めて直し、背筋を伸ばした。
「改めて、巫女を引き受けていただきましてありがとうございます」
そう言って頭を下げられた後、今回の祭儀の説明をされる。
今回は二回に分けて儀式が行われる。一回目が前祭で、数日後の新月の日に行う。服を着替え、森の中に入り、森の中に作った儀礼用の場所でしばらく儀式を行う。基本的に覚えることはなくて、呼ばれたときに前に出てくるといった簡単なことだけらしい。
二回目が本祭で、こちらも同様になるが、前祭よりも時間はかなり長くかかるとのことだった。やはりこちらも準備はないが、一回目も二回目も心身を整えて来て欲しいということだった。
「鎮守の森と呼ばれている場所に入っての儀式になります。森というのは一種の別世界でして、かつてこの場所では森の中に入って身を清めるとか、そういったことが行われていたんですね。つまり、あの場所は別の場所に繋がる場所として、色々な儀式などもされてきたわけです」
そんな前置きをされた上で、儀式をやる意味についても説明がされた。
「ただ、最近は激しい修行をやると言うこともないですし、世の流れもあって森に手を加えようとしています。その祭に、森の繋がっている場所を閉じるような儀式をしておかないと繋がっている場所から流れてくるモノが溜まって、澱みになってしまうわけです。いわば今回は、門を閉じるような儀式というものです」
説明された内容自体は納得もできるものだった。もしかしたら、既に何度も話をしていて慣れていたのかも知れない。
その後、次に来る日付と時間について説明された後、最後に紙を渡された。
「お給料……ではないですが、二人には謝礼を渡しますので、紙にフルネームを書いてもらって良いですか。本日分も含めて、まとめてお渡ししますので」
少し躊躇したのだが、仙谷さんが素直に名前を書いているので、千尋も諦めて名前を書いた。あの神隠しでの出来事から、千尋は、自分の名前を書いて人に渡すということに抵抗があるのだ。
紙を渡した瞬間に嫌な予感がしたのだが、すぐにその紙はしまわれてしまった。
新月の日、千尋たちは十七時に神社に来るように言われた。千尋たちは前と同じように駅で待ち合わせをして、神社へと向かった。
神社にたどり着くと、早速服を着替えさせられた。しっかりとした生地で出来た白装束で、下半身は同じ生地のズボンが用意されていた。靴下の代わりに足袋を履かされた。
「あら、髪留め使っているのね」
千尋たちの着替えの手伝いをしてくれた神社の人は千尋の髪の毛を見てそんなことを言った。
「綺麗な紫の髪留めね。あまり派手な装飾はダメなんだけど、これはどうかしら」
「これは外したくないんですけど…… 大事な物なので」
「……そうね。これくらいなら大丈夫でしょう。他に物は持ち込まないでくださいね」
その人はそう言って、千尋の髪留めを許してくれた。
着替え終わった後、千尋は「少し携帯を見させてください」とお付きの女の人に告げた。女の人は少し渋い顔をしたが、「物の持ち込みはだめですからね」とだけ言われる。千尋は携帯を少し操作した後、鞄に入れていた物をこっそりと胸元に入れた。
千尋たちはそれから用意された夕飯を食べた。夕飯は精進料理のように肉や油が使われていない品だったが、ほどよく美味しかった。綺麗な漆の器に盛られたそれは、特別な日の食べものだという風格があり、否応なく気持ちを儀式に向けさせられていった。
少し休憩した後、儀礼用の服に着替えた人々が現われた。袴田先輩もその中にいたが、さすがにこの場では真剣な顔をしている。そのまま社務所から出ると、外はすっかり暗くなっていた。
神社の参道には横道があり、そこには木で出来た、古びた鳥居が立っている。その鳥居は、神社と森との境目にもなっているのだった。
森の中には道があるが、舗装はされていない。横幅もなく、一人が通るには十分だが人が横に並んで歩けない程度だ。
日が落ちた後の森は暗い。舗装されていない道を歩いて行く千尋たちは、道に沿った木の枝に取り付けられた電球で照らされている。電球は道に沿うような形で電線が繋がっている。しかし、その明るさがあるせいで、森の奥は一層暗く感じられる。
森の入口にある鳥居を見て、由利が怖がっているのを感じて、千尋は彼女より先行して森の中を進むことになった。千尋たちの一団は、一列となって森の中を進んでいる。誰も話をしないので、森の中の虫の音と足音だけが聞こえている。
森に入ったところから、何度か後ろを振り返って由利を見るが、彼女の顔はこわばったままだ。こんな雰囲気の中でやるとは聞いていない、ということを考えていそうだ。
千尋の方も余裕はなかった。電球の明るさが邪魔して見通しは聞かないが、森の中にいる暗い影達はいつもよりも多く、そして存在感を強く感じる。それは森の中に入ったからなのか、夜だからなのかはわからなかった。
それから少しして、少し開けた場所へとたどり着いた。そこには篝火が焚かれていて、明るく照らされている。そこに先頭を歩いていた袴田さんが真ん中に歩いて行く。
千尋と由利はその中心に置いてある椅子にまで通され、千尋たちの前後にいた人たちはその場周りを囲むように広がった。そして、その周りには暗い影達がいる。
(これは、何かしらの準備が整ってしまっている、という気がする……)
千尋の感覚がそう告げていた。そして、その場に当本人として存在するのが、今更ながら恐怖だった。
「それでは始めます」
その一言を袴田さんが告げると、サッと冷たい風が走り、場が引き締まった気がした。
なんらかの言葉を告げながら、儀式を行っていく。意味は分からないが、その場の空気が重くなっていくのが感じられた。千尋の場合はさらに、周りの影達がその存在感を増していくのがわかった。
徐々に空気が重くなっていくような感覚と共に、地面の下や木の上から影の存在がにじみ出てくるのがわかった。
(来るよ……)
彼らは徐々に祭儀の中心部へと向かっていく。最初の1体が、篝火の雨においてある台に近づき、置かれた紙に近づいたかと思うとそれを食べるかのように立ち止まった。その後は、篝火の向こうが集まり、なにやら規則的に動いている。
誰もが口を閉ざしている中で、影達の小さな声だけが聞こえてくる。
(来る……)
しばらくそれを続けると、森の奥からひと際大きい影の塊が近づいてきた。徐々に何か近づいてきて……、重圧が強くなってくる。
私は、胸元に持っていた紙を取り出して、それを拝むように両手で持つ。塊は私が持っている紙に気が付いたのか、体の一部を伸ばして紙を包み込んだ。見た目には何も変わらないが、何かが変わったのか、両手で持つ紙が軽くなったような気配すらあった。
影はそのまま前に進んでいき、袴田の若様をそのまま素通りして火の向こう側、影が固まるところに辿り着く。
(…………)
(…………)
(…………)
(…………来た)
ずっしりと重圧が一気に増した瞬間、周囲が固まった。キ──ン、と耳鳴りがしたような状態となる。
一気に周りが騒がしくなり、千尋は色々なものにもみくちゃにされながら、その場を必死に耐える。その間も、袴田さんの声は続き、儀式は続いているようだ。
どれくらい時間が経ったのか、体感としては随分と時間が経ったところで重圧がなくなり、周囲にも静けさが帰ってきた。それからしばらくすると、袴田さんが儀式の終わりを告げた。
「これで前祭は終わりとなります。皆様ありがとうございました。それでは戻りたいと思います」
その声を聞いて、由利は小声で千尋に話しかけてきた。
「なんか、あっさり終わっちゃったね」
そう言って微笑む彼女に、千尋は曖昧な表情しか返すことが出来なかった。