千尋と由利は、存在が薄れてきても学校に通っていた。素人考えではあるが、日常を保ち続ける事が自分自身を保つ最良の行動に思えたのだ。
学校で千尋たちは認識されないことが多くなってきたが、可能な限り存在をアピールし、二人で一緒に行動することでそれぞれが自分を見失わないように行動した。
一方で、袴田先輩は独自に対策を取っているようで、今は学校に来ていない。
千尋と由利が神社に行った後、先輩が学校に来なくなる前に、一度だけ学校で袴田先輩と出会った。名前を書いて持って行った千尋に恨み言を言うかと思ったが、あっさりとした反応だった。
「余計なことをしてくれたよね」
先輩の軽い反応が千尋にとっては不思議だった。そのことを尋ねると先輩は答えた。
「だって、今回の対象は荻野さんか仙石さんのどちらかでしょ。おれは荻野さんの方だと思っていたけど」
より繋がる人が少ない方が神隠しに遭いやすい、という事で、彼は自分が消える可能性はないと考えているようだった。
「神社に生まれた身として、貴重な経験を積めると思って味わってみるよ」
そんな風に、先輩は余裕すら感じられた。いくら“仕掛けてきた側”とはいえ、千尋が無理矢理巻き込んだ形になるので気にしていたのだが、そんな心配は無用だったようだ。
千尋と由利は放課後に図書館などで地域の伝承を調べたりもしてみたが、あまり良い結果は得られなかった。袴田さんが言っていた話を裏付けるような逸話を見つけることは出来たが、しかし対応策を見つけることは出来なかった。
そんな中、満月まであと数日というところで、ついに由利は家族からも認識されなくなってしまったのである。
以前ご飯を一緒に食べたあの暖かい家庭が失われつつあることに、千尋は悲しみを感じた。
「ねぇ、じゃあさ、うちの家にくる?」
千尋は由利にそう提案した。誰からも認識されない状態で過ごすのは良くないことになりそうだと思ったからだ。ここを乗り越えなければ、元に戻ることもない。少しでも希望を残さないといけないだろう。
「お邪魔しまーす」
家族に認識されなくなってしまった由利を、千尋は自分の家に招待した。
「へー、普通の家だね。こんなに広いところで過ごしていて、寂しくないの」
「うーん。もう慣れた、かな」
千尋の家に人を呼ぶのは初めてだった。そもそも友人が少ないということと、家に人を呼べば、千尋が一人で暮らしていることを説明しないといけなくなること、その辺りが理由で呼ぶ気になれなかったのだ。
「夕飯は一緒につくる?」
「うん。なんかお泊まりみたいで楽しいね」
由利は一時期の自身が消えてしまう不安を通り過ぎて、脳天気に明るくなってきていた。まるで現実との縁が切れて、存在が軽くなった風船のようだった。それに対して千尋は焦りを覚えるが、しかし、対処法を見つけられなかった千尋たちはこのまま日々を過ごすしかない。
家にあった材料を使って、千尋たちはパスタとサラダ、それにスープを夕飯にした。お腹に物をいれると、なんとなく千尋と由利の存在感が現実に近づいた様な気がする。
あの世界で、あちらの世界の物を食べなければ消えると言われたけど、その逆もあるのかもしれない。千尋はそんなことを思う。
萱森神社での祭儀をやってから、千尋はかつての神隠しの事を思い出すことが増えた。対処法が見つからない中、あの時の体験が一番の判断基準になるような気がしたからだ。
だが、あの時は何が起こっているのか分からなかったが、少なくとも手助けしてくれる人は居た。しかし、今は誰も居ない。
ご飯を食べた後、食器を片づけて、それぞれでお風呂に入る。この家で他人と一緒に過ごすのは本当に久しぶりの事だった。千尋たちは旅行のような感覚で、二人なのにずっと騒ぎながら過ごした。
寝るときは千尋の部屋で二人一緒に寝ることにした。客用の布団を出して、千尋のベッドの隣の床に敷く。千尋はリンさんと夜に、湯屋の外を見ながら話した時のことを思い出した。
暗くなった部屋の中で、由利が言った。
「バイト代入ったら遊びに行こうって言ったけど、無理かもね」
千尋はすぐには言葉が出なかった。
「……何言ってるの」
「私が消えても、千尋だけは覚えていてくれるかな……」
千尋は布団の中で由利の手を掴んだ。その手は冷たい。
「もし由利が消えるくらいなら、私が消えるよ」
「やめてよ」
「ほんとだよ。由利は家族もいるじゃん。私は家族からも離れて過ごしているし、消えても迷惑かからないよ」
それは千尋の本心だった。
神隠しに遭ったとき、千尋は父と母と一緒に元の世界に帰ることを、強い気持ちで願っていた。そしてそれは叶ったけれど、最近ではたまに考えてしまう。あのまま、あちらの世界で働いていても良かったのではないか、と。
少なくとも、あちらでは仕事をすることで自分の居場所があった。けれど、今の自分には居場所がない。
そんな千尋に対して由利は言った。
「私ね、思うんだ。千尋の存在が薄れていないのは、やることがあるからなんだよ。ちゃんとこの世界に居る意味があるんだよ」
そう言って、由利は千尋の手を握り返してきた。千尋も答えた。
「由利だって、きっとそうだよ。ちゃんとこの世界に残ろう? それで一緒に遊びに行こうよ」
「そうだね……」
千尋と由利はそれから無言になった。けれど、お互いなかなか眠れなかった。