満月の日が近づくにつれて、由利はだんだんと千尋から見ても存在感が薄れていき、生気がなくなっていくようだった。
学校にも行かずに千尋の家で一緒に時間を過ごしていたのだが、満月の日の祭儀の時間が近づくと、由利はふらっと立ち上がった。
「行かなきゃ……」
一度動き始めた由利の動きに迷いはなかった。このまま家に引き留めてもどうしようもないと思った千尋も、神社に向かう決意を固めた。
由利は神社に辿り着くと、そのまま参道の途中で森へと続く鳥居をくぐった。前回と同じように、森の枝に電球が吊られていて、森の奥までの道を照らしていた。前回は千尋が先行したその道を、今日は由利が先に進んでいく。
(今日は、森の影はいない)
千尋は道を歩くが、前回は森の闇に潜んでいた影達が姿を消していた。それが何を示すのかわからないが、千尋は逆に不安を感じながら先へと進んだ。
森の中の広場まで辿り着くと、そこには袴田先輩が既にいた。先輩は千尋たちの方に背を向けて立っている。
由利が先輩に近づいていったのに合わせて、千尋も先輩に近づく。
先輩の様子をうかがうと、表情は虚ろで、目には意志が宿っていなかった。
どうやら、先輩にもどうすることが出来なかった事が分かり、千尋は下手な後悔をしないで済みそうだと安心した。
それから、ほとんど時間をおかずに袴田さんを先頭に、何人かの人が広場へとやってきた。彼らは千尋たちを囲むような立ち位置を取ったが、どうやら千尋達のことは目に入っていないようだった。
祭儀は進む。
新月の時には千尋と由利の二人が並んでいたところに、袴田先輩もいれた三人が並んでいる。千尋は呆然と佇む二人の真ん中に入った。
今、祭儀を取り仕切っている袴田さんの中では先輩の存在はどうなっているのだろうか、と宛てもないことを千尋は考えた。存在しているのか、していないのか。しているとしたら、どんな気持ちで祭儀を行っているのだろうか。祭儀が終われば返ってくるという希望があるのか、あるいはもう戻ってこないと諦めているのか。
満月の儀式は粛々と進んでいく。それとともに、新月の時にも感じた圧力を千尋は感じ始めていた。新月の時と違って、今は何が起きようとしているのか分かる。何かを呼び出しているのだ。
千尋はその圧力を感じながらふと横目で由利の方を見る。すると、由利の身体には、黒い闇のようなナニカが集まり、その身体を呑みこみ始めていた。千尋は動こうとするが、身体は固まってしまっている。反対側を見ると、袴田先輩も同じだった。
その黒いナニカは周囲から集まってきているようにも見えるし、由利の身体から湧き出ているようにも見える。由利はそれに抵抗するでもなく、ただ埋もれていく。
徐々に由利の身体は包み込まれていき、最後には頭までもが包まれた一つの塊となった。
そして、その闇の奥から、……仮面が現われる。
(カオナシ……!)
千尋は衝撃で目を見開いた。
反対側に目をやると、袴田先輩も同じように、まるでかつて見たカオナシのような姿となっていた。違いとなるのは仮面の模様で、由利と袴田先輩の仮面も違った表情と模様をしている。
(まさか、名前を奪われた人はカオナシになるの……?)
千尋はそれまでの出来事をつなぎ合わせて、推測が頭の中で出来上がっていた。
確かに、向こうの世界のカオナシも、存在がおぼろげで確固たる形がない存在だった。
けれど、そんなことがあるのだろうか。だとすれば、あの時のカオナシも、元々は神隠しにあった誰かだったのだろうか。
千尋が事態を飲み込めないでいるうちに、儀式は終盤となっていて、袴田さんが一際大きく声を発した瞬間、黒い闇が一気に溢れだし、千尋を含めて周囲を覆い尽くした。
「ふむ、困ったものだ」
巨大な木々に囲まれた場所の中で、千尋は蛇の頭を持った、千尋の倍近い体格の存在と向き合っていた。
その蛇頭は時代劇に出てくるような裃付きの和服を着ている。頭は蛇なのにどうやら手足はあるようだった。
千尋の横には変わらずカオナシとなった二人が立っていたが、その他の人たちは見当たらない。その代わりに、大小様々な蛇に囲まれていた。周りを囲む蛇は千尋たちを興味深く見ているようだったが、お行儀良く並び、こちらに近づく様子は見えなかった。
「あの、蛇さん」
千尋はどう話しかけるか迷って、結局そう呼びかけてみた。
「しかし考えてみれば、これも全て必然なのか。ふむ。そうであれば、やるべきことをやるしかないか……」
「あの……、すいません」
「こんなことになるとは、思っていなかったな。だが、このまま忘れ去られるよりは良かったのかも知れない。兎にも角にも、この森から立ち去れるのだから」
しかし、蛇頭は千尋の声かけを無視して大きな声で独り言を話し続けたので、千尋はそれを遮るように力の限り大きい声を出した。
「あの……、すいません!」
「うるさい!!!」
ようやく反応した蛇頭の大声量に、千尋の身体はビリビリと震えて固まった。カオナシ達もその周りの黒い塊がブルブルと震えた。
「こっちは久しぶりに呼び出されたんだ。少しくらい待ちなさい」
そう言って、蛇頭はその首を伸ばして、カオナシとなった二人と千尋を順番に見ていく。あまり目が良くないのかもしれなかった。
彼は一巡した後、千尋に顔を向けて口を開いた。
「色々なきっかけとなったのはお前だね。不思議な子だ」
そう言って蛇の頭が伸びて、千尋のことをぐるりと一周して、舐めるように見られた。千尋は食べられるのではないかという恐怖を感じた。
「……よし、いいだろう。なんでも聞くが良い。その代わり、最後に一つ手伝ってもらおうじゃないか」
千尋は、お腹に力を込めて、蛇頭に対して要求した。
「私たちの名前を返してください」
しかし、その要望に対して蛇頭は首を横に振って答えた。
「私を呼ぶために一つ。そして、願いを叶えるのにもう一つ。そういう契約だ。全て返すことは出来ない」
「なら、奪うのは私の名前にして。由利の名前は返して」
千尋は叫ぶように言う。対する蛇頭は落ち着いたまま、少し話をした方が良さそうだ、と呟いた。
「面倒だが、お前には手伝って貰わないといけないからね」
蛇頭は懐からキセルを取り出して、懐から大きなマッチを取り出して火をつけた。
「よく聞きなさい。まずお前に手伝ってもらうことがある。それをするなら、一つ名前を返してやろう。そうすれば、お前の名前一つで済む。残りの二人は帰れば良い」
「なにをすれば良いの?」
「なに、もともとの新月の日の願いを叶えるのを手伝ってもらうだけさ。この森から立ち去れ、というね。この願いだけはね、私一人ではどうやっても叶えられないのさ」
蛇頭はキセルを大きく吸って、煙を吐き出した。
「だが、契約は成さなければならない。お前達は忘れているかもしれないが、そういう約束をしたのでね」
蛇頭は目を細めた。寂しさのようにも、昔を懐かしむようにも見えるが、千尋にはそれを読み取ることは出来なかった。
「お前には私が去った後に扉を閉めて貰えば良い。多少、力は分け与えてやろう」
「……いいわ」
自信はなかったが、千尋はやりきる覚悟を決めて答えた。
「その後、私もカオナシになるのね」
「いいや。お前はならない。今もカオナシになってないだろう?」
「どういう意味?」
「お前の名前も、もう貰っているよ。お前がカオナシにならないのは、もう一つの名前があるからさ」
千尋は蛇頭の言葉を受けて考えた。千尋の名前、もう一つの名前。少しして、ふと思い浮かぶ名前があった。かつて、魔女に名付けられたその名。
「なぜ二つ名前があるかは知らないが、おまえさんはなにか契約でその名前を使っただろう。もう破られてはいるが、とても古く、強い契約だ。だから、荻野千尋という名前を貰ってもカオナシにはならないのだよ」
「……じゃあ、私も元の世界に帰れるの?」
千尋が言った質問に対して、蛇頭は優しげな目つきで答えた。
「……お前だって、分かっているだろう」
「……そうね」
しばらく無言の時間が続く。千尋は由利との会話を思い出していた。
「千尋の存在が薄れていないのは、やることがあるからなんだよ。ちゃんとこの世界に居る意味があるんだよ」
(意味、意味か……)
千尋は問答をそこで打ち切ることにした。
「それでいいわ」
「よし、それでは進めよう」
千尋の答えを受けた後、蛇頭は周りを囲む蛇たちを見渡して、その中でもひと際目立つ一匹の白い蛇に目をとめる。蛇頭が手招きをすると、その蛇がするすると広場に進み出てきた。
そのまま蛇が千尋の方に近づいてくるので、千尋はとっさに逃げようとするが「動くんじゃない!」と一喝されて、逃げようとした姿勢のままで身体が固まった。
白蛇は千尋の足下にやって来た後、するすると身体に巻き付きながら上ってくる。その感触に鳥肌が立ちながらも、千尋は身体を動かさなかった。
小さな白蛇は、千尋の肩まで来たところで落ち着いた。
「その子については、お前の身が果てるまで、好きに使うが良い」
千尋は白い蛇の姿に懐かしいものを感じた。自分の顔の横にいる蛇に向かって、「よろしく」というと、蛇は会釈するように頭を下げた。
蛇頭はその様子を見て、どうやら気に入ったようだ、と口にした。
「あとはこの地から去るだけだ。私は行くとしよう」
「私は何をすればいいの?」
「お前にはね、私がいなくなった後に、扉を閉めてもらいたいのだよ」
そう言って蛇頭が体を横にずらすと、その体の後ろに大きく古めかしい扉が置かれていた。
「この扉も昔はかなり行き来があったものだが、久しく使われていないね。忘れ去られる前にお前が来たのは、むしろ良かったのだろう」
そう言うと、蛇頭は扉に近づいた。
「開けるのは私がやる」
そう言うと、蛇頭は全身に力を込めて扉を引っ張った。力が入ったせいでその体は一回り大きくなったようだ。唸り声のような声を漏らしながら、扉に力を込めていく。
蛇頭の足元にもくぼみができたところで、扉は音を立てて開き、一気に全開となった。その瞬間、開いた扉に向けて、吸い込まれていくように風が扉に向かって集まっていく。
千尋はその風に吸い込まれないように足を踏ん張った。首元の蛇も千尋の服の中に納まった。
「さぁ行くよ、お前たち!」
蛇頭がそう言うと、周囲を囲んでいた蛇たちが移動を開始し始める。
風の流れに逆らわずに、蛇たちは次々と扉に向かっていく。中には風の勢いに乗って扉に吸い込まれていく小さな蛇も何匹かいた。
千尋がその光景をただ見つめていると、服の中にいた蛇が千尋の胸元を小突いた。千尋が目を向けると、その首で横を示した。その向きに目をやると、カオナシとなった由利と先輩が扉の方に吸い寄せられていた。
「由利!」
千尋は風にあおられながらも、二人の前に立ちふさがって、それ以上進むのを押しとどめる。幸い、風は落ち着き始めていた。
すべての蛇が入り切ったところで、扉の境界に立った蛇頭が千尋に呼びかけた。
「これですべてだ。閉じておくれ」
扉を閉じようと近づいてみると、扉は千尋の何倍もの大きさがある。
千尋はまず片側を閉めようとするが、腕の力だけではびくともしない。千尋は体勢を変えて挑戦し、とにかく全身を使って扉を押すと、なんとか扉は動き始めた。
だが、そうやって片方を閉めた後、もう片方を閉めようとすると、閉じたはずの扉がまた徐々に開き始めてしまった。
「ダメだ。空いちゃう」
千尋の弱音に、蛇頭があきれたような声を出した。
「まったく。蛇を渡しただろう」
そうか、と千尋は思ったが、こんな小さな蛇に何ができるのだろう。千尋が胸元の蛇に目を向けると、蛇は首をかしげている。
「指示すればいいんだよ」
蛇頭がそう言うので、千尋は「えぇと、扉を抑えてくれる?」と言うと、蛇は千尋の服の中から出た瞬間に、ムクムクと人よりも大きいくらいのサイズに巨大化した。その体のまま、扉の前に全身を置いて、扉が閉まるのを食い止める。
千尋はその間にもう片方の扉も全身を使って閉じていく。最後、後は隙間を残すだけとなったところで、両方の扉に手をやって、大きくなった蛇と一緒に、渾身の力を込める。
扉が閉じようとする瞬間、向こう側から声がした。
「……あとは頼んだよ」
その次の瞬間、扉はバタンと閉じられ、そして、そのまま枠がバラバラになって倒れていく。もともと古かったので、自然と壊れたようだ。壊れて倒れた扉の向こうには、ただ森が広がっているのみで、蛇頭の姿は見えない。
その代わりに、周りの森から明かりが消えて行って、四方から闇が迫って来ているのが分かった。
後ろを振り返ると、後ろも同じで闇が迫ってきている。あとに残っているのは、カオナシになった二人と、千尋と蛇だけだ。
千尋は二人に叫んだ。
「起きて! もう名前は戻ってるでしょ」
しかし、二人に反応はない。その間も闇はどんどん迫って来ていて、千尋たちを包もうとしてくる。
どうすべきか迷ったのは一瞬だけ、次の瞬間、右の方のカオナシに向かい、仮面を思いきり掴みながら呼びかける。
「仙谷由利!」
呼びかけると、仮面がはがれ、その中から由利の姿が出てくる。
もう時間がない。左のカオナシに向かい、飛びつくように仮面を掴んで言う。
「袴田弘毅!」
闇から出てきた二人の手を掴み、全てが闇に包まれる瞬間、千尋は叫ぶように声を上げた。
「帰ろう!」