『…………はい、こちらFOX1の――』
「もしもしユキノ先輩、SRT特殊学園はお昼寝大会でも開催中だったかしら?」
コール音が鳴ってから数秒、相手が出た気配を察知すると、私は応答を待つよりも早く皮肉を叩きつけた。生真面目なユキノ先輩に向かってこんな言い方をするのは初めてだが、今の状況を考えればこれくらい言って当然だとも思っている。
『……ああ、リーザ、か』
「?…………えっと、ユキノ先輩よね?」
信じられないほど弱々しい、消え入りそうな声音に、私は思わず聞き返してしまった。二年間聞いてきた先輩の声を間違えたりはしないはずだが、
『ああ、私で間違いないよ』
「……そう」
まだ二言三言交わした程度だが、私からはもう皮肉を言う気はなくした。いつもなら軽口をたたきにくい相手だからという理由なのだが、今日に限っては違う。「ごきげんよう」なんて言うべきじゃないのが分かるくらいには、ユキノ先輩は憔悴している様子だったからだ。
『どうしたんだ、リーザ?』
「決まっているでしょ。ヴァルキューレはとっくにパンクしているし、管轄外である対策室まで駆り出されている状況で、なぜSRTの特殊部隊は出撃しないの?あなたたちFOX小隊因縁の『災厄の狐』ですら元気よくお外を走り回っているのよ。いつまでも引きこもってないで手伝ってくれないかしら?」
『……ああ、やはりその件か』
「まさか新入生たちが心配で出撃できない、なんて言わないわよね?練度に不安があるなら置いていけばいいでしょ。今は市民の方を優先するべきよ」
『そうじゃない……ただ、出撃許可が下りないんだ』
「は?」
こんな非常事態に、SRTという最強の切り札を大事に仕舞っておく余裕なんて、今の連邦生徒会には無いはずだが。
『何度上申しても駄目だったんだ。責任をとれる者がいないからと……』
「……指揮権の問題か」
ああ、そうだった。SRT特殊学園は連邦生徒会傘下にあるが、行政委員会ですら容易に手出しできない極めて特殊な組織なのだ。
設立当初のSRTは、ヴァルキューレや各自治区の風紀委員では対処できないD.U.地区の犯罪を解決するための学園だった*1。しかし先輩たちの活躍もあって今では、犯罪が発生した際にはいつどこであっても即時の対応ができるようになっていた*2。だがどれだけ権限が拡大しようと変わらない事実がある。
――SRTを動かせるのは、連邦生徒会長ただ一人……ということだ。
まだ可決されていないが、対策室が得ようとした指揮権だって必ず連邦生徒会長を経由する仕組みになっていた。要するに連邦生徒会長の存在が無いと、SRT特殊学園は身動きが取れないのだ。
これは制度上の重大な欠陥だろう。まあ、そもそも連邦生徒会長が失踪するなんて想像できた者はキヴォトスで誰一人いないだろうから仕方ないかもしれないが。常に最悪を想像しろとユキノ先輩に教えられてきた私とて、あの超人がどうこうなるだなんて思わなかったし。
「……そっちの状況は把握したわ。袋小路に入り込んでしまった、ということみたいね。連邦生徒会長直属の特殊部隊が、失踪した本人の捜索すらできないなんて随分間抜けな状態じゃない」
『こちらでもニュースやSNSでキヴォトスの現状は確認している。……命令違反をしてでも飛び出そうとするやつはいなかったが、限界は近い。みんな、なんとか堪えている状態だ』
その『みんな』にはユキノ先輩自身も含まれているのだろう。絞り出したような声を聞いて私はそう判断した。……まあ、気持ちは理解できる。キヴォトスのあちこちで暴動が起き、困っている市民が溢れているのに、どんな時も冷静で連邦生徒会の命令には従順なユキノ先輩とてこの状況で「待機していろ」などと言われて納得できるはずがない。
「先輩方の感じているやるせなさは理解したわ。それなら――」
『……リーザ、お前は『シャーレ』を知っているか?』
「えっ、いきなり何よ。……理科の実験器具のことでしょ?」
でもなんだってあんなに重苦しい話から一転して、突然ガラス製の平皿の話になるのか。理解に苦しむぞ、ユキノ先輩。
『そっちじゃない。……その様子だと知らなかったようだな。シャーレとは会長失踪後、連邦生徒会が急に立ち上げた部活だ』
「は?」
連邦生徒会の最高幹部、対策室長である私ですら知らない組織が水面下で設立されていた*3?しかも、キヴォトス全体がこの大混乱に陥っている最中に。ありえないだろ、そんなの。
慌てて調べてみると、ユキノ先輩が口にした組織は確かに存在しているようだ。設立者はリンちゃん*4?……こんな時に何をやっているんだ、あの無愛想女。会長不在の混乱に乗じて勝手に組織をでっち上げるなんて、いくらなんでもあの堅物がやるとは思えないが……。
「……これ、何かのミスで設立『されちゃった』組織じゃないでしょうね?私の見間違いじゃなければ、所属人数が一人って書いてあるけど」
それ、もう組織ですらないんじゃないか?こんな状況のキヴォトスで、たった一人しかいない部活を急に新設したところで、何の役に立つとも思えないのだけれど。
『いや、それはないだろう。シャーレは我々SRT特殊学園と同等――いや、それ以上の超法規的権限を持っている組織だ。単なるミスで設立されたとは思えない』
「それこそ冗談でしょう? 何の実績もない『ぽっと出』にそんな権限が与えられるわけないじゃない。すぐ調べるから待って――は!? 何なのよこれ!?」
いつの間にかしれっと連邦生徒会のホームページに追加されている『シャーレ』のページを見て、私は驚きの声を上げた。その内容があまりにも突拍子もなかったからだ。
――いわく、シャーレとはキヴォトス全学園の生徒が制限なく加入可能な超法規的機関で、どこであっても制約なしに戦闘活動を行える権限を有している部活らしい。
なるほど。これなら、ユキノ先輩がSRT特殊学園『以上』の権限と評したのも頷ける。会長どころか連邦生徒会にすら一切の連絡を入れず、自治区で自由に『徴兵』し、自由に戦える権利を『ぽっと出』に与えるなんて正気の沙汰とは思えないけど。
SRT特殊学園が、どれだけ苦労して今の地位を築き上げてきたと思っているんだ?ユキノ先輩やFOX小隊をはじめとする先輩たちの世代の奮闘があり、そこに私たちの世代が続いた結果、ようやく有用性を認められてD.U.地区以外への出撃が許されたというのに。それを、なんだってこんな新参組織が?
しかももっとも不可解なのは、キヴォトス外部から招いた大人にこの権限を『プレゼント』するということだ。もはやまともな思考回路では、このシャーレとかいう部活の正当性が説明できるとは思えない。……外から見たらその大人に連邦生徒会が乗っ取られたようにすら見えるぞ。
「……主席行政官様はストレスでどうにかなさったのかしら?それとも何もかもどうでも良くなって、こんなおかしいことを始めたのかもしれないわね」
『お前から話を聞く限り、七神リン主席行政官は仕事を投げ出す人物とは思えないが……』
それはどうだろう。間違いなく今のリンちゃんはキヴォトスで5本の指に入るほどには忙殺されているだろうし、会長不在のストレスも相まってついに『はっちゃけた』可能性もあるのだから。
多分いつもの五割増し以上は眼光が鋭そうな今のリンちゃんを想像すると、サンクトゥムタワーの内部が心配になってくるな。あれ以上他人に威圧感を与えるようなら、歩いているだけで人が逃げていきそうだ。
それに真面目な話をするなら、行政委員会を通さずにこれだけの権限を持つ組織を急に立ち上げるなんてコンプライアンス的にどうなんだ、リンちゃん。あの鉄面皮女が独断で動いたにしては随分やる事が大胆だけど……私が目を離している間に誰かの奸計に嵌められたんじゃないだろうな。
『シャーレの存在を知って、SRT内部でも動揺が広まっている。こんな正体不明な組織に融通を利かせるのに、我々はなんで縛られるのかみんな納得がいかないんだ』
「そりゃそうでしょうね。私だって意味不明過ぎて理解できそうにないわ……。どうやら一度サンクトゥムタワーに赴く必要があるようね」
『ならばリーザ、頼みたいことがある。立て込んでいるお前に頼むのは心苦しいが、どうしても――』
「その先は結構よ、ユキノ先輩。言われなくとも、動くつもりだもの」
『……すまない。今まではお前がいてくれたおかげで、我々は前線で自由に動けていた。そのことを今ほど痛感したことはない』
受話器越しに、自嘲めいた吐息が漏れる。特殊部隊としては優秀でも、政治的な駆け引きや根回しはユキノ先輩や校友たちの領分ではない。だからこそ私がその役割を担ってきたのだ。
「謝る必要はないわ。それに、こういう『政治』の仕事は私が一手に引き受けていたじゃない。今更遠慮するなんて水臭いわよ」
『ああ、そうだな。……なんとかしようとしてみたが、もう私達ではどうにもならないみたいなんだ。行政委員会の一員として、連邦生徒会の中枢に近い場所にいるお前しか、もう……』
「任せておきなさい。心配しないで、ユキノ先輩。今回もきっちりとやってみせるわ」
今まで何度もやってきたことだ。SRTの邪魔になる障害を取り除き、理不尽を跳ねのける。もう私はSRT特殊学園の生徒ではないが、それは手を貸さない理由にはならないだろう。会長失踪後は忙しすぎて学園に帰れていないが、一応まだ同じ屋根の下で暮らす仲なんだし。
『どうか頼む。……これ以上仲間や後輩たちが打ちひしがれていくのは、見ていられないんだ』
「……ええ、そちらの状況は十分に理解したわ。今度からはもっと早く頼ってくることね」
「お、お待たせしましたお嬢さま! 無事に鎮圧してきました!」
「ご苦労様、メルハ」
電話を切ると、図ったようなタイミングで息を切らせたメルハが合流してきた。思ったよりも手早く終わらせてきたらしい。意外なことにメルハは部隊の指揮も結構うまいのだ。もちろん私ほどではないけれど。
「これで周辺一帯に暴動は確認されていません」
「よくやったわね。これで『暫定的』にこの辺りは平和になったでしょうね」
……日を跨ぐと怪しいけど。なんなら今のキヴォトスの混迷っぷりを考えると、数時間すら怪しいかもしれない。
「……やっぱりそうですよね。そろそろみんなも限界なんですけど……」
「はた迷惑なマスコミが私たちの活躍や居場所を報道したせいで、逃げまわる勢力も出てきたからね。おかげで無駄に走りまわらされたわ」
情報を流したのは広報担当者だろうか。連邦生徒会もこの事態に対処しようとしていることをアピールしたかったのかもしれないが、私たちにとっては「余計なことをするな」が正直な感想だ。
弾薬も体力もそろそろ危ういラインだし、一度部隊を下げるべきかもしれない。まだまだ各省庁から救難要請が届いているが、私たちはロボットではないのだから休息も必要だ。……というか機械であってもメンテナンスが必要になるくらいには私たちは酷使されている気がする。
「消耗した部隊を率いてあなたは先に帰っていなさい、メルハ。私は用事があるからサンクトゥムタワーに向かうわ」
「了解です。お嬢さまは報告を上げに行くんですか?」
「いいえ、リンちゃんを叱りつけに行くのよ……SRTの凍結解除と『シャーレ』とかいうふざけた組織について、問い詰めなくちゃ」
「なるほど、シャーレを――え、シャーレ?……い、いつの間に……全く気付かなかった…… 」
「会長不在のどさくさに紛れて、SRT以上の権限を持ったシャーレとかいう部活が作られたらしいのよ。しかもそれをキヴォトスの外から来た大人に預けるとか……意味不明過ぎるわ」
私は吐き捨てるように言った。こんな時に得体のしれない大人に、巨大な権力をプレゼントするくらいなら、今すぐSRTの首輪を外すように動くべきだろうに。
失踪した連邦生徒会長を探すのにも最も効果的なのは人手を増やすことだぞ。サンクトゥムタワーにいる連中は誰もそれに気が付かないのか?
「あー、それは、その……仰る通りかもしれませんが……すっごい刺々しい……そういえばSRTの生徒って先生にこんなんだった……まずい、何とか軌道修正しないと……」
「いくらなんでも権限が大きすぎるし、リンちゃんはどこの馬の骨とも知れない人物に、キヴォトスの命運を託そうとでもしているのかしら?実績と信頼もない人物をここまで優遇するなんて、どう考えても悪手でしょ?」
「えーと、そんなこと、ない……かもしれませんよ、お嬢さま!」
「は?」
私の言葉に、メルハは冷や汗をかきながら、おずおずと口を開いた。まさか会ったこともない大人を庇っているわけじゃないだろうし、謎にお気に入りらしいリンちゃんへの擁護かな。どうあがいても擁護しきれるとは思わないけど。
「もしかしたらその大人って、すごーく有能で、キヴォトスを救っちゃうような人だったり!」
「…………アビドス砂漠でどこかの生徒会長の遺産が見つかるかも、みたいな荒唐無稽な話ね*5。ありえなくないかもしれないけど、考慮するにも値しないほどうっすい可能性じゃない。それとも何か根拠があって言っているの?」
「根拠は……勘としか……。あ、でもこんな状況でわざわざ外から招くなんて、きっと超優秀な人のはずですよ!」
根拠になってないし、そんなんで納得するやつは連邦生徒会の役員に相応しくない。大体有能な人物であっても、それを証明してから権限を与えるべきだろうが。特別扱いするわりに、行政委員会にも存在を伏せていたってのも不可解過ぎる。
「もう休みなさい、メルハ。きっと疲れているからそんな事言いだすのよ。シャーレについては私が精査しておくから」
「いえ、私も行きます! 部隊は自分たちだけでも帰れるでしょうし、私もサンクトゥムタワーまでお供します!」
「今は緊急時よ。私の従者であっても主席行政官の部屋に立ち入れないかもしれないわ。外に突っ立っている羽目になるけどいいの?」
「全然かまいません! ……シャーレとの敵対ルートは何とか避けないと……お嬢さまを誘導できるのは私だけ……なんとか、なんとか原作に沿うようにしないと、バッドエンドが……その、こんな状況ですし、私は少しでもお嬢さまを支えたいんです。どうかついていかせてください!」
今が正念場であると私が言ったのを気にしてのことだろうか。それとも主よりも先に休むわけにはいかないという精神からくる言葉かもしれない。それでこそ従者だぞ、メルハ。
「……そう、無理はしないことね。もう少しだけ付き合いなさい」
メルハの姿に少し心を打たれながら、私はこれからのことを計算する。とりあえず最優先なのはユキノ先輩に頼まれた件だ。
出所不明の武器・兵器が不法に流通し、それらを手にした不良たちが都市で暴れまわっているのが今のキヴォトスだ。指揮権の問題があるとはいえ、原則を曲げてでもSRT特殊学園も鎮圧に動かせるようにしないと手が回らない。
まず私が説得すべき相手は、もちろん連邦生徒会長失踪により暫定的にトップとなったリンちゃんだ。頭の堅い彼女とて、今の状況を考えれば納得してくれるはずである。代行となったリンちゃんが首を縦に振れば、他の行政委員会を動かすのも難しくないだろう。
具体的には対策室のSRTへの指揮権を得る案を通すのが一番早いか。もちろん連邦生徒会長を経由しなくてもいいようにする必要はあるが。リンちゃんを説得出来たら、会議を始める前に根回しもしておこう。他の室長もSRTの戦力を欲しがって余計な茶々を入れられるのも面倒だし。
シャーレについては……行く途中でもう少し調べてみるか。あのリンちゃんが承認したのだ、もしかしたら私が納得できるだけの何かが……何かがある、かもしれない。たぶん。
シャーレまわりについては全然納得していないが、リンちゃんの事は良く知っているのだ。あの堅物無愛想女が暴走したというよりは、やむを得ぬ事情があったと言われる方が納得できるぞ。