「着いた!」
「アリスちゃん! お待たせ!」
タワーの最上階に到着すると、リオの姿が目に入る。どうやらAL-1Sに繋いでいたケーブルを外している途中だったらしく、それを握ったまま呆然とモニターを見つめていた。
なぜか照明は落とされており、私が出て行った時よりも部屋が暗い。そういえば、ミレニアムの会長室もこんな感じだったし、リオはこういった陰鬱な雰囲気を好んでいるのかもしれない。
薄暗い室内で唯一の光源となっているのは、複数のモニターによって映し出された巨大な文字だけだった。
「でーびーじょん?」
「ディヴィジョンだよお姉ちゃん。廃墟の奥で見たでしょ」
Divi:Sionというと、AL-1Sが使役していたロボットを思い出す。これはリオが用意した、名もなき神々の王女の処遇に関する議論用の資料なのだろうか。
私たちがタワーに着くまでそんなに時間が掛からなかったというのに、もう準備を済ませているとは、流石は『全知』である。……しかし、暗い部屋にどぎついピンクはあまり趣味のいい配色とは思えない。
どうやらリオは造形センスだけでなく、色彩感覚すらも『壊滅的』だったらしい。毒々しい色を映し出す画面を微妙な気持ちで眺めながら、私は口を開いた。
「リオ、その目に悪そうな色は何とかならないの? あと、部屋を暗くするのはまだ早い――」
「違う! これはエリドゥのシステム全体がハッキングを受けている!」
「は?」
焦ったように制御パネルに飛びつくリオに驚いていると、ガタリと音が響く。視線を向けた先には、ついさっきまで眠っていたはずの『名もなき神々の王女』が、静かに上半身を起こしているところだった。
「”……アリス?”」
「どうしちゃったの、アリス!?」
「近づいちゃだめよ」
私は無防備に接近しようとした双子の……たぶんモモイの方を、腕を伸ばして制した。
今のAL-1Sの様子は、明らかにおかしい。友達の呼びかけに何ら反応することは無く、無機質な表情と赤く輝く瞳でこちらを冷たく見つめている。これが報告にあった暴走状態の姿なのだろう。あの時と違ってすぐに襲い掛かってこないあたり、物理的にこちらをどうこうしようとする意思はないみたいだが。
『ぃま……急に……な…が……!? 通信が……き……応答……』
「”チヒロ……!?”」
急に通信が切れたようで、先生は必死にヴェリタスの副部長の名前を呼んでいる。どうやら妨害されているようだ。私も部隊をまとめさせるために置いてきたメルハに連絡をとろうとするが、上手く繋がらなかった。
犯人は間違いなく目の前の『怪物』だろう。配下のロボットを使役できること以外にもこんな能力があったのか。
「……ア、リス?」
「お姉ちゃん、これアリスじゃないよ……」
『実体験』を経ているからか、すぐに同じ結論に辿り着いたゲーム開発部は立ちすくんでいる。そして名前を呼ばれたからか、これまでただこちらを見つめるだけだった『名もなき神々の王女』が、ようやく言葉を発した。
『アリス……? それは、あなた達が私たちの「王女」を呼ぶ際の名称……。「王女」に名前は不要です。名前は存在の目的と本質を乱します』
「何を言ってるの!? ねぇ、あなたは誰! アリスちゃんを返して!」
『私の個体名は<Key>。王女を助ける無名の司祭たちが残した修行者であり、彼女が戴冠する玉座を継ぐ「鍵」<Key>です』
なんとも分かりやすい自己紹介じゃないか。つまりゲーム開発部と友達だったのは「王女」の人格であり、無差別に人間に襲い掛かったのは「鍵」の方だということらしい。
単語だけ聞くと「王女」と「鍵」は主従関係のように感じるが、その「王女」が人間らしい感情を抱いていることに否定的なあたり、「鍵」は「王女」に絶対服従というわけでもないみたいである。
まあ、あくまで敵――『怪物』の言葉だ。全面的に信じることはできない。しかし、この場でじっくり検証するわけにはいかないし、それはあとで『専門家』にぶん投げるとしよう。
私は前に進み出て、ゲーム開発部と先生を庇いながら「鍵」に話しかけた。
「ごきげんよう、Key。早速で悪いけれど、「王女」に変わって貰えないかしら? これからお茶会をする予定なんだけど、挨拶代わりにハッキングをするやつなんて招きたくないの。テーブルマナーも理解してくれそうにないしね」
『要求を拒否。彼女は「王女」であり、私は「鍵」。それが私たちの存在であり目的。只今よりエラーを修正し、本来あるべき玉座に「王女」を導かせていただきます』
「あら、状況が理解できていないの?「王女」のものでもあるその体が痛めつけられる前に、さっさと言う事を聞く方が賢明だと思うけれど。それとも、無理やり叩き起こしたほうがいいのかしら?」
そう言って、私は彼女に銃口を突きつけた。
だが、「鍵」は表情一つ変えない。脅されているというのに、こちらへ向けられた赤い瞳は、壁の染みでも眺めるような無機質さを保っている。どうやら、こっちの人格には人間らしい感情を期待しないほうがよさそうだ。
『その行為は推奨しません。現在「王女」の表層人格は内部データベースの深層部に隔離されています。強制的に起こそうとすると、取り返しのつかない損傷が起こるでしょう』
「……」
私は引き金を引くか迷った。
常識的に考えるならば、明らかに敵対行為を取っている目の前の怪物はさっさと無力化するべきである。武器を取り上げている以上、以前のように暴れようとしたところで、即座に制圧することも難しくないはずだ。
しかし気絶させたところで、この状況が好転するのかが分からないのが問題である。今まで相対した相手とは戦闘でなんとかしてきたのだが、AL-1Sもそうやって『解決』できるのか不明なのだ。ハッキング専門の怪物なんて聞いたことないぞ。
そもそも失神させればいいのなら、全知コンビがそうするよう指示してくるはずか。知識の拠り所である専門家二人に私は視線を向けた。
リオはエリドゥの制御権を取り戻そうとしているのか、モニターに向かって必死に操作を続けている。彼女の表情を見る限り、あまりうまくはいっていないらしい。
ヒマリは、先生を自分の作業へ引っ張り込み、何やら指示を飛ばしながら通信機を操作させている。通信妨害を受けているはずなのに、それでも何か打開策を探しているようだ。
私がどう動くべきか決めあぐねている間にも、Keyはまるでこちらの状況を意に介さず、淡々と言葉を紡いだ。
『AL-1Sに接続された利用可能リソースを確保するため、全体検索を実行。リソース領域の拡大。リソース名、要塞都市エリドゥの全体リソース――一万エクサバイトのデータを確認。……現時刻をもって、プロトコル『ATRAHASIS』稼働。コード名「アトラ・ハシースの箱舟」起動プロセスを開始します」
……??
急に知らない専門用語が飛び出して、私は戸惑った。ちゃんと『名もなき神々の王女』に関する資料には目を通していたはずなんだけど。
「……!! アトラ・ハシース……!?」
「リオ、何か知ってるの?」
「いえ、そんなはずが……私の計算は……でも……!」
混乱しているのか、私の問いには答えず、何か考え込む様子のリオ。モニターは相変わらず毒々しいピンクで固定されているのを見るに、制御権を取り返すことには失敗したみたいだ。まだエリドゥの全てが掌握されたわけではないみたいだが、それも時間の問題なのかもしれない。
しかし、今更エリドゥを掌握してKeyは一体何をするつもりなんだか。兵器の制御を奪ったところで、既に先生たちによってその大半がスクラップにされている以上、大した戦力にはならないはずだ。
脅威になりえそうなリオご自慢のおぞましい『前衛芸術』だって、エンジニア部のミサイルのせいで再起動できるような状態ではない。
Keyの言葉を思い返してみても、「玉座」だの「箱舟」だの比喩表現が多すぎて、そこから具体的な目的を推測するのは難しそうだ。
できるとすれば、せいぜい要塞都市最大の金食い機能『都市構造の変化』でビルを動かしまくり、私たちを困らせるくらいだろう。……あとはまあ、それによる無駄な電力消費でミレニアムの電力負担を天井知らずにすることもできるか。『世界を終焉に導く兵器』にしては随分せこい攻撃である。
『プロセスサポートのため、追従者を呼び出します』
「都市各地で、追従者の出現……? キヴォトスの終焉に備えて……このエリドゥを、造ったのに……それが、終焉を招くことになるなんて……。私は――間違っていた?」
『箱舟製作に必要なリソース確保21%……23%……』
淡々とカウントを続けるKey。おそらくそれはエリドゥの浸食率なのだろう。
ずっと上の空になっているリオを『救出』するべく、私は彼女の肩を揺さぶった。いい加減しっかりしてくれ、協力者。専門家の知恵が無いと動きようが無いぞ。
「呆けてないでそろそろ説明をちょうだい、リオ。AL-1Sはエリドゥをハッキングして何をしようとしているの? まさか要塞都市を「王女」専用のテーマパークに改装しようとしているわけではないんでしょう?」
「……このままエリドゥのリソースを全て奪われてしまったら、キヴォトスは終わってしまうわ」
「ああ、そう。終わっちゃうのね、キヴォト――は?」
どうやら状況はとんでもなく悪化していたらしい。だからこそリオは放心していたのだと納得する一方で、たかがエリドゥ一つ持っていかれたところで、そこまで話が大きくなるものなのかという疑問も湧いてくる。
「えっと、リオ? 全然意味が分からないわよ。話が飛躍しすぎじゃないかしら? もう少し丁寧に説明を……」
「今からこの都市自体が変貌し、箱舟という新しい概念に歪曲されるわ。そして――」
『王女は鍵を手に入れ、箱舟は用意された。無名の司祭の要請により、この地に新しい「サンクトゥム」を建立する。その到来で初めて、すべての神秘はアーカイブ化され――』
「――このままでは、世界が滅びる……!!」
……うん、さっぱり理解できない。
いまいち要領を得ないリオの説明だったが、それでも彼女が真剣な顔で口にした言葉を重く受け止めているようで、みんなの表情は強張っている。
リオはKeyのやっていることを「箱舟という新しい概念に歪曲」なんて言っているが、それはもはやハッキングの範疇に収まらない特異な能力ではないだろうか。それがどうキヴォトスを滅ぼすのか私には想像もできないが、先ほどから断続的に響いている地響きからして、この要塞都市そのものに何らかの変異が起きているのは間違いなさそうだ。
しばらく黙り込んでいたリオは、やがて何かを決意したように顔を上げる。
「……私一人で、アトラ・ハシースを止めてみせるわ。みんなは脱出の準備を」
相手の力にこちらの技術で対抗できないことは、彼女が誰よりも理解しているはずだ。それなのに、そんな言葉を口にするということは……。
「……自爆でもする気?」
「私の命一つで世界の終焉を防ぐことができるというのならそうするわ――そうしなければならない。……リーザ、今戦えるのはあなたの部隊だけよ。みんなを連れて逃げてちょうだい」
「お断りよ」
「!?」
あまりにも即答だったからか、リオは目を見開いている。まさか私が素直に頷いて「分かったわ、さようなら」とでも言うと思っていたのか?
「対策室は怪物に対処するための組織――
「これは私が招いたことよ。私が終わらせなければならないわ」
彼女の顔からは悲壮な覚悟が見て取れる。あくまで自己犠牲で事態の収拾を図るつもりらしい。私としては、今彼女に居なくなられるのは非常に困るのだが。
「……リオ。私との約束があったこと、覚えているんでしょうね?」
「リーザ……?」
「覚えているか、と聞いているのよ」
そう、彼女にお願いしていたレールガンの件だ*1。もうあれを手に入れることは私の中で『確定』したのだから、既に財務室長のアオイに根回しと資料を提出しているのである。
それなのに「製作者を見捨ててきたせいで計画が白紙になりました」なんて格好がつかないにもほどがあるだろう。もしそうなれば永遠の『恥』として、連邦生徒会の歴史に刻まれることになる。私はそんなことで名を残したくないぞ。
「……忘れては、いないわ。でも、もう他に手段は残されていないの。だから――」
「本当にそうかしら?」
私は少し離れた場所で会心の笑みを浮かべるヒマリへ視線を向けた。表情を見るにどうやら彼女の努力は、実を結んだらしい。通信妨害は……先生の持っているシッテムの箱で何とかしたようだ。あのオーパーツ、そんな機能まであったのか。
「ふふっ。超天才清楚系病弱美少女にかかれば、どれほどの苦境でも突破口を見つけることはできるんですよ♪」
「”ユウカ、お願い!!”」
『はい先生! ノア、電力という電力を全部落としちゃって!』
『その言葉を待ってました! えいっ!』
『……リソースの確保失敗。システムシャットダウン』
ミレニアムからの電力供給が止まると同時に地響きも収まる。どうやらさすがの『名もなき神々の王女』も動力が無ければ、特異な能力を行使できないらしい。
みんなの視線がヒマリへ集まると、 彼女はふふん、と鼻を鳴らして満足げな表情を浮かべた。どうやら先ほどから彼女が連絡を取っていた相手はセミナーだったようだ*2
『みんな、大丈夫!?』
「「「ユウカ……!」」」
画面に映ったセミナーの会計は一人ずつ後輩の状況を確認し、安堵の息を吐いていた。
あれが早瀬ユウカか。『冷酷な算術使い』というあだ名を聞いたことはあるが、こうして後輩たちの無事を心から案じている姿を見る限り、とても冷血な人物には見えない。なんなら優しそうだ。
それからユウカは、何かを探すようにこちらを見渡す。そして目的の人物を見つけたのか、みるみる眦を吊り上げた。
「見つけました、会長!! セミナーの予算を横領してこんな都市作るなんて……後で説教ですよ! 覚悟しておいてください!」
「……ユウカ」
リオが小さく、その名を呟いた。心なしか、声が震えている。いや、よく見ると足まで微妙に震えていた。どうやらリオは自分の部下の剣幕に怯えているらしい。
まあ、ミレニアムから消えた予算の額を考えれば、あの『冷酷じゃない』会計が怒り狂うのも当然だろう。都市の機構にリオの兵器たち……一体総額いくらになるのか考えるだけで末恐ろしいものがある。
ユウカからすればどうにか全員に水が行き渡るよう水量を調整している横で、巨大な噴水や滝を造り上げられたようなものだ。他の者はともかく、セミナーが敵に回ったことも今ならまったく不思議に感じない。
むしろ、そんな状況で飛び出してくる言葉が「説教ですよ!」で済んでいるあたり、やはりユウカは随分と温厚だ。日々資金繰りに頭を悩ませているセミナーの会計なら「見つけた! 呪い殺してやる!」くらい言い出しても、私は驚かなかっただろう。
……そういや我らが主席行政官様もユウカとは一悶着があったらしい*3。私が確認したときは「問題はありませんでしたよ」なんて口にしていたのに、他の人間から聞いた話によると、彼女はしっかりとユウカの機嫌を損ねたみたいだ。一体なにをやらかしたんだ、リ――あのデカ女は。
「後で」といったわりに口が止まらないユウカに怒られる『人望無し女』から離れ、連邦生徒会の『人望無し女』に頭を痛めながら、ミレニアムの『内部問題』に巻き込まれないよう、私は可能な限り影を薄くするのだった。