清廉な白エルフは、いかにして不浄な黒エルフを虐殺したのか 作:タチアナ・グリセルダ
第一話 ロザリンド会戦
ベレリアント半島を外界から分断するように流れる大河がある。名をシルヴァン川という。
シルヴァン川流域にはいくつかの魔種族国家があった。魔種族というのは、人間族でない種族を呼ぶ総称で、人間族から見れば異形な姿をしているものもあった。総じて、長寿であり、かつては蛮族として人間族によって迫害されてきた歴史を持つ。
シルヴァン川に沿うように形成されたドワーフ族のドワルシュタイン王国。北に住まうエルフ族のエルフィンド王国。そして、シルヴァン川流域より南に位置するのが、オーク族の王国、オルクセン王国である。
当時のオルクセン王アルブレヒト二世は、ばらばらであったオーク諸部族をまとめ上げ、更にはコボルト族の自由都市同盟を組み込んだ魔種族の王国を星欧中央に作り上げていた。
周辺諸国────これはほとんど全てが人間族の国家であった────からの侵略を跳ね除け、オルクセン王国の地位と領域を確固たるものにしたアルブレヒト王が次に目をつけたのが、ベレリアント半島である。
当時、星欧最強と謳われたオークの軍勢を迎え撃つのはドワーフとエルフの連合軍であった。
彼らが決戦の地として定めたのが、ロザリンド渓谷である。
ロザリンド渓谷は幅が狭く、大軍の運用がしづらい隘路である。
これに目をつけたのがエルフィンド陸軍大将サエルウェン・クーランディアであった。
狭い渓谷ではオルクセン軍の強みである
彼女は動かせる全ての兵をロザリンドに集結させ、ロザリンドでの会戦の準備に取り掛かる。
クーランディア大将はロザリンドに強固な陣地を構築してみせた。
それは複数の堡塁がそれぞれを支援できる形になっており、全体の火網が渓谷を走る山道に集中するようになっている。
同時にシルヴァン川北岸を居留地とする黒エルフ各氏族が、散兵として渓谷の周辺に詰めていた。彼女達が土地勘と山岳地での機動力を活かして敵の側背面を突くのである。
ロザリンドでの会戦に先立ち、エルフィンド軍は保有する騎兵戦力の全てを投じてオルクセン軍の斥候狩りや補給部隊への襲撃を繰り返した。
当時の補給は現地徴発が一般的である。そうした徴発部隊が、相次いでエルフィンド胸甲騎兵の襲撃を受けた。彼女達は魔術探知を用いて徴発部隊を捕捉するとこれを襲撃し、率先して補給用の荷馬車を焼いて回った。
増援のオーク騎兵が迫れば引き、こうしたさざ波のような攻撃はじわじわとオルクセン軍を苦しめていく。
オルクセン軍は補給が続く内に短期決戦で敵主力を破る必要に迫られていた。こうして、オルクセン軍はエルフ・ドワーフ連合軍の籠るロザリンド渓谷へと軍を進めていくことになる。
一方でエルフィンド側にも誤算はあった。
ロザリンド渓谷での籠城に耐えかねたドワーフ王が、軍を率いて打って出たのだ。
何故ドワーフ王がこのような手段を取ったのかは未だ議論が尽きない。
緒戦でのエルフィンド軍の戦果をみて焦った、長年の宿敵であるエルフ側との間でトラブルがあった等数多の説が囁かれている。
兎にも角にも、平地へ打って出たドワルシュタイン軍は、オルクセン軍の最も得意とする平地での会戦で敗れ、敗走した。
この勝利の勢いを活かすべく、アルブレヒト王は留まることなくロザリンド渓谷への進軍を命じた。
オルクセン軍約六万とエルフィンド軍約四万七〇〇〇のロザリンド会戦の始まりである。
早朝のロザリンド渓谷には霧が立ち込めていた。
堡塁に詰める白エルフの兵達の軍服がしっとりと湿っている。
彼女達はこの霧で握りしめるマスケット銃の火薬が湿気らないことだけを気にしていた。湿気って不発など笑えないからだ。
霧の奥からは静寂だけが漂ってくる。
白エルフの兵、ヴェルネラ・オルノネメアは霧の向こうを睨むように見ていた。
アルトカレ平原の、名門とは言えないものの、由緒正しき白銀樹の元に産まれたヴェルネラ。氏族の中ですくすくと育った彼女は、オルクセンのエルフィンド侵攻を聞きつけるや否や、他の若い氏族の仲間達と共にすぐさま従軍を決意した。
氏族の仲間に送り出されたヴェルネラ達は、近くの別の氏族からなる部隊と合流して中隊となり、ロザリンドの防衛線へと派遣される。
中隊長は別の氏族のミカエラ・ハルファンという准佐*1が務めることになった。彼女は精力的に部隊を巡察し、氏族関係なく叱責し労った。
そのかいあってかヴェルネラ達は、短い期間ではあったがこの准佐を信頼する様になっていた。
堡塁に設けられた胸壁にヴェルネラ達が張り付いている。当時の星欧では一般的な兵同士肩が触れるほどの密集隊形とは異なり、彼女達は約一人分の間隔を開けて陣地に詰めていた。
「ヴェラ、ヴェラ!」
敵方を睨むように見ていたヴェルネラをこそこそと呼ぶ声がする。声のする左隣に顔を向ければ、氏族で姉妹のように育ったイルフリーダ・デュドネラの姿があった。
彼女はいつもと変わらない人懐っこい笑顔を浮かべてこちらを見ていた。
「なに? イル」
警戒していないのが中隊長にバレたら大目玉を食らうのは間違いない。ヴェルネラは小声で問いかけた。
イルフリーダは軍服の腰ポケットごそごそと漁ると、そこから出てきた物をこちらへ投げ渡してきた。
「わっ!?」
「ヴェラ、シーッ!」
急なことに大きな声が出かけたが幸い周囲に気付かれることもなく、イルフリーダが投げた物を落とさず掴んだ。
手のひらを開くと大粒の胡桃が出てくる。イルフリーダはいつの間にか、いくつかの胡桃を手に入れていたらしい。
そういえば彼女は
教義にそれなりに忠実に生きてきたヴェルネラは、氏族の姉達ほど
一方でイルフリーダは違ったようだった。
ロザリンドにつくや否や好奇心旺盛なイルフリーダは初めて会う
そのおかげで、今この胡桃にありつける。そう思うと、イルフリーダのようにもう少し柔軟に生きるのもいいのかもしれない。
ヴェルネラはそんな事を考えてながら胡桃を頬張った。
久々に味わう
「敵接近!」
前方を警戒していた小隊長が発声と魔術通信の両方を使って警報を出す。
ヴェルネラは慌てて愛銃を握り直し、胸壁に銃を預ける形で構える。
ヴェルネラ達が守る主陣地第一線の中央。
更にその前方には前衛部隊の陣地があった。主陣地ほど強固とは言い難いが、胸壁を備えた陣地である。
オークの接近によってまず戦端を開いたのがこの前衛である。
前衛部隊を率いるのはクーランディア大将が信頼する部下の一人、オルノリア・シェルフィ二等少将。
彼女と麾下の部隊はエルフィンド正規兵のみで構成された数少ない部隊であった。その規模は一個旅団約四〇〇〇である。
シェルフィ少将はクーランディア大将から厳命されていた通り、オルクセン軍の先頭を可能な限り引き付けてから撃った。
霧の中を進んでいたオルクセン軍は、偽装を施されたエルフィンド軍の陣地に気付くことなく、至近距離から銃撃を浴びた。
隊列が乱れ、ばたばたとオーク兵が倒れる。いきなりの奇襲攻撃にオルクセン軍に動揺が見られた。
前衛は射撃後はすぐさま引くよう命令を受けていたが、シェルフィ少将はこの混乱を好機と捉え、更に二度ほど斉射を繰り返した。
一度目は混乱の隙をつけたが、二度目の斉射を行った頃にはオルクセン軍は態勢を立て直し、この前衛部隊に対して猛烈な反撃を加えた。
たまらず、前衛部隊は後退したがオルクセン軍の猛追を受けることになる。
シェルフィ少将は殿を指揮して前衛部隊の後退を支援したが敵弾を受け負傷。後年、この時の傷がもとでこの世を去っている。
前衛を追うオルクセン軍であったが、今度は側面から射撃を受けた。黒エルフ族散兵からの射撃であった。
黒エルフ達は射撃でオークたちが歩みを止めるとそこに留まらず移動し、絶えずオルクセン軍の側背面を突き続けた。また率先して将校を狙撃していった。
追撃するオルクセン軍は後退を続ける前衛を追撃していたものの、統率する将校の相次ぐ戦死で止まりどころが解らぬまま、引っ張り出されるようにエルフィンド軍主力が待ち構える主陣地正面への躍り出てしまった。
各部隊単位では隊形を維持していたものの、全体としてはやや縦長な配置になっている。
これにオルクセン軍の上級指揮官たちが気づいたと時には既に、先鋒はエルフィンド軍主陣地へと到達してしまっていた。
「撃て」
主陣地中央のエルフィンド軍を指揮する、ダリエンド・マルリアン中将の魔術通信による短くも力強い命令が、隷下部隊に伝達される。
主陣地に詰めるエルフィンド将兵が命令に従って一斉に射撃した。
「撃てッ!」
ハルファン准佐の号令で、中隊斉射射撃が行われる。
個々のマスケット銃の射撃音が一塊になって独特の音を響かせた。
黒色火薬の発火によって発生した白煙が前方の視界を遮る。
僅かな誤差はあるものの主陣地中央の各堡塁からも同様の白煙が一斉に噴出していた。
後退してきた前衛部隊を追ってきたオルクセン軍は、鶴翼の形になっている主陣地の中央。火網が最も濃密な地点に自ら飛び込んだ格好になっていた。
銃弾を浴びたオーク兵達がばたばたと倒れ伏す。その感覚をヴェルネラは魔術探知越しに感じ取っていた。
槊杖を抜いて次弾を押し込める。ハルファン准佐による短い間とはいえ厳しい指導のかいあって中隊の兵たちは皆もたつくことなく装填をスムーズに終わらせた。
「構え!」
小隊長の号令でヴェルネラ達は再度胸壁に銃を委託して射撃姿勢をとる。
「狙え!」
小隊長がサーベルを掲げ、号令を出すとヴェルネラ達は一斉に魔術探知を行い、未だ漂う白煙の向こうのオーク達に狙いをつけた。
中隊長であるハルファン准佐は、各小隊長がサーベルを掲げたのを確認するとサーベルを振り下ろしながら発声と魔術通信で号令を出す。
「撃て!」
「「「撃てーッ!」」」
ハルファン准佐の号令に合わせて小隊長たちもサーベルを振り下ろして号令を復唱する。
ヴェルネラ達は、その号令が聴こえたと同時に引き金を引いた。
火打石が黒色火薬に火をつけ、その爆発によって銃身内部の弾丸が押し出されるように発射される。白煙がもうもうと立ち込め視界を防ぐが、魔術探知でオーク兵を認識できるヴェルネラ達にとってそれは何の不利にもならなかった。
オルクセン軍先鋒は、前衛を追撃したことでエルフィンド軍の火網の中にまんまと吊り出される形になり、瞬く間に多くのオーク兵が撃ち倒された。
先鋒を務めた約一万五〇〇〇の兵を有する師団は、踏みとどまることもできず敗走することになる。
先鋒の敗走を知ったアルブレヒト王は主力に急進撃を命じる。
この急進撃は、先鋒の敗北が全軍に伝播し、士気が下がるのを避けたかったという説が有力である。不幸なのはアルブレヒト王の想定よりもロザリンドは狭かったということだろう。
オルクセン軍主力約五万は横隊を組んでいまだ霧の晴れぬロザリンドに突入したが、狭い渓谷故に十分に展開できないままエルフィンド軍陣地へ突入した。
渓谷の狭さを認識し始めたオルクセン軍は、射撃戦は被害を大きくすると判断し、伝家の宝刀オークの津波をもって陣地の突破を図った。
そこへエルフィンド軍は猛烈な射撃を加えた。先鋒には使用しなかった砲も射撃を行う。
エルフィンド軍はロザリンドに大小様々な砲を持ち込んだ。その数約二五〇門。これは当時のエルフィンド軍が保有する火砲の約半数にものぼる。
再三説明するが、ロザリンドは険峻な渓谷である。ここへ砲を持ち込むのは大変な労力がかかる。それでもエルフィンド軍はやってのけた。
その苦労がいま報われようとしている。
オルクセン軍の伝家の宝刀は激しい射撃の前に急速に勢いを落とした。
狭い渓谷では自ずと横に広がれず、オルクセン軍は縦列になりながら突入する他なかった。砲兵にとってこれは格好の的であった。
発射された砲弾は先頭のオークの脇腹を抉り取ると勢いを落とすことなくもう一頭、もう一頭と貫き、四頭目の胴体にめり込んでようやく止まった。
当時の質量弾を打ち出す原始的な大砲は、縦隊に対して恐ろしいほど効果的であった。
それでもオルクセン軍は仲間の屍を踏み越えて堡塁へと迫る。
しかし、相次ぐ戦友の戦死と将校が狙撃によって撃ち倒されていくと彼らは恐怖で浮足立っていく。
主陣地を攻めるオルクセン軍の側面。険峻な岩肌に沿って構築されていたエルフィンド軍の陣地が伏撃を決めた。
突如として側面に有力な敵が現れたのだ。
混乱を抑え前方への攻撃を継続させようとしたオルクセン軍の将軍、フランツ・シェルナー大将が狙撃されて戦死したことが決め手となった。
オルクセン軍は統率も取らずに、連隊ごとに無秩序な後退を始めたのだ。
闘将として知られるアロイジウス・シュヴェーリン少将などが必死に崩壊を押し留めようとしたが、流れを変えることはできなかった。
ここでエルフィンド軍は失敗をやらかした。
始まりはオルクセン軍側面に展開する軍。指揮官のエレノア・ガレリエン一等少将の名をとって、ガレリエン軍と呼称された三個旅団約一万二〇〇〇の軍である。
これが銃剣突撃を敢行したのである。
首都ティリオン近郊の由緒正しき白銀樹の生まれであるガレリエン少将は、マルリアン中将をライバル視していた。故に、この会戦で決定的な戦果を上げ、会戦に先立って昇進したマルリアン中将に追いつこうと考えたのだ。
彼女はオルクセン軍が後退するのを好機と捉えた。
籠もっていた陣地を捨て、斜面を降る勢いを使ってオルクセン軍の脇腹に喰いついた。
ガレリエン少将の判断は戦術的に大きな間違いを犯してはいなかった。後退いや、敗走しつつある敵に追撃を仕掛け、我の勝利を決定的なものにする。これに間違いはない。
ただ彼女は相手がオーク族であるということ、彼らに銃剣で挑むということの愚かさを理解していなかった。
シュヴェーリン少将は迫りくるエルフィンド軍の姿を見つけるや否や、防御態勢をとって受け止めるのではなく、逆にこちらも突撃してみせた。
オークとエルフが正面から激突する。実に、実にあっさりとオーク達はエルフ達を弾き飛ばした。
そもそも体格からして違う種族の差は如何ともし難く、オーク兵がマスケットを横薙ぎに振るえば、防御に構えたマスケットごとエルフを吹き飛ばして見せた。
ガレリエン少将の目論見は崩れ去り、ガレリエン軍は圧倒的不利な白兵戦を挑まざるおえなくなる。その後ガレリエン軍が這々の体で離脱する頃には兵力は僅か七〇〇〇弱まですり減らされていた。
シュヴェーリン少将らの奮戦で、敗北を先延ばしにしたオルクセン軍ではあったが、全体の流れは未だ変わっておらず、諸連隊の後退が続いていた。
「我らに敗北の文字はない。勝利か、死か。この二つのみである! 兵士諸君、朕に続け!」
全軍崩壊の危機に際し、アルブレヒト王は自らが率いる巨人連隊────オーク族の中でも特に体格に優れた将兵からなる近衛連隊────と共に前線へと進み出た。
敵へと向かいゆく巨人連隊とアルブレヒト王の姿をみたオルクセン軍は士気を取り戻し、ようやく連隊の後退は止まった。
前線へと姿を現した巨人連隊の前には、陣地から出たエルフィンド軍部隊の姿があった。
エルフィンド軍はここでも失敗をしていた。
ガレリエン軍の突撃を見た主陣地のエルフィンド軍の一部が、功名欲しさに陣地から飛び出したのだ。
もちろんマルリアン中将はそんな命令は出していない。一部の部隊の暴走である。
これにはマルリアン中将や、全軍の指揮をとるクーランディア大将も目を剥いた。すぐさま陣地へ戻るように厳命したが手遅れであった。
彼女達は意気揚揚と陣地を飛び出したはいいものの、その直後に魔術通信域に響いたガレリエン軍の悲鳴を聞き、歩みを止める。
不安にかられ、陣地へ戻ろうとしたところへ巨人連隊が現れたのだ。
オルクセン軍が後退していくのを見て、ヴェルネラ達はワッと歓声を上げた。
ここまでオルクセン軍の銃撃を浴びた不幸な兵が数人いただけで犠牲らしい犠牲もなく、敵を跳ね返したのだ。
「まだだ! 気を緩めるな!」
ハルファン准佐の鋭い声で中隊は、再度マスケット銃に弾を込めたり、弾薬の残りを確認し始める。
すると、隣の堡塁から喚声が上がった。ヴェルネラとイルフリーダは顔を見合わせて何事かと見ると、堡塁からエルフの兵達がわらわらと出てくるではないか。
彼女達は着剣したマスケット銃を抱えて後退するオルクセン軍へと真っ直ぐ向かっていった。
「馬鹿な! 追撃の命令などでていないぞ! 戻れ! サッテネリ! 戻れ!」
味方の突然の暴挙にハルファン准佐が怒鳴りながら魔術通信で隣の中隊長へ呼び掛けたが止まることはなかった。
「ッ!? なに、これ……?」
唖然とその姿を見送ったヴェルネラ達は、すぐにおかしな感覚に見舞われた。
特定の誰かに向けたものではない魔術通信が、遠くからこだましてくる。ゾワリとした嫌な気分。
すぐにそれが何なのか分かった。悲鳴である。
この魔術通信を聴こうと意識を集中した者ほどはっきりとした断末魔を聴くことになった。
「中隊! 魔術通信に意識を向けるな! 敵はまだ来るぞ! 配置につけ!」
ハルファン准佐の怒鳴りながらの命令に、各小隊長も復唱しながら中隊に戦闘態勢を維持させる。
ヴェルネラも再び胸壁に身を預けて射撃姿勢をとった。
霧と黒色火薬の白煙の中から、オルクセンブラックの軍服を身にまとい、金色の紋様をあしらった軍帽を被ったオークの軍勢が姿を現す。
明らかに一般の兵とは異なる装いの彼らは堡塁を出て浮き足立つエルフ達に銃を構えた。
斉射。魔術探知越しに同族の気配が一気に消え失せた。
初めて感じる多数の同族の命が消え失せる感覚に吐き気がこみ上げてくる。
次は自分たちの番なのだ。こんなことになるなら故郷に残れば良かった。
ヴェルネラや他の若いエルフ達は殆どがそのように後悔していた。
「狼狽えるな! 我らは未だ優位にある! 死力尽くせ!」
マルリアン中将の魔術通信が直接一兵卒に至るまで響き渡る。
このままでは、今度は自軍が崩れると感じたマルリアン中将は、周囲の反対を押し切り、僅かな供回りと共に騎馬にて前線を駆け回った。
可能な限り魔術通信を駆使して兵卒に至るまで声をかけて回り、配置や火力運用に不備や修正が必要な箇所には直接指導もして回っていた。
巨人連隊は漸進斉射戦術をもって射撃を加えながら主陣地へと接近してきた。
「撃てー!」
ハルファン准佐の号令で中隊斉射が行われる。オルクセン軍とは未だに距離があり有効な打撃は与えられなかったものの、数頭が戦列から落伍していく。
「ヴェラ! 撃ってくるよ!」
ヴェルネラが装填作業をしていると、イルフリーダが警告してくる。彼女の言う通り、巨人連隊の前列が射撃態勢に入ったのを魔術探知で捉えた。
慌ててしゃがむと、胸壁に弾丸が当たり鈍い音が鳴り響いた。
巨人連隊の前列は射撃するとすぐさま再装填を始め、その間に次の列が前へ躍り出て射撃をくわえる。それを何度も繰り返しながらオルクセン軍はエルフィンド軍陣地までの距離を詰める。
エルフィンド軍砲兵の射撃でオーク兵は吹き飛ばされるのを、ヴェルネラは魔術探知で感じていた。
「着剣!」
ハルファン准佐のやや悲鳴に近い命令が聞こえた。
十分に距離を詰めたオーク達が次にとる行動は決まっている。彼女はその前に配下の兵に接近戦に備えさせた。
オークとの接近戦。それは先ほど聴こえた魔術通信の相手と同じ状況に陥ることを意味する。
ヴェルネラは震える手で腰に下げたソケット式銃剣を抜くと、震える手のせいで何度か失敗しながら銃剣を取り付けた。
「構え!」
「十分に引きつけろ!」
胸壁に張り付き、マスケット銃を構えた。
迫りくる巨人連隊は、戦友が砲撃で頭を吹き飛ばされても顔色一つ変えずに向かってくる。
オルクセン軍が漸進斉射を繰り出し、部下を鼓舞していた小隊長が被弾する。
その斉射を最後に巨人連隊は突撃へと移った。大気を震わせるようなオークの喊声と吶喊。
ヴェルネラは震える手を必死に抑えて照準を合わせながら、射撃の号令を待つ。
もう十分引きつけたんじゃないか? 早く撃って奴らを止めないと、そんな思考が脳裏をよぎるが辛抱強く待った。
「撃てぇ!!」
オークの牙が見えるほど近づいた時、ようやくハルファン准佐は号令を出した。中隊の一斉射撃が巨人連隊を襲う。
十分に引きつけたかいもあって、屈強なオーク兵が折り重なるように倒れ伏す。
やった! とヴェルネラは思った。急いで次弾を装填する。
巨人連隊は、エルフィンド軍の斉射をもろに受けても止まらなかった。
倒れた戦友を踏みつぶしてエルフィンド軍陣地に吶喊する。
白煙の向こうから迫るオークの気配を感じ取ったエルフ達の一人が恐怖から逃げだした。
一人が逃げると、もう一人、また一人と次々に胸壁を離れる者が出てきた。
「貴様ら! 逃げるなッ!」
ハルファン准佐や小隊長、下士官までもがそれを押し留めようとする。
そこへオークが突っ込んだ。
流れを変えようと率先して迎え撃とうとした小隊長がサーベルを振り上げたが複数のオーク兵に串刺しにされた。一方で曹長が突き出した槍がオークの首筋を貫く。生々しい殺し合いが中隊陣地の各所で発生する。
装填を終えたヴェルネラは、恐怖に立ちすくんでしまった。
胸壁を乗り越えたオーク兵が向かってくる。
「ヴェラ! ア゛ッ!」
イルフリーダの声鋭い声で、我に返ったヴェルネラはマスケットの引き金を引く。銃弾が向かってくるオーク兵を貫くが、彼は止まらなかった。
ヴェルネラは、恐怖から後退ろうとして尻もちをついてしまう。
動けないヴェルネラの前で、オーク兵がマスケット銃を鈍器のように振りかぶる。
死にたくない! ヴェルネラは涙を浮かべながら生存本能に従ってマスケット銃を突き出した。
銃剣がオーク兵の心臓へと突き刺さった。オーク兵はカッと目を見開くと力が抜け、覆いかぶさるように倒れ込んできた。
オークの自重で銃剣は更に深く刺さり、ヴェルネラはオーク兵の返り血を浴びながら仰向けに倒れ込んだ。
『……
覆いかぶさるオーク兵が小さく一言呟いて息を引き取る。ヴェルネラには彼が何を言ったのかは分からなかった。
ハルファン准佐の中隊が死闘を繰り広げている中、オルクセン軍の側面に回り込む一隊があった。黒エルフの部隊である。
彼女達は、主陣地中央に集中しているオルクセン軍に猛烈な射撃を浴びせた。
エルフィンド軍の白エルフ部隊で使用されているマスケット銃とは異なり、彼女達はライフル銃を装備していた。これは装填に時間はかかるものの精度射程ともにマスケット銃を凌駕していた。
これを狩猟を生業とする黒エルフが使った。
黒エルフが射撃するたびにオーク兵が倒れる。
一部の黒エルフ部隊は、前線で白兵戦を繰り広げる白エルフ部隊を助けるべく、彼女らが伝統的に腰にさげる特徴的な山刀を抜いてオルクセン軍に踊りかかって見せた。
黒エルフ達は、部隊の大小に関わらず指揮官を特に狙った。その射撃は遂にオークの王にまで届く。
アルブレヒト王、倒れる。
これが決定打になった。オルクセン軍の士気は完全に崩壊し、ロザリンドから敗走することになる。
中隊陣地に乗り込んだ巨人連隊の兵達が、銃撃を浴びて倒れる。その隙を突いて、彼らに斬りかかる人影が複数あった。
長い耳に褐色の肌、
彼女達はオーク兵に飛びついて組み付くとその勢いを使って押し倒したり、そのまましがみついて
負傷者もそのままに、胸壁を逆に乗り越えて逃げていくオーク兵達。
ヴェルネラは熱を失った無も知らぬオークの亡骸を押したが僅かに動くばかりで、なかなか退かせずにいた。
精一杯の力を込めて押すと、急にオークの重みが軽くなった。
「あんた、大丈夫かい? 血塗れじゃないか。ほら、起きな」
ヴェルネラに手を差し伸べてきたのは一人の
褐色の肌に長い灰色の髪を後頭部で馬の尾のように纏めている。顔には白い戦化粧を施し、雑嚢の肩掛け紐で豊かな胸部がより強調されていた。
後にコンコーディア・アグレスという名を知ることになる黒エルフの手をヴェルネラは掴んだ。
「あ、ありがとう」
「こんな時に黒も白もないさ。あんた、怪我は?」
ヴェルネラは首を横に振って答える。返り血で血塗れではあったが、怪我は一つも負っていなかった。
「顔までオルクスの血が付いてる。ほらこれを使いな」
黒エルフが押し付けるように渡してきた小綺麗な手拭いを受け取り、顔を拭いながら周囲を見回した。
死屍累々である。オークやエルフの死体がそこら中にあった。
小一時間前までは共に生きていた中隊や氏族の仲間達が物言わぬ骸となって横たわっている。
「
額から血を流したハルファン准佐が、黒エルフの指揮官に詰め寄っているのが見える。先任下士官の曹長が今にも掴みかかりそうなハルファン准佐を押し留めていた。
「…………え……?」
顔を拭く手が止まり、ぽとりと借りた手ぬぐいを落とすと、ヴェルネラはふらふらとした足取りで歩き出した。
「? おい、あんた……」
コンコーディアは途中で口を噤んだ。
ヴェルネラが膝から崩れ落ちた先には、彼女がよく見慣れたエルフが横たわっていた。
「イ、イル? 嘘でしょ? ねぇ、イルッ!」
イルフリーダは顔面の半分が無くなった状態で倒れていた。誰が見ても即死と判断できる状態である。
右目は飛び出し、頬は大きく裂けて口腔内が露出している。青い左目は虚空を見つめて光を失っていた。
彼女がいつ、何で死んだのかもわからない。
呆然とするヴェルネラの姿をみて、亡骸が彼女の親しい人だと察したコンコーディアは跪くと、見開かれたままのイルフリーダの左瞼を閉じてやり、真新しい手ぬぐいを顔に被せた。
そして、首から下げられた護符を取るとヴェルネラの手にそっと握らせた。そのままヴェルネラの頭を自身の胸元に抱き寄せる。
ヴェルネラは彼女の胸の中で嗚咽を漏らし、咽び泣いた。
逃げるオルクセン軍を、クーランディア大将はタダでは逃さなかった。
黒エルフ散兵と騎兵を使って猛烈な追撃を仕掛けた。
敗走する最後尾を騎兵を使って追い散らし、組織的な抵抗を図る部隊には正面から当たらず退路を遮断し、孤立させてからすり潰した。
山岳地での機動に優れる黒エルフ散兵は、オルクセン軍の退路で待ち伏せをした。散発的な襲撃や、伏撃、水を取りに出た者を狙撃するなど、オルクセン軍を徹底的に嬲った。
飲水すらないオルクセン軍は、多くの落伍者を出しながら撤退し、最終的に突如としてロザリンド渓谷に降った大雨を使ってエルフィンド軍の追撃を振り切って祖国へと帰還した。
オルクセン軍約三万六〇〇〇頭、エルフィンド軍約一万九〇〇〇名。ロザリンド会戦における両軍の死傷数である。