清廉な白エルフは、いかにして不浄な黒エルフを虐殺したのか 作:タチアナ・グリセルダ
最終的解決の開始以降、ファルマリアからシルヴァン川へと続く三本の主要街道には、いくつもの検問所が設けられていた。
木製の柵と土嚢を積み上げただけの簡易なものではあったが、街道に沿う形で設営され、通行人を検分していた。
作戦開始当初では、黒エルフの商人や旅行者などが検問所で捕らえられては、連行或いは暇つぶしに処刑されたりしている。
だが今では、街道を行き交う黒エルフの姿はすっかり消え、検問所は暇を持て余す場所と化していた。
各検問所には一個分隊程度が配置されており、その近くには一個小隊が野営している。そういった小隊が約一個中隊分、街道の各所に展開していた。
ファルマリアとシルヴァンを結ぶ西側街道、ヘイズルーンからおよそ十キロほど離れた地点にも、検問所が置かれていた。
日を跨いで少し過ぎた頃、哨兵として立つ兵卒はあくびを隠すことなく哨所に立っている。
息を吐くたび白い霧が口元に浮かぶ。
「あー、早く帰りたいわ」
「いい加減退屈してきたしね」
この検問所に配置されていたのは、ファルマリアに駐屯するエルフィンド陸軍の将兵らであった。
最終的解決に際して、国境警備隊や秘密警察を支援する為に派遣されていたのだ。
突然招集され、何もない黒エルフの土地で四六時中四周を監視する。何もないまま数日も経つと彼女らのやる気と集中力は見事に消え去っていた。
一人が立哨中にも関わらず煙草に火を点けて紫煙を吐き出す。
「…………ん?」
何気なく街道の先を見ていた兵の視線が、闇の中の動きに引っかかる。
「……? 何かいるの?」
相方が街道を注視したのを見て、同じ様に夜目を効かせる。
街道を進んでくる集団が見えた。隊列を組み一定の速度を維持している。
先頭を進むエルフィンド国境警備隊の大尉の姿が目に入った。
直ぐに隊列の正体も明らかになる。それは国境警備隊に周囲を囲まれた黒エルフの集団であった。
立哨についていた兵卒が、分隊長である軍曹に報告すると、軍曹はすぐに外套を羽織って哨所に現れた。
「検問所異常なし!」
隊列が近づくと軍曹は敬礼して大尉へと報告した。
「ご苦労さま」
大尉が答礼しながら軍曹の前で足を止めると、隊列もまた行進を止めた。疲労からか数名の黒エルフがへたり込む。
「失礼ですが、官姓名をお教え願えますか?」
「ああ、失礼。ファルマリア国境警備隊第一連隊のフィンネルミア大尉よ。黒共を移送中なの」
フィンネルミア大尉は懐から煙草ケースを取り出すと、中から高そうな煙草を一本取って咥えた。
ちょうど煙草を切らしていた軍曹は、思わずその動きを目で追う。
「あなたも吸う?」
「ありがとうございます!」
勧められた煙草を咥えると、マッチを擦ってフィンネルミア大尉と自分の煙草に火を点ける。
「移送というと、何処まで? ヘイズルーンは逆ですよ」
「前進陣地までよ」
「前進陣地?」
エルフィンド国境警備隊が有する前進国境守備陣地。それはシルヴァン川から約六キロ地点にあった。
なぜそんな所に? と首をひねる軍曹の疑問に応えるようにフィンネルミア大尉が言葉を続ける。
「ヘイズルーンで大規模な暴動があったらしいわ。まだ混乱している様だから一先ず南に収容するそうよ」
確かにあの辺りには前進陣地くらいしかまともな施設はない。紫煙を吐きながら軍曹は合点がいった様に頷いた。
「さて、そろそろ行くわ」
「はい。夜行軍頑張って下さい! おい、通せ!」
フィンネルミア大尉が短くなった煙草を捨てて踏み消すと、軍曹が分隊員に道路上に設置した拒馬を退かさせる。
国境警備隊員が黒エルフ達を立たせると、行進を再開した。
軍曹は、夜の闇へと消えていくフィンネルミア大尉らの後ろ姿を見送ると、紙巻き煙草が持てなくなるくらい吸いきって味わった。
「何とかなったわね……」
「…………自分はいつバレるかとヒヤヒヤしました」
フィンネルミア大尉ことヴェルネラ・オルノネメア大尉は、隣を歩くアーネチカ・ランドレス軍曹に小声で話しかけた。
手のひらに、じっとりと汗が滲んでいるのが分かる。
隊列の白エルフも黒エルフも、皆どこか安堵の色を滲ませていた。
シルヴァン川南岸を目指すヴェルネラ一行は、夜陰に紛れつつもあえて堂々と街道をすすんだ。
約二五〇名からなる大所帯。何処へ行こうとも痕跡を隠すのは限界がある。
それならばと、白エルフと黒エルフの混成を活かして黒エルフを移送する国境警備隊に偽装したのだ。こうすれば黒エルフが大手を振って街道を歩いていても疑われない。
万が一に備えて、黒エルフ達は荷物の中に拳銃や山刀を隠し、土地勘に優れた黒エルフから構成された三十人ほどの集団が、武装して街道脇を並走した。
街道を堂々と進んだことで、時折すれ違う白エルフ達がヴェルネラ達を疑うことはなかった。逃げる者は隠れて移動するという先入観を見事に利用できていた。
夜の闇もヴェルネラ達を助けた。黒エルフの拘束がしっかりと結ばれていないことや、連行される黒エルフの血色がいいことを隠している。
『ヴェラ。今からそっちに行くよ』
並走する黒エルフ集団を指揮するコンコーディア・アグレスから魔術通信が入ると、街道脇の藪が揺れて人影が出てきた。
彼女らは手に小銃を持ち、背中にも複数背負っている。
「もうすぐ日の出だ。近くに森があるから、そこに身を隠そう」
コンコーディアが告げる通り、地平線が明るくなり空も白んできている。
「そうね。今日はここまでかしら」
ヴェルネラ一行は街道を外れ、コンコーディアの先導の下小川の流れる森へと入っていった。
この日、ヴェルネラ達はレーラズの森から約十三キロ地点まで徒歩で進んだ。
これは決して速くない、夜間という特性を踏まえても遅い部類であった。
日の出前、森の奥に身を潜めた一行は、再び夜が訪れるまで休息を取ることになった。
湿った土の匂いが立ちこめ、苔むした倒木と絡み合う根が、即席の腰掛け代わりに転がっている。風が吹くたび、葉擦れの音が静寂をなぞるように広がり、遠くで小鳥の羽ばたく気配がかすかに響いた。
白エルフが肩からさげていた楕円形の水筒を取り出すとコルクの栓を抜いて一口含んだ。
「ほら」
「あ、ありがと」
水筒は隣の黒エルフへと渡され、慎重に、まるで貴重品を扱うように両手で受け取られる。一口飲むたび、喉が動く。
やがて水筒はさらに隣へ、さらにその隣へと回され、人々の間を静かに巡っていった。
黒エルフと白エルフが互いに混ざり合って思い思いに腰を下ろし、背を木に預け、地面に横たわる者もいる。ゆっくりとだが両者のわだかまりや緊張は溶けつつあった。
その様子を、フェドーラ・パルティス少尉が少し離れたところで眺めていると、水筒を持った黒エルフが近づいてきた。
「貴女も……」
「いらん」
突き放すように小さくも鋭く言い放つ。
パルティス少尉は、あくまでヴェルネラに付いてきただけであり、黒エルフ達がどうなろうが知ったことではないと思っていた。
かつての様に暴力を振るったり、暴言を吐くことはなくなったが、見下した様な視線を隠すことは無かった。その視線は黒エルフ側も察している。
収容所でパルティス少尉が黒エルフへ暴行を働いていたことは記憶に新しい。黒エルフ達も厳しい目を彼女へと向けていた。
「ほら、もう行こう」
別の黒エルフが、水筒を差し出したまま固まっていた仲間の手を引いて、パルティス少尉から距離を取った。
森の中に身を隠し、休養をとっていただけではない。ヴェルネラ達は、少数の斥候を放った。
昼間の内に、経路上の国境警備隊や検問所の有無を確認する。
収容所には各地から黒エルフが集められていた事もあり、この辺りの土地勘に優れた者がこの任務に付いた。
彼女達は、脇道やあぜ道、獣道を使って進み、街道の偵察を行った。
「街道上に検問所の類は見つかりませんでした。ただ、斥候騎兵の姿が確認されています」
夕暮れが近づき、森の影が再び濃くなり始めた頃、斥候に追従したベアトリクス・セレンヴェン曹長が斥候情報をまとめて報告する。
「そうなると、問題はここね」
ヴェルネラが地面に描いた砂盤────土や枝を使って周辺の地形を再現したもの────の一点を指し示す。
そこはファルマリアから続く三本の街道がシルヴァン川を前にして収束する合流地点。そこには国境警備隊の前進国境守備陣地があった。ヴェルネラが検問所で目指すと嘘を言った場所である。
約一個中隊が常駐しており、中央街道を更に六キロほど北進した地点にある国境警備隊分屯地から、交代で中隊が派遣されていた。
この前進国境守備陣地は、ヴェルネラの元原隊にあたる第一連隊の担当陣地である。ヴェルネラも幾度となく訪れたことがあった。
前進陣地からは、朝と夜の二度、定期的にシルヴァン川の国境線を監視する斥候班が派遣されている。
「今の担当は、ウェンディ少佐の中隊だったわね」
「ええ、そうです」
不真面目な中隊長なら、この監視任務の頻度を落としたり、やらなかったりするが、ヴェルネラの知るウェンディ少佐であればそんな事はしないと断言できた。
「ここは迂回するしかないわ。側道に逸れてシルヴァン川まで一気に行く」
魔術探知を使いながら国境線を監視する斥候班は、朝と夜に動く。
これを避ける為、ヴェルネラは昼間に一気にシルヴァン川を越えることにした。
日がすっかり沈んでからヴェルネラ達は森を出た。昨日と同じ様に黒エルフの移送に偽装して街道を進む。
半分に欠けた月が、雲の切れ間から淡く光を落とす。
一定の歩調で足が運ばれ、革靴と地面がぶつかる乾いた音が、夜の静けさに規則正しく刻まれていく。
他に灯りはなく、遠くの森も、空も、すべてが暗闇に沈んでいる。
動いているのは、ただこの隊列だけだった。
やがて、小一時間ほど進んだところで、街道沿いの村落に差しかかる。
かつてここは、白銀樹が立ち、約一三〇人ほどの黒エルフ達が暮らしていた。
街道沿いの村ということでそれなりに栄えていたが、今では見る影もない。
「…………」
ヴェルネラ達は足を止め、その惨劇に言葉を失った。
家は焼け落ち、壁だけが歪に残り、煙の残り香が冷たい夜気に混じって漂っている。営みの証はすべて灰と化し、鍋も扉も、生活の名残は黒く炭化して地面に散らばっていた。
街路樹には、住民達が吊るされていた。縄が風に擦れて軋み、身体はゆっくりと左右に揺れる。その影が地面に伸び、まるで生きているかのように揺らめいている。
開いた口から舌が重力に従って垂れ下がり、野鳥に啄まれたのか片目の眼球は消え去り、眼窩が赤黒く覗いている。
低い位置に吊るされていた者は、獣に食い荒らされたようで、下半身が引き裂かれて地面には乾いた血溜まりがあった。
冬の低い気温で腐乱こそしていなかったが死臭が村全体に充満していた。
「なんで、こんなこと……」
黒エルフの誰かが、かすれた声で呟いた。
ここへ来るまでに、嫌というほど現実を突きつけられてきた。それでも、この光景を前にして、口に出さずにはいられなかった。
村の中央では母なる白銀樹が、切り倒され焼け落ちていた。
「……降ろしてあげましょう」
ヴェルネラは、焼け残っていた木製の踏み台を見つけると、そのうえに乗って吊るされた遺体を支えながらその首吊り縄を斬り裂いた。
誰も何も言わず、住民達を街路樹から降ろしていった。
「……パルティス少尉?」
ヴェルネラは、パルティス少尉が街路樹の前に佇んでいるのを見かけた。
返事はない。パルティス少尉の視線は、一点に注がれていた。彼女の視線の先へ目を向ければ、街路樹に子供の黒エルフが吊るされていた。
出生率が総じて低い魔種族にとって、子供は神聖な存在である。これは白エルフも黒エルフも変わらない。
パルティス少尉は、動かないその小さな身体を、まるで視線で縫い留めるかのように見つめていた。
ヴェルネラは何も言わずに、その横に踏み台をおいて立つと、パルティス少尉も無言で亡骸に手を添えた。
首吊り縄が斬られ、子供の遺体がパルティス少尉の腕に抱きかかえられる。彼女は、ゆっくりと焼け落ちた白銀樹のそばに横たえると、子供の片目を失い見開かれたままだった瞼をそっと閉じた。
住民達の亡骸は、彼女達の母である白銀樹のそばに集められる。
護符を回収すると、白銀樹の根元に護符を埋めていく。
パルティス少尉は、亡骸を前にして啜り泣く黒エルフ達をじっと見つめる。
嗚咽の音が、夜の村にやけに大きく響いた。
村落を出た後も、一行は無言であった。生々しい虐殺の跡が彼女達の口を噤ませた。
それでも、足を止めることはない。
前進陣地に二キロほどの地点で街道をそれる。
丘陵に隠れるよう、前進陣地の警戒範囲を迂回しながらシルヴァン川へと向かう。
幸い前進陣地から出た斥候班に捕捉されることは無かった。
「明日、日が昇ってからシルヴァン川を越えようと思う」
ヴェルネラは、コンコーディアやパルティス少尉、セレンヴェン曹長などの脱出行で主要な指揮官を集めると移動経路を指し示した。
今隠れている森から真っ直ぐ南東方向を、手に持った棒で地面に矢印を描く。
エルフィンドが国境として定める大河シルヴァンは天然の要害である。
中央分水嶺から東西へと流れるこの川は、深く広く徒歩で渡れる場所は、土砂の積もった下流域の一部地域でくらいしか無かった。
南東部で渡渉できる場所は、ヴェルネラが示した場所しかない。
アルビニーへの亡命で大きな山場を迎えようとしている。誰もが緊張していた。