清廉な白エルフは、いかにして不浄な黒エルフを虐殺したのか 作:タチアナ・グリセルダ
シルヴァン川を越えた約一二〇〇人の黒エルフ達は、森に設定された一次集結地から、更に南下した位置にある集結地へと移動し、食事と休養、健康状態の確認が行われた。
この集結地には、オルクセン陸軍第一七山岳猟兵師団の輜重段列によって天幕や野戦炊事車に野戦病院設備、果ては通信設備までが運び込まれていた。
林の中に規則正しく並ぶ天幕、薪のはぜる音と湯気を上げる炊事車、消毒薬の匂いが漂う野戦病院──それらは、長く逃亡生活を続けてきた黒エルフ達にとって、現実味のない光景だった。
黒エルフ達はここでゆっくりと休んだ後、馬車にてオルクセン王国北部、メルトメア州アーンバンドの郊外にある鉄道駅まで運ばれた。
舗装された街道を進む馬車の揺れに身を任せながら、彼女達は「追われていない移動」の喜びを味わっていた。
黒エルフ達はそこから、用意されていた軍用列車に乗せられて首都ヴィルトシュヴァインへと向かうことになる。
用意された軍用列車は、通常の貨物車の編成ではなく、客車のみで編成された特別なものであった。
コンコーディア・アグレスは、ヘイズルーンの収容所からここまで共に歩んできた者達と共に軍用列車の客車で揺られていた。
機関車、炭水車、木製の座席が据えられた客車がいくつも続き八号車は食堂車、最後尾に貨物車の一四両編成。それが二本、黒エルフを載せ、時間差でアーンバンドを出立した。
エルフィンドにも鉄道はあった。しかし、それは首都ティリオンと地方の主要都市を結ぶものしか無く、黒エルフ達の主な居住地であるファルマリア南方のシルヴァン川流域には敷設されていない。
黒エルフにとって鉄道は馴染みの無いものであった。故に彼女達は、鉄道にどことない高揚を覚えつつその振動に身を委ねる。
ベレリアント半島とは異なるオルクセンの風景も、彼女達の興味を引いた。
低く起伏する平原、黒々とした針葉樹林の合間に広がる牧草地、点在する農家の赤茶けた屋根、規則正しく区切られた小麦畑や甜菜畑。
車窓から流れていく風景を、見るべく多くが窓際に集まった。
そんな中でコンコーディアは、何処か不機嫌そうに目を瞑って座っていた。
「怒ってるのは解るけど、顔に出過ぎよ」
「…………怒ってない」
対面に座るニキータ・セレムリエンは、大きく溜息を吐いた。アーンバンドを出てからずっとこの調子である。
理由は単純であった。コンコーディアの半身とも言うべき存在、白エルフのヴェルネラ・オルノネメアと離れ離れになってしまったからだ。
ヴィルトシュヴァインへの移動に伴い、ヴェルネラ達白エルフは、黒エルフとは隔離された客車に乗せられる事になった。
「お気持ちはわかりますが、事情があるんですよ」
乗車前にその事を伝えてきたエレンウェ・リンディールの申し訳なさそうな顔を見てまで、食ってかかるコンコーディアでは無かった。
自分達が知っている頃とは大分様変りしているが、オークはオークだ。黒エルフは助けても白エルフはそうではないかも知れない。そういった不安がコンコーディアの中で渦巻き、ぶつける相手の無い怒りとなって表情に露出していた。
そんなコンコーディアを他所に、列車はオルクセン王国首都ヴィルトシュヴァインへとやってきた。
首都ヴィルトシュヴァインの新市街郊外、ヴァルダーベルク。
元々は、オルクセン陸軍首都第三演習場と隣接する王立農事試験場であり、今ではオルクセンへとやってきた黒エルフの新たな故郷となっていた。
オルクセンへと逃れた最初の黒エルフ達が到着するや否や、陸軍の工兵や民間の建設業者が、建設資材と共にヴァルダーベルクへと入り、黒エルフの意見を聞きながら彼女達の町を作り出していったのだ。
黒エルフの脱出行を最後まで陣頭指揮したディネルース・アンダリエルら最後の一二〇〇人がヴァルダーベルクへと到着したのは、彼女達の住居の多くが完成した頃である。
アーンバンドを出た軍用列車は、ヴィルトシュヴァイン郊外の鉄道駅に一時停車して、同乗していたオルクセン陸軍の士官らを降ろした後、引き込み線から第三演習場内の鉄道駅へと到着した。
コンコーディアは、機関車から排出された蒸気が漂うホームへと折り立つ。ホームには歓喜の声があちらこちらから響き渡る。
彼女達を出迎える様に、先にヴァルダーベルクへと到着していた黒エルフ達の多くが鉄道駅へと集まっていた。
互いの名を呼び合い、抱き合い、肩を叩き合う姿。再会の喜びに声を上げる者がいる一方で、安否不明の知人を探して必死に名を呼ぶ、掠れた声も混じっている。
コンコーディアは、数少ない荷物を掴んでホームを歩いた。共に収容所を逃れた黒エルフ達も後に続いたが、一人、また一人と、氏族の者との再会を果たすたびに立ち止まり、やがて群衆の中へと消えていった。
気がつけばコンコーディアは一人になっていた。立ち止まり、行き交う人々を見渡しながら、皆が氏族と再会できたことに、胸の奥から安堵の息を吐く。
「コーディ姉ッ!!」
懐かしい声と呼び名が聞こえる。
コンコーディアは、声のした方へとばっと振り向いた。
「ッ!? ウル!」
「コーディ姉! 本当にコーディ姉だ!」
コンコーディアの胸へと飛び込んできたのは妹分とでも言うべき存在、ウルフェン・マレグディスであった。勢いのままよろめきながらも、二人は強く抱き合う。
彼女達が住んでいたクヴィンデア村がエルフィンド国境警備隊に襲撃された日、ウルフェンは連れ去られるコンコーディアを見ていることしかできなかった。
彼女は、コンコーディアに託された村の生き残り達をまとめ、へレイム山脈を逃げながらであったディネルースの誘いに乗り、オルクセンへと逃れていた。
話したいことは山程ある。しかし、今はただ、きつく抱きしめ合いその体温と鼓動を感じていかった。
ヴァルダーベルクへとやってきた黒エルフ達は、やる事が山積みであった。
まず、個人登録。
オルクセンには個人登録制度があり、国民一人一人がこれをしなければならなかった。新たにオルクセン国民となる黒エルフ達も、当然登録をする義務があった。
しかし、一度に一万二〇〇〇人である。たいへんな作業となった。
登録所として使われたのは、元農事試験場の倉庫や演習場の詰所である。長机が何列も並べられ、その前には果てしなく続く列ができた。
黒エルフ達は、用紙に記入すればいいだけだが、これが困った。言語の問題である。
黒エルフ達が操るのはアールヴ語。オルクセンの公用語は低地オルク語。
元々の言語体系の根本が同じであるため、文法や発音は単語の一部は同じであり、多くの者がすぐに会話するのに十分な基準を満たした。
しかし、彼女達は低地オルク語での記載に手こずった。馴染みの無い文字である。誤字脱字が多く何度も書き直すハメになった。
一方、登録を受け付ける役所も苦労があった。
一万二〇〇〇人分、すべて確認し登録していかなければならない。もちろん通常業務もある。
ヴィルトシュヴァイン市の役所という役所から人員の応援を受けてこれをやった。
次に、仮称ダークエルフ旅団の編成である。
オルクセン陸軍は、黒エルフ族で構成された騎兵旅団を新たに編制する事を決定し、予算も承認されていた。
新編される騎兵旅団────後にアンファウグリア旅団と呼ばれる────は、三個騎兵連隊を骨幹に山岳猟兵連隊、山砲大隊、工兵中隊とそれを支える輜重段列、野戦病院を有し、戦時完全充足では約八〇〇〇強。亡命してきた黒エルフの約七割がこの旅団に所属することになる。
コンコーディアやウルフェン、ニキータもこの旅団に所属する事を既に決めていた。
彼女達は、低地オルク語の習得と共にオルクセンの軍学も学ばなければならなかった。
乗馬やオルクセン製の各種兵器の操法も同時並行で学んでいく。
黒エルフ達がオルクセンに来て、あっという間に一ヶ月が経とうとしていた。
アンファウグリア旅団において、連隊長や大隊長はかつての氏族長や副氏族長或いはそれに準ずる者が多く選出されている。
一二〇年前のロザリンド会戦の時から生きているコンコーディアは、虐殺以前の氏族においては副氏族長に次ぐ地位にあった。なろうと思えば氏族長になれるだけの統率力と魔術力を持ち資質もあったが、本人がやりたがらなかったのだ。
ヴァルダーベルクでは、氏族長と副氏族長共々を連れ去られたクヴィンデア村の氏族の、氏族長代理とでも言うべき立場に収まっている。
アンファウグリア旅団の編成にあたってコンコーディアは、山岳猟兵連隊第一猟兵大隊の大隊長に任命されていた。
階級は、少佐。山岳猟兵連隊における指揮継承順位は第二位。つまり、連隊長であるエレンウェ・リンディール中佐に何かあれば、連隊の指揮を引き継ぐ事になる。
ヘイズルーン収容所を脱出した黒エルフ達の中で、最も高い地位に就いたのがコンコーディアであった。
そんなコンコーディアのもとには、ある嘆願が連日届けられた。共に収容所脱出した黒エルフ達からである。
内容はどれも同じ、あの脱出行を共にした白エルフ達に再会できるように掛け合ってくれないか? というものであった。
アーンバンドで別れて以来、ヴェルネラ達白エルフとは誰も会えていない。
ヴィルトシュヴァインに来ていることは聞かされていた。しかし、彼女達が何処で何をしているのか、どんな生活をしているのかは教えられなかった。
コンコーディア自身も、既に何度か面会を希望しているが叶ってはいない。
流石にもう一ヶ月経つ。彼女の胸の内で、静かに燻っていた苛立ちは、限界に近づきつつあった。
その日、コンコーディアは旅団本部を訪れていた。
オルクセン陸軍の黒い軍服を身に纏い、軍靴の鋲が床を叩く音を響かせながら目指すのは旅団長室である。
「失礼します!」
コンコーディアは、ノックの返事も待たず、扉を開け放つ。
旅団参謀長イアヴァスリル・アイナリンド共々、書類仕事に追われていた旅団長のディネルースは、この突然の来訪者に驚いた。
「アグレス少佐! 許可もなしに旅団長室に入るとは────」
「まあ、待てヴァスリー」
形の良い眉を吊り上げて、コンコーディアの不躾な行動を咎めようとしたイアヴァスリルを制しながらディネルースは、手に持っていた万年筆を置いてコンコーディアと向き合った。
「何の用かな?」
「……白エルフ達と合わせて頂きたい」
コンコーディアは、同時に持参した嘆願書を執務机の上に置いた。
ディネルースが低地オルク語で書かれた嘆願書を見ると、そこには収容所を逃れた黒エルフ達の名前が連名で綴られていた。
「彼女達は、我々にとって同胞です。一ヶ月経ちます。皆、無事なのか知りたがっている」
ディネルースが嘆願書に目を向けている間も、コンコーディアはディネルースを見ずに正面を向いたまま直立不動で述べ続ける。
「もしも、この嘆願が飲まれない場合、我々は職を辞して
それを聞いたイアヴァスリルは、コンコーディアを睨見つける。
ディネルースも嘆願書から目を離し、コンコーディアを見た。その目には決意の色が見える。
命をかけて収容所から逃がしてくれた白エルフ達を、今度は自分達が助けると、その強い意志が見て取れた。彼女達の邪魔をするなら、誰であっても牙を向くだろう。
ディネルースは、困ったように眉を下げた。オルクセンに来てまだ間もない新参者である黒エルフが、ここで問題を起こすのは不味い。
「要望はわかった。私の方からも掛け合ってみよう。それでいいか、アグレス?」
「ありがとうございます」
ディネルースの言葉を聞いたコンコーディアは敬礼すると、用は終わったと言わんばかりに踵を返して退室した。
ディネルースは、革張りの椅子に背中を預けてふうっと一息吐く。そのまま葉巻を一本取り出した。
イアヴァスリルは、その姿に見て隣接する部屋に控える副官に、お茶を用意するよう指示を出した。
ディネルースは、葉巻から立ち登る煙越しに窓の外をぼんやりと眺めた後、副官の用意したお茶を飲みながら一筆したためた。
コンコーディアら黒エルフ達が、白エルフとの再会を果たしたのはそれから五日後の事であった。
黒エルフ達と共に亡命した白エルフ達は、首都大演習場の廠舎の一つを仮の住居として暮らしている。
彼女達は、オルクセン陸軍憲兵総監部の監督下で、軟禁に近い形で生活していた。廠舎内やその周辺の散策は自由であったが、毎晩欠かさず点呼が行われる。
コボルトの憲兵少尉の後に続く形で、コンコーディアはウルフェンを伴って廠舎へと入った。その後ろにはタチアナ・グリセルダやニキータの姿もある。
「ヴェラ姉!」
「ウルフェン!?」
廠舎で思い思いに過ごしていた白エルフの中に、ヴェルネラの姿を認めるとウルフェンが真っ先にその名を呼んだ。彼女にとってヴェルネラは、コンコーディアと同じく姉と慕う人物だった。
ヴェルネラも、まさかここで妹分と再会できるとは思っておらず、眦に歓喜の涙を浮かべながら抱きしめ合う。
「よかった……。あなたも無事で……ッ」
「ヴェラ姉こそ、無茶をやったんだろ」
コンコーディアからここまでの経緯を聞き及んでいたウルフェンは、ヴェルネラが体制に反逆したことも知っていた。
再会を喜ぶ二人を見ていたコンコーディアを、ウルフェンが呼び寄せる。
「少し痩せたか?」
「そうかしら? ……軍服、似合ってるわね」
一ヶ月ぶりの再会は、静かだった。二人は正面から見つめ合う。
「……?」
その光景にウルフェンは、少しだけ違和感を感じた。二人の雰囲気がかつてと違う感じがしたからだ。
ウルフェンが小首をかしげていると、コンコーディアがヴェルネラを包み込むように抱擁した。
ヴェルネラは、コンコーディアの胸に頭を預ける。二人は、一ヶ月分の空白を埋めるように互いを抱く腕に力が込められた。
一分近く無言で抱きしめ合う。
「ん? コーディ姉? ヴェラ姉?」
二人の世界に入り込んでしまった姉達を見ていたウルフェンは、その行動に混乱した。なんか親友っていう距離感じゃなくない? と。かと言って邪魔するのは気が引ける。
結局、ウルフェンは、二人の側でおろおろとする事しかできなかった。
二人が固い抱擁を解いたところで、ようやくウルフェンは疑問をぶつける事ができた。
「コーディ姉、ヴェラ姉と何かあったのか?」
寄り添うように並んだ二人は、妹分からの問いに顔を見合わせた。
「あー。いや、そうだね」
頬を赤く染め、言い淀むコンコーディア。
その腕に自分の腕を絡ませ、ヴェルネラが微笑む。
「わたしたち、付き合い出したの」
「ええっ!?」
ヴェルネラの告白にウルフェンは衝撃をうけたが、きっかけさえあれば、そうなっていそうな二人だったと納得する自分もいた。
ただ、幸せそうな二人を見ていると、何処か温かい気持ちが沸き起こってくる。
「おめでとう」
ウルフェンは、姉二人を笑顔で祝福した。