清廉な白エルフは、いかにして不浄な黒エルフを虐殺したのか 作:タチアナ・グリセルダ
オルクセン国軍参謀本部の一室にその牡はいた。
重厚な扉に囲まれたその部屋は、外界から切り離されたように静まり返っている。
机いっぱいに広げられたベレリアント半島の地図を睨んでかれこれ一時間近くになる。
オーク族向けの大きなマグカップには、冷めきったコーヒーが半分ほど残っている。表面には薄い油膜が張り、湯気はとうに消えていた。灰皿には吸い殻の山が出来上がっている。
この牡の名はエーリッヒ・グレーベン。少将の地位にあり、参謀本部次長兼作戦局長を務めていた。
地図には、第六号作戦計画────オルクセン陸軍の対エルフィンド侵攻作戦計画案────に基づいた部隊の配置が事細かに描かれている。
「失礼するよ」
その声と共にグレーベンは、深い思考の海からゆっくりと浮上した。
グレーベンが顔を上げると、同じく国軍参謀本部に務める兵要地誌局長カール・ローテンベルガー少将の姿があった。
顔馴染みといえる同僚の姿を一瞥すると、グレーベンは再び地図へと視線を移して思考の海へと潜ろうとした。
「挨拶くらいしてくれてもいいだろう?」
「……何の用だ?」
休憩がてらに相手をする事にしたグレーベンは、冷めたコーヒーを一気に飲み干すとシガレットケースから葉巻を取り出して火を点ける。
その姿にローテンベルガーは仕方がないといった具合で溜息を吐くと、手に持っていた製図ケースを見せるように掲げた。
「待ち望んでいた最新のベレリアン────」
「よこせ!」
言い終わる前に奪い取られる。
革の留め具を乱暴に外し、中身を机に広げる。
それもまた、ベレリアント半島の地図。だが従来のものとは違う。
線路の複線・単線の区別、街道の舗装状態、橋梁の材質。細かな文字でびっしりと注釈が書き込まれている。
亡命してきた黒エルフと白エルフから聴取した情報を基に、兵要地誌局が再構成した地図である。
グレーベンにとって、それは黄金の山と同価値だった。食い入るように情報を読み取っていく。
記載された情報は、黒エルフ達の主要な居住地であったファルマリア以南が最も多く、北に行くほど虫食いになっていく。
「お気に召したようだが、それはまだ未完成だ」
「未完成!? いつ完成する!」
未完成と聞くやグレーベンは勢いよく顔を上げてローテンベルガーに詰め寄った。
そんなグレーベンを無視してローテンベルガーは、部屋の壁際に置かれた革張りのソファに腰を下ろす。
「情報提供者の白エルフ達が出し渋っていてね。情報を集めいる事に勘付かれて、ここ最近は大事なところを尽くはぐらかされるんだ」
ローテンベルガーもポケットから取り出した煙草に火を点ける。
「どうにかならないのか?」
その言葉を聞くと、ローテンベルガーは煙草を咥えながらにやりと笑った。
「その為に君に協力して欲しくてね」
ローテンベルガーの手招きに従い、グレーベンがソファに腰を下ろすと、ローテンベルガーが耳打ちする。
「……見込みはあるのか?」
「何人か目星はつけてる。後は認可だけ」
ローテンベルガーがじっとグレーベンを見る。
彼は少しだけ考える素振りをしたあと頷いた。
「のった」
その日の夕刻、参謀総長カール・ヘルムート・ゼーベック上級大将の下に意見具申があげられる。それはそのままオルクセン王グスタフ・ファルケンハインへと上奏され、ほどなく認可された。
ヴェルネラ・オルノネメアは定例と成りつつあった尋問を受けるべく部屋へと入った。
「オルノネメア大尉だね?」
その日、ヴェルネラを出迎えたのはハラー大尉でもヒーマー少佐でも無かった。
オークの士官。壁際には書記官と共に憲兵が二人控えている。
「ヴィンター大佐だ。はじめまして」
ヴェルネラが椅子に座ると、木製の脚が床を擦り、短く軋んだ。
ヴェルネラが座ったのを確認すると、対面のオークはそう名乗った。
「ここでの生活にはもう慣れたかな?」
ヴィンター大佐は、微笑を浮かべて、世間話から入った。これも今でには無いやり口だ。
「ええ、最近は外にも出れるようになりましたので」
「へぇ、我が国はどうだった?」
「……圧倒されました」
ヴェルネラの言葉にうんうんと頷きながらヴィンター大佐は、手元の資料を開いた。
「今日はいくつか確認したい事があってね」
資料をめくりながら言い、目的のページを見つけたのかその手が止まる。
「君は、親友の黒エルフを助けるためにエルフィンドに反逆した。これは本当かい?」
「ええ、そうです」
ヴェルネラの答えにヴィンター大佐は眉を顰めた。
「本当に?」
その声色は少しだけ低く、疑いの色を隠すことなくのせている。
「どういう意味です?」
「なに白エルフの君が黒エルフに親愛を抱くとは、考え辛くてね。ほら、君らの教義では黒エルフは不浄な存在なんだろう?」
笑いながらのヴィンター大佐の言葉に、今度はヴェルネラが眉を顰める。
「わたしはそうは思っていません」
「内心はこう思っているんじゃないのかい? 馬鹿な黒エルフのおかげでオルクセンに潜入できた。しめしめ、って」
ヴェルネラの言葉には耳を貸さず、小馬鹿にしたような口調で続けるヴィンター大佐に不快感が込み上げてくる。
「…………わたしが、エルフィンドの工作員だと言いたいので?」
「よく分ったじゃないか!」
底冷えする冷たい口調のヴェルネラを、馬鹿にする様にヴィンター大佐は、両手を叩いた。
「(隠す気も無いくせに……っ)」
神経を逆撫でしてくるヴィンター大佐にヴェルネラは怒りが込み上げてくる。
「君の親友とやらは、コンコーディア・アグレスとか言ったね。アンファウグリア旅団山岳猟兵連隊大隊長。情報源としては申し分ない。良かったじゃないか、仲良しごっこをしていた黒エルフが────」
ヴィンター大佐が最後まで言い切ることは無かった。
椅子を倒したがら立ち上がったヴェルネラが、その頬を殴りつけたからだ。
振り切った腕を震わ、肩で息をしながら頬を赤く腫らしたヴィンター大佐を睨みつける。
直ぐに壁際にいた憲兵がヴェルネラの両腕を掴み、拘束して引き剥がす。
「少将! お怪我は……」
「いい。退いていなさい」
ヴィンター大佐は、駆け寄ってきたもう一人の憲兵を押し退けると、椅子から立ち上がり、ヴェルネラの正面に立った。
大柄な彼が鋭い視線で睨みつけるヴェルネラに目を合わせると、やや見下ろすような形になる。
「……君の黒エルフへの想いは本物の様だな。謝罪しよう」
先程までの小馬鹿にしたような口調と表情を改め、小さく頭を下げる。
急な態度の変化にヴェルネラは、怒りよりも困惑が勝ち始めた。
ヴィンター大佐が片手を上げると、後ろ手に拘束していた憲兵がそれをやめる。
「いったい、どういう事です?」
ヴェルネラの疑問に、ヴィンター大佐は少しだけ迷った様に見えた。それに答えるかを考えている様であった。
「…………これは、君をテストしたんだ」
「テスト、ですか?」
何のテストなのか、検討のつかないヴェルネラは小首を傾げた。
「君、我々に協力する気はないか?」
ヴィンター大佐がにやりと笑った。
星暦八七六年三月になると、ヴェルネラ達白エルフは軟禁状態を解かれヴァルダーベルク郊外に用意された集合住宅へと移っていた。
木造二階建て、一人暮らし用の部屋が一二。それが三つ並んでいた。洗濯場のみ共用である。
オルクセン王国は、この時になって正式に白エルフの亡命を許可した。黒エルフの様に大々的に報じたりはせず、ひっそりと静かに進められた。
移住してきた白エルフを見る目は、お世辞にも良いとは言えない。
ヴァルダーベルクの黒エルフ達は、事の顛末を知っている者も多く、彼女達に好意的である事が多かった。悪くても無関心で済んでいる。
一方で、元々住んでいたオークやコボルト、ドワーフらの目は違った。
特にコボルトとドワーフは、かつてエルフィンドによって故郷を追われオルクセンへとやってきた歴史的背景がある。厳しい目と態度を向けていた。
白エルフへの差別的態度は、この後始まるベレリアント戦争が始まると、よりいっそう露骨になっていく。
亡命白エルフ達は、エルフィンドの白エルフと自分達を区別する為に、この頃から灰エルフ────白でも黒でもない灰色のエルフ────を自称する様になる。そうやって自分達はエルフィンドの白エルフとは違うと言い聞かせたが、差別的態度が完全に消えるのは更にずっとずっと後年のことである。
一部の者は、そういった差別的態度に耐えかね、キャメロットやアルビニーなどの人間族国家への亡命を希望した。ベレリアント戦争開戦時に、オルクセンに残っていたのは二一名である。
灰エルフ達のオルクセンにおける知名度は低く、その地位も盤石とは到底言えなかった。しかし、灰エルフに利用価値があれば、少なくとも最低限度の安全は保証される。
そういった思惑から、ヴェルネラはヴィンター大佐の提案を受け入れた。
オルクセン国軍参謀本部兵要地誌局。参謀本部に六番目に作られた部局であることから、
軍の地図を作り、各地の気候、風土、町の規模、経済状況といったものを兵要地誌に纏めるという部局だが、もう一つの顔がある。
それが、軍諜報機関としての顔だ。今ではそちらが本業ななりつつある。
そんな兵要地誌局に、ヴェルネラはいた。
オルクセンへの協力を打診され、受け入れたのはヴェルネラだけでは無い。
ベアトリクス・セレンヴェン曹長など十一人が協力すること決め、彼女達もこの場にいた。
ヴェルネラ達は、兵要地誌局の非公式協力者として雇われている。表向きには、兵要地誌局が保有するダミー会社に雇われた形になっていたが。
「よく来てくれた。局長のローテンベルガーだ」
兵要地誌局でヴェルネラ達を出迎えたのは、つい先日、ヴィンター大佐と名乗っていた牡である。
「さっそく、本題に入ろう」
驚くヴェルネラ達を尻目に、ローテンベルガーは机の上に被せられていた布を従卒に取り除かせた。
そこには彼女達の故郷、ベレリアント半島の地図が置かれていた。
エルフィンドで出回っている物と遜色ないほど精巧な地図。オルクセンの諜報能力にヴェルネラ達は舌を巻いた。
たが、ローテンベルガーはまだ足りないと言う。
「知っている情報を書き込んで行ってくれ。駐屯地の場所、鉄道、道路、村、何でもいい」
兵要地誌局に雇われるにあたって、オルクセンが近い将来エルフィンドと戦争をする計画があることは伝えられている。
既に祖国を売る覚悟はできていた。
彼女達は、筆記具を手に取ると次々と情報を書き込んでいった。
兵要地誌局は、亡命白エルフ────灰エルフを使った諜報組織を創り上げようとしていた。
兵要地誌局は、星欧族各国に諜報網を気づき上げていた。ロヴァルナやグロワール、アスカニアなどの隣国だけに留まらず、キャメロットや聖星教教皇領、エトルリアにまでその手は伸びている。
唯一その手が及ばないのが、オルクセン最大の仮想敵国エルフィンドであった。
国民はエルフ族のみ。個人単位でも交流は絶えており、諜報網の足がかりを作る事もできていない。排他的な社会と思想は、多種族を拒み、排斥し、今では白エルフのみが暮らしている。
そこへ現れたのが灰エルフ達である。元々彼の国の国民であった彼女達であれば、難なく侵入でき、諜報網を構築できると見積もられていた。
彼女達に期待された任務も多岐に渡る。情報収集を始め、偵察、潜入、破壊工作、民衆扇動、果ては要人暗殺。
その全てが実行可能な要員を育成する為に、様々な教育が施された。
低地オルク語やキャメロット語などの言語教育に、軍用魔術通信符号や交信規則、拳銃射撃に爆破技能、追跡術、遁走術、スケッチ、交渉術などなど。
約一年後の任務開始を目標として、ヴェルネラ達は教育と訓練の日々を続ける。
一方で、ヴェルネラ達に我の情報は必要最低限しか与えなかった。万が一、捕らえられたり、寝返ったりした時の備えである。
彼女達は、兵要地誌局局長の名をとってローテンベルガー機関と呼ばれた。
対エルフィンド諜報任務は、その任務の種類や性質事に三人程の組に別けられて担当する事になっていた。
組同士の繋がりは無く、それぞれが別々に活動する。
ヴェルネラは、ファルマリア近郊でエルフィンド海軍の活動を探る事になっていた。
「これが、リョースタ。こっちは砲の位置がすこし前気味だからスヴァルタ」
ヴェルネラが就職したことになっているダミー会社の事務所で、用紙に描かれた艦影図を見ては艦名を言い当てる。
同じ組になったセレンヴェンが次の艦影図を出したところで乱暴に事務所の扉が開かれた。
「開戦だ! 黒エルフ達の動員が始まってる!」
飛び込んできた彼女が、息絶え絶えに言うとヴェルネラはセレンヴェンと顔を見合わせた。その表情は互いに驚愕に染まっている。
黒エルフ達が亡命してきてからまだ一年も経っていない。
黒エルフが動員されるということは、コンコーディアも出征するに違いない。
ヴェルネラは弾かれた様に立ち上がると二人を置いて駆け出した。
大通りには出征するアンファウグリア旅団を見送るべく、多くの黒エルフや地元住民たちか押し寄せていた。
正式な開戦の報せはまだ無かったが、大規模な動員と指揮官達の真剣な顔色がそれを物語っている。
隊列を組んだ騎兵が通りを進む。その後ろから山岳猟兵連隊の隊列がやってきた。
連隊長エレンウェ・リンディール中佐を先頭に、行進隊形で進む完全装備の猟兵達。
連隊本部の後に続いてコンコーディアと第一大隊が姿を現した。
「コーディ!」
「ッ!? ヴェラ!」
人混みを掻き分けて、大通りへと飛び出したヴェルネラは、コンコーディアに駆け寄った。コンコーディアも隊列を外れ、二人は抱擁を交わした。
部隊から外れたコンコーディアを咎める者はいなかった。これが今生の別れになるかもしれないのだ。似たような光景はあちこちで起こっている。
二人は力強く互いを抱きしめ合う。
別れの時間は殆ど無い。ヴェルネラは、自分からコンコーディアの唇を奪った。
「無事で……」
「ああ、行くよ」
二人の間で交わされた言葉はそれだけだった。
次で最終話です。