清廉な白エルフは、いかにして不浄な黒エルフを虐殺したのか   作:タチアナ・グリセルダ

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第三話 最終的解決 前編

 夜のベルファラス湾は、深い闇に沈んでいた。

 普段なら、空を覆う鈍色の雲と重たい海霧が視界を奪い、ファルマリアから湾全体を見渡すことなど叶わない。

 しかし、この夜だけは違う。

 

 雲ひとつない空に満月がかかり、銀色の光が海面を照らしていた。湾に停泊する船の灯火が、ときおり柔らかく瞬く。

 エレノア・ガレリエン中将は、邸宅二階の書斎からそれを眺めつつ、片手のグラスを揺らした。

 琥珀色の火酒は、彼女が長年嗜んできたものだった。

 一口、また一口と煽り、空いたグラスに瓶から注ぎ足す。琥珀のきらめきが、彼女の疲れた瞳に反射した。

 酒精の熱が喉から胸へと広がる。それでも、胸の奥の冷たさは消えない。

 

 黒エルフの虐殺。これを完全に止めることは不可能だろう。

 しかし、有力な将軍が、軍が味方してくれれば途中で止める事は出来るやもしれない。

 将来禍根が残るのは否めない。が、根絶やしよりはマシだろう。必要ならこの首を捧げたっていい。

 

 先手は取られた。こちらが挽回するにも準備が必要だ。その為にも時間を稼ぐ必要があった。幸い実動部隊の長はガレリエンだ。方法は幾らでもある。

 そもそも、陸軍大臣のウェンディミアがしっかりと手綱を握っていればこんなことにはならないのだ。

 苛立ちからグラスの中身を一気に煽る。

 

 重苦しい足音が廊下から響いた。

 何事か? ガレリエンが扉に目を向けた瞬間、重厚な扉が内側へ押し開かれた

 わらわらと書斎の中へ複数人の白エルフが入り込んだ。服装も様々だ。港湾労働者のような格好をした者もいれば、中産階級の平服もいる。

 だが、彼らの本来の所属はひとつだった。

 その中から見覚えのある人物が顔を出した。

 内務省治安維持本部警備課長、マルディネータ・フロックセン中佐。

 彼女の姿を認めた瞬間、ガレリエンは苦虫を噛み潰したように顔を歪めた

 

 内務省警察局治安維持本部────いわゆる秘密警察に属する警備部とは何か。暴動対応などしない秘密警察に、本来なら必要のない部署であった。

 表向きには、政府要人や施設を秘密裏に警護する為の部署とされている。

 確かに、その様な任務もする。が、その実態は反体制的、反教義的或いは単純に内務大臣や治安維持本部長官にとって都合の悪い人物を消すための実行部隊であった。

 最近では、政権中央での権力争いに敗れた黒エルフを暗殺していた。

 

「フロックセン課長。こんな遅くに何用か? 招いた記憶はないぞ」

 

 ガレリエンの問にフロックセンは無言で懐から一通の手紙を出す。当然開封されていた。

 ガレリエンの背筋が凍る。

 

「マルリアン大将にお手紙ですか。貴女方は仲が悪いと聞いていたので、頼るならてっきりクーランディア元帥かと思っていましたよ」

 

 ガレリエンは秘密警察らの後ろに控える家令を睨みつけた。彼女は無表情で見返してくる。

 

「こんな身近に裏切り者がいたとはな」

「彼女を責めるのはお門違いです、中将。彼女は貴女を売ったのではない。もともとこちら側です」

 

 ガレリエンはこんな身近ところにまで秘密警察の手が伸びていたことに恐怖した。同時にその手腕に舌を巻く。

 ちらりと書斎の机をみた。引き出しの最上段に拳銃がある、それさえ取れればと思ったが、そんな油断をする相手ではないと抵抗を諦めた。

 

「最終的解決は極秘事項です。むやみに情報を漏らして良いわけないのはご存知では?」

「それで、私をどうするんだ? 刑務所送りか?」

「いえ、今回はもっとシンプルにやります」

 

 その言葉が合図となった。

 秘密警察職員の影が一斉に跳ねる。

 ガレリエンがグラスを投げ、向かってくる一人を殴るがその相手は殴られながらも腰に掴みかかり勢いよく押し倒す。

 数人が一斉に覆いかぶさり、ガレリエンの両腕を押さえつける。

 必死にもがく彼女の身体が、無理やり持ち上げられた。

 連れて行かれる先、それは窓。

 

「くそ! 待て、待て、待────────」

 

 ガレリエンの身体はそのまま窓から真っ逆さまに落とされた。

 ぐしゃり。

 鈍い音が庭の石畳から静かに響いた。

 フロックセンは魔術探知でガレリエンが息絶えたのを確認すると、まるで日常業務でも終えたかのように書斎を後にした。

 

 翌日、官報にてエレノア・ガレリエン中将の事故死(・・・)が報じられた。

 死因は深酒をして、誤って窓から転落したことによる頭部外傷とされる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハスラーディア・ダエリラリルは、ティリオンとエルドインのちょうど中間にあたる街の白銀樹で産まれた。教義的に、慎ましく穢れなく育てられる。

 成長した彼女は、より深く教義に奉仕する道を選んだ。

 選んだのは、中央官僚という険しい坂道。

 教義のため、エルフィンドのために働く、その一心で研鑽を続け、苦節六年。ようやく、内務省秘密警察局治安維持本部の職員として採用された。星暦八〇六年のことである。

 保安一課に配属されたハスラーディアは、反政府主義者の監視、脅迫、逮捕拘禁を職務とした。

 

 完璧で清廉だと信じた政府の黒い部分、教義の為と銘打って政敵を誅殺する姿を見せられたハスラーディアは、失望と諦念を抱いていく。

 それでも生真面目な彼女は秘密警察の一員として職務を全うし続けた。

 内心の吐露など一切しなかった。秘密警察の手は同僚であっても容赦しないことを彼女は知っていた。目聡い幾人かは、彼女の内心を僅かな所作や表情から読み取っていたかもしれないが、その様な人物も総じて教義や政府に冷ややかな目を向けていた。

 

 中央の主流派氏族の出自ではないハスラーディアに転機が訪れたとすれば、保安一課課長であった頃のリュドミラ・ブレンウェルに“気に入られた”事だろう。

 当時から出世頭として知られていたブレンウェル。その派閥に加わったことで、ハスラーディアも彼女の後を追うように昇進を重ねることになる。

 

 エルフ族に限った話ではないが、長命な魔種族において出世街道に乗ることは非常に難しい。失脚や物理的な死でポストが開かなければ、上に上がることすらできない。その数少ないチャンスを虎視眈々と狙うライバル達を押し退けてポストに座るのだ。並大抵の努力だけでは先ず不可能。派閥の後ろ盾を得るか、上司に媚びるか、中には肉体関係を結んで道を開く者までいる。

 

 その点、ハスラーディアは幸運だった。その様な苦労をせずともブレンウェルの金魚のフンとして出世できたのだ。

 ブレンウェルから見ても、ハスラーディアは使いやすい部下だった。

 野心がなく、従順で、仕事は丁寧で確実。抱き心地も悪くない。

 ブレンウェル自身が、彼女を自分の片手として手元に置く理由は十分だった。

 

 

 

 ティリオン中央駅に降り立ったハスラーディアは、蒸気の余韻が漂うホームを抜けて、用立てた馬車へと使って向かった。

 行き先は、内務省第三別館──いわゆる秘密警察本部でも彼女の自宅でも無かった。

 馬車は夜気を切り裂きながら、ティリオン市西側へと進む。

 ティリオン市西側郊外にあるアパルドル街。高級住宅街として知られる地域である。

 ここに、治安維持本部長官ブレンウェルの邸宅があった。

 

「戻ったか、ディア!」

 

 日も完全に隠れた後ではあったが、ブレンウェルは快くハスラーディアを迎え入れた。

 そのまま書斎へと迎え入れ、家令にグラスとキャメロット製の琥珀酒を用意させる。

 家令が銀盆に載せたキャメロット産の琥珀酒とグラスを静かに置く。

 人払いが済むと、ブレンウェルが小さくグラスを掲げた。

 

「それで今日はどうした?」

「例の最終的解決に関して少々お願いが」

「ああ、あれか」

 

 グラスの縁をコツンと合わせ、淡い琥珀色の酒がゆっくりと揺れる。琥珀酒を一口含んでハスラーディアは、本題へと取りかかった。

 ファルマリア会議で決まった内容を、報告していく。収容所の設置と管理、作戦は軍が立案することなど、要点をのみを説明する。

 そして弾薬と建築資材が必要であるとも。

 

「追加の弾薬は何とかしよう。軍や警察を動かせるように命令書も準備したほうがいいな。まぁ、その辺りは任せろ」

「ありがとうございます」

 

 小さく頭を下げるハスラーディアを見ながらブレンウェルはグラスを傾ける。

 

「保安部で進めていた調査だが、もう終わりそうだ。概算だけでも、国境警備隊には闇エルフ(デックアールヴ)と親交のあった者が相当数いる。まぁ当然といえば当然だがな」

 

 内務省肝いりで進められる最終的解決に当たって、この時期の秘密警察は持てるリソースの全てを費していた。

 実動の準備と現場との調整、情報漏洩の防止、そして最終的解決に抵抗する可能性を持つ白エルフ族の将兵、警察官の捜査である。

 

 闇エルフ(デックアールヴ)族が現政権によって各種省庁や軍部から追放される前、闇エルフ(デックアールヴ)各氏族は、国境警備隊に兵力を提供していた。

 彼女達は、士官や下士官、兵として幅広く国境警備隊の一部を構成していた。

 種族分離政策の一環で白エルフと闇エルフ(デックアールヴ)はそれぞれ別の中隊である事が多かったが、一部では混成も存在していた。同僚ともなれば当然、両者の間で親交が生まれる。

 

 闇エルフ(デックアールヴ)の追放後は、教義原理主義者や、闇エルフ(デックアールヴ)蔑視思想の強い者が補充として補填されたが、混成部隊出身の将兵が未だ多く在籍していた。

 秘密警察はそういった将兵達が、闇エルフ(デックアールヴ)に加担或いは反乱を起こすことを想定し、調査を進めていたのだ。

 

「そうですか。では彼女らを収容所の管理に回そうと思います」 

「収容所に? 脱走を幇助するんじゃないか?」

「ええ、それが狙いです」

 

 続きを促すようにブレンウェルが目を細める。

 

「あえて、その様な者たちを収容所管理に回すことで、脱走を助ける裏切り者をあぶり出すのです。裏切り者を見せしめに“処理”すれば馬鹿なことを考える者も減ります」

 

 ブレンウェルはしばし考え、やがて口角を緩めた。

 悪くない、もつべきは優秀な部下だ。

 

「その手法でやろう。それから、ディア」

 

 ブレンウェルがグラスをもったまま立ち上がると窓から夜のティリオン市を眺める。

 ハスラーディアは彼女の背を真っ直ぐ見つめた。

 

「おまえ、その収容所の管理をやってくれ。ここらで一つ実績を作っておいて欲しい」

「実績ですか?」

 

 小首を傾げるハスラーディアにブレンウェルはニヤリと笑った。

 

「近い内に本局長をやってもらおうと思ってるんだ。喜べ出世だぞ」

 

 治安維持本局長には、カフェリエン・ジェレミアという白エルフがその職に就いている。彼女はかつてブレンウェルと秘密警察長官の座を争ったライバルであった。

 

「……では、ジェレミア本部長は」

「奴はそろそろ地元のネニングで農業をしたくなるそうだ」

 

 淡々と告げる声は、まるで天気の話のように軽かった。

 ブレンウェルはハスラーディアの隣に腰掛けると、グラスを置いて彼女の膝に手を置いた。

 

「仕事の話はこれくらいにしよう、ディア」

 

 ハスラーディアが同じようにグラスを置くのをみてから二人は書斎に隣接する寝室へと向かった。

 

 

 

 人が動く気配を察して、ブレンウェルは目を覚ました。

 昨夜、腕の中に抱いて寝たハスラーディアの感触が無い。

 むくりと身体を起こすとハスラーディアが丁寧に折りたたまれた服を手にとって腕を通していた。

 

「もう行くのか?」

「ええ、急ぎファルマリアに行く必要ができましたので」

「ファルマリア……?」

 

 ブレンウェルが欠伸をしながら小首を傾げた。

 

「ガレリエン中将が亡くなったそうですよ。フロックセン課長から電報が届きました」

「ガレリエン? …………ああ、国境警備隊の」

 

 ファルマリアに残してきた警備課長からの連絡と聞きブレンウェルは直ぐに合点がいった。

 ガレリエンは最終的解決に反抗したのだろう。その手法が何かは知らないが、興味も無かった。

 

「ガレリエンの後任にはハルファンを使うといい。奴は(デック)共を毛嫌いしている」

「何かあったのですか?」

「詳しくは知らん。ロザリンドで一悶着あったそうだ」

「分かりました。そのようにします」

「おう」

 

 身支度を整えるたハスラーディアが寝室を出ていくのを見送ると、ブレンウェルは再び寝台に横になった。

 

 

 

 

 

 ファルマリアに戻ったハスラーディアは、直ぐにミカエラ・ハルファン二等少将と面会した。彼女はガレリエンの後任を快く引き受ける。

 ハルファン少将指揮の元、最終的解決は着実に準備を進めていく。

 

 軍からの作戦計画は直ぐに届けられ、有力な黒エルフ氏族の選定と担当部隊が決定される。情報保全の観点から部隊への共有は、作戦決行前とされた。

 

 ファルマリアやモーリア、ノグロストと言ったシルヴァン川流域の主要都市には日に日に物資が届けられた。

 弾薬、医薬品、糧食、飼料、天幕や建築資材まで届いた。

 

 流石の秘密警察とはいえこのような物資の動きまで隠し通す事は出来ないかったが、ハルファン少将は妙手を打った。

 

 シルヴァン川流域に居住する白エルフ、黒エルフに対し国境警備隊は大規模な演習を行うことを通達した。

 範囲はシルヴァン川流域全域にのぼり、平野部では行軍訓練、山岳部では射撃を伴う防御戦闘訓練を行うものである。

 レーラズの森に建築中の宿営地もその一環であり、演習終了後は撤去されると説明された。

 

 もちろん、演習など実際に行われない。最終的解決の偽装である。

 しかし、この通達で普段とは違う軍の動きもそれほど目立たなくなっていた。

 

 二週間後、ハスラーディアはティリオンの秘密警察本部へ電報を送っている。

 

『最終的解決準備概ネ完了。決行ハ、十月二十日ヲ予定トス』

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