清廉な白エルフは、いかにして不浄な黒エルフを虐殺したのか   作:タチアナ・グリセルダ

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第七話 脱走

 最終的解決に向けた軍事作戦は、当初ほど順調に進まなくなっていた。

 作戦開始から二週間ほど経つと、黒エルフ達は組織的抵抗をやるようになっている。

 エルフィンド側は知らなかったが、シルヴァン川の向こう、オルクセン王国から支援を受けた黒エルフきっての野戦指揮官、ディネルース・アンダリエルが黒エルフ族の抵抗を指揮していた。

 

 また、掃討地域がへレイム山脈方面に移っていったのも原因だろう。

 狩猟を生業としてきた黒エルフ達が籠るへレイム山脈へ、山歩きすらしたこともない者達が入るのだ。これはいい的になった。

 国境警備隊が、黒エルフに対して優位に立てる野砲による火力も、山岳地では機動に時間を要するばかりで役に立たない。

 

 結局、数的優位に頼った原始的な山狩をするしかなくなる。

 こうなると、国境警備隊約一万四〇〇〇ではいささか数が心ともない。

 隊列は細く引き伸ばされ、分散した部隊の間隙を黒エルフ達がいとも容易くすり抜ける。

 

 国境警備隊の指揮をとるミカエラ・ハルファン二等少将は、事前計画に合ったように、陸軍部隊の応援を要請している。

 同時に、収容所の警備から山に慣れた古参の兵を戻すことも要望した。

 

 

 

 

 

 

 その日、夕刻になると、空の高いところに薄い雲が流れ始めた。

 昼間は澄んでいた空気が次第に重たく沈み、村全体がうっすらと灰に染まる。小屋の壁をかすかに鳴らす風は、今夜の天候が味方するかどうか、誰にも判断させてくれない曖昧さを含んでいた。

 

 クヴィンデア村の黒エルフ達は平静を装ってはいたが、その動きの端々に、いつもより言葉が少ない者、視線をそっと巡らせる者、わずかに手の震える者、“静かな緊張”が隠しきれず滲み出ていた。

 無理もない。 脱走計画の実行は、ついに今夜なのだ。

 

 昨夜、予定通り投げ込まれた物資を回収したコンコーディア・アグレスらは、中身を確認し分配する。

 逃亡中用の保存食、外柵を越えるための道具、周辺の地図と騎兵哨戒の周期、監視交代のタイミング、森の中に隠された追加の物資の情報が記された紙。

 必要最低限でありながら、逃亡の成否を左右するものばかりだった。

 

 彼女たちは、低く、息の触れ合うような声でそれらの情報を共有し、役割を確認しあった。

 表情は誰も変わらない。だが、その胸の内にそれぞれの覚悟が静かに積み上がっていく。

 あとは、夜を待つだけだった。

 

 

 

 日もすっかりと沈んだ二一時頃、ヴェルネラ・オルノネメア大尉は夜気に白い息を吐きながら夜警組のもとを訪れいた。

 

「中隊長、お疲れ様です!」

「ご苦労さま、今日は一段と冷えるわね」

「ええ、まったくです」

 

 焚き火にあたって暖をとっている夜警組に、ヴェルネラはボトルの火酒を手渡した。

 

「秘密警察にはバレないようにね」

「ありがとうございます!」

 

 立ち去るヴェルネラに感謝する夜警組は、そのまま酒盛りを始めた。

 

 この時間は夕食も終わって、看守係の油断を誘える時間帯であった。

 収容所警備にやる気などなくなっている彼女達は、各々がバレない範囲で堂々とさぼる様になっていた。それも功を奏した。

 (デック)共に脱走する気概なんて残っていない。やるとしてももっと深夜になってからだろうと言い訳をしながら酒盛りを楽しんだ。

 

 監視塔にいた看守も、交代が来ないと、悪態をつきながらしばらくは監視を続けたが、余りにも遅いと持ち場を離れて夜警組を呼びに行き、そのまま酒盛りに加わった。

 

 そうして監視の目が途切れる空白の時間が生まれる。

 これはある種の賭けだったが、部下たちの勤務態度を把握していたヴェルネラは、ある意味で彼女達を信じていた。

 

 監視塔から看守が姿を消したのをみて、イブリン・モーフェン伍長も行動を開始する。

 イブリンは素早く外柵に取り付くと、二度ほど外柵を構成する木製の壁を小突いた。素早く反対側からも同じ数の返答が返ってくる。

 

 外柵の向こうにはクヴィンデア村の黒エルフが数名張り付いていた。

 彼女たちは事前に受け取っていた工具を取り出し、腐りかけの木材に刃を入れる。ここはイブリンが密かに調査した、最も脆い部分だ。

 作業は数分もかからなかった。

 

 最初の黒エルフ達が身を低くし、這いつくばって穴を潜る。

 

「あっちへ……! 騎兵は数分前に通りました」

 

 イブリンの囁きに頷き、黒エルフたちは平原の先にある森へと駆けていく

 彼女達は一定の間隔で地面に伏せた。

 コンコーディアが選び抜いた、氏族でも特に狩猟に優れた彼女達は森までの間に潜伏すると、その技能を活かして周囲の監視へ移った。

 魔術探知は使えない。探知されたことを察知される。

 彼女達が狩りで培った研ぎすまれた感覚。これが頼りだ。

 

 先頭が森まで安全にたどり着くと、鳥のさえずりに似せた口笛が返ってきた。

 安全を知らせる合図だ。

 

「ほら、あんた達行きな」

 

 脱走が、始まった。

 コンコーディアが氏族でも比較的若い者達を送り出す。

 

 外柵に開けられた穴を潜って外へ出ると、先行した誘導兼見張り係りの合図に従って、数名の組に別れて素早く駆けた。

 最初の組が、平原を駆け抜け森に入ると、短い抱擁と震えるような喜びの声が漏れた。

 

 イブリンの鼓動は逆にどんどん早まっていく。冷や汗が背中を濡らす。

 計画に絶対はない。見つかれば終わりだ、自分も彼女達も。

 それでも、最初の組が森に入ったのを見ると、胸の底から熱いものがこみ上げてきた。

 

 数十人の氏族の者の内、約半数ほどが脱出したころ、収容所のコンコーディア達に問題が発生した。

 

「なに、やってるの……?」

 

 別の氏族の者に見つかったのだ。彼女は先日、イブリンを案内した黒エルフだった。

 彼女は、今日もイブリンが来るかもしれないと思い、仲間の元を離れて付近を散策していたのだ。

 

 コンコーディアは逡巡した。

 見捨てるべきか? その場合、彼女らの未来は決まっている。

 コンコーディアに、同胞を見捨てることはできなかった。

 

「来い!」

 

 コンコーディアの一言で彼女は、一瞬振り返ったものの、動いた。

 

「あ、あなた!」

「え? あれ、なんで?」

 

 外柵を越えた先、彼女は待っていたイブリンを見て驚愕する。イブリンも、予定にない人物の登場に困惑した。

 

「これはどういう……」

「計画その二さ! ほら早く!」

 

 来てしまったものは仕方がない。コンコーディアにせかされたこともあってイブリンは、予定通り方角を示して見張り係りの合図を待つ。

 直ぐに合図がきた。

 

「あなた、名前は?」

「イブリン。イブリン・モーフェン」

 

 別れ際、彼女はイブリンの名を尋ねた。

 

「イブリン。ありがとう、この恩は忘れないわ」

 

 走り去る彼女を、イブリンは何とも言えない脱力した笑顔で見送った

 

 収容所の一角に集まるコンコーディア達の姿は、先ほどの黒エルフ以外にも直ぐに発見された。

 一人、また一人とやってくる彼女らを見捨てられず、コンコーディアは氏族の隔たりなくやってくる全員の脱出を手助けした。

 

 外気が急激に冷え込んだ影響で、ヘイズルーン周辺には薄っすらと霧が立ち込め始めた。

 さほど濃くはないが、視界を遮るには十分である。

 この霧の発生は黒エルフ達にある意味では味方した。

 

 霧が平原をかける黒エルフの姿を隠したからだ。

 

「コンコーディア姉さま、そろそろ行ってください」

「あたしは最後でいいさ」

 

 共に黒エルフの脱出を誘導していた氏族の仲間に脱出を促されても、コンコーディアはそれを断った。

 

「姉さま! ヴェルネラさんが本当に逃げて欲しいのは、姉さまなんですよ?」

「ッ!」

 

 危険を犯してこの計画を立てた、親友ヴェルネラの名を出されてコンコーディアの瞳が揺れた。

 

「わかった、次で出るよ」

 

 コンコーディアが脱出しようとした時、事態は急変する。

 それは外周を巡回していた騎兵によってもたらされた。

 

 四騎一組で巡察していた騎兵たちは、さきほどから周囲を白く包み始めた霧に舌打ちしながら進んでいた。

 馬の吐息が白く曇り、草原の地平線が溶けるように消えていく。

 

「……ついてないわね、こんな時に」

 

 巡察長の騎兵が呟き、手綱を締めた。

 視界が奪われた以上、巡察経路を外れていないか確認する必要がある。彼女らは魔術探知を行った。

 すると平原の真ん中に人の気配があるではないか! 

 

「まさか!」

 

 魔術探知の精度を上げると、そこには黒エルフの反応。

 次の瞬間巡察長は叫んだ。

 

「だ、脱走だ!!」

 

 騎兵達は魔術通信で警報を発しながら笛を吹く。

 発見された黒エルフ達は驚愕と恐怖で足を止めた。

 

「走れ!」

 

 コンコーディアの怒声で動き出したが遅かった。サーベルを片手もった騎兵が彼女達を襲った。

 白刃が黒エルフを切り裂く。

 

 脱走が露見したことは収容所にいた黒エルフ達にもすぐさま伝わった。

 もう次はないかもしれない! そう思った彼女らが小さな穴に殺到し、コンコーディアは押し出されるように穴から離された。

 

「アグレスさん!」

「モーフェン! 失敗だよ! 早く逃げな!」

 

 コンコーディアが群衆に押し退けられたのを感じて、イブリンが声を上げた。

 こうなってはもう計画は破綻している。イブリンはコンコーディアの言葉に従ってその場から離れた。

 

『発見された! あんた達も直ぐに逃げな!』

 

 コンコーディアは魔術通信で先に逃げた氏族の者達に急報を飛ばす。

 切迫した気配が状況を何よりも物語っていた。

 

 

 

 自分の天幕にいたヴェルネラは、かすかな悲鳴と警笛を聞いた瞬間に状況を悟った。

 天幕を押し開け、冷たい夜気の中に飛び出す。

 

「コーディ……」

 

 コンコーディアが無事に逃げられたのか、ヴェルネラには分からない。信じるしか無かった。

 

 警笛が収容所中から上がり、警備担当の国境警備隊が武器を持って出てきたが、現場は突然の事態にいまだ混乱していた。

 

「(これは、使える!)」

 

 ヴェルネラは走り出すと、叫んだ。

 

「暴動だ! 黒エルフが収容所で暴動を起こしたぞ!」

 

 直ぐにその言葉が逓伝され、広がる。

 そして、また別の所へ走り込む。

 

「黒エルフが川へ向かって逃げている」

 

 今度は、森とは反対方向を示して現場を混乱させた。

 

「中隊長!」

 

 混乱の中、最先任下士官のベアトリクス・セレンヴェン曹長と小隊長の一人、フェドーラ・パルティス少尉が駆けつけた。

 

「少尉! あなたの小隊で収容区画を包囲しなさい! 誰も出入りさせないで!」

「は、はいっ!」

「曹長! フロックセン中佐に連絡! 情報が錯綜しているわ。追跡か、収容所の保持か確認して」

「了解」

 

 ヴェルネラは矢継ぎ早に命令を出した。特にパルティス少尉には友軍が収容区画内に入ることも禁じるよう厳命した。

 

 

 

 その頃、警備主任のマルディネータ・フロックセン中佐は、収容所所長のハスラーディア・ダリエラリルと、まるで予想通りの展開だと言わんばかりの落ち着いた様子だった。

 

「多少(デック)が逃げようともこれで裏切り者が炙り出せるならそれで十分」

 

 ハスラーディアはマグカップの縁に口をつけ、香り高いコーヒーを味わう。

 収容所の外では怒号が夜空を裂いているというのに、彼女の呼吸は微塵も乱れない。

 

「でも、何もしないのも角が立ちますね。フロックセン課長」

「既に兵を向かわせました」

 

 フロックセン中佐は収容所を警備する国境警備隊の堕落にとっくの昔に気がついていた。

 そう遠くない未来に何かしらのトラブル────脱走が起きるのではないかとも。

 だからこそ、子飼いの部下たちには常に準備をさせていた。

 

 騎兵による発見から間を置かずして、馬蹄の音が平原に駆けつけた。

 約一個小隊の騎兵。全員が秘密警察警備部に所属しているフロックセン子飼いの兵達である。

 赤く光る魔眼、魔術的に強化した夜目で持って騎兵達は黒エルフを見つけるとこれを狙撃した。

 一隊が射撃をする中、残りは一気に距離を詰め平原を逃げ惑う黒エルフ達を蹴散らす。

 

 逃げ場のない夜の平原で黒エルフ達の命の瞬きが消える。ある者は射殺され、ある者は切り裂かれ、またある者は踏み潰された。

 

 森に逃げ込んでいた黒エルフ達にも直ぐに追っ手が忍び寄った。

 この森は逃走に使われると予測され、あらかじめ付近には秘密警察警備部の要員が潜んでいた。

 これが黒エルフ達に襲いかかる。

 

 ただし、秘密警察にとって想定外だったのは彼女達の一部が山刀で武装していた事だろう。

 黒エルフ達は夜の森を巧みに使って秘密警察の背後をとって一人また一人と仕留めていった。

 森の黒エルフ達は少ない数の犠牲を出しつつもこれを撃退、装備を鹵獲して森の奥地へと消えた。

 

 収容所でも事態は沈静化に向かう。

 酒盛りに興じていた看守達は、この脱走騒ぎに顔を真っ青にして監視塔に登ると、外柵付近にいた黒エルフ達を無差別に撃った。

 外柵に空いた穴に駆け寄ると、銃剣を持ってそこから出てきた黒エルフを串刺しにして惨殺する。

 

「クソ(デック)共! 収容棟に集まれ! 従わないものは射殺する!」

 

 収容区画を包囲し、眉間に青筋をうかべたパルティス少尉が怒声をあげながら拳銃を掲げた。

 

 黒エルフ達が収容棟に集まったのを確認すると、ヴェルネラはパルティス少尉に内部へ入って人数を確認するよう命令した。

 

 

 

「収容者約六〇〇名中、脱走約一〇〇名、死亡、五十七名です」

 

 ヴェルネラは、騒が収束しても現場に現れなかったハスラーディアの元を訪れてこの事を報告する。

 脱走者の正確な人数は分からなかった。もともとしっかりとした収容者名簿がなかった為だ。

 

「そうですか」

 

 ハスラーディアはなんてこと無いといった声色でコーヒーを楽しんでいた。

 

「……これは、警備を担当していた私の責任です。処罰は甘んじて受け入れます」

 

 その言葉にフロックセン中佐の三白眼がじろりと向けられ、ハスラーディアの手が一瞬止まる。

 

「そうですね、何かしらの処分は必要でしょう。そのあたりは追って連絡します。先ずは混乱の収束と再発防止を考えましょう。……とりあえず物品の数をあたってください」

「了解しました」

 

 ヴェルネラは敬礼をしてから所長室を出ていった。

 

「フロックセン課長、レーラズの方の準備はどうなっていますか?」

「概ね完了しています」

「では、そろそろ初めましょう。ハルファン少将からも収容所警備の人員を削減しろとせっつかれていますし」

 

 翌日、各警備隊の勤務体制に変更が加えられた。

 警備担当を終えた第二警備隊に、黒エルフのレーラズへの移送が命令される。

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