自室の扉を閉めた瞬間、ルカはその場に背を預け、深く長い息を吐いた。
(……やっと終わった……)
調書だの報告書だの、難しい言い回しのオンパレード。
アリサの質問は冷静で淡々としているのに、文字にすると急に堅苦しくなる。
正当防衛とはいえ、ガルドを殴った場面を見られたルカへの聴取は思った以上に長引き、気づけば夕暮れの空はすっかり夜の闇に覆われていた。
(こちとら被害者だっての……)
肩から力が抜ける。
机の上に放った鞄の落下音が、やけに大きく響いた。
「はぁ……」
制服の上着を脱ぎ、背中にじんわりと感じる生地の感触を頼りに、ようやく椅子に腰を下ろす。
思わず伸びをすると、腕や肩の筋肉のこわばりがわずかにほぐれる。
やっと一息つけた――と思った瞬間、全身が思い出したかのようにだるさを訴えてきた。
血の巡りが悪くなったかのような感覚に、ルカは小さく眉をひそめる。
体の奥に溜まった疲労が、骨や関節までじんわり染み渡るようだ。
視界の端が少しぼやけ、意識の奥で、かすかなざわめきが走る。
(あれ……?ここ……どこ……?)
か細い声が、頭の中で響いた。
ルカの声だ。
「……なるほど。こういうパターンか。」
俺は、自分の体を改めて確認する。
前世のeスポーツで鍛えた体よりも一回り小さい身長。白く細い腕。
間違いなく、これは前世の俺のではなくルカの体だ。
おそらく、ガルドの攻撃による一瞬の衝撃がきっかけで、俺が目を覚まし、体の主導権を奪ってしまったのだろう。
状況から考えるに、これは転生ではなく――憑依、というのが妥当な判断だ。
(え……?誰……?)
小さく震える声。
体の奥底で、今世ルカが動揺しているのがわかる。
落ち着かせるべきだ――そう判断し、まずは会話を試みる。
「俺は君だよ。ルカ。もう一人の僕ってやつさ」
(もう一人の……僕……?)
今の状況に、ルカは明らかに戸惑っている。
当然だろう。
こんな中世ファンタジーの世界で、“転生”や“憑依”といった概念が理解できるはずもないのだから。
「まぁ……まずは落ち着け。パニックになっても、何も解決しない」
こちらの言葉に、ルカが律儀に深呼吸(といっても頭の中で、だが)をしているのがわかる。
(それで、君は誰なの?いったいどうなってるの?)
「まぁ、当然の疑問だな。俺は……そうだな……ソウゴと呼んでくれ。
今、君の体を借りているものだ」
一息にそう告げた後、少し間を置き、付け加える。
「なんでこうなってるかは、俺にもわからんがな」
(えぇ!?そんなぁ!元には戻れないの…?)
こいつ、本当に男か?と思うほど情けない声で抗議するルカ。
まぁ、抗議されたところで体を返す方法なんてものは、俺にはわからないのだが。
「難しいな。何しろ俺もなんでこうなっているかわからん。」
(そんな……どうしよう……明日は星導演武もあるのに……)
「星導演武か……」
憑依したときに垣間見たルカの記憶が、俺の中に浮かぶ。
星導演武――学園で二学年の最初に行われる、“星を導く者”を探すための競技。
全部で十回、学年内でランダムに割り当てられた相手と戦い、その結果を基に四人一組のチームが結成される。
チームは三学年になるまで、何をするにしても一連托生。
特にダンジョンでの課外学習などでは、チームメイトの成績や強さが重要になる。
だからこそ、少しでも良い相手と組むために、上位を目指すのだ。
ただ……
「もう九連敗してんじゃん」
(そうだけどぉ……!やっぱり最後まで頑張りたいよ……)
なるほど、ルカはマラソン大会で完走することに価値を見出すタイプらしい。
こういう意味では、俺とは真逆だ。
「まぁ、安心しろよ。
体を借りた詫びじゃないけど……明日は絶対に勝つから」
(え……?)
「ということで、今日は寝るぞ。さすがに疲れた…」
(えぇぇっ!?)
ルカの悲鳴めいた声を聞きながら、俺は軽く笑った。
慌てて明日の対策や、自分でも使える魔法式のおさらいをしているルカを放置し、俺はベッドに横たわり、深く息を吐く。
夜の静寂が、わずかに部屋の中で反響する。
疲労と緊張が混ざった空気が、ゆっくりと体を包み込む。
瞼が重くなり、意識がぼんやりとしていく。
頭の中でルカの慌ただしい声や、今日の出来事の断片がゆっくりと遠ざかっていくのを感じながら、俺はそのまま眠りに沈んだ。
時間の感覚も、夢の中で幾度も飛んだり戻ったりしていたのかもしれない。
ふと気がつけば、部屋に差し込む淡い光が意識を揺さぶる――朝だった。
淡い光がカーテンの隙間から差し込み、意識が覚醒する。
昨夜の痛みや疲れはまだ少し残っているが、悪くはない。
ルカは……まだ寝ているようだ。
昨日と違い、何の声も脳内に響かない。
制服に袖を通し、朝の光の中で背筋を伸ばす。
今日一日の始まりを告げる鐘の音が、遠くから小さく響く。
星導演武の一日が、静かに、しかし確実に始まろうとしていた。
「……いくか」
ルカは俺じゃない。
分かってはいる。だが、
「やっぱり負けるのは性に合わねぇよな」
そう呟きつつ、自室のドアを開け、食堂へと向かう。
腹が減ってはなんとやら……だ。
――――
「はぁー、食った食った」
ビュッフェ形式の朝食をたらふく平らげ、満足げに胸をさすりながら、俺は星導演武の会場へ向かって歩を進めていた。
朝食の間に目を覚ましたルカは、最初は寝坊しただの遅刻だのと慌てていたが、今では緊張からか黙り込んでいる。
――そういえば、今日の対戦相手について何か知ってるか
さすがに人前でルカに話しかけるわけにはいかない。喋った瞬間、不審者扱いは必至だ。
そこで思いついたのが、頭の中で会話する方法だった。
(えっと、たしかアークライトさんだと思う……)
記憶をたどるかのように、ルカは緊張気味に答える。
アークライトねぇ……憑依したときに見た記憶には、確かに情報がない。
あのとき流れ込んできたのは、この世界の常識やルカ自身のことだけで、周囲との人間関係までは含まれていなかったのだ。
まぁ、どうせこいつのことだから、知り合いといえば昨日みたいないじめっ子くらいだろうが……
(異能はあまり詳しくわからないけど、複数の技を自由に使いこなしているように見えたよ。)
なるほどな……。
ゲームで言うところのテクニカル型か。
コンボをつなぐための手数は多いが、プレイヤースキルがなければ腐る、玄人向けのキャラクターだ。
使いこなすには、一回のコンボも大事だが、立ち回りも重要になってくる。
できれば宝の持ち腐れになってほしいが…
(しかも、今は学年三位なんだ!今日は大怪我しないように気をつけようね)
頭の中でルカの声が響く。
三位か…十分使いこなせてると思ってよさそうだな…。
会場へ向かう道すがら、頭の中で戦略を練る。
相手の情報はまだ少ないが、事前に目を通したルールと会場の雰囲気は覚えている。
……よし、いっちょやってやるか。