2段キーボードが2枚、足の鍵盤ペダルが1枚。
ドラムが1式。
口元のマイクが2個。
それらの出力されるスピーカーが4個。
譜面台が2個と、ぐしゃぐしゃに修正された楽譜が2セット。
"深緑の怪鳥"は、サキの強い要望で歌詞にも手を入れることになった。作詞担当が望むならやればいいじゃないと思って任せようとしたが、結局俺も協力させられた。
始まりは、小さなシンバルの音が4つから。
すぐに全力全開の前奏が始まって、両手と片足を駆使して汚れた譜面をなぞる。
「知らなければ幸せでいられた?
知識は時に絶望をも呼ぶ
禁断の果実などとは違う
言うほど美しいものじゃない」
「与えねば死に絶えそうに映る
乾いた世界の貴重な水
求められ望むままを与えて
小さな雛は
「あの山の向こうには
広い世界が続いているのだと」
「教える優しい声
僕のすべてだったものが遠ざかる」
「天のどこかで見ていて欲しいよ
僕は羽ばたくあの大空へと
去り行く故郷に未練などない
雲を切り裂いて星の向こうへ」
「時間と距離が残酷に告げる
永遠にも似た別れの事実
欠けた心が埋まらないままに
紡ぐ唄はいつも苦しく濁る」
「置いてきたものの数を数える
それが無駄だと解っているのに
迷う心を押し殺すように
積み上げてきたものに背を向けた」
「飛び出した世界には
喜びも悲しみもあふれている」
「天秤を睨みつけ
やり過ごすことだけがうまくなった」
「初めて空を飛んだ日のことを
僕はもう忘れかけてしまった
あてのないまま羽ばたき続ける
目指す場所のありかが欲しいよ」
「天に舞い踊る 猛き緑の翼」
「その姿に目を 凝らして強く叫ぶ」
「羽ばたきが風を纏い吹き荒れ
喜びの唄が空を覆う
偶然でも運命でもいい
出会えたことだけが事実だから」
「僕をいつまでも見ていて欲しいよ
強く羽ばたくあの大空へと
去り行く背中に未練などない
目指す場所のありかを知ったから」
最後の音が止まり、静寂が部屋を支配する。
「できた……! できましたよ、ギンさん!」
飛びついてくるサキを受け止める。
「ああ……」
楽器だけでいえば、お互い何度かトチったところはあった。だが、完成の音は想像がついていて、歌と合わせた曲の完成度そのものには不足は無さそうだ。
「3rdシングルは絶対にこれにするぞ」
「はい! 異論ありません!」
演奏難易度も、当社比でかなり下げてあり、きちんと練習すれば自分たちでも演奏できそうだ。録音のときは流石に専門の人にやってもらうので、当面出番はないが。
「長かったなあ」
「ほんとですねぇ」
まず曲の手直し自体で一波乱あり。
曲を直せば、まあ歌詞の側も直したいというのは、当然であり。
ただし原曲と変えすぎるのはどうなのかと、2人で喧々諤々の議論をし。
「そろそろ離れて欲しいんだけど?」
「あっ、すみません」
ばっと距離を取ったサキは、締まりのない顔でずっと笑っている。
「えへへ……」
「……やれやれ」
このお浮かれちゃんのせいで、俺は謂れのない*1罪をいくつも背負うことになったのだが。全く気にしてなさそうな暢気な面を見ると、まあいいかと思えてしまうから、不思議なものだ。
さて、3rdシングルを出すには、まず前提として1stと2ndがそれなりに売れていなければならない。この点については、有難いことにレコード会社からは太鼓判を押されているので、安心していい。
問題は、この"深緑の怪鳥"自体が売れるかどうか。演奏難易度は、俺たちが2人で演奏するための苦肉の策ゆえに上がっていたところはあるので、単純に人数を増やせばすぐ解決する。
「いいんじゃないですか」
レコード会社の人の第一声は、あんまり深く考えて無さそうな雰囲気だった。
「何がバズるかって本当に読めなくてですね。アニメの主題歌だってVTuberさんが歌ったりもするようになりましたが、売れるかどうかは別ですから。ただまあ……世に問うてやるぞ!て覚悟で出すと、転げたときのダメージも大きいので、あまり期待はしない方が気持ち的には楽ですよ。どんなアーティストでも売れない曲を出すことはありますし」
第二声は、割と考えてそうな内容だった。
「じゃあ、三曲目はこの曲の予定でお願いします」
「了解です」
そんなやりとりをして、俺たちはレコード会社の支局を後にした。
「ねえ、先輩。ちょっと歩きません?」
「いいけど……いきなりどうしたの」
「夢だったんですよ」
俺の左手に、サキの右手がすっと重なる。
そのまま、ゆっくりと歩きだした。
「先輩とこうやって手繋いで歩くの」
大人どころか、中学生でも普通やらない。手を繋ぐのは男女の関係だとどうしても周囲から思われるし、当人たちもそう思う。
「ずいぶんとちっちゃな夢だな」
「え? じゃあ先輩の夢って何だったんですか? CDデビュー?」
「それはそれ」
ティーンの男が女に向ける欲望なんて、だいたいヤリたいぐらいのものである。可愛い子が相手なら猶更。
「えー?」
おバカなふりか、本当に気づいていないのか。実は一緒にいた期間だけで言うとそんなに長くないので、心の機微を察することは難しい。
「バンドを組みたかったこともあった。ボーカルをやりたかったこともあった。逆に音楽なんてどうでもいいと思ったこともあった」
「全部叶ってるじゃないですか」
「そうなんだよなぁ」
2人だろうが6人だろうがバンドはバンドだ。ボーカルも当然やっている。
「じゃあ次の夢見つけましょうよ」
「今の夢は黒字化」
「それ夢じゃなくて仕事……」
「いや、個人勢にとっては普通に夢だから」
生き馬の目を抜くだとか、雨後の筍だとか、例えは何でもいいが。とにかく配信業界は配信者が飽和し、なおかつ上下の格差が激しい世界だ。
「でも趣味でやってたんですよね?」
「本当は一生趣味のままで終わらせるつもりだったんだよ」
ちょっと睨んでやると、嬉しそうにすり寄ってきた。
こいつ……。
「それにしても、ペアリングの替え玉なんてよく思いつきましたね」
「俺はともかく、お前の身バレが一番困るだろうが」
そう。
指輪を渡したこと自体は事実だが、あのペアリングは配信用のダミーの安物だ。俺たちがいつもつけている、本物のペアリングは、アメジストのリング(当然右手の中指である)。街で偶然見つけられて連鎖的に身バレとか、たまったものではない。
予防できるところはしておかねば。
「僕は浮かれまくってて深く考えてませんでした」
「お前のテンションがおかしいとはお前以外はみんな思ってたよ」
「そりゃあまあ、多少の自覚はありましたが」
「本当か? 匂わせはしませんと言っておいてあの歌枠を取ってたようだが」
「うっ……」
自覚がないのが一番たちが悪い。
そういう意味では、怪鳥を作り終えてからは、少し落ち着いたように見える。
「まあ、お前が誰を好きになるかはお前が決めることだけどさ」
「そうです!」
「至近距離でデカい声を出すな」
「えっ、囁いてほしいんですか?」
「その0か100かみたいな思考をまずやめろ」
バカな話をしながら、俺たちはゆっくりと帰路についた。