街中でひとり和服に身を包んでいると嫌でも目立つような気がする。そう思っていた。しかし実のところ、注目を集める機会はあまりないものだ。
我が国はどうやらファッションについての社会的要請が格段に緩いようで、露出さえ常識的な範囲に抑えていれば、どのような格好をしていても咎められることはまずない。町を往く人々の姿格好によく目を向けてみると、実に様々な服装が闊歩していることに気付く。
もちろん季節における平均的な服装は確かにある。が、そこから外れた格好も珍しくなく、また取り立てて誰かが気にしている様子もない。
他人に対して無関心といえばそれまでだけれども、衣服は個性を発露する最も基本的な機会なわけであるから、それが自由であるということは喜ばしいことのはずだ。逆にいえば、注目を集めるのは注目を集めたいと願う人たちだけのようでもある。
であるからにして和装が絶滅危惧種になりつつある現代においても、ただ着るだけであればそれはファッションの一選択肢に過ぎず、目立つわけではないということなのだろう。
なんとなれば同じ格好の同志でさえ、互いの存在と容姿に気付いても目配せするどころか、よくある風景として処理している気さえする(わたしはかなりラフに着ているので、向こうが同志と思ってくれないだけかもしれないけれど)。
社会からなるべく隠遁しようとするわたしにとって最も恐れるのが耳目を集めることであったから、和装というオシャレにつきまとう懸念が払拭されたのは意外でもあり、嬉しいことであった。
個性の発露だのオシャレだのとは書いたものの、他でもないわたしが着物に袖通すのは洒落っ気などではなく甚だ低空飛行な、消極的消去法的な意志によるもので、面倒なお洒落の格付けから逃れること、コーディネートに頭を悩ますことから解放されることのふたつに尽きる。
さながら、腕時計をスマートウォッチにするようなものだ。「格」から逃れるのだ。競争に勝てないのであれば真っ先に競争から降りるのがわたしの常であった。
しかし横着すると際限がなくなる。ここ最近では旅行先にもこれと決めた一着に頼る始末。
暑すぎて滝の汗をかいたり、思っていたより寒くて凍えたり、食べ物飲み物をこぼしてシミをつけたままでいたりとせわしない身で、周囲に呆れられる機会も多々あるけれども、さすがに慣れてきた。
着付けも随分と早くなったもので、こうなると洋装に戻すのが億劫になるくらい。ビギナーを過ぎてアマチュアくらいにはなれたのではないだろうか。
惜しむらくは、未だに仲間を増やせていないことだろうか。どれだけメリットを強調して購入の道筋まで旗を振っても、周りで着ているのは和装の師匠であるはるか先生ただ一人のまま。ただ、はるか先生のカリスマをもってしてもなかなか仲間が増えない様子であることから、後ろ向きに和装するわたしが何を言っても仕方がないのは無理もないことかもしれない。
所詮、はるか先生の真似っこに過ぎないのだから。
そうやって和装が日常になり始めたなかで、小さいけれど嬉しい出来事があった。
◆◆◆
神奈川は三浦半島の最南端、三崎港まで訪ねた時のことだ。
港にほど近いクラフトビールの醸造所が新たに宿泊業を始めたのだそうで、醸造タンクの真上の部屋でタップからビールを注いで飲み明かせるのだとか。タップ付き、つまるところ樽生ビールをいつでも自分のペースで飲むことができるのはそれだけでも心躍るというもの。
泊まれる醸造所といえば過去に何回か訪れている用宗があるけれども、選択肢はいくらあってもよいものだ。ヨーコさんやユイ先生に誘われて、二つ返事で参加を決めたのだった。
「しかし三崎、三崎かあ。何年ぶりだろう」
三崎といえば神奈川県下で人気の観光地。でも、これまで数えるほどしか遊びに来たことがない。というのも、そこは横浜県民にとって車で二時間とかからない「いつでも行ける」エリアにあるからだ。
「いつでも行ける」場所ほど、「結局行かない」場所になる。二時間かけるのであれば関東の多くのエリアが射程圏内に入ることに加え、半島の先端であることからついでに寄れる観光地も葉山などに限られる。正直なところ、誘いがなければ何年先であっても訪れない可能性もあった。
また、わたしにとって更に経験として珍しいのは足が電車であることだった。三浦半島といえば日帰り旅行であって、自家用車で向かうのが、おそらく多くの県民の常道となっている。渋滞に悲鳴を上げながら海の駅の駐車場に車を突っ込み、市場や周囲を観光して家路につく。そういうところなのだ。
横須賀まで一時間ほど、そこから更に一時間近く電車に揺られて、わたしは京急久里浜線の果てに辿り着いた。
土日には大変な混雑を迎える終点の駅にも、降り立った人影は数えるばかり。観光地にも関わらず物寂しい雰囲気ではあるけれども、人混みを極度にきらうわたしにとっては好都合。むしろ、このために予定を繰り上げているくらい。
わたしを含めて10人にも満たなかった人々は改札を出ると、その全てがまっすぐに停車中のバスへと吸い込まれた。残念ながら、三崎港まで電車は届いていないのだ。
わずかな間を置いてバスが発つ。車窓に流れる景色はちょっとした地方の町並み、それも街道からチェーン店が姿を消し始める頃合いの田舎といったところだろうか。
半島の先端へと降りているのだろう、バスは曲がることなくまっすぐに、緩やかな長い長い坂を下ってゆく。
かつては栄華を誇ったのであろう巨大な宿泊施設の廃墟や、灰色にくすんで人の寄り付かない飲食店だった建物が目につく。時折、巨大なソテツやヤシの木々が、まだ葉も少ない幹を悠然と構えている様子が近付いては離れてゆく。海に近付きつつある。
片膝に肘突いてぼんやりと外を眺めていると、学生だろうか、前に座る若者たちの会話が聞こえてきた。彼らは簡単な地図の記されたチラシを片手に、次はどこに向かうべきかああでもないこうでもないと話し合っているようだ。おおかた修学旅行か校外学習なのだろう。
懐かしいものだ。
あの頃は最初から目的地もルートも決めておいてくれればいいのにと思っていたけれど、ああやって仲間たちと道に迷うのは楽しいこと。かけがえのない時間であった。その価値に気付き始めた頃には、わたしは当時の仲間から離れてしまっていた。
後戻りはできない。その事実を悲しむほどセンチメンタルなわたしではない。でも、こうも思ってしまう。今この瞬間、この旅、こうやって思い悩んで過ごしていた日々を懐かしむことができる日が来るのだろうかと。
その時、今一緒にいる人々とまだ一緒にいることができているのだろうか、と。
いけない。センチどころではない。十二分に感傷的だ。一人旅は気楽で仕方がないものの、気を抜くとすぐにこういった思考に落ち込んでしまう。
学生たちから意識を引き離すと、車内の案内表示は目的地に近いことを示していた。慌ててボタンを押して、前よりのドアに向かう。学生たちはまだ話し合いを続けていて、彼らの顔は明らかに、楽しそうであった。
バスから降りると、ごうっとぬるい風が吹きつけて、袖がぱたぱたと音を立てる。三崎港より手前のバス停には人気がなく、周囲も心細くなるほど観光地然としていない。ただの交差点、ジャスト住宅地。
スマートフォンという文明の利器がなければ、この場から動くことを躊躇させられるような、驚くほど普遍的な景色である。地図アプリなどなかった時代はどうやって移動していたんだっけ。あって当たり前のものに対するありがたみは、こういった機会がないとなかなか思い返されないものだ。
気を取り直して風の吹きすさぶ住宅地を歩く。このぬるくて湿った風は海の方から吹き上げてくるのだろう。突風がぶつかるたびに、袖や足元が膨らんで閉口する。しかし目指すは昼食もとい昼飲みだ。そう思うと、足取りは重くならなかった。
風から目をかばいながらしばらく進むと、目的地が見えてきた。
二階建ての日本家屋、垂木の覗く屋根、漆喰の壁、洋の気配がない和の門構え、入り口には年季の入ってくすんだ暖簾、そして屋号の入った電灯。「美味求真、割烹宗㐂」の字が勇ましい。ここだ。
港にある飲食街の並びに向かってもよかったのだけれど、そのあたりは以前回ったことがあった上、観光客向けではない地元の住民が通うお店に足を運んでみたかったのだ。ここ宗㐂はマグロの血合いで有名なお店のようで、平日のお昼時も空いていて昼飲みにはうってつけのはずだ。
それになにより、写真で見たこの外観が気に入った。
わたしは生まれも育ちも横浜の横浜県民と謳っているものの、幼少期のわずかな間、数年ほど静岡で暮らしていた。その頃の時代的な要因もあったのだと思うけれど、こういった古風で一階がお店、二階が住宅の飲食店がいたるところにあったのだ。
当時、懇意にしていた鮨屋があった。小さなカウンターと座敷。釣り糸を垂らす小さな河童の木彫り人形が置いてあって、ウキを弄ぶのが好きだった。食事に興味がなかったわたしは鮨を放って二階に上がり込み、誰かに相手してもらっていたとおぼろげながら記憶している。
以前はるか先生や観音さんと用宗に旅行した際に近くまで車を走らせてみたところ、建物ごと跡形もなく消えてしまっていて、ガラになく切なくなったものだ。
場所も建物も何もかもが違うけれど、懐かしむ気持ちを抑えることができず、この店に来たというわけだ。
とはいえ、外観だけで満足してはいられない。
暖簾をちょいと持ち上げてガラス戸をがらがらと引き開ける。
「ごめんください!」
地元横浜では一見のお店に入るのはいつも躊躇ってしまうわたしでも、旅の恥はなんとやら。見知らぬ土地では素面でも威勢がいい。
と、敷居をまたいだ瞬間に声が漏れた。
「ああ、しまった」
入口はすぐに小上がりになっていて、店内はすべて座敷のようだ。そりゃそうだ、日本家屋に期待したのは他ならぬわたし自身だっていうのに、この可能性を失念していたとは。問題は、わたしが和装であることだ。
最近は履物を脱ぐ店はめっぽう減っているし、脱いだとしても掘りごたつ席になっているところがほとんど。そこそこ和装を着慣れたとは思っていたけれど灯台下暗し、完全なる座敷は未知の領域だった。
「おひとりさまですか?こちらへどうぞ」
もごもごしていると、店の奥から女将さんらしき婦人が現れてこちらを手招いた。もはや引っ込みはつかないし、この程度で諦めるわけにはいかない。何事にも初めてはあるものだ、ええいままよの精神で靴に別れを告げて彼女に付いてゆく。
お店の中はあの閑散としていた駅前と打って変わって繁盛しているようだ。住宅地の中で平日お昼過ぎにも関わらず、テーブルは全て埋まっていた。お客の格好や様子をさっと眺めると観光客と地元の人々が半々といったところだろうか。見立ては間違っていなかった。
テーブルが埋まっているとなると、当然案内されるのはカウンターとなる。和装に限らず、座敷のカウンターなんていつぶりだろう。問題は、固定された机であるカウンターでは足を逃がす場が限られてしまうことだ。和装ではズボンのように無軌道に足を伸ばすわけにはいかないので、品を保ちたいであれば忍耐か工夫、またはその両方が求められる。
しかしまあ、仕方ない。ここでは和装ルールのあれこれを指摘するような野暮な人なんていないだろうから、腹を括ろう。わたしは片膝を立てて足を崩して座ることにした。
和装のしきたりは、はるか先生や観音さんの指導にあったように、最近になってできたものがとても多い。いわゆるマナー講師の仕業に似ていて、ああ着ろだのこう着るなだの、うるさいったらありゃしない。
座り方もそのうちの一つで、こと女性にいたってはしきりに正座を求められる。ばかばかしい。生活の内に着ようとしないからそんなことが言えるのだ。
見たまえ、こんなところで正座なんかしたら、カウンター下に両脚をみっちりと詰め込んだ挙句、有り得ない座高で机に向かう異常者になってしまう。
だから、これでいいのです。着物が庶民のものであった頃、人々は皆足をぱっかーんと開いて座っていたはずなんです。女性でさえも!
わたしは内心だけ豪放磊落に腕まくりして葛藤を抑え込み、なんとか腰を落ち着けることができた。
何事もなかったかのようにおもむろにメニューを広げながら、横目で周囲をうかがう。カウンターの奥は割烹らしく板場になっているようだけれども、堂々と並べられた酒瓶や調度品の数々に遮られ、奥の様子はよく見えない。
カウンターには少し離れたところにおじさんが一人だけ。空いたジョッキとお皿を前にうつらうつらしている。背後のテーブル席では、皆ゆっくり、黙々と食事に勤しんでいる。
当たりだ。観光地らしからぬ、とてもゆったりとした時間が流れている。
「なんにしましょうか?」
女将さんがお冷とおしぼりを手渡しながらたずねてきた。
「お昼ですけど、定食以外もお願いできますか?」
「ええ、もちろんです」
よっし、心の中でガッツポーズ。断られるところもないわけではない。惹かれた料理を一息に注文する。ほどなくして生ビールが運ばれてきた。よく冷えて汗をかいたジョッキが憎い。
やや遅れてやってきた刺身も実にいい感じだ。マグロの赤身にほたるいか、ごまとシソの和えられたなめろう、あと白身。
あいにく、魚はよくわからない。マグロかそうでないか、貝かそうでないか、赤身か白身かくらいしか判別できないのだ。もう少し見栄をはってもいいけれど、後で観音さんにでもクイズを出されたら赤っ恥をかくに決まっているので、わからないとしておく。食べて美味しければ同じことだ。
箸をつける前に写真をぱちり。まだ勤労に苛まれているであろうヨーコさんや、急に欠席してしまったユイ先生に送り付ける。品位に欠けた行動であると重々承知していても、これがあるから昼飲みはやめられない。他人の怨嗟もまた一級の肴となるからだ。
ジョッキがあっという間に空になり、二杯目と刺身で大いに盛り上がっていると、板場からとととんと小気味良い音が聞こえてきた。誰かが調理を始めたようだ。姿が見えないのがかえってその風景を想像させて、食欲が湧いてくる。
「血合いのユッケとなります」
しばらくして包丁の音が止むと、女将さんが待望の一品を携えてやってきた。
美しく盛り付けされた一皿。細切りにされたマグロの血合いは花のように並べられていて、タレを纏って照りと輝く。中心には卵黄。千切りにされたきゅうりと黄色の野菜らしきものが添えられて全体の彩りもよい。
血合いは最近では「茜」と名称を変えて売り込むことが奨励されているようだ。確かに一見すると地味ではあるし、あまり食べるイメージもなく、血という言葉も避けたいところということかしらん。個人的には無理に呼称を変える必要はないんじゃないかと思っていたけれど、なるほど。このように美しく調理できるのであれば、「茜」でも通じるかもしれない。
しげしげと眺めていると、黄色の野菜はリンゴだと気付いた。リンゴ、リンゴかあ。食事と果物の組み合わせは給食の悪夢を思い出すのでどうにも苦手だ。しかも合わせるのはマグロときた。どうにも味の予想がつかない。が、とにかく見た目はこれだけ美味しそうなのだ。試してみるしかない。
美しい盛りを崩して丁寧に混ぜる。卵黄と血合いの赤色が混ざって、更に良い色合いになった。こうなってしまえば、リンゴも気にならなくなるかもしれない。
意を決してひとくち。
「お、おお!」
甘辛いタレとごま油の風味を纏った血合いは魚というよりレアな肉々しい歯応えで、そこにきゅうりの清涼さ、リンゴのサクとした食感と甘みが混ざり、なんとも滋味深く、奥深い。そしてこれはとんでもなくビールに合う!
箸が止まらない。ユッケを口に放り込み、味わい、嚥下し、口内をビールで洗い流す。ああ、もうこれで帰ってもいい。幸福だ。まさに幸福だ。これこそ、待ち望んでいたものだ。
そうやって脳内で大感想を出力し、うんうんと頷きながら堪能していると、どこからか声が聞こえてきた。
「噺家さん?それか茶道でも?」
誰か有名人でも来ているのかなと辺りを見回す。わたしはそのどちらでもないし、そんな自覚がありようもない。
すると、今度は酒瓶の間から気のよさそうなおじいさんがぬっと顔を覗かせて、
「お客さん、噺家さんかい?」
「え、うわ!すみません、わたしですか?」
話し相手はわたし、声の主は板長だったようだ。あまりに唐突だったので素っ頓狂な声を上げてしまう。
「いやね、着物を召してらっしゃるからね」
「ああ、ごめんなさい。そのどちらでもないんです。ただ、着るのが好きなだけで」
間違いなく噺家ではない。茶道も少し仕込まれたことがあったけれど、茶碗を二度回すくらいしか覚えていない。はるか先生だったら作家ですと格好がつくのだけれど、わたしはまだなんでもないし、和装の師匠なんかの話を始めたら最後、話の収拾がつかなくなるに違いない。
「若いのに随分着こなしているようで珍しいと思ってね、つい声をかけちゃった」
「えっ、本当ですか。わあ、嬉しいです。本当にラクで、ただ着るのが好きなだけなんですけれど」
見るからに人のよさそうな板長は顔をほころばせた。
「うちもこうやって割烹やってるけどね。着物は正月だけ。どうにも窮屈だし、腰も悪いしね。でも毎年汚しちゃってカミさんに叱られるんだこれが」
祝いの季節に着物を汚してしまう、わたしはピンときた。
「ああ、ご挨拶で飲まされちゃうってことですね」
観音さんやまひろから聞いたことがある。地方のお祭りでは家主や長男が各家を巡って、とにかく酒を飲まされるという風習があるそうだ。それはそれで楽しそうではあるけれども、お酒が得意でなければ地獄に違いない。
「そうそう!最初のうちはいいんだけどね、次第によくわかんなくなっちゃうでしょう。気付いたら胸元にぼたぼたこぼして、もう滅茶苦茶になっちゃう」
「わかります、わかります!油断するとそうなっちゃいますよね。しかもお祝いの席で着るのはいい生地のですから、クリーニング代も馬鹿になりませんし」
「その通り!本当に毎年参っちゃってね」
板長は頬をかいた。
「私ね、元々は東京で料理人やってたんだけれども、娘が田舎に行きたいって言うもんだからこちらに移ってきたわけよ。それはよかったんだけどね、この正月がたまらなくてさあ」
「東京から…、そうだったんですね。いかにも老舗って門構えだったのでびっくりです」
「こっちにきてからそこそこ経つんだけどね、まあ慣れないものは慣れないよ」
彼は楽しそうに笑った。わたしもつられて笑った。
なんということだろう。いや、なんでもない話ではあるのだけれども、普段のわたしであれば板長の身の上話なんて聞けることはなかったはずだ。そうに違いない。
これってもしかして、「小粋なトーク」ってやつじゃない?普段から何度も何度も試みているのに、一向に成功する様子のない、あの「小粋なトーク」。
それが和装してきただけで、初対面にも関わらずこんなに打ち解けることができたのだ。大して長い期間でないにしても、和装に向き合って試行錯誤してきた経験を活かすこともできた。
僥倖だ、僥倖だ。とてもうきうきする。小さな会話が成功するのがこんなに嬉しいなんて。裏表のなさそうな板長は素朴な笑顔をみせている。ああ、よかった。着物があって。
その後、穏やかな会話を続けながら、板長の料理を堪能した。ユッケに始まってマグロの希少部位の数々、どれも美味しかったけれど、何よりあの会話がわたしにとってご褒美となった。
はるか先生みたいにはなれない。なれないし、先生みたいに和装を着こなすにはまだまだ何年もかかるだろう。でも、だからといって先生を真似しなくてもいいのだ。先生みたいにならなくても、なれなくても、構わない。
ただ自分の着たいように着て、選びたいように選んで、自分のペースで自分に合ったやり方を見つける。それだけでいい。それこそが、着こなしの最短距離。
わたしが思うように着ていたことで、それがあの板長との価値ある瞬間に結びついたのだから。惰性だろうが、消去法だろうが、発端はどうでもいいことなのかもしれない。
自分自身でも耳が痛いけれど、つまるところ、続けることが肝心というわけだ。まだまだ、過去を懐かしむ時間じゃない。懐かしく思えるかどうか、不安に思っている場合じゃない。泣き言も、自らを憐れむのも、まだ早い。
執筆は思うようにいかないし、先行きも見えないままだけれど、この小さな成功がわたしの未来をちょっと照らしてくれる。そんな気がするのだから。
(着て着て着こなせ! 終わり)