広瀬由希はままならない   作:ひろせとら

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良酒は口に苦し

 苦いものが苦手。

 

 意味として誤りはなく、また事実であれば仕方がないにも関わらず、同じ文字が連続するだけで途端に稚拙な感じが出てしまうので、日本語は難しい。

 

 そもそも苦いと苦しいは同根であって、苦いものを好む方が普通でも自然でもなく、苦いものは苦手であって然るべきであるからこそ、この一文は甚だしい違和感を誘うのではないだろうか。

 

 何を当たり前のことを、と。

 

 ともかく、その『苦いものが苦手』な人々にとって、今のクラフトビールの主流は実に苦々しい(ほら!)ものとなっている。

 

◆◆◆

 

 そこにあるにも関わらず、気付かないフリをしていたビールがある。確か、はるか先生と観音さんへ何かのお礼としてずっと前に送り付けた時に、一応は自分の分もと買っておいたシロモノだ。いや、無垢に見えるように取り繕うのはやめよう。わたしは故意に放置していたのだ。

 

 理由はいたってシンプルで、そのビールが苦くて度数が高く、わたしの得意としないスタイル、ヘイジー IPAだったから。このスタイルを造らせたら国内でも屈指とされるブルワリー同士がコラボした液種で、実際に評価も高かったものの、だからといって思い切りなしに飲み下せるほどわたしの舌は大人ではなかった。

 

 恩のある先生たちに渡しておいて、自分は飲んでいないのは不義理にもとる気がしないでもないけれど、わたしとしては手元に置いただけでも、ひとつの譲歩だったのだ。

 

 そういうわけで、この気の進まないビールには1年もの間、冷蔵庫の端で眠って頂いていた。

 

 年の暮れに、スムージーの在庫を拡充しようと冷蔵庫をさらっていたら、あらこんにちは。と対面するに相成ったのである。忘れようとして記憶の片隅に留まり続けていたこの厄介ものは目の上のたん瘤で、切除したいという気持ちがはやり、かといって流しに捨てるわけにもいかないから、わたしはこの難敵に挑むことにした。

 

 とはいえ、家でアルコール分が13%もある500mlの苦い液体を一気に飲むのは、なかなか辛いところがある。わたしは家の自室で飲もうとすると、途端に下戸になる性質があって、出先でならなんとかなる酒量であっても一人で向き合うには相当のストイックさと覚悟を要するのだ。

 

 だが、わたしには1年もの間に温め続けてきた秘策があった。これは場合によっては人を怒らせかねない秘策だけれども、言い訳はいくつか用意してある。何より、飲まずに廃棄する以上の冒涜はないであろうから、飲むだけマシなのだと言い切ってもいいのではないだろうか。

 

「よし、と」

 

 テーブルの上に並べたのは小さめのグラスに件のビール。そして強力な助っ人になるべく招集された、様々なソフトドリンクたち。ジンジャーエール、コーラ、オレンジジュース、サイダーなどなど。

 

 そう、わたしの秘策とはつまり、カクテルにして飲み下すというものだった。

 

 ビールのカクテルはシャンディガフやレッドアイをはじめとして広く知られているように種類も多く、味への一定の保証があり、つまり先行事例に満ちている。なれば、IPAにもそれらの知見を応用できるのではないだろうか。そう考えるのは自然なことでしょう?

 

 ともすると、わたしが敢行しようとしている実験の結果次第では、今後苦手なビールに相対した時にも役立つのでは?これは画期的かつ素晴らしいアプローチだと、わたしは思っていた。我ながら才覚がある、天才的発想だと。

 

 さっそく実験に取り掛かる。偉大な第一歩を踏み出そうじゃないか。

 

 

 まずはグラスに半分ほど、ビールだけを注ぐ。

 

 これからIPA信仰者には悪魔的と罵倒を浴びせられかねない所業に身を投じようとしている最中にあっても、わたしは最低限の礼儀を失したつもりはなかった。何より科学的見地からしても、ノーマルの味を把握する重要性は疑いの余地がない。

 

 そっと口に含む。ヘイジーらしい微かなざらつきと柑橘の香り。ごくり。

 

 うん、苦い。わかっていたけれども、苦い。

 

 クラフトビールの中でも特にヘイジーIPAは、ホップの香りが抜けやすいので可能な限り早く飲むべきだといわれている。

 

 翻って、缶に詰められてからかなりの時間が経ち、賞味期限スレスレだからか、ホップの角はかなり取れていて突き刺すような苦味はない。にも関わらず、多量に投じられたホップから滲出したのであろう苦味がわたしの舌を攻撃する。ハイアルコール特有のあたたかな刺激も相まって、やはり苦手なスタイルであった。

 

 ひとくち、ふたくちなら何とか飲めても、500mlはかなり骨の折れる難行だ。

 

 これで美味しかったら実験を始められないので、不幸中の幸いということにし、ただ「やっぱり苦かった」と記録しておく。

 

 わたしはグラスを飲み干すのを諦めると、次のステップへと移った。

 

 混ぜ物の第一号はビアカクテルの雄、シャンディガフ。定番中の定番であるジンジャーエールから。

 

 ビールの入ったグラスに注ぐと、元より少しだけ薄めの色合いに。それではいざ、いざ!

 

「飲めなくはないかな。ショウガ強し!」

 

 口に含んだ瞬間から、拍子抜けするくらいにジンジャーエールが支配的。ビールの比率を増やしても、この傾向は変わらない。香辛料であり生薬でもあるショウガの主張はとても強く、いくらホップといえど太刀打ちできないのだろうか。香りも一度飲んでしまうと、よくわからなくなる。

 

 苦さは大分抑えられつつも、掻き消えたわけではなくて、遠くにそっと佇んでいる。そんな感じ。シャンディガフから期待されるほど、飲みやすくはなっていない。

 

 甘さについても今一つといったところだ。十分にジンジャーエールを増やさなければ甘みを感じられないけれど、そこまでいくと今度はジンジャーエールの味しかしなくなる。良い意味でも悪い意味でもクラフトビールとしての味は脱色されてしまい、割る意義が失われてしまったような気も。

 

 総じてビアカクテルというより、雑味のあるジンジャーエールといった所感。よって飲み下すことを目的とするなら可、新しい味わいとしてはそこそこという位置に。

 

 最も期待値の高いソフトドリンクを最初に持ってきたのは明らかにショーマンシップに欠けるわたしの采配ミスで、今後展開される打線はどんどんと頼りなくなる予定であるから、天才的発想の意気込みも初手から急速にしぼみ始めてしまう。

 

 躓いた気持ちを引きずるままに二番手はオレンジジュース並びに、オレンジ味のソーダ。

 

 IPAは――わたしとしては常々懐疑的なのだけれど、トロピカルだのジューシーだのなんだのとフルーツの味に喩えられることが多々ある。であるならば、その味に近いフルーツで割れば果実由来の甘さで苦味を打ち消すことができるのではないだろうか。かしこいわたしはそう考えた。

 

 オレンジはお酒の割り材としてもポピュラーで手に入りやすく、ビアカクテルにもビター・オレンジが存在する。これがうまくいけば、お店で窮した時にも役立つだろう。

 

「うん、ダメだこれは」

 

 結果は予想を大きく下回るものとなった。

 

 クラフトビールとオレンジ、まるで味が混ざり合わない。ホップの持つ香りは確かに色々なフルーツを彷彿させるけれど、それは単にイメージが近いというだけの話であって、実際はまるで別物だということかしらん。つくづく、人間の舌と鼻はアテにならない。

 

 出来上がった混合液にはホップのトロピカル感がある。オレンジ由来の柑橘的甘さと爽やかさがある。そして、ホップの苦みが悠然と座している。これらがまるで調和せずに口内を埋め尽くすものだから、情報が渋滞してわたしの脳はNOのエラーを吐き出した。

 

 まっこと残念なことに、オレンジ味のソーダに代えても結果は変わらなかった。いや、むしろ事態はより悪い方向に進んだ。ソーダには甘みだけではなく柑橘特有の苦みが添加されているようで、これがよくなかった。

 

 オレンジジュースでもあった味の不和に加えて、この苦みが足し算され、余計に苦くなってしまったのだ。苦さを減じるために混ぜているのに本末転倒もいいところで、やるせない。

 

 ジンジャーエールほどではないにせよ、オレンジにある程度は期待していただけに、この肩透かしは痛手だ。偉大な一歩は一歩どころか、半歩で終わる予感が既に漂い始めている。

 

 三番手はトマトジュースだったのだけれど、もはや記憶にございません。というか真摯に忘れたい。思い出そうとする努力を悉く排除する気構えさえ、ある。それでも覚えているのは反射的に出てきた嗚咽と、グラスについた赤い汁をすすいでいる間に泣きそうになったことくらいだ。

 レッドアイとは、泣き腫らした眼のことと知りえたり。

 

 気を取り直そうと、無難を求めて次に選ばれたのはサイダー。日本人にお馴染み、三〇矢サイダーだ。これがスプライトと普通のビールの組み合わせであればパナシェと呼ばれるビアカクテルになる。

 

 炭酸飲料を飲み慣れていないせいで、まあ似たようなものだろうと高を括ったのが運の尽き。

 

 オレンジ味のソーダと同じで、甘苦い液体が出来上がりましたとさ。甘みが足されて、全体としては甘さが大勢を占めたとしても、ホップの苦みはまるで我関せずといった様子で口内に留まり続ける。むしろ厄介なことに、甘みに傾いたせいか苦みが余計に強調されて、元よりも苦く感じる始末。

 

 やっぱり美味しくはなりませんでした、おしまい。

 終わらなかったのだけれど、終わりにしてしまえばよかったのかもしれない。

 

 この時点で、さすがの天才であるわたしも不都合な真実に薄々気付き始めていた。

 

 どうやらホップの苦みは甘みで中和できるものではないらしい、と。そもそも甘みで苦みって中和できるものだったっけ?「辛くて甘い」や「しょっぱくて甘い」はあっても「苦くて甘い」って恋以外に組み合わせがあるものなの?なかったとしたら、わたしが今やってることって一体なんなの?

 

 冷や汗が出てきた。しかし走り出した列車はそう簡単に止まらない、止められない。それも機関士が酔い始めていたらなおのこと。

 

 ここで引き返すわけにはいかなかった。お世辞にも美味しいとはいえない液体ばかりを飲んで、すごすごと引き下がれるわけがない。行けるところまで行くしかない。

 

 それに不都合な真実はより不都合な真実に派生する可能性があった。本当に苦みが中和できないのであれば、わたしが好むスムージーはいったいなんなの?

 

 あれは発酵後に強引に添えられた甘みの暴力でホップを否定しているだけになるのだろうか。だとすれば、やはりスムージーはクラフトビールではない?

 

 いけない!これ以上は答えのない原理主義的解釈に足を踏み込むばかりでなく、IPA至上主義者たちを、そしてあの月ノ瀬観音を喜ばすだけでしかない!雑念を捨てよ、甘さを諦めるな!わたしはわたしの道を往かねばならないのだから!

 

 それにつけても、目下のところ甘さが役に立たないのであれば、苦さを薄めるのはどうだろうか?手元にある甘味が絶望的に合わないだけという可能性を踏まえると、逆のアプローチもありうる。

 

 どうか、よりは「頼む!」という気持ちで使うつもりのなかった炭酸水を引っ張り出す。こうなると水を混ぜて薄めるのと大差ない気がするけど、それはそれ。溺れる者は藁を掴み、酒が苦ければ炭酸で割るのだ。ビアカクテルとしてはどうだろう、ビター・アグアとでも命名しようか?

 

 変な泡が出ている薄黄色の液体に恐る恐る口をつける。

 

 現実は残酷で、科学の道はいつだって険しい。薄くなったビールが美味しいわけもなく、風味の飛んだビール水がただそこにあった。

 

 炭酸が強まるので若干の爽快さは感じられる気がする。が、焼け石に水。味わいは気の抜けたビールそのものであり、わたしの肩は体内にめり込むくらいにがくんと下がった。「ダメか……」とか、そういった独り言も湧いてこない。ただただ虚しい。虚無の味。

 

 わかりました。認めましょう。この試みにもはや延命する価値はありません。終わりにすべきだし、わたしがこの手で終わらせなければならないのです。ああ、観音さんの勝利の高笑いが聞こえてくるかのようだ。

 

 希望が断たれ、縋るものもなくなったわたしは“ありえない”ネタとして使うか迷っていたコーラの栓を開ける。死なばもろとも、毒を食らわば皿までの精神である。本能が発する警告は用無しだ。もはや今のわたしは、決定的な敗北を欲する段階にあるのだから。

 

 コーラの甘さを担保するシロップのカラメル感は、ヘイジーIPAとは致命的に相性が悪いと飲む前からわかりきっていた。糖化させた麦芽から出るカラメル感を利用したビールは多々あっても、IPAとは普通結び付けられない。

 

 何より、ビールにケーキやドーナツ、果てはアイスクリームまでを躊躇なく投入する愛すべき阿呆であるアメリカ人たちが国民的飲料であるコーラを使ったクラフトビールを次々と生み出しているわけではないことからも、その可能性のなさが知れるというもの。

 

 しかし、もしかすると、コーラの秘密のレシピに含まれる様々なハーブやスパイスが、同じ草であるホップの香りをいい感じに中和してくれるかもしれない。

 

 所詮ホップも草なのだ。アメリカの叡智よ、なんとかしてくれ!

 この期に及んで淡い期待を頼みにグラスにコーラとビールを注ぐ。

 

 見事に麦茶のような色合いの液体が出来上がった。ビールは冗談交じりに炭酸麦茶と呼称されることがあるけれども、こちらの方がより炭酸麦茶然としている。まったく冗談ではなかった。よく見ると、グラスの底には糖分が分離したようなもやがかかっていて、実に。実に不味そうだ。

 

 覚悟を決めたわたしは、敵国の手に落ちたスパイの気分で、茶色の液体を飲み込んだ。

 

「ぉぇ……まっず。いや、まっず!!」

 

 もう一杯とは口が裂けてもいえない不味さだった。中和や調和なんてもってのほか、この液体はそれらとは真逆のスペクトラムである暴力に位置していて、元のクラフトビールとコーラの要素をすべて残したまま、それを水で割った苦さと甘さの奔流が駆け巡る。

 

 甘苦の暴力を耐えきれば終わりかと思うと、そうではなかった。ホップ軍によってシロップ軍が次第に調伏され、甘さだったものの死屍累々が口内を満たし始める。不快どころの騒ぎではない。

 

 なぜ、どうして!わたしはビールを美味しくのもうとしただけなのに、いったいどんな因果でこんなに辛く苦しい思いをしなければないのだろうか。

 それ見たことか!やはり苦いは苦しいなのだ、この、この!

 

 わたしは甘苦いだけの液体を宿命的な意志の力でなんとか飲み干した。

 

 その後、しばらくIPAもソフトドリンクも、視界に入れることさえ嫌ったのはいうまでもない。

 

 結論。てんでダメでした。

 

 わたしが好む好まざるに関わりなく、販売されているクラフトビールはすべてブルワリーが計算した微妙なバランスの上にあって、後からの足し算はそれを容易に崩壊させてしまう、ということなのだろう。

 

 しかしクラフトビールは無数に種類があり、ソフトドリンクとの組み合わせも無限大である。試すだけのチャンスはまだ残されているかもしれない。ただ、その試みは後続の勇猛果敢なる諸氏諸兄に任せるとして、わたしはこの役から辞することにしたい。

 

◆◆◆

「ということがあったんですよ」

 

 最初のうちは普段通りに茶々を入れられて思うように話が進まなかったのだけれど、トマトジュースのあたりから露骨に反応が悪くなり、珍しくわたしが一方的に喋る展開に。そうして事の顛末を開帳し終わると、酒席には重苦しい空気が満ちた。

 

 わたしが悪いわけではないんですよ。まともでない人間に対して、気軽な気持ちで「最近なにかあった?」とか聞くからこうなるのです。

 

 はるか先生、観音さん、ユイ先生はそれぞれ眉間にしわを寄せたまま、一言も発せずに互いに目配せをしている。わたしが何か悪いことをしたみたいなので、やめてほしい。

 

 沈黙を破ったのは観音さんの馬鹿でかいため息だった。

 

「はァ~」

 

 観音さんは試合が終わって燃え尽きたボクサーのように脱力して天井を見上げ、わたしとは目を合わさずにぼやく。

 

「いつも思うのだけれどさ、本ッ当にどうしようもないよね広瀬君は。ひとつ聞いていい?なんでそのまま飲まなかったの?」

「あの。わたしのお話、聞いてませんでした?」

 

 でっかい独り言だなあと思い反応が遅れたけれど、わたしに話しているようだ。

 

「いや、聞いてたよ」

 どこがだよ。

 

「聞いてないじゃないですか!最初からもう一度ご説明差し上げましょうか?眠っていたビールが苦いに違いないからどうにかして飲もうとですね」

「僕も飲んだのを覚えているけれど、あれは苦くなかったね」

 

 それは個人の感想です。まあ、わたしのも個人の感想だけど。

 

「あの、そういう話じゃなくてですね。わたしにとっては実際に苦かったわけで」

「広瀬君は本当に僕の話を聞かないよね」

「そっくりそのままお返ししますよ」「なんだって!?」

 

 ダメだこれは。

 

 埒が明かないし、こうなった観音さんに対してわたしに勝ち筋が全くないのはわかりきっているので、言葉のキャッチボールを強引に横流しにする。

 

「なんか思ってた流れと違うんですけど!ユイ先生も何か言ってくださいよ。以前クラフトビールにもカクテルみたいに割る飲み方があるっておっしゃってたじゃないですか。わたしは自発的に自由な探究心をもって実践しただけで、非難されるような覚えは」

 

「またユイ先生のせいなのかい?」

 観音さんがすかさず口を挟むと、思わぬ流れ弾をくらったユイ先生は目を泳がせながらゆっくりと首を振った。

 

「飲みましょう、そのまま」「えっ?」「飲みましょう」

 

 予想外の答えだった。確かに結果は散々だったけれど、ユイ先生はこのチャレンジ精神を否定するような人ではないはず。それなのに。

 

「申し訳ないですけど、今回は私も擁護できないですね。単純にあの銘柄を混ぜるのはもったいないですよ」

 

「ユイ先生まで……!飲まないのが一番もったいないわけじゃないですか。違いますか。じゃあなんですか、混ぜてもいい銘柄とそうではない銘柄があるってんですか?クラフトビールに貴賎なしの精神はどこにいったのですか?」

 

 わたしが過剰に喰ってかかるも、暖簾に腕押し。ユイ先生は知らぬ顔。ひどい人だ!わたしを実験にけしかけたのも、確かユイ先生のはずだったのに!

 

「お願いですから、外ではやらないでくださいね」

「お母さんみたいなこと言わないで!」

 

 言うに事を欠いて!ユイ先生のたしなめるような態度が余計につらい。

 

「わたしは何とか飲み切ろうと知恵を絞っただけでありましてね」

 よよよと泣き真似をしてみても、皆の反応は氷のように冷たかった。

 

「知恵を絞った結果がそれなのかい?結局のところ、美味しく飲める方法はただの一つも見つからなかったわけじゃないか。君は美味しいビールを台無しにして、数々のソフトドリンクも無駄にしたんだ。全部が全部、無駄だった」

 

 ダメだ、ちくしょう。本当に泣きそうだ。月ノ瀬女史の容赦ない言葉がわたしを切り刻もうとする。

 

「しかしですね、科学に失敗はつきものですから」

「次がない科学は科学じゃない」

「そんなあ」

 

 もはやわたしに言い返す気力は残されていなかった。あの失敗話を思い出すだけでも参ってしまうのに、思い切って打ち明けたら健闘を称えられ慰められるどころか、追い打ちされるなんて。頼みの綱は、いつもわたしの救世主である先生しかいない。

 

「はるか先生は、どうですか!?先生ならわたしの気持ち、わかって頂けますよね?クラフトビールでもカクテルやってみたいって思いません?」

 

「え、あはは。それはどうだろう。ふたりの言う通りにね、もったいなかったかも?」

 

 この世に救いはなく、主は常に不在である。はるか先生、最近は全く助け船を出してくれない気がする。

 

「そうだろう、はるか君」

 こうなるのはわかりきってたことかもしれないけれど、観音さんが満足げなのが憎い。憎たらしい!だがそれ以上に、はるか先生の微妙な反応が気になった。

 

「いやっ、違う!そのご様子だとはるか先生、なにか思い当たる節があるのでしょう?知らないフリはやめてください!先生はわたしと同じ側のはずなんです!」

 

「見苦しい真似はよしたまえ、広瀬君。もういい、もういいんだ。君の苦労と妄執はよくわかった。でもね、そろそろ頃合いだよ。現実をしっかりと見据えて、苦いビールと向き合う時が遂にきたんだ」

「いやだ!そんなの!わたしは甘いビールを飲むんだ!」

 

 わたしがこの面子を相手にして涙目で潰走しない日は来るのだろうか。

 

◆◆◆

 言えない。

 ごめん、広瀬ちゃん。言えない、言えなかった。

 

 私も同じことを、しかもより悪いことをずっと前にやったことがあるよ、なんて。

 より悪いって?私の場合、ビールに混ぜたのはソフトドリンクなんかじゃなくて、他のお酒だったから。

 

 訪問客の絶えない我が家ではお酒の在庫は普段から潤沢で、にも関わらず私も出先で気になるものがあるとつい買ってしまうものだから、油断するとすぐにちょっとした酒屋さんのようになってしまう。

 

 いつだったろうか。お酒の貰い物が重なって冷蔵庫が一杯になってしまったのだ。贅沢な悩みではあるのだけれど、かなしいかな、お酒でお腹は満たせない。

 

 この時は仕方のないことだからと、冷蔵庫のスペースを確保するためにひとりで酒盛りを始めたんだっけ。比較的アルコール分が少なくて、かつ場所を取るビールから手をつけるのは自然なこと。飲み進めるうちに、あるところで気付くものがあった。

 

 そう。広瀬ちゃんの言にも一理あって、確かにクラフトビールの主流は近い味が多い。それぞれはもちろん美味しくても、あまりにもIPAやヘイジーばかりを飲んでいると、飲み疲れてしまうのもまた事実だ。ラガーや、他のお酒も飲みたくなる。

 

 そんな中、アルコールでぼやけた思考と、彼女が家に来るたびに散々飲まされた奇妙なビールたちの記憶が符合してしまったのだ。クラフトビールには良くも悪くも、様々な組み合わせがあり得る。転じて、クラフトビールと他のお酒を掛け合わせたらどうなるのだろうか、と。

 

 ビールとウイスキー、ビールとジンみたいな組み合わせはたくさんあるのだから、クラフトビールでやってみても面白いかもしれない。ちょうどお酒は有り余っているわけだし。

 

 今思うと、どうやっても無謀な発想だった。無理な飲み方はしちゃいけないよと周囲やユイ先生にはあれだけ言い聞かせているのに。

 

 結果は散々で、IPAには市販のラガーを混ぜても、スピリッツを混ぜても、リキュールを混ぜても、ポン酒を混ぜてもダメだった。アルコールが強くなりすぎて味がとっ散らかるだけじゃなく、ホップの香りが暴れて両方のお酒の味が台無しになってしまう。少なくとも、より美味しくなることはなかった。

 

 そして何より一番の問題はとんでもないチャンポンになってしまったことだ。翌日はまるで仕事にならなかったし、悪酔いが過ぎて酷い目にあった。混ぜてしまったお酒がもったいなかったのも、言うまでもないこと。

 

 だから、ごめんね広瀬ちゃん。私もできれば失敗を分かち合いたかった。

 

 でもあなたも悪いんだよ?先に私に言ってくれれば、多少はかばってあげられたかもしれないのに。

 

 彼女を見やる。観音さんにしてやられているのはいつものことだけれども、今日は要らぬ口答えをしてしまったせいか、普段より手厳しく詰められているようだ。

 

 いや、無理だったかも。ありがとう広瀬ちゃん、代わりに話してくれて。

 

 あなたの尊い犠牲は忘れない。

 

「わかりました、わーかーりーまーしーたー!わたしの実験は確かに失敗でした、いいビールを無駄にしちゃいました。わたしの負けです、それは認めました。でもですね、まだわからないでしょう?」

「この期に及んでまだわからないことがあるのかい、逆に何がわかるのかな君は」

 

「だってまだ他の組み合わせがあるかもしれないじゃないですか。例えばオレンジがダメならグレープフルーツとか、パインとか、ホップの香りに近いものはたくさんあります」

「ホップの香りは本物のフルーツじゃ誤魔化せないって君が説明していたじゃないか」

 

 お。お?

 

「ですから、例えばの話です!レモネードはいい線行く気がしますし、ジンジャーエールは何とか飲めるラインではあったので、別の炭酸飲料だったりですね」

「つくづく往生際が悪いな」

「もっとカクテルに寄せるって手もあります」

「というと?」

 

 そうだ、いいぞ。言って、言って!言え!言え!

 

「つまりですね、お酒で割る。これです!」

 

 やった、言った!言っちゃったよ!

 

「次はカクテルらしく、お酒でチャレンジしてみます。そうです、最初からそうすればよかったんです。いいですか、観音さん。もし最適な組み合わせが見つかったら、無駄という言葉は撤回して頂きますからねっ!見ていてくださいよ!」

 

 うんうん、見てる、見てるよ。見せてね?

 どうやら、次回も彼女の悲鳴を楽しめるらしい。黙っていて正解だった。

 

(良酒は口に苦し おわり)

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