広瀬は吼えた。叫んだ。
こんなことがあってはならない!
これが現実とは、わたしは認められない。
広瀬には人の心がわからない。それは観音から面と向かって指摘されなくとも明らかなことで、自身でもよく承知している。
彼女は、広瀬は遊んで酒を飲んでたまに散文を書いて、世間から隠れるようにして暮らしてきた。
となれば、当然のことながら恋心や、想い合う二者の間に起きうる複雑な化学反応がわかるはずもない。
しかし彼女は、いやだからこそ彼女は、彼女が例外的な頻度で観察する、はるかと観音の関係性についてだけは、その外れ値を見逃すことができなかった。
その外れ値とは何か?
ある宴席の帰り、観音がはるかを置いて帰ったのだ。
それだけのことである。
『それだけのこと』であるのだ!
それはあってはならないことであった。少なくとも、広瀬にとっては。
広瀬の認識する、はるかと観音の二者間における関係性、常識、物理法則、熱力学、因果、引力。なんでも構わないが、それは起きてはいけないことなのだ。
確かに、はるかは酔って疲れて途中から別室で眠りこけていた。しかし起きるのを待ってもたかだか10分や20分だけの話である。それを待てない道理があろうものか。
広瀬は叫んだ。叫ぶには十分な理由であった。
◆
広瀬は某銀のスコップ女史が自宅にて囲炉裏を囲む会を開催すると聞きつけて、その日は横浜の僻地から東京を超えて、埼玉までやってきていた。
相も変わらず遅々として進まぬ進捗をお目こぼししてもらうために、道中で良いビールを買い込み、素知らぬ顔でやってきたのだった。
囲む会は大変に盛況であった。
いわゆるタワマンの一室にも関わらず、部屋の中央には洒落た囲炉裏が鎮座しており、炭がちらちらと赤い舌を出している。
イワナやヤマメなどの川魚が火に当てられて汗を流す様を眺めながら、酒を酌み交わし肴を突く。人類が火を熾し、初めて物語を語ったあの瞬間のように、会話の花が咲き誇っていた。
昼から夜まで一同はひたすら飲み、語った。
目論見通りにビールが効いたのか、珍しく厳しい言葉も皆無であった。
良かった。素晴らしかった。ただただ、称賛の言葉を尽くすほかない。
はるかが一眠りのために席を外すのはいつものことだ。超人的スケジュールをこなし続けているのだから皆と同じように飲み続ける方が無理があるというもの。
だが、やはりと言うべきか、あるいはいつもの如く、その後がいけなかった。
酒をあらかた飲み尽くし、火も落ちてお開きの雰囲気になり始めると、観音が早々に席を立ち消えたのだ。少なくとも、散々に酔っていた広瀬にとっては忽然と消えたに等しい感覚であった。
その瞬間は特に何かを感ずることもなかったのであるが、おっとり起きてきたはるか先生のお土産のケーキをむさぼり頭に糖分が回り始めると、次第に何かがおかしいと気付いたのだ。
はるか先生がいる。観音さんがいない。さっきまで、ほんの10分前までにはいたのに。
広瀬は急に酔いが醒めた。もちろん、酔いが醒めたというのは気分的な問題であり、実際は酔っ払いの妄言に変わりはないのであるが、しかし彼女にとっては確かに意識の覚醒があった。
これは、何?いったい何が起きているの?おかしい。これはおかしい!と
◆
はるかと観音、二人の関係は人付き合いの少ない広瀬でなくとも奇異で特殊なものだと気付くことができよう。単に友情という言葉で処理するには、二人の進む道は強く結びつき、絡み合い、分かちがたいものになっている。
それは明らかに意図されたものであると同時に、運命的な、天命的なものだ。と広瀬が思うには十分過ぎるだけの理由がある。
今ではかなり前のことになってしまったが、広瀬が初めて出会った時から、はるかと観音は一緒だった。講演会で観音にはるかを紹介してもらえなかったら、広瀬の今は大きく違ったものになっていただろう。
それはともかく。二人はいつも一緒だった。それは一対でなければ機能不全に陥り、一組でなければ成立しないという訳ではなしに、独立した一個の人間が二人、一緒にいるのが自然という稀有な状態なのである。
しかも互いに寄りかかっているわけでもないのに、他者には介入の余地が一切ない、神聖不可侵にして絶対の聖域。
夫婦とも違う。パートナーとも異なる。名称不明の二者関係。
単純で使い古いされた言葉の数々では、表現できない代物である。
不思議なものであった。広瀬には不思議としか説明できない。
二人の会話の端々から該当する言葉を探すのであれば、おそらく観音のいう『友達』になるのだろう。観音の発するこの『友達』にはグラデーション、あるいは複数の段階があり、彼女にとって明確な線引きが存在するようだ。
その中で最も上位に、はるか先生が位置するようである。つまり既存の言葉では比較でしか語ることができないものらしい。
広瀬にとって二人の『友達』関係は興味の尽きないものであるが、この微妙な温度感かつ円熟したイチャツキを目にした人であれば、誰でもその気に当てられて惹かれてしまうに決まっている。そういうものなのだ。
当然、広瀬に観測する機会が少ないだけで、二人が一緒ではないタイミングがないわけではない。一人なら一人で、各々また別の側面が見えるわけではあるが、そんなことは些事のようなものだ。
口を開けばどちらも「はるか君がいたらね」「はるか君にこれは見せたかったな」だの、「観音さんがいたら黙ってないね」「観音さん来れないなんて惜しいことしたね」だの、まあ勘弁してくれといった具合なのである。ノロケとは片方の不在によって最大火力を発揮する。
二人の関係を究極的に分解すれば、観音は天野はるかの才能に惚れ込んでおり、はるかは月ノ瀬観音を最も頼みにできる人物として信頼しているということになるわけであるが、果たしてそれだけなのであろうか。
とかく、人は観測したものにラベルを貼りたがる。そうすれば理解しやすく、あるいは自分が理解できる範囲に落とし込むことができるからだ。今ではご丁寧なことに、このラベルは何十種類も用意されているわけであるが、はるかと観音については安易に断定できるほど単純ではなさそうだ。
それは愛ではないのかと広瀬がこぼした際、すかさず「君はまだまだ青いね」と観音が指摘したのは、あれが照れではなかったのだとしたら、そういった理由からなのであろう。
しかし青臭いことを承知してした上で、やはり広瀬は愛だと叫びたい。
愛は性愛のみに限らない。
物への愛、人への愛。才能への愛、愚純への愛。過去への愛、未来への愛。
友情を超えた友情は、それは愛でしょうよと。
大体において、二人が夫婦でもないのが不思議なくらいなのだ。
まず二人とも出身が異なるのに、ごくごく近所に住んでいる。まあこれくらいは、同じ地域に集まりがちな作家やクリエイターではよくあることで、広瀬が驚いたのは単純に友達が少なくて世間を知らないせいだと言ってもいいかもしれない。
しかし、二人の誕生日を初めて知った時、人はぶったまげることになるだろう。
3日しか違わないのだ。
広瀬はその事実に打ちのめされた日のことをよく覚えている。
観音の誕生日を別のイベント内で祝おうと水面下で企画した際に当日、「はるか先生も一緒なんだよ」と聞かされた時の衝撃。広瀬は悲鳴をあげた。はるかへの申し訳なさよりも、圧倒的に驚きが勝った。その後、知り合い全員にこの話をして回らずにいられなかったくらいに。
誕生日はただの誕生日であって365分の1が隣り合うことなど、それは単に確率の問題であって驚くべきことではないのかもしれない。
しかし、これは、意図してできるものでは断じてない。偶然にしてはできすぎているし、創作にしたってやり過ぎだろう。今どき、結びついた二人の誕生日が同じでしたとでも明らかにされたら、それは前世だったり転生だったり、作為的なものを感じずにはいられない。
だがこれが現実なのだ。ゆえに二人の関係を称するのに天命や宿命といった言葉を用いるのは、むしろ自然なことなのである。
◆
だから、だからこそ広瀬にとって、はるかを置き去りにした観音の行動は許せなかった。いや、それを許した天の采配が理解できなかった。
なぜって隣駅なのである。隣駅に住んでいるのである。
終電まで猶予は十分にあり、はるかが起き出すのを待ってもせいぜい電車を数本見逃すくらいの誤差。なんてことないはずであった。
よそに別のパートナーを抱えていようとも関係があるものか。
選択の余地がない状況でもない、緩やかな条件である。酔ってダメになったはるか先生をそのままにするなど、広瀬には信じられなかった。とても観音らしくなかった。
「あのね広瀬ちゃん。私だってこれでも立派な大人なんだからね、これくらい」
「これくらいじゃないんですよ!こんなこと、あってはならない!」
苦笑するはるかの声は届かない。
広瀬にとっては理解不能であった。混乱、ただただ混乱である。天と地がひっくり返るより不可解であり、森羅万象に通ずる了解が反故にされたくらいの裏切りなのだ。
現実は小説より奇なり、それは現実は筋を通す必要がないから。しかし現実を目の当たりにしてしまうと、そんな道理こそ受け入れがたいものになる。
友情か、友達か、はたまた愛か。
とにかく、はるかと観音の関係には理解が及ばぬ領域が、未知の独立変数がまだまだあるらしい。理解と納得と説明に広瀬は苦しんだ。
よって広瀬は吼えて、叫んだのであった。
ただ、それだけのことである。
(それだけのこと おわり)