清廉実直の大将軍 作:ばるばろ
長平の戦い。秦国六大将軍筆頭である白起の用兵によって大勝。四十万もの捕虜を得た。
そこで、白起は恐るべき選択を採ろうとしていた。
これは、かの大将軍の汚名の一つを阻んだ男の話。
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「――――何のつもりだ?
名にあやかった白色の甲冑を纏った偉丈夫、白起が見下ろすのは今まさに自身らの生き埋めの為の穴を掘らされそうになっている趙の捕虜たち。
しかし彼が声を掛けたのは、彼の傍らで平身低頭土下座をする男だ。
ソレも、ただの土下座ではない。鎧兜のみならず、衣類の全てを脱ぎ捨てた全裸の土下座。
紺露と呼ばれた彼は、文字通り全てを擲つ覚悟をもってこの場に臨んでいた。
「今一度、申し上げます。彼ら趙兵の捕虜四十万の助命嘆願をお願いいたします!!」
「すでに決めた事だ」
「ですが!これは余りにも惨い行為ではありませぬか!!」
「……」
「無償で、彼らを助けてほしいとは申しませぬ!拙者に今迄に上げた、功、並びに地位、権力、全てを捨てます故!何卒!」
「……」
再び頭を下げる紺露に、そこで初めて白起の鉄面皮が向けられた。
この紺露という青年を白起は実に目をかけて重用していた。今はまだ、十代という事もあり重用するには回りの目があれども、行く行くは副将、ひいては共に轡を並べる将の一人として取り立てるつもりだ。
だが、彼は致命的なまでの甘さがあった。
既に五千を率いる将ではあるが、その身は常に清廉潔白。
略奪を許さず、戦に際しては兵以外には一切の手出しを自身とそして部下に禁じている程。寧ろ、余らせた兵糧などで炊き出しを行い、田畑の開墾すら手伝う始末。
その甘さを咎める者も居たが、その一方で徳のある人物として名も広まる。
「この四十万が秦へと牙を剥いた時、貴様はどうする?」
「我が手を持ち、全ての首を刎ねた上で自裁いたします」
「……その言葉、努々違えるな」
「御意!!」
外套を翻して去っていく白起。
その背を見送り、衣類を纏った紺露は今まさに始まろうとしている虐殺の現場へと向き直り、そして大きく息を吸い込んだ。
「聞けい!!趙の人々よ!!」
天を震わせるのではないかと言わんばかりの大喝。それが、ここ長平の地に響き渡る。
「白起大将軍の慈悲の下、お前たちの助命と相成った!!これよりその穴を埋めよ!!そして、秦の兵士たちよ!宴の準備だ!!」
響き渡った大声に、ざわめきが返って来る。
しかし、紺露はのんびりする事は許さない。
「駆け足!!」
大喝により、この場は動き出す。
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秦六大将軍筆頭、白起。
冷徹なまでの知力と、軍神の如し武力をもって中華全土にその名を知られた大将軍。
その白起の副官として取り上げられたのが、紺露であった。
年は、十七。若いが、その体格は偉丈夫である白起にも劣らず、その剛力に関しては彼を超えるともされる。
だが、何より彼を有名足らしめたのは、その立ち振る舞い。
「――――フンッ!!」
気合いと共に振り下ろされる農具。
見渡す程に広大な畑の中で、紺露は簡素な服に身を包んで農具を手に畑仕事へと精を出していた。
長平の一件から、一度は末尾兵にまで階級を落とされた紺露は、しかし直ぐに白起の副将へと返り咲いていた。
大将軍の副将だ。それほどの地位にあるのなら、それこそ豪遊する事も出来るだろう。
だが、紺露は質素だった。
田畑を耕し、土地が足りなければ開墾し、水が足りなければ大河より支流を引いた。
戦場で振るわれれば大多数の敵を薙ぎ払う剛力を、民の為に使う。
自然と彼は慕われる。
それが、例え元敵国兵であったとしても。
「紺露様!」
「む?おお、万極、万剛」
「紺露様、水をお持ちしました」
「ああ、ありがとう」
耕された畝の間の道を駆けてくる少年兵の兄弟。
兄の万剛と、弟の万極。どちらも、元々は趙の少年兵であったのだが、秦へと帰順する事となった捕虜としてこの長平の地に残っていた。
万剛から受け取った竹筒を呷って、紺露は一息吐き出す。
「ふぅ……生き返る。感謝する、万剛」
「いえ!直ぐにお父たちも来ますから!」
「紺露様!俺もお手伝いします!」
「ああ、よろしく頼むぞ万極。二人で、雑草を抜いてくれるだろうか」
「「はい!!」」
元気な少年兵たちは、我先にと畑仕事へと駆け出した。
そして、彼らが言うように十数人の男たちも畑へとやって来る。
「紺露様!」
「すいやせん、遅くなりまして」
「今日も暑いですぜ、紺露様!あっしらに任せても良いんですぜ?」
「いや、畑仕事は拙者が好きでやっている事。体調に関しても良好故、問題はない」
やって来た男たちと親し気に話す、紺露。
しかしやってきた彼らもまた、元は趙の兵士だった者たちだ。
何れも、紺露という男に魅せられて自発的に彼の手伝いへとやって来た。
強く、優しく、オマケに第一に自分たちの事を考えてくる大人物。支持されない方が難しいというものだ。
長平の戦より二年程が経った今日この頃。
「紺露様ーーーーッ!!」
そこに急を告げる兵士が飛び込んでくる。
戦の時間である。
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戦場の華といえば、やはり一騎討ち。
この時代、力のある武将同士のぶつかり合いは神聖なものであり、戦場の美学とされその勝敗が大戦の決着をつける事も珍しくはなかった。
「フンッ!!!」
「シッ!!」
槍と大鉞が何度となくぶつかり合う。
大鉞を振るうのは、紺露。その身に宿した剛力を遺憾なく発揮し、振り回される一撃は宛ら空が落ちてきたのではないかと錯覚するほどの破壊力を秘めている。
対して、槍を振るうのは長髪の青年。
対角こそ紺露に劣るものの、それでもその槍のキレと鋭さは容易に紺露の身体へと細かな傷を刻んでいた。
槍の紫伯。魏火龍七師と呼ばれる魏の国でも他国に名の知れた七人の強者たち。
紫伯はその一人であり、今回長平一帯を得た秦への介入として派遣された将の一人だった。
何度となく、槍と大鉞が交差し、どちらともなく距離をとる。
「……素晴らしい。これほどの槍使いは、秦国にも居らぬでしょう」
「……」
「だからこそ、解せぬ。貴殿、一体何を焦っておられる?」
「……貴様には、関係のない事だ」
返事と共に突かれた槍。だが、その穂先は肉を捉える前に大鉞に阻まれる。
「こうして得物を交えれば、よく分かり申す。貴殿の槍は、更に速く、鋭く、拙者の命すらも突き穿ちかねない程のモノ。でありながら、拙者は今ここに生き、剰え拮抗している。貴殿と拙者は敵同士。しかし!共に武によって身を立てる者!お聞かせ、願えないだろうか?」
「……」
紫伯の凪のような心にさざ波が立つ。
相対するこの若武者は、気持ちのいいぐらいに真っすぐで、尚且つ親身。それこそ、今まさに命のやり取りをする自分にすらもその熱い心を向けてくる。
ついぞ、自身の属する国であっても感じた事のない熱。そして、愛する女の横顔。
元より、愛国心も忠義も無い。だからだろうか、不意に肩の力が抜けた。
「……妹が、いる」
「ほう」
紫伯の力が抜けた事を察知し、紺露もまた話を聞く姿勢を取った。
「私にとっての、唯一だ……」
「成程……相分かり申した」
血を吐くようなその言葉に、紺露は一つ頷く。
そして、空いた左手で拳を握ると強くその胸を叩いたのだ。
「槍の紫伯殿!秦へ参りませぬか?」
「何だと……?」
「貴殿ほどの傑物が、このまま磨り潰される姿など拙者は見たくはありませぬ」
「何故、そこまでする……私と貴様は、敵だろう?」
「……貴殿を見ると、過去の拙者を思い出すのです」
紫伯の問いに、紺露は遠くを少し眺めるように目を細める。それは、始まりの時。彼が戦地に立ち、そして大恩人との出会いを果たした瞬間の事。
「拙者は、農奴の出。とてもではありませぬが、今のような地位に立てる人間ではありませぬ。全ては、拙者を引き上げてくださった白起大将軍のお力によるもの。そうでなければ、拙者は何処かの戦場で果てていたやもしれませぬ」
「……」
「故に、見ていられぬのです」
真っすぐに自分を見てくる黒曜石のような黒い瞳に、とうとう紫伯はその槍を完全に下ろしていた。
「……手伝って、貰えるだろうか」
「承知!拙者の全力をもって、応えましょう!」
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紫伯。その名は、実のところ歴代で世襲してきた通り名だった。
今代の紫伯は、元の名を紫詠。
元々は、紫家の当主であった紫太の囲っていた女性の連れ子であり、そもそも当主とは血のつながりも無かった。
そんな彼が、紫伯の名を継いだのは偏にその武勇あってこそのモノ。
「ごふっ!?お、おのれ、紫詠……!貴様、儂に対する恩を忘れたか……!!」
「恩?……ああ、そうだな貴様には一つだけ恩がある」
血塗れになって仰向けになりながら怨敵と言わんばかりに睨んでくる義父を見下ろし、紫詠はその穂先を向ける。
「私を、紫季歌と巡り合わせてくれたこと。この一点に限り、感謝を向けよう」
だが、それだけだ。小さく聞こえない程度に呟き、紫詠の槍が振るわれた。
全身が穴だらけになり、血を吹き出し先代紫伯は息絶える。全てにおいて、紫詠に劣る凡夫の末路などそんな物だ。
「お兄様!」
何の感慨も無く義父を仕留めた紫詠の背に、最愛の義妹であり許嫁である紫季歌が縋りついた。
「何故、このような無茶を……!」
「私は、お前が居れば……それで良い」
「お兄様……!」
愛である。二人は本当に、深く深く愛し合っていた。
だが、今この場は敵地。魏においても最強の槍使いと名高い紫詠は兎も角、手弱女である紫季歌は流れ矢でも命を落としかねない。
その死地を打ち砕くのは、もう一人の益荒男である。
「ガァアアアアアア!!!!」
獣の咆哮の如し覇気と共に、屋敷の一部が木っ端みじんに衛兵諸共吹っ飛んでいく。
恐るべきは、紺露の身に宿った剛力か。得物である大鉞を阻める者は、まず居ない。
「紫詠殿!参りますぞ!!」
「ああ!紫季歌、私と共に秦へ向かおう……」
「お兄様が共に在るのなら、私は何処へなりとも参ります」
この日、二頭の駿馬が魏を去った。それは偏に、人徳による差によって。
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長平の一件より数年。
自ら切り取ったこの地にて、白起は病床にあった。
史実であったならば、彼は自殺してしまうのだがこの世界ではとある男の行動によって悪名を背負う事は無かったが、運命の悪戯か病によって床に臥す事になってしまった。
「……紺露は、居るか」
「ハッ!こちらに」
寝台で横になっていた白起の言葉に、直ぐに紺露がその場に現れる。
膝をつき、なるべく寝台の側に寄るのは病床である白起に無理に声を張らせないため。
「命を、下す」
「何なりと、お申し付けください」
「これより、楚へと向かえ……」
「はっ!」
「ここ数年で、魏、韓の力は削いだ。趙には王騎が向かった。故に、楚へ向かい力を削ぐ」
「拝命いたします!!」
白起の命令。それは、紺露にとっては命を擲ってでも熟すべき事。
鉄の色そのままの鎧を纏い、毅然と彼は立ち上がった。
できる事ならば、病床の白起の側についていたいと考える彼だが、その白起自らの命令だ。
最早、楚という国そのものをぶっ壊す勢いで暴れる事になるだろう。
全身から覇気が出ているのではないかと言わんばかりの圧を纏う紺露。そんな彼へと一人の男が近づいてきた。
「出陣か、紺露」
「紫詠殿……拙者の、留守をお頼み申す」
「ふむ……」
顎を撫で、紫詠は目を細めた。
紺露の勧めで秦へと身を寄せて数年。何度か目の前の男と轡を共にして、戦場を駆けてきた。
その上で、
「いや、私も出よう……」
「!しかし、紫詠殿。今は貴殿の奥方が……」
「ああ……だが、私たちにとってお前は恩人だ。ここまで心穏やかに日常を過ごし、そして戦地に胸躍るのはあの誘いを受けたが故。分からないか?今のお前は、いつも以上に気負っている。その様では、敵地で燃え尽きるぞ」
「……」
冷静な紫詠のその言葉に、僅かに紺露の気迫が僅かに収まった。同時に、深く息を吸い、そして吐き出す。
「……かたじけない、紫詠殿。拙者はこれより、白起様の命を受け楚へと進軍いたす」
「ああ、共に行こう……」
「感謝いたす!!」
新たなる出会いの時だ。