同窓会も終わりに近づいていた。
ヒュー、ヒュー、と高坂の荒い息が、賑やかな笑い声に妙な陰を落としながら流れていく。
酒の空いたグラスに囲まれて泣く恩師の姿は、実に惨めだった。
まるで、長年積み上げてきたものを全部剥がされて、骨だけで座っているような……そんな、形容しがたい弱さだった。
「……で、さ。先生」
ぼくは咽び泣いている高坂の顔を覗き込む。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった目の前の男。
こんな奴が、ぼくの憧れだったのか。
三年間、何を信じていたんだろう。
馬鹿らしくなってきた。
「実はさ、ぼく、今日とっておきのことを考えてたんだ。みんなも聞いてくれる?」
そう言って立ち上がると、酔っ払ったクラスメイトたちは、おー! わー! と甲高い声をあげた。
テーブルに並ぶ皿は空になり、アルコールの匂いが重たく漂っている。
店員が遠くで苦笑しているのが見えたが、どうでもよかった。
その中で高坂だけは、まだずっと泣いていた。
いつまでコイツは泣いているのだろうか。
いい加減泣き止めばいいのに。
ぼくが立ち上がっても気づきもしないなんて、教師としてどうなんだ?
「あのねー!」
スゥ、とぼくは息を深く吸い込んだ。
喉の奥が震えて、胸が軽くなる。
とっておきの、ぼくの“理想”が、今まさに目の前にあるんだ。
「……今日から、ぼくが先生になるんだ」
「……せんせい?」
高坂の声は、濁って震えていた。
「うん、そうだよぉ」
ぼくは笑った。
笑えば笑うほど、胸の内側で何かが膨らんでいく。
高坂の肩がびくりと揺れた。
やっと、ぼくをちゃんと見た。
「ぼくがこの3年B組の担任になるんだぁ。だからこの教室はぼくの物になる。ぼくの指示で、すべてが動く。とっても素晴らしいユートピアになるんだよ」
口にするほど、それは現実の形を取り始めていった。
「だってさ、誰もが……これまで以上に理想通りに動いて、理想通りに死ぬ。全員が宮村亮太のように、ぼくに全て従うんだ。誰も反抗する者はいない。ぼくの言葉一つで、みんな正しい道へ進む。それって、すごく素敵なことでしょう? あは。あーあ、すごいなぁ……嬉しいなぁ……」
クラスメイトが一人、椅子を引きずって膝をついた。
ガタンと響く音が、ぼくの胸の奥まで甘く染み込んでくる。
「いやだなぁ……先生は、お前だったじゃないかぁ」
信者が、自然と生まれた。
「先生、俺はどうすればいい? いつも通りに……教えて」
また一人。
その声は震えているのに、目だけは虚ろで、底が抜けたような闇色だった。
「せんせぇ、私に早く授業を教えて!」
立ち上がる者、跪く者、机を叩きながら笑う者。
全員が一斉に、ぼくのほうを向く。
宴会の雑音は消え失せて、ぼくを呼ぶ声だけが響く。
先生先生先生先生――
まるで呪文みたいに。
まるで祈りみたいに。
目を虚ろに靡かせ、更に落ちていく彼らを見て、ぼくは思った。
あぁ、この瞬間をどれほど望んでいたことか。
ここが、ぼくの楽園となる。
なんて幸せなんだろう。
争いも憎しみも何もない、たった一つの楽園。
ぼくが望んでいたもの、そのものだ。
みんながぼくの名を呼び、ぼくを中心に回る世界。
ぼくの言葉が法律で、ぼくの微笑が祝福で、ぼくの沈黙が死刑判決。
そして……ぼくはゆっくりと高坂に視線を落とした。
涙を流しながら、彼はようやく気づいたように、か細くぼくの名を呼んだ。
まるで、自分が“教師”ではないことを悟った子供みたいに。
「……せん、せい……?」
ぼくは優しく近づいて、肩に触れた。
その瞬間、高坂の体がビクリと跳ねる。
「ねぇ高坂先生。先生はね――卒業していいんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、彼の顔から血の気がすっと引いていく。
ぼくの理想の楽園。
その最初の犠牲者が、ようやく確定する。