【ルーム帝国もの、第二部】先日病死された高貴なお方の死因が実は毒殺であるという不敬な噂に関する調査報告 作:お話を聞かせて
書いた人だけに続き読ませる。
14話
クラッススは立ち上がると長椅子に近づいて、プルケルを見下ろした。
「ご苦労でしたプルケル。中佐のお相手は私がするので下がって結構です」
その口調はプルケルを労わるようだった。
凍り付いていた俺はクラッススの言葉にようやく口を開く。
「クラッスス様……突然のご登場、大いに驚きましたが、今はそれは措きます。小官はアフリカヌス様の件でプルケル氏に尋ねなければならないことがあります、何も聞かないうちに彼に立ち去られるのは困るのですが」
「ご安心ください中佐。代わりに私がお答えします。アフリカヌス様と面会したのはプルケルではなく私ですから」
俺は立ち尽くした。唖然として何も言えない。
プルケルは手で向こう側を指した。
「おかけください、中佐。何なりとお答えします」
俺は黙ったまま、回り込んで再び椅子に腰を下ろした。プルケルは顔色が蒼白のまま、クラッススに一揖し部屋を出て行く。
プルケルを脅して主導権を握ったつもりが、クラッススにあっさりと場を掌握されてしまったことに苦い味を覚える。
俺は仕切り直そうと一つ咳払いすると、慎重に言葉を紡ぐ。
「面会記録では、プルケル氏がアフリカヌス様に面会したことになっております」
「私がアフリカヌス様に会ったことを公にすると様々な憶測を呼ぶものですから。従卒のふりをしてプルケルに同行し、面会の直前に入れ替わったのです」
「なぜいままで隠し部屋にいらっしゃったので」
「参謀本部がプルケルの事情聴取を望むとすればアフリカヌス様の件だろうと予想は付きました。とりあえずプルケルに対応させて事の成り行きを見守るつもりでしたが、中佐の見事な話術によりプルケルは冷静さを失いましたから。ずいぶんな悲鳴を上げていましたね。中佐もお聞きになったでしょう」
クラッススはいたずらの種を明かす子供のようにくすくすと笑った。
俺は直感的にこの老人に駆け引きを挑んでも無益だと悟った。こと交渉事となると俺などとは年期が違う。故に駆け引きを捨て愚直に尋ねる。
「アフリカヌス様に呼び出されたのですか?」
「いえ、こちらから面会を申し込みました」
「いったいどのような要件で」
「属州徴税権」
クラッススは笑顔のまま答えた。
属州徴税権、読んで字のごとく属州の徴税に関する権利だ。帝国は直接には属州の徴税を行わない、その代わり徴税権を入札にかけ、その落札額を税収にしている。落札した業者は法の許される範囲で厳しく徴税を行い、落札額以上の税を取り立てることで利益を得るわけだ。
だが、それについてアフリカヌスに面会を申し込む理由はなんだ。
俺が内心に疑問を抱いていることをクラッススは分かったのだろう、講義をするような口調で言葉を続けた。
「私の派閥はアフリカ属州の徴税権を落札しておりました。エジプト及びカルタゴは商業も発展していますから税収も莫大です。ただ、問題がありましてね。我々が属州徴税権を落としたころアフリカヌス様の率いるルーム帝国アフリカ侵攻軍はアフリカ中部にまで支配地域を拡大しておりました。当然、我々はそれも考慮したうえで、入札額を決めたわけですが……中佐もご存知のとおり、帝国縮小主義を訴えるアフリカヌス様は、その後、アフリカ中部から撤兵してしまったのです。お分かりでしょう、我々は当該事業において大きな損失を被った。無論、この点について帝国からの補償などありませんしね」
なるほど。アフリカヌスのアフリカ中部撤兵はクラッススのようなアフリカで利益を得ようとしていた商人に打撃を加えていたわけだ。国家百年の計を憂うカトの帝国運営に関する主張より、よほど現実的な話と言える。
だとすればクラッススがアフリカヌスに面会した目的も見当がつく。
「クラッスス様は、アフリカヌス様にアフリカ属州の領土拡大を要請したのですか?」
「その通りです。アフリカ属州の領土が現在の地域にとどまる限り、損失を補うのは限界があります。無論、ただでお願いした、という訳ではありません。再侵攻に必要な軍事費の支援はもちろんのこと、皇帝府、元老院の承認と協力を取り付ける事も約束しましたし、再征服の暁にはアフリカヌス様をはじめとして属州の高官の懐に謝礼をこれでもかと押し込むことも約束しました」俺は唾を飲み込みじっとクラッススを見つめた。この要請へのアフリカヌスの返答次第で、クラッススの嫌疑の濃さは全く異なるものになる「ですが、アフリカヌス様はこの要請を拒絶なさいました。悩んだ様子もありませんでした、取り付く島もないとはこのことですね」
その回答はクラッススがアフリカヌス殺害の動機を持つことを証明するものだった。
「クラッスス様にとってアフリカヌス様は邪魔者だったというわけですね」
俺はあえて直接的に尋ねる。
クラッススは意外なことに声をたてて笑った。
「結論を急がないでください中佐。話には続きがあります。まず、アフリカヌス様は帝国を取り巻く現状を考えるとこれ以上の拡張戦争はできないとおっしゃいました」
それについては疑いはない、アフリカヌスはその主張故に皇位に就けなかったのだから。だが、その次の言葉は俺を驚愕させた。
「アフリカヌス様は、こうもおっしゃいました。実は、帝国の最高権威者も同じように考えておられる、と」
「……なんですって」
一瞬、クラッススが何を言っているか分からなかった。徐々にその言葉の意味が脳髄に浸透する。俺は両手を握り合わせて震えを隠した。
「ネロ陛下が本心では縮小主義者だと、アフリカヌス様はそう言ったのですか?」
「その点について私も問い詰めたのですが、それ以上は何もおっしゃいませんでした。しかし、それ以外の解釈などありますまい」
指先が痙攣するのを止められない。俺はいま、俺の立場では聞かなくてもいいことを、いや、聞くべきではない話を聞いてしまった。クラッススが何でもない口ぶりで話すので、言葉を止めることもできなかった。
傍らのアプレイウスにそっと目をやると、眉をしかめ、頬を引きつらせている。彼も自分が近づくべきではない領域に足を踏みこんでいることを苦く思っているのだろう。
だが、ここで引き返す手はない。
「続きをお聞かせください」
俺は続きを促す。目の前の老人は鷹揚に頷いた、楽しそうでさえある。
「その代わりにアフリカヌス様はある提案をしてくださいました」クラッススの目つきが気のせいか鋭さを帯びた気がした「アフリカ貿易会社の設立です」
「アフリカ貿易会社? それはどういう……」
「現在、南アフリカの各王国、クシェ王国やマリ王国等との貿易はカルタゴ、あるいはエジプト商人が独占しています、公式には認められていない闇貿易ですが。これに対抗し、半官半民の貿易会社を設立し、南アフリカとの貿易事業に乗り込む。これがアフリカヌス様の構想でした」
全く驚く話ばかりだ。今までも散々驚かされたが、これは極め付きと言っていい。
なぜなら、この構想は、いまだ成立していないアフリカ王国連合とルーム帝国との和平を前提とした話だからだ。
「我が帝国は、いまのところ南アフリカの王国連合と停戦条約すら結んでおりません。お互いに地平線の彼方から敵国が侵攻してこないか警戒している。それなのにアフリカヌス様は貿易体制の構築を考えておられたと? ならばアフリカ大陸の和平は前提になります」
クラッススが拍手をする。よくできました、と生徒を褒める教師の態度だ。
「そのとおりです、中佐。ですがアフリカヌス様は和平について自信があるようでした。そこで私はこの話に乗ることにしました。上手くすれば、アフリカ属州の徴税権など比較にならないほどの収益を上げられる可能性のある事業でしたからね。それにいち早く参入できるのは大きい。私は派閥の総力を挙げ、貿易に必要な準備を進めていました」
そこでクラッススは苦笑すると、何かを宙に放るような仕草をした。
「しかしながら、アフリカヌス様が亡くなられたことで全てがご破算です。アフリカ属州の高官はもちろんこの構想の協力者でしたが、アフリカヌス様に代わる実現力、実行力の持ち主などいません。計画は白紙になりました。私の苦労も水の泡です」
俺とアプレイウスは顔を見合わせて頷く。俺たちは錨を手に入れたのかもしれない。クラッススがアフリカヌスに死によって損を被る人物だとしたらその証言には信頼がおける。今聞いた話はこの調査の定点になりえるだろう。
俺はこの証言を裏付けることのできる人物をクラッススから数人聞き出した。アプレイウスが調査をすれば、この証言の正しさがはっきりするはずだ。
重要な証言を得たというのに俺の心は重かった。皇帝ネロの真意、そしてアフリカヌスの和平の試み……どちらも今後の捜査の方針を一変させかねない。アフリカヌス殺害の動機を持つ人間も現れるかもしれぬ。例えば和平を帝国への裏切りと見る強硬派のカトのような軍人とか。
自分の考えに耽っていると、クラッススが笑った。
「中佐。そう思い詰めずに。何か問題があれば私も協力しますよ、ところで」クラッススの声音が変わる「中佐はポンペイウスを訪ねられたのですか」
なぜ知っているのかと一瞬疑問に思ったが、すぐに理由が思い当たる。俺自身がプルケルを尋問する際にポンペイウスの名を漏らしていたではないか。これは失態だ。だが。
「はい、小官は数日前にヒスパニアのポンペイウス総督を訪問しております」
開き直った俺はクラッススに真意を明かし、質問してみることにした。
「小官の目的はアフリカヌス様の死の原因を確かめる事であります。アフリカヌス様の死の原因についてお心当たりはありますか? 例えばポンペイウス総督が関与している恐れはあるでしょうか」
クラッススは小首を傾げる。
「さて、どうでしょう。とりあえず私に動機はありませんが、他の人間については言及しかねますね。ただ、ポンペイウスは無関係かと」
「なぜそう思われるのですか」
「皇族、それも帝位継承者を弑すというのはあの男らしくありませんからね。奴は名誉欲の権化ですが、現在の帝国秩序そのものは尊重しているのです」
「ポンペイウス様は更なる地位をお望みのようでしたが」
「それもあくまで皇帝陛下の臣下としてです。そこはあの男の数少ない美点です。まあ欠点が多すぎて慰めにもなりませんが」
クラッススの口調は先ほどと一転して忌々し気だった。
「クラッスス様はポンペイウス様を評価していないのですか?」
「いや、一定の評価は与えています。ただ、それ以上に唾棄すべき点を知っているというだけです、例えば、50年前の帝国の危機とかね」クラッススの舌は滑らかさを増す「50年前、確かにポンペイウスは大きな成果を上げました。しかし、それは彼一人の成果ではなかった。他にも優秀な軍人たちはいましたし、官僚も戦時体制の構築を行い、私だって戦費調達に骨を折った。しかし、彼はその功績をほぼ一人で独占した。他の将軍たちが敵の残党と戦っている間にルームに戻り、元老院を軍隊で脅す形でね」クラッススはいまだ冷めやらぬ敵意を目に宿す「まあ、私の場合、そのこと以上に奴と性格が致命的に合わないのが不仲の原因ですが。奴は信念と理想を現実に先行させる。私とは真逆です。失礼ですが、中佐もポンペイウスとは馬が合わなかったのではないですか?」
俺は自嘲的な笑いを浮かべた。
「奴隷に相応しいヤマト民族。自分の生にしか興味のない小人と評されました。特に不服はありませんが」
「なるほど、ポンペイウスからするとヤマトの歴史は受け入れがたいでしょうね。私は最善な行動を取ったと評価していますが」
「そうでしょうか」
「もちろんです。ヤマトが帝国と戦争するというのは無謀という他ありません。無駄な反抗を試みて国力を損なうことなく、帝国に参入し属州の地位の向上を図るという戦略は正しい。私がヤマトの指導者でもそうしたでしょう。あるいはポンペイウスがヤマトの指導者なら信念と誇りのままヤマトを滅亡に導いていたかもしれません」
クラッススはよほどポンペイウスが憎いらしい。しかし、そんな彼をしてポンペイウスはアフリカヌスの死に関与している可能性は低いという。
クラッススの手前、態度には出せぬが、俺は絶望的な気分に陥った。やはり、最後の一人に対しても事情聴取をする必要があるようだ。しかし、仮に彼女が毒殺犯だとしたら皇帝ネロはどうする気なんだ?
俺は立ち上がった。雰囲気を察して、アプレイウスも直立する。
「調査へのご協力ありがとうございました、大変為になるお話を聞くことができました。プルケル氏にもよろしくお伝えください」
敬礼し、俺たちはクラッススの前から辞そうとした。そしてまさに部屋を出ようとした瞬間だった。
「お待ちを。中佐」
背にクラッススの声がかかった。振り向くと、頬を裂くように笑うクラッススを見つける。
「何でしょう、クラッスス様」
「申し訳ありません、大事なことを忘れていました。伝言を頼まれていたのです」
その口調は芝居がかって聞こえた。
「伝言? どなたからでしょう」
「アフリカヌス様からです」
その言葉を聞いた途端、立ち眩みを起こしたように、俺の体は揺らいだ。
「……何をおっしゃっているのです」
「私も伝言を頼まれたときはそう思いました。二カ月前の話し合いの最後、彼はこういったのです。もし自分に関することでハヤシヒデノリという中佐が訪ねてきたら、伝えてほしいことがある。と」
寒気がする。これは一体どういうことだ。俺は死んだアフリカヌスしか知らない。しかし、当のアフリカヌスは生前から俺が彼の死を調査することを予期していたというのか。だとしたら、俺はこの事件にいつから関わっているのだ? アフリカヌスの死は事件の始まりではなく、ずっと前から何かが始まっているのか。
「詩の朗読会の時言いましたね? 貴方の噂は高貴な方から伺っていると。あれはアフリカヌス様のことだったんですよ」
「……伝言とはなんでしょう?」
俺は舌がもつれないようにゆっくりと聞いた。
「よろしく頼む。それだけです」
「それはいったいどういう意味なのでしょう」
「それは私が聞きたい」クラッススは笑みを消した「貴方は何を頼まれたのですか。ハヤシヒデノリ中佐」
俺は何も答えられなかった。