【ルーム帝国もの、第二部】先日病死された高貴なお方の死因が実は毒殺であるという不敬な噂に関する調査報告   作:お話を聞かせて

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こう寒いとチュッチュする気も失せる


第2話 這い寄るアンフィスバエナ

 

 

 俺は姿勢を正すと居並ぶ者たちに告げた。

 

「アフリカヌス殿には検死のために部屋をお移り頂きます。準備は出来ていますね」

 

「どうしてもアフリカヌス様の体に刃を入れるのですか」

 

 ドルッシラが暗い目つきで呟いた。

 

「はい。アフリカヌス殿は亡くなられる数日前から体調を崩し床につかれていたとのことですが、それまでは健康上の問題はなかったと聞いております。恐れ多いことですが、アフリカヌス様の遺体を調べ死因を確定させなければなりません」

 

「貴方がアフリカヌス様の死因を捏造しないという保証はあるのですか。中央から派遣された貴方が信頼できるとは私には思えない」

 

 気のせいか部屋が一層寒くなった気がした。俺はドルッシラを真っ向から見つめた。

 

彼女の疑いは理解できなくもない、アフリカヌスの死で最大の利益を得る人物として挙げられるのは、参謀総長を通して俺を派遣した帝国の最高権威者だと誰もが知っている。だが、それはけして口に出していい言葉ではない。

 

「ドルッシラ様……そのようなことは二度と口に出さぬようにお願いします」

 

 俺は溜息を吐きながら答えた。

 

「それに検死には今この場にいる官僚と将官に立ち会っていただきます。ドルッシラ様も各々方に対しては疑いは持っていないはずです」

 

「私も立ち会わせてもらいます」

 

 ドルッシラが気丈に言うと第三軍団の副団長が顔色を変えた。

 

「ドルッシラ様がアフリカヌス軍団長を思う気持ちは分かりますが、臓腑を開くのです。ご婦人が立ち会うのはどうかと」

 

「お気遣いありがとうございます。でも立ち会いたいのです。私の目の届かない密室でアフリカヌス様の死因が確定されるのは了承できません」

 

 アフリカの面々は複雑な表情を浮かべたが、俺は特に迷わなかった。この展開は予想済みだ。

 

「分かりました。ドルッシラ様にも検死に立ち会っていただきましょう」

 

 彼女は高位貴族出身の婦人として典型的な経歴の持ち主だ、検死に立ち会わせたところで死因を改竄する技能はないだろう。

 

 我々は地下の遺体安置所までの通り道を、事情を知るごく少数の兵士達に人払いさせ、アフリカヌスの遺体を移送した。

 

 遺体安置所の扉の前でカリグラに告げる。

 

「これよりアフリカヌス様の検死を行います。カリグラ様は結果が出るまでここでお待ちください」

 

 カリグラは頷きもせずこちらにどんよりとした目を向けている。今日初めて会ったアフリカヌスの遺児カリグラは皇帝ネロより一歳年上とのことだが、少し神経質そうな顔立ちをしているが、それ以外はどこにでもいそうな風貌の少年だった。

 

ネロは十歳になる頃には先帝に命じられて最初の公職に就いた、それは皇統に連なるものとして珍しい話ではない。しかしカリグラは今に至るまで何か特別な役割に就いたことがなかった、それが亡きアフリカヌスの育成方針だったのだろう、彼は自分の息子を一般的な貴族の子女のように育てたのだ。

 

果たしてその考えの背後にあったのは何なのか、単純にそれが適正な育児だと思ったのか、あるいはアフリカヌスの長男という微妙な立場の彼が、皇帝に競争相手と思われることを避けるためあえて実力をつける機会を除いたのか、どちらにせよ、彼は皇位継承者の一人でありながら、なんの能力も持たない。庇護者であるアフリカヌスが死んだのだ、彼は今後苦労することだろう。

 

「コルシュ上等兵、お前もここで待ちカリグラ様のお相手をしろ」

 

「はい、分かりましたハヤシ中佐」

 

 コルシュは敬礼を返す。カリグラは一瞬だけコルシュに目をやり、疑わしそうな表情を浮かべた。

 

 遺体安置所の扉が重々しい響きと共に閉ざされる。密閉された空間に防腐香油の甘ったるい匂いが満ちた。

 

 中央の石台に横たわったアフリカヌスの服が脱がされる、筋肉が浮かび上がる褐色に焼けた逞しい肉体、既に生気は失われているが、かつての威容がありありと想起された。

 

「それでは属州医官総監殿、検死をお願いする」

 

 彼は頷き、腰の革袋からメスを取り出した。その手は微かに震えていたが、一つ深呼吸すると震えは収まった。職業的馴致というものだな……、俺は心中で呟く。

 

 彼は遺体に一礼すると体にメスを入れた、その向かい側から俺が本土から連れてきた医官が何か不審な動きはないか鋭い目つきで見守っている。時折、銀盆とメスが触れ合う硬質な響きが聞こえるだけの静寂が部屋を領した。

 

 居並ぶ者たちは黙ってその光景を見守っていた。ドルッシラも同様だ。彼女の顔色は蒼白で今にも倒れそうだが一切目をそらそうとしない。流石は英雄の妻と言ったところか。

 

 ジャオジュンとアプレイウスも平生とした表情をしている、人らしい感情を覗かせないジャオジュンの態度は置くとして、警察局の大尉であるアプレイウスの冷静さには少し感心した、この任務に選抜されるだけはあるという事か。

 

 俺は検死の様子を監視しつつ、これからどのような立ち振る舞いをするかについて考えていた。検死の結果によって俺の取るべき行動は大きく変わってくる。参謀総長との会話が脳裏によみがえってきた。

 

 

 

五日前、俺は第12軍団キュレナイカが在中するガリア地方から帝国首都ルームに戻っていた。定期的な現状報告のためというのが名目だが、実際はアルビウスの動向を参謀総長に告げるためだ。

 

俺は庁舎の五階の最重要区画に通されたが参謀層著の執務室に向かう廊下で幾人もの急ぎ足の将校とすれ違った。たまに廊下に面した扉が開き室内の喧騒が聞こえてくると、いかにも忙しそうで、怒鳴り合うような勢いで会話を交わしている。

 

「第八軍団の動静はまだ伝わらんのか?」

 

「現在、確認中です。それよりもブリタニア方面の国境警備隊が……」

 

 重々しい防音扉が閉まると、元の静寂が戻ってくる。

 

 執務室に入るとクラウディウス参謀総長とファビウス少将が待ち構えていた。

 

 俺はアルビウスについて報告を行う。

 

 俺が第12軍団の参謀中佐として赴任して一年経ったが、彼女に目立った動きはない。皇帝に忠実な帝国大将として、ガリア地方の総督と協力して当地を治めていた。もっとも俺とて彼女を四六時中見張っていられるわけではない、実際、俺を交えず付き合いの長い将校たちとなんらかの会合を開いているのは確認していた。だが、それが彼女の疑惑を深めるものではない。赴任して間もない俺と長年の部下とでは付き合い方が変わって当然だ。無論、その場で反皇帝の話がもたれている恐れはなくはないが、彼女はあの軍議の夜に帝国を救った英雄の一人なのだ、彼女が高位貴族出身者であることを合わせて考えると、疑惑を表に出しおおっぴらに監視するわけにもいかぬ、帝国に無用な混乱を招きかねない。

 

 俺の報告を聞き終えると、ファビウス少将は頷いた。

 

「今のところは目立った動きはないということか、結構なことだ。これからもその調子で監視を続けてくれたまえ」

 

 ファビウスは鷹揚に笑顔を浮かべる。

 

 実際のところ、彼らが俺の報告にどの程度重きを置いているのかは不明だ。ときたま不安に思うのだが、彼らは俺の報告自体には何の期待も抱かず、俺がアルビウスの陣で不審死を遂げないかだけに注視しているのではないか、そんな考えが頭に浮かぶ。俺がエンヴィルのように定かならぬ死を迎えれば、それをもってアルビウスを黒と断定し、本格的な調査を始める……そんな筋書きがとすれば、俺は生餌だ。食いつかれて初めて意味が生じる。生還など最初から望まれていない。

 

「は、は、話は変わるが中佐。も、も、問題が起こった」

 

今まで瞑目して報告を聞いていたクラウディウスが背もたれに体重を預けたまま、こちらに鋭い目つきを向ける。

 

「あふ、あふ、アフリカヌス様が亡くなられた。い、い、今や彼は総督府の寝台で永遠の眠りにつかれている」

 

 一瞬何を言われたか分からなかった。だが、常に冷静であらねばならない参謀将校として、俺は深呼吸して、その言葉を受け入れた。

 

 なるほど、どうやら、アフリカヌスが死んだらしい……いや、本当なのか、それは?

 

「そ、その情報は」俺は意識して平静を保とうとした、それでも舌がもつれた「未確認情報ではなく、すでに確定した事実なのですか」

 

確かだと証明されたことのみを真実としろ、情実によって判断を誤ること勿れ、参謀将校の戒を胸中でつぶやく。クラウディウスが重々しく頷くのを確認して俺は生唾を飲み込んだ

 

「……大変なことになりましたね」

 

 なるほど、参謀本部が忙しいわけだ。アフリカヌスという大人物の死の情報が、どの程度帝国に広がっているか、またそれを受けて敵味方各員がどう動くか、早急に正確な情報を収集しなければならない。

 

 特に、アフリカヌス派、と参謀本部で目されている将校たちの動静が問題だ。自分たちが奉じる皇位継承者がなくなり軽挙妄動を起こさぬか、おそらくその点に参謀本部の注意は集中している。

 

「まったく惜しい方を失った、帝国の損失だよ、これは」ファビウスは大げさに肩を落とした「それでなんだがね、中佐」顔を近づけてくる「この件について、君をアフリカに派遣したいと思っている」

 

 喉が干上がる思いがした。だが、そうだろうな、と自分の冷静な部分が囁く。そうでなければ俺にアフリカヌスの死を伝える理由がない。

 

「それは……アフリカヌス様の死因について調査をしろ、ということでしょうか」

 

「うん、もちろんそういうことだ。すでに参謀本部と警察局から人員を選抜しておいた、調査についても全権を与える。アフリカ属州に赴き、アフリカヌス様の死因を確定してほしい」

 

「なぜ小官なのかきいてもよろしいでしょうか」

 

 また、面倒なことになってきた、俺は内心の陰鬱な気分を隠して聞いた。

 

「ほ、ほ、本件は皇帝陛下も注視しておる」クラウディウスは有無を言わせぬ口調で語り始めた。「へ、へ、陛下は正確な報告を求めておる。そ、そ、そのために調査に関しては信用できる人材を派遣したいと考えた。わ、わ、私がハヤシ中佐の派遣をご提案すると陛下はそれはいいと快諾なさった。よ、よ、喜べ中佐。あ、あ、あの軍議の夜以来貴様は陛下の信頼を勝ち得ている」

 

「それは恐懼の至りであります」

 

 頭を下げて、瞼が敬礼しているを隠した。

 

 確かにアフリカヌスの死の調査について、信用できる人材を派遣したいというネロの考えは理解できる、誰かの、つまり皇帝派あるいはアフリカヌス派の実力者の希望に沿ってアフリカヌスの死因が歪められたくはあるまい。だが、俺の派遣は皇帝だけでなく参謀本部の意向も反映しているはずだ。

 

「一つ伺いますが、参謀本部はアフリカヌス様の死因についてなにか希望があるのでしょうか?」

 

 俺が当然の問いを発すると、ファビウスは意外にも首を振った。

 

「いや本件に関しては参謀本部としてはありのままを受け入れるつもりだ。君は正確なところを調査してこい」

 

「……そうですか」

 

 正直なところ、参謀本部の意向に沿った鑑定結果を創作せよ、という指令の方がよほど分かりやすく、心安く承諾できた。その場合、参謀本部が後ろ盾になってくれるということでもあるのだから。しかし、ただ実際のところを調査してこいというのであれば、全ての責任は俺が負うことになる。参謀本部の求めるところが分からず、落ち着かない。

 

「死因が確定したら、早急に本土に戻り私か参謀総長に直接報告してくれたまえ。アフリカ属州の面々にアフリカヌス様の死因を隠すわけにはいかないだろうが、他の者には決して情報を漏らさないように頼む」

 

 俺は頷いて答える。

 

「選抜された調査員について聞いておきたいですね」

 

 ファビウスはこちらに二枚の紙を差し出す。俺はそれを受け取って内容を確かめた。右上の枠に似顔絵が書かれた簡単な経歴書だ。

 

「警察局からはアプレイウスという大尉を呼んだ。選抜基準は、有能で、かつ君より階級の低い者。そうなると彼ぐらいしか適当な者がいなくてね。一般的な調査に関しては彼と彼の部下に任せてよい、一応警察局の人間だからそれなりに丁寧に扱ってもらいたい。参謀本部からは資料管理課から中尉を派遣する。ジャオジュンというハン属州出身の女だ。これは君の護衛を担当する、その他、工作員としての技能を有するから好きに使い潰せ。この者については生還を期待していない」ファビウスは朗らかに笑った「まあ、特に何もなければ人死にが出るような任務ではないがね」

 

 生還を期待していない……そんな言葉を向けられるジャオジュンにかすかな共感を覚えた。

 

 二人の経歴を確かめる。

 

アプレイウスはルームの一般市民の出身だった、29歳で大尉というのは、貴族ならその能力を疑われるが、平民出なら十分優秀と言えた。

 

二枚目のジャオジュンの経歴を確かめて俺は息をのんだ。

 

「ジャオジュン中尉はハンの王族の血縁者なのですか?」

 

 ファビウスは笑い声をあげた。

 

「何を言っているのかね、彼女は王族の血縁者ではなくルーム帝国の下級貴族だよ。経歴書をもう一度よく確かめてみたまえ」

 

「……失礼いたしました。私の勘違いです」

 

 かつてハンを治めていた王族はルームに征服された後、下級貴族に叙された。他の属州、例えばヤマトなどの王族が高位貴族に属することを許されたことを考えれば、これは苛烈な処置だ。だがそれは、彼らは帝国にとって難敵だったということも同時に表している。

 

 果たしてジャオジュンは今の境遇に名誉を感じるのか、屈辱を感じるのか。

 

 俺個人としては、ハンの王族に血を連ねる彼女に複雑な感情を抱かざるを得なかった。かつてヤマトはハンを文明の手本と仰ぎその足元にひれ伏していたのだ。

 

 その王族を部下として扱う。この世界の残酷さを思わずにはいられなかった。

 

 

 

 俺は検死の様子を見守るジャオジュンの様子を伺った。

 

 寝台に横たわるアフリカヌスは帝国有数の権威者だが、ジャオジュンとてハンが存続していたならば、同じような扱いを受けていておかしくなかったのだ。

 

 それがいまや異国人に、死んでもいい人材として扱われている。

 

 そして、何より醜悪なのは、彼女もその扱いを受け入れているように見えることだ。

 

 ……胸が悪い、検死の最中でなければ、床に唾を吐き捨てたいところだ。

 

 

 

「検死が完了しました」

 

 属州医官総監が厳かに宣言し、額に浮かんだ汗を拭いた。

 

 俺は取り留めのない考えを脳内から締め出した。

 

 さあ、最悪の場合、帝国を割りかねない検死結果を聞こうではないか。

 

 

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