【ルーム帝国もの、第二部】先日病死された高貴なお方の死因が実は毒殺であるという不敬な噂に関する調査報告   作:お話を聞かせて

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率直なところを聞かせてほしい


第6話

贖罪として、彼は神々の命に服し、

四頭の牡牛を犠牲として捧げる。

死した身体から、やがて新たな命が生まれ、

腐朽した肉の中より、再び無数の蜂が立ち上る。

秩序は回復され、労働は再開される。

 

私はこれらを歌っていた――

野の耕作と家畜と木々について。

その間、偉大なるカエサルは、

ユーフラテスの彼方で戦いに勝利し、

従う民に法を与え、

天上への道を切り拓いていた。

 

 ネロの夢見るような情感豊かの朗読はそうして終わった。

 

 衆賓は声もなく静まり返り、周りの人間のかすかな息遣いと、どこか別世界から届くかのような首都ルームの喧騒の残響だけが聞こえてきた。いや、それに加えて早鐘を打つ自分の心臓の音が耳底を打つ。

 

 ふと、太陽が眩しいなと思った。真夏の日差しが庭園に降り注いでいる。白い日光を浴びて円台に長い影を落とすネロの姿に、不覚ながら神々しいものを感じる。

 

 彼は周囲を見渡した、薄く笑う。

 

「農耕詩と名付けた。どうだったかな、諸君ら手厳しい芸術鑑賞家の率直な感想を聞きたいのだが」

 

 ネロの言葉に前列に座っていた細身の壮年の男が勢いよく立ち上がる。

 

「素晴らしい……その一言です陛下、阿諛や追従ではありません」男は感動に打ち震えた体で続ける、演技とは思われなかった、俺だって似たような心持だったのだから。「神秘的な晦渋に偏せず、情緒的な滲泄に堕ちず、ルーム人の農耕の歴史を荘厳に歌い上げた。この作品は詩史に輝く文字で刻まれるでしょう」

 

 ネロは優しく微笑む。

 

「ペトロニウス、典雅の審判者よ。お前からそのような評価を得られたのは嬉しい。資料集めでは色々世話になった、この作品を世に出せたのはお前のおかげだ」

 

 ペトロニウスと呼ばれた男は深く頭を下げた。

 

「恐れ多いお言葉です、ネロ陛下」

 

 それを合図に他の面々も立ち上がり、賛辞の言葉を惜しげもなくネロに投げかける。それを佞臣のおべっかではなく本心からのものなのだろう。

 

「陛下の詩才は本物ですな」

 

 ポンペイウスは彼らしくない神妙な表情を浮かべている。

 

「出版の折には私にお声かけ下されば、万事良きように取り計らいます」

 

 クラッススが丁重に頭を下げる。

 

 彼らの様子を脇目に大きく息を吐いて不規則になっていた呼吸を整える。俺は自分を芸術を解する感性を持たぬ人間だと認識していた。事実、ルームに着いて直ぐに見物に行った万神殿の彫像も、付き合いで出席した詩の朗読会も、そこここの劇場で開かれる演劇も俺に特別な感慨を残してはいない。感性だけの問題ではなく芸術を楽しむような余裕が俺にはないというのもその理由の一つなのだろうが。

 

 しかし、ネロの詩歌は、それを朗読する彼の声は、俺のような荒い現実の側面に生きるしかなかった人間にも深い感動を呼び起こしていた。彼の詩は貴人の趣味などと言う範疇にない、歴史に名を遺すような優れた芸術家としての面をネロは確かに兼ね備えている。皇帝だからといって無条件な敬意を覚えたりはしないが、彼は確かに傑物なのかもしれない、少なくとも詩人としては。

 

 ふと俺の頭に一つの考えが浮かぶ。

 

 

 

 この青年は皇帝なんて代役がいる役職よりも、詩を作らせていたほうがルームのためなのではないか。

 

 

 

 俺は苦笑いを浮かべて頭を振った、流石に不敬すぎるか? だが俺の内心など誰も分からない。まあ良しとしておこう。

苦笑いを消して円台に目を向けた瞬間、俺は心臓を掴まれた気になり巡る血が冷たくなった。

 

 黒い薄絹の奥からアグリッピナの大きな目が俺をじっと見つめていた。その瞳に敵意はなかったが、善意や愛情に類するものもなかった。驚くほど透明な視線が俺に注がれている。 

 

 その透明さが俺には恐ろしく、真夏の日光と暑気の中にあって、額と背中に冷たい汗がとめどなく流れる。

 

 そんな俺の狼狽を見て、アグリッピナは微笑む。その笑みは鳥肌が立つほど美しくかつ恐ろしかった。この笑みは、かつてどこかで見たことがある、どこだっただろう……。

 

 俺はすぐに思い出す。

 

 ああ、あの軍議の夜、この笑みを浮かべた人も恐ろしい女だった。

 

 アグリッピナは俺から視線を逸らすと、一歩前に出てネロの脇に立った。俺は安堵を覚えながらその所作を見守る。

 

「ペトロニウスの言う通り素晴らしい作品でしたよ、ネロ」アグリッピナの言葉にネロは一瞬微笑みを浮かべかけたが、次の彼女の言葉で顔を強張らせた。「しかし、ルームの皇帝には相応しくない」

 

 蝟集した人々は黙り込んでアグリッピナを見つめた。

 

「ルーム人の歴史は確かに農耕から始まりました、ですからそれを高らかに歌い上げるとのは理解できます。しかし、現状はどうでしょう、日々土を耕しているルーム人など少数では? 我々は農業の労苦を大規模農園で働く奴隷たちに背負わせたではないですか。貴方が朗読した詩はこの現実を告発しているにも聞こえる。大規模農園を操業している大地主たちやその制度を支持している市民に反感の情を呼び起こさないとも限らない」アグリッピナはあくまで優しく語る、だがその口調に他人に有無を言わせない不思議な説得力が備わっていた。「この詩は世間には発表しないほうがいいでしょうね。この場に集まってくださった人たちを楽しませることができた、それで満足すべきです」

 

 人々は目線を伏せ沈黙した、ポンペイウスですら腕を組んで明後日の方を向いている。それはそうだろう、誰だってネロとアグリッピナの間に挟まりなくない。

 

 しかし、一人の男が突然、口を開いた。

 

「失礼ながら、アグリッピナ様。この作品を世間に発表しないなど、ルームの文化にとって大きな損失です」ペトロニウス何某が黒衣の女傑に立ち向かう、その勇気に俺は感心を覚えた「確かにおっしゃることには一理あるかと思います、しかしつまらなぬ反感など無視すればいいのです。この作品にはそれだけの価値がある」

 

 アグリッピナは笑みを絶やさず、ペトロニウスに視線を向ける。

 

「貴方には意見があるようですね、なるほど貴方ほどの人物なら意見があるのは当然です。でも忘れないでほしいのですが、貴方は一介のルーム貴族、そんな貴方が私に反論するのですか? この私に?」

 

 ペトロニウスは一瞬黙り込んだ、そして片膝を地面につき頭を下げた。

 

「臣は皇太后陛下のご威光に逆らう気はありません、アグリッピナ様が世界で二番目の権威であることは重々承知しております。ご不興を買ったのなら伏してお詫び申し上げる所存」だが、その言葉とは裏腹にゆっくりと頭を上げた彼の態度に、アグリッピナにひるんだ気配は見られない。「しかし、この世界第一の権威者はネロ皇帝陛下です。アグリッピナ様はそのお方に意見された。身の程を弁えていないのは、臣か、それとも……」

 

 アグリッピナはペトロニウスの視線を真っ向から見つめている。笑みは陰らない。

 

 俺はペトロニウスの胆力、あるいは蛮勇に息が詰まる思いだった。アグリッピナにこんな口を利くなんて俺には無理だ、俺は彼女の権威ではなく、権力が恐ろしい。 

ペトロニウスの後頭部に視線を注ぎながら、こいつも芸術家だな、と感心とも呆れとも判別のできない感情を抱く。自己を恃み、芸術を至上と信じている。

 

 我々はこの二人には介入できない、いずれ来る破局を待ち受けるしかない。誰もがそんな気持ちだったに違いない、だが緊張は優しい笑い声で破られた。

 

「母上、それでペトロニウスも。たかが詩のことでそう対立しなくてもよいではないのではないですか」

 

 ネロが一歩踏み出して、跪くペトロニウスの肩に手を置いた。

 

「ペトロニウスよ、実は母上の懸念と同じものを私は抱いていたんだ。確かにこの詩を私の名で発表するのはまずいかもしれない。私としてもこの場にいる皆に喜んでもらえたなら、それ以上望まないよ。この詩は我々だけの秘密としようではないか」それからネロは少し咎めるような口調になった「それに母上、いや皇太后の言うとおりだ。ペトロニウス、お前にはもう少し立場を弁えてもらいたい」

 

 次にアグリッピナに向き直る。

 

「母上、少々御不快であったかもしれませんが、ここは私に免じてペトロニウスを許してあげてください。彼はあくまで私のためを思って発言したのであって、母上の威厳に傷をつけるつもりなどなかったのですから」

 

 そしてネロは周囲を見渡して笑いかけた。

 

「さあ、この場限りのこととして今の詩を存分に批評してほしい。ルームの彼方此方から取り寄せた珍羞を片手に」

 

 ネロの言葉にようやく場の空気が弛緩した。ペトロニウスはネロとアグリッピナに一礼すると後ずさる。ネロは朗らかに片手をあげ、アグリッピナはその仕草を黙殺した。

 

 ネロの仲裁によってこの場は一応の平穏を見た。しかし、それはネロが我が意を通したという意味ではない。

 

 俺は彼らのやり取りを見ながら心中に一つの結論を見る。このネロと言う青年は絶対者ではない、調停者だ。

 

 ネロは周りの者と歓談していたが、クラウディウスに目を向けるとふと思いついたかのように彼の名を呼んだ。

 

「そうだ、クラウディウス。お前にはマガダ国との戦線について聞きたいことがあったのだ。ついてきてくれ、私の執務室で話そう」

 

「はっ、しょ、しょ、承知しました」

 

 クラウディウスはファビウスそして私に目を向けた。着いてこいと言うのだろう。衆賓の視線を背中にこの場から去る。

 

 我々はひっそりと静まり返った宮殿の廊下を進んだ、一定間隔ごとに禁軍兵士が控えているが彼らは彫像のように微動だにしない。建物の天井の高さが俺に眩暈を起こさせる。

 

 ネロの執務室に招き入れられ机の前の椅子を勧められた。断って直立するのが礼儀かとも思ったが、クラウディウスもファビウスも腰を掛けたので恐る恐る尻を下ろす。ネロの背後に控えた二人の護衛が我々に鋭い視線を送っている。

 

 クラウディウスが大きく息を吐いてからしゃべり始める。

 

「し、し、詩の朗読会という清興であのような論争が起きるとは……へ、へ陛下のご心労は察するに余りあります。し、し、しかし見事な御采配でした」

 

 ネロはクラウディウスの言葉に苦笑いで応じた。それから若干身を乗り出す。

 

「元帥や少将、それに中佐を詩を朗読会にかこつけ呼んだのは、私から頼みたいことがあったからだ」

 

「は、は、拝聴いたします」

 

「まず初めに言っておこう、中佐、義兄アフリカヌスに関する調査はご苦労だった、お前の報告に不満があるわけではない。ただ……」

 

 俺は心中に諦念を抱く。やはり一介の中佐に過ぎない俺がわざわざ呼び出されたのはそれか。はっきり言って帝国上層部のもめ事に付き合うのはうんざりなのだが。

 

「市中ではアフリカヌスは毒殺されたという噂が流れている。それに元老院や軍部でもその疑いを持つものはいるようだ」ネロはこつこつと机を叩いた「実は、私もその一人なのだ」

 

 俺は何も言わない。アフリカヌス殺しの最も有力な容疑者が何を考えているか分からなかった。

 

 ネロは俺から目線を逸らして手元を見る。細い指を色が白くなるまで組み固めている。

 

「もう一度、アフリカヌスの死について調査を命じる。また、前提として今回の件は病死ではなく殺人だと見做してほしい。無論、その結果、病死であることが確定されるなら、それはそれで良い」

 

 俺たちは黙り込んだ。

 

 ネロは自分がアフリカヌスを殺したと疑われている現状を嫌がり、仮の犯人を準備し、それを参謀本部に捕まえさせようとしているのだろうか。だが、そのような行為は、俺が今までこの青年に抱いてきた印象に反するものだ、容易には頷けない。

 

 たっぷりと沈黙を味わった後、ファビウスが口を開く。

 

「調査の担当者にはハヤシ中佐をご指名ですか、陛下」

 

「ああ、私はハヤシ中佐は信頼できると思っている。引き続き彼に調査を担当してもらいたい」

 

 ファビウスは大げさに頷いた。

 

「陛下のご人選は正しいかと。ハヤシ中佐は陛下と帝国に忠誠を捧げております。一年前にそれを身を張って証明した。今回も陛下の意に沿う結果を持ち帰るでしょう」横目で俺を見る「調査の途中で有力者からなんらかの妨害にあっても、彼は決して引きません。帝国のために彼は自分の死すら覚悟している」

 

 ファビウスの言葉に最敬礼で答える。同時に彼に感じていたはずの好感情は一切霧散していた。

 

 ネロは縋るように俺を見た、威のある皇帝の視線とはとても言えない。

 

「ハヤシ中佐。よろしく頼む」

 

「了解しました陛下。ご期待に沿えるよう全力を尽くします」

 

 俺ははじかれたように立ち上がり、最敬礼を取る……どうせこんなことになると思っていたのだ!

 

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