【ルーム帝国もの、第二部】先日病死された高貴なお方の死因が実は毒殺であるという不敬な噂に関する調査報告 作:お話を聞かせて
深更、灯にけむる油の匂いを嗅ぎながら、アプレイウスがよこした属員の報告を受ける。
「一通りの調査は終了しました。現在、調査結果をまとめているところです。三十分後、アプレイウス大尉が報告にあがります」
今日一日、アプレイウスからの連絡を担当していた警察局の下士官は二十歳になるかならないかといった年齢の線の細い女だった。俺は鷹揚に頷く。
「了解した。よろしく頼む」
彼女は敬礼すると去って行った。
警察局、帝国軍本体、あるいは官僚組織、その他ルーム帝国の至る所で男とほぼ同数の女が働いている。彼女らはシルフィウムというギリシア原産の植物から精製された薬物と実用性のみを追求する帝国技術局が開発した生理操作魔術によって月経を停止させ、男たちと何ら変わることなく仕事に従事していた。
俺は懐から懐中時計を取り出す。時刻は二十三時を少し過ぎたところだった。コルシュは戻っていない、今夜はドルッシラたちの屋敷で過ごすと連絡があった。傍らにコルシュがいないと何か落ち着かない。彼が俺のシルフィウムだった。
「中尉」俺は振り返らず背後のジャオジュンに声をかけた「君も座ったらどうだ。襲撃の危険性は恐らくない」
「お気遣いいただきありがとうございます。しかし、立っていた方があらゆる事態に即応可能です、このままの姿勢で待機いたします」
「実のところ、貴官に気を使ったわけではない」俺は机をこつこつと叩きながら言う「大した面識もない特殊工作員にずっと背後に立たれるのは気が張って仕方がない。中央の長椅子に腰を掛け給え。命令だ」
「はっ」
ジャオジュンは部屋を回り込んで中央の長椅子まで寄ると、座面に尻を半分だけ降ろして座った、背もたれに体重を預けることはない。不測の事態にいつでも対応できるようにというわけだ。
「ある高位の将軍が言っていたのだが」俺は世間話の口調で語りかけた「我が帝国の国力の源は能力主義とそれに伴う人材の流動性なのだそうだ、いま来た女性警官もアプレイウスが選抜した人材、優秀なのだろう。いずれは尉官、更なる有能さを発揮できればあるいは佐官になれる。まあ中途で警察局を辞めて家庭的な幸せを求めるかもしれんが」
ジャオジュンは何も言わない。
「貴官が一分の隙も無く軍人たらんとするのは、能力を示して出世するためか? しかしその調子では休まるときがなかろうよ」
「いえ、違います中佐」ジャオジュンの声はいつもより硬かった「小官の忠誠は純目的です。偉大な帝国に己の全てを捧げることこそ小官の望み。いかなる返報も望みません」
「ふん、付き合いの浅い俺に本音を明らかにしろ、とは言わんがな。しかし帝国本流から疎外されている属州人同士、もう少し気を許してほしいものだ」
俺はルーム帝国内におけるヤマトとハンの扱いの差を知りながら、あえてジャオジュンの気に障るような言動を取った。だが当然のように彼女は何も言わない。こちらとしても彼女が反応を示すことは期待してはいなかった。
俺が何気なく手元の視線を下ろした瞬間、静かな声が俺の耳底に響いた。
「中佐は参謀総長をはじめ皇帝陛下にも認められていらっしゃいます」ジャオジュンがこちらをじっと見つめていた。語調に何かを期待しているかのような色がある「これからも栄達の道を邁進なさるのは疑いようもありません」
「それはどうかな」俺は彼女の真意を測り損ねながら答える「ヤマト属州の骨折りと数多の運に恵まれ30歳を前に中佐になったが、この先の昇進は容易ではなかろうよ」
「特に中佐には、小官の能力を知ってもらいたい。そう考えております」
ジャオジュンの声には不思議な熱心さがあった。
「どうしてだ?」
「中佐は極東属州出身者の希望の星であります」
彼女は答えになっているか微妙な返答をする。
「それはある意味で正しく、ある意味で否定できる。……意味は分かるな?」
ジャオジュンは何も言わず頷いた。
俺の立身出世は確かにヤマトのみならず極東の地位向上につながるだろう。だがそれは必ずしも極東出身者の道を広げることにはならない。帝国上層部は属州出身の有力者の数を強力に統制している。俺が望外の昇進を遂げるなら、その分、ヤマトやハンの人材は道を閉ざされるだろう。面白いことに、そうなった場合、彼らの恨みはルーム上層部では俺に向くのだ。ルームの統治機構はよくできている。
ジャオジュンはそういった未来を見越して、自身の出世ではなく、俺に媚を売っておぼれにあずかる方向に舵を切ったのだろうか。
俺は改めてジャオジュンを見た。繊細なたおやかな美しいかんばせ、ハンの皇族のきらびやかな伝統衣装でも着ていればさぞ様になっただろう。しかし、いま彼女はルームの軍服を着て特殊工作員として任務に従事している。残酷な物言いかもしれないが、これはこれでグロテスクな美が宿っている。
軽く頭を振る。自分がジャオジュンを持て余しているのを自覚された。ただの一部下として扱うにはヤマトとハンの歴史的関係がどうしても邪魔をする。
まったく、部下に飲まれてどうするのだ、馬鹿め。
俺は自分を叱り、益もない会話を打ち切った。俺が黙るとジャオジュンも元の寡黙な工作員に戻った。……戻ったように見えた。
「結論から申し上げます。調査の結果、容疑者とまでも言えないまでも重傷参考人として三名の人物を特定しました。ヒスパニア総督タルクィニウス・ポンペイウス・マグヌス、クラッスス閥の商人カエキリウス・メテッルス・プルケル、そして皇后アグリッピナ・カエサルです」
アプレイウスの報告は俺に特別な感慨を齎さなかった。著しく現実味を欠いていたためだ。
大物、これ以上ないほどの大物の名前が出てきたではないか、と他人事のように考える。
俺は傍らに立つジャオジュンに目をやる。
「中尉、念のため聞くがこの部屋の防音は完璧だろうな?」
「はい、中佐。この部屋での会話が外部に漏れることはありません」
「よろしい。大尉、続けろ」
アプレイウスは流石に真剣な面持ちをしていた。若干、顔色が悪い。それは彼が現実を受け止めていることを意味する。
「我々はまず動機を所有する者について調査しましたが、現況で差し迫ってアフリカヌス様を亡き者にしなければならない事情を持つ者は見つかりませんでした。不敬な物言いになりますが、皇帝派にしてもアフリカヌス様にあえて今死んでもらう動機はありません。無論、それを迷彩にし将来の禍根を絶ったという可能性はありますが、どのみち同機の有無から犯人に至ることは難しいと判断しました」アプレイウスは喉を軽くさすって続けた「我々が次に着目したのは機会です。アフリカヌス様に毒物や魔術を仕掛ける機会があった者、その方向から調査を始めました。アフリカヌス様は基本的に誰かと面会する際には、軍団副団長と従卒を伴っていたようです。この際注目するべきは副軍団長ではなく従卒です、彼は皇族の傍に置かれていることからも分かるように特別な護衛の技能を有する熟練兵でした。彼の目を盗んでアフリカヌス様に危害を加えるのは不可能に近い、し、しかし、……し、失礼します」
アプレイウスはこちらに一礼すると金属水筒を取り出し、喉を鳴らしながら中に含まれていた飲み物を飲み干す。緊張は喉を干上がらせる。俺は彼を咎めなかった。
「失礼しました、アフリカヌス様が亡くなられる直近2カ月で、あえて副団長も従卒も交えず、アフリカヌス様が一対一で対応した人物が三人いました、それが先に挙げた人物たちです。アフリカヌス様に何かを仕掛ける機会があった者たちとも換言できます。また、彼らがどのような目的でアフリカヌス様に面会をしたのか、アフリカヌス様は周囲の人間に漏らしていません。場合によっては、アフリカヌス様殺害に動機を持つ者はいないという前提も覆るでしょう」
そこでアプレイウスは言葉を区切った。
「ふむ」
俺は顎に手を当て考える、さて、まずは何を聞くべきか。そう頭をひねらずとも最初に聞かなければならないことがすぐに思い当たる。
「その調査は難航したか、難易度の高い調査か?」
「それなりに。しかし標準的な能力を有する属州警察であれば、十分把握できる範疇です」アプレイウスの顔に彼らしい不敵な笑みが復活する「中佐の質問の意図は理解できます。先のアフリカ訪問の際に、属州警察がこの事実をこちらに話さなかったのは、単純にこの事実を突き止められていなかったためだろうか、ということですね? いいえ、中佐。おそらく彼らは故意にこのことを離さなかったのです。理由は」
「待て」
俺はアプレイウスに掌を突き付けた。
「そこから先を考えるのは私の仕事だ。職域を弁えてもらおう」
「失礼しました」
深々と頭を下げるアプレイウスを横目にしながら考える。
彼らが故意にこの事実を告げなかったとしたら、その理由はいくつか考えられる。例えば容疑者あるいは重要参考人があまりにも大物のためこれを明らかにするのは帝国に大きな混乱を招きかねないと考え、帝国秩序を優先し主人の死の真相追及を諦めた。
彼らがこんな殊勝な考え方をしたのであればこれに越したことはない。だが、アフリカ属州上層部、つまりアフリカヌス派の紐帯は固い。帝国秩序よりアフリカヌスへの忠誠を優先するのではないかと思えた。
他に考えられる理由としては、そうではないと望むが、彼らが独自に復讐を試みているためにこちらに情報を流さなかった、というものだ。そうなれば面倒臭いことになる、アフリカヌス派対ヒスパニア及びルーム海軍、あるいはルーム財政界、あるいは皇室、どの組み合わせでも帝国は大打撃を受けるだろう。
最後に考えられるのは、アフリカ属州上層部と容疑者たちが手を組んでアフリカヌスを殺害したという例だ。寡婦や遺児達にとっては最悪の真相だろうが、俺個人としては歓迎する真相だ。それならば隠蔽に協力してやってもいい。
そこまで考えて、俺はアプレイウスにもう一つ調査を依頼していたことを思い出す。
「大尉、エンヴィル中佐の件についてはどうか」
「はい、中佐。調査の難易度を言うのならこちらの方がよほど手ごわかったです。アフリカ属州の面々は、エンヴィル中佐のことになると口を固くしました」
アプレイウスは懐から手帳を取り出す。
「ナジェ・エンヴィル中佐、アフリカにいたときは少佐ですが、相当有能だったらしく配属してしばらくするとアフリカヌス様の側近の一人になっています。言うなれば副軍団長と従卒の間に位置する存在と彼女は目されていたようです。アフリカ経営でも彼女の進言が度々取り入れられています。正直、驚きました。一介の少佐としては過分な待遇です」
「彼女の優秀さは私も知っている、そういうこともあるだろうさ。続けろ」
アプレイウスは姿勢を正した。
「申し訳ありませんが、一日の調査では大したことは掴めませんでした。アフリカヌス様の資質に度々招かれていたことから彼女が愛人であったことを疑う証言もありましたが真偽は定かではありません。他に加えるべき事項としては、中佐はアフリカ勤務中に腹心の従卒を伝染病で亡くしております。これを期に実務能力が少し落ちたという証言マあります」
「貴官の印象でいい。アフリカヌスの愛人説はどれくらい信憑性がある」
「そうですね、相当信頼されていたことは事実です。しかし愛人であったかは分かりません。彼らがただの上司と部下の関係に過ぎなかったという証言も多い。もっとも有能な彼らであれば関係を隠すことは容易でしたでしょうね」
「エンヴィルがアフリカヌスの死に関与している可能性は?」
「それは全く発見されませんでした。しかし、アフリカ上層部の口の堅さは気になります」
「分かった。御苦労。下がっていい」ジャオジュンを見る「貴官も少し席を外してくれ、少し一人で考える」
俺は一人になった執務室で、しばらくじっとしていた。だが、勢いよく立ち上がり、部屋の中央に向かうと長椅子に体を投げ出す。それから胸元を大きく開ける。アプレイウスの会話の途中から息苦しくてたまらなかった。現実が追い付いてきたのだ。
「ポンペイウス、クラッスス閥、アグリッピナ、か」
まずは皇帝に連絡を取らなければ。それで、捜査の打ち切りが指示されたのならそれでいい。しかし皇帝はきっと……。
「おかしいな、小人輩の俺がなぜこんなことに関わっている? いや、いざとなったら首を切りやすいからか……笑えるな」
俺は扉を見る。その扉が開いて、アフリカヌス様を殺したのは私です、すべて白状します、と一兵士が姿を現してくれないか。そんなつまらないことを思っていた。
感想くれ、くれったらくれ