私が明確に"プロ"を目指すようになったのは、お兄ちゃんの影響が大きい。
とある出来事があってから音楽…特にベースが好きだったけど、ただ上手くなりたい一心で毎日練習していた私は、ある日伝説に出会ったんだ。
「志歩。今度うちの高校で文化祭があるんだが、そこでライブをする事になったんだ。もし良かったら見に来るか?幼馴染ちゃん達の分もチケットを用意できるけど」
純粋に行ってみたいと思った。
お兄ちゃんはギター、ベース、ドラムを演奏できるけど、特にギターはアマチュアを通り越してプロレベルで上手い。
そんなお兄ちゃんがやっているバンドなら期待せずにはいられない。
でも一歌たちは…。
私たちの仲がギクシャクしてから、お兄ちゃんが度々気をかけてくれているのは伝わってた。
ただそれに応える訳にはいかない。
何故ならそれは一歌と穂波を傷つけることになる。
いや…それは言い訳だ。
私が最後に咲希のいる病院に行ったのはいつ?
病院が遠くなったから?
関係ない。一歌はずっと通っている。
お金だってお小遣いなら十分あるのに。
結局こうして逃げるための理由を探してる。
口を開こうにも発する言葉が見つからない私を見て、お兄ちゃんが優しく頭を撫でてくれた。
お兄ちゃんにこうして貰えると本当に温かくて、心が落ち着く。
「志歩。らしくないな」
「え?」
「それもここ最近の話じゃない。随分前から」
「それは…」
「無理に聞くつもりはない。いつか志歩が俺に話してもいいと思ったら話してくれればいいさ」
他の誰かにとってお兄ちゃんのこの言葉は突き放すような言い方に聞こえるのかもしれない。
でも、私にとってはこの距離感こそが心地良い。
近くで見守っていてくれるようなこの距離感が。
「とりあえず、チケットは1枚用意しとく。雫ちゃんは忙しそうだしな」
「…お兄ちゃん、ありがとう」
「おう。どういたしまして」
今日は少しだけ、いつもより素直になれた気がした。
ライブ当日、私は一人でお兄ちゃんが通う高校に来た。
高校生の中に自分のような中学生がいるのは目立つかと思ったが、進学予定の学校を見学に来る中学生も多いようで、ここに来るまで不思議そうな顔をされることもなかった。
目的はお兄ちゃんのライブだけ。
学校を回るつもりもないからすぐに体育館に向かうと、既に他のバンドがステージに立っていた。
たまにテレビで流れている昔のドラマの主題歌のカバー。
感想としては可もなく不可もなく。
その後そのバンドが数曲やってから、お兄ちゃんとハンドメンバーが舞台袖から出てきた。
「日野森く〜ん!!」
「ひのもり〜!!」
「ひびきいぃ!!かっこいいぞぉぉ!!」
「響く〜ん!がんばれ〜!」
…なんだか落ち着かない。
確かにお兄ちゃんは顔がいいけど、昔はそこまで騒がれてなかったのに。
それに性格や家でのことだって何も知らないくせに…。ダメだ。よく分からない感情が溢れてくる。
お兄ちゃんがストラップを肩にかけて、マイクを調整する。
その動作にもどこかオーラみたいなものを感じた
「こんにちは、日野森響です。今日の為に曲を書きました。これ以上言葉は必要ありません。今日ここにいる全ての人に、この音が届きますように」
お兄ちゃんが息を吸い込んだ瞬間、世界の色が変わって見えた。
3分か4分か。
鳥肌が立ちっぱなしで、気付けば涙が止まらなかった。
悔しかった事。悲しかったこと。そして、望んでいたこと。
全てが溢れ出して、今すぐにでも謝りたくて。
終わったとき。誰もが拍手を忘れるほど飲み込まれているのがわかった。
どこの誰かわからないけど、誰かの息を飲む音で皆が我に返り、拍手で空気が震えた。
そして、気付けばお兄ちゃんが横にいた。
今思えば、会場の端で泣いていたからすぐに分かったんだろう。
私をお姫様抱っこして連れ出す姿は、さながらおとぎ話のプリンセスと王子様のように見えた。
「まさかここまで泣かれるとは思ってなかったけど、ちゃんと俺のオモイが届いたみたいで嬉しいよ」
「…想い。これが、お兄ちゃんの...想いなんだね」
切ないのに、温かくて、落ち着く。
まるでお兄ちゃんみたいな曲だった。
「さて、帰ろうか。今日はメンバーが機材の片付けをやってくれるらしいし」
「…待って、お兄ちゃん。良かったら私の話を…聞いて欲しい」
「もちろん。ドンと来い、志歩」
私は吐き出すように全て話した。
学校で常に一人でいたら不気味だと陰口を言われ、それが一歌や穂波達にまでに及びそうだったからあえて2人を避けたこと。
最近は咲希のお見舞いにすら行けてないこと。
お兄ちゃんはその間、優しく抱きしめてくれた。
好きなだけ吐き出せと背中を優しくさすって。
「…怖かった。私のせいで一歌たちを傷付けるのが。一歌たちは関係ないのに」
「わかってるよ。志歩が優しいのは俺が知ってる。咲希ちゃんの事だって、自分が一歌ちゃん達を避けて関係を壊したのに会う顔がないって思ったんだろ?」
「…どんな顔で会えばいいかなんて…わかんなかった。私が悪いのに」
「そんな事、間違っても言うな。志歩は悪くない。1人が好きで、ちょっとだけ素直になれないだけのかわいい女の子だ。それの何が悪い?悪くないに決まってるだろ」
さっきよりずっと強く抱き締められてまた涙が溢れてきた。
今日だけはこのままでいさせて欲しいと、その時ばかりは神様に願った。
手を繋いでお兄ちゃんの学校から帰って、お風呂に入って晩御飯を食べ終わった後も私はお兄ちゃんから離れたくなくて、近くにいた。
お母さんやお姉ちゃんに泣いた跡を見られた時はお兄ちゃんが上手く誤魔化してくれたから良かったけど、危うくお兄ちゃんが私を泣かせた事になりそうだったのはここだけの話。
「一緒に寝るか?」
「…うん。ちゃんと抱きしめて」
「ああ。ほら、おいで」
「志歩、これからどうしたい?」
「私は…皆とまた仲良くしたい。咲希のお見舞いにも行きたい」
「そうか。志歩がそうしたいなら俺はできる限りの事をしよう」
「ありがとう。…でもまずは…、ここにいさせて」
今思うと、かなり恥ずかしいことをしていた気がするけど、あの時は誰にも素直になれなずに、気持ちが溢れて暴走してたんだと思う。
それでいて茶化したりしないで受け止めてくれるなら、誰でも甘えるでしょ。
最強のお兄ちゃんだよ。本当に。
そんなお兄ちゃんがいたからここに立つ勇気を貰えたんだ。
ステージから見える景色に、あの時と変わらないお兄ちゃんが存在した。
違うのは、あの時よりもずっと楽しくて最高だってことだ。
なぜなら一緒にステージに立っているのは、もう元には戻れないと思っていた幼馴染たちだから。
ありがとう…大好きだよ、お兄ちゃん。
つい口ずさんでしまったその言葉は、かき鳴らされたベースの音で塗りつぶされた。
「志歩、寝てるのか?差し入れのクッキー持ってきたんだが…。開けるぞ?」
いない?ああ、なるほど。"あっち"に居るのか。
「頑張れ…志歩」
テーブルにクッキーを置くと、俺は自分のスマートフォンを見つめた。
そこにはずっと変わらない「Untitled」という曲名が何かを伝えたいかのようにこちらを見ていた。
志歩ちゃんは原作より一年以上早く自分の気持ちに気付きましたが、咲希ちゃんの退院が早くなるわけでもないので、基本的に流れは原作準拠です。
バンド結成まではスムーズだったかもしれませんが、そこからの苦悩が無くなったわけでもありません。
でも咲希ちゃんの中の闇は少しだけマシになったかもしれませんね。