「うあー。頭痛いな」
朝起きた瞬間に熱があるとき特有のダルさを感じて、体温計を使ってみれば38度。
これは完全に風邪だろうな。
この間のライブハウスで拾ってきたか?
幸いにも今日は大学の講義もないし、仕事関係の外出もない。
周りの人に移さないようにじっとしておこう。
ちょうどギター以外の楽器も練習したかったんだよな。最近控えてたし。
今日という時間の使い方を悩んでいると、リズム感のしっかりとしたノックが3回。
言わずもがな我が妹である日野森志歩だ。
その繊細なタッチと確実なリズムキープから鳴らされるノック音は次に投稿する楽曲に採用したいくらいで⋯。
やっぱ人間という生物は風邪を引くとテンションがおかしくなるんだな。
「お兄ちゃん起きてる?お母さんが朝ごはん作ってくれてるよ」
しかし第一刺客は志歩か。いつもなら起きてる時間に俺がいなかったのが怪しまれたか。
ここで志歩に今の状況がバレたらライブに招待したことを後悔されるかもしれない。
それは兄として避けないとな。
今後のライブに招待して貰えなくなったら楽しみが減るし。
不本意だが、ここは性別が違う故の技を使わせていただこうか。
「悪いな志歩。今着替え中でしばらくかかりそうだから先に食べててくれ」
「ふ〜ん?」
俺の予定では聞こえるはずのなかったドアノブのガチャという音。
何かの聞き間違いかと思いドアの方を見ると、そこには廊下からの光が刺し始めていた。
「あっ、ちょ。おい!開けるなって」
呆れた顔の志歩がこちらを見て呟いた。
「全然着替えてないじゃん」
一瞬でバレました。
「それで?言い訳はある?」
「⋯ありません」
風邪っぽいことを説明してお互いにマスクを装着すると、ベッドの上に正座させられました。
多分病人に対する扱いとしては間違っていると思う。が、文句を言えば何をされるかわからない。
ここは大人しく従っておこう。
「私がその程度でお兄ちゃんを招待しなくなる訳ないでしょ。引き摺ってでもライブハウスまで連れて行くから」
「わかったわかった。その善意は喜んで受け取らせていただくとして、本当に風邪が移ったら練習や学校に影響が出ちゃうから」
そうだ。俺の風邪が映りでもしたら練習はできないだろうし、学校は休みになり、ライブハウスのバイトには行けなくなる。
それは志歩としても避けたいはず。
「もう今週の練習は私抜きでやってもらうように連絡した。学校も最悪みのりかこはねに…同じクラスの同級生にノート取ってもらえるから平気。バイトも事情を説明したら休めって。で、他になにか?」
速い!?こちらの一手…、いや二手先を行かれている。
というかあのライブハウスの店長、絶対いらない気配りしやがったな。
こうなれば、不服だが禁断の手を使わせてもらう。
「しず「お姉ちゃんは用事が終わってからお兄ちゃんの看病に来るから。それまでは私がお兄ちゃんを見てる」…はい。すいません」
「お兄ちゃん。今日は1日安静にしてること。わかった?」
「いやで「Yes or はい」イ、イエス…」
雫!俺を飢えた狼と2人きりにするつもりか!?
⋯ああ。俺の自由な1日よ、さらば。
「ほら、これ食べて」
「これは…玉子粥か。随分料理が上手くなったな、志歩」
「別に。これくらいなら料理のうちに入らないし。ほら⋯あーん」
さすがの志歩も病人を押し倒してイロイロしてくることはなかった。
いや、当たり前なんだけど前科多すぎてね。
⋯それにしてもうちの妹が可愛すぎないか?あーんで顔真っ赤ですが。
無事に玉子粥を完食し、志歩が用意してくれた薬を飲んで一息ついたところで志歩が手を握ってきた。
「お兄ちゃんは無理しすぎ。昨日も夜遅くまで作業してたでしょ」
「まぁね。やっぱり目の前にいない人でも、俺の音楽が求められてたら応えたくなるもんだし。志歩だって聞いてくれてる人には応えたくなるでしょ?」
「まぁ、ね。でも、私はそれでお兄ちゃんが無理をして倒れるくらいなら見ず知らずの誰かに応えて欲しくない。⋯ワガママだよね、ごめん」
考えれば分かることだ。
逆の立場なら俺も志歩と同じことを思う。
志歩と雫が体調を崩したり、辛い思いをするくらいならバンドもアイドルもやめさせる。
実際、雫が1回アイドルをやめたのは俺のせいだ。
でも後悔してない。家族が、特に妹たちが傷付くのを黙って見ていることはできないから。
「⋯そうだよな、ごめん。次からは気を付ける」
「そうして。ねぇ、何か欲しいものある?買ってくるけど」
欲しいもの、ねぇ。
お腹もいっぱいだし、
「志歩が欲しい。近くにいて欲しい、なんてらしくないよな」
「⋯お兄ちゃん、私はずっとそばに居る。こうやって手だって握るし、抱きしめる。人肌恋しいなら、一緒に寝ればいいから。お兄ちゃんがそうしてくれたように。だから安心してゆっくり休んで。お腹いっぱいで眠たいでしょ?このまま寝ちゃおうか。ほら⋯おやすみ、お兄ちゃん」
志歩の方に体を預けると、そのまま頭を膝の上に運ばれた。
どうしてだろう。今日はなんだが心にぽっかりと穴が空いたみたいで、凄く寂しい。
風邪のせいだろうか。
体はすごく暖かいのに。
なのにどうして、心はこんなに寒いのだろうか。
「⋯お兄ちゃん。やっぱり、無理してたんだ。こんなにすぐ寝ちゃって、無防備すぎ。隠そうとしても、声を聞けばわかるのに」
お兄ちゃんの顔からマスクをズラすと、そのまま私も自分のマスクもズラす。
風邪が移るかも?
そんなことは知らない。
友達に軽蔑されたら?
一歌たちはしない。
お姉ちゃんに嫉妬される?
望むところ。
何回か唇を触れ合わせて、お互いの唇が濡れ合う。
寝込みを襲うのは心底最低だと思うけど、それよりも不安だった。
お兄ちゃんはたまに後ろめたいことを隠そうとするような顔をする。
まるで今にも消えてしまいそうな、そんな顔。
今日もそうだ。
だから安心したかった。
お兄ちゃんが幻じゃないことを確認しないと、不安で胸が締め付けられる。
いつかお兄ちゃんがスっと居なくなって、それから二度と会えなくなってしまうんじゃないかと。
今はまだ大丈夫。ちゃんとお兄ちゃんはここにいる。
まだ話して貰えなくてもいい。
でも、今度は私が絶対にお兄ちゃんを救ってみせる。
私の音楽で。
その為にも早く風邪治して、またライブ来てもらわないと。
⋯お願いだから。いかないで、お兄ちゃん。