「立ちなさい、日野森志歩。ショックなのはわかるけれど、今は時間が無いの」
「…わかってる」
「偉いわね。さて、ここがヒビキのセカイで、ヒビキが何を想っているのかは理解できたはずよ。次は、どうやってその心を埋めるか。それを考えましょう」
「心を、埋める?」
「ええ。今のヒビキの心には、大きく空いた穴が存在する。本来そこには、楽しさを感じる心があったはずなのよ」
楽しさを感じる心?それが抜け落ちているならお兄ちゃんは…
「楽しいと感じることが、ない?」
「そうよ。それもずっと前からね。そっちの世界で楽しそうにしていた事があっても、全て偽りの表情よ」
「そんな…」
私達のライブを見て笑っていたあの姿も、お姉ちゃんのライブを見て歓声を上げるその姿も、全部嘘だったってこと?
「わからないのも無理はないわ。あの磨かれすぎた演技力じゃ、気付けるのはせいぜい同じ環境に立ったことがある人間くらいじゃないかしら?それこそ日野森雫は気付いていた節があったわね」
「お姉ちゃんが…。ならなんでもっと早く言ってくれなかったの?そうしたらお兄ちゃんをもっと早く救えたかもしれないのに」
「…信じたかったのでしょうね。…好きな人を疑うことほど辛いことはないから」
まるで経験したことがあるかのようなミクの言い方に、私は何も言えなくなった。
このセカイがお兄ちゃんの想いで生まれたなら、このミクはお兄ちゃんの想いを知っていて、自分ではどうしようもなくなって私達に助けを求めて来たんだと思う。
私達も辛いけど、ミクだって辛いはずだ。
「それで、どうすればお兄ちゃんの心を埋められるの?」
「そうね。それを説明する前にまずは"想いのカケラ"について話すわね」
「"想いのカケラ"…?」
「ええ。"想いのカケラ"は感動したり、共感したり、好意的な感情が生まれた時に"人間"から発生する目には見えないものよ。例えばあなた達の演奏や歌、ダンスによっても発生しているわ。ただし、人間"からは見えないだけで、私達のように電子的な存在や違う次元からの観測によって見ることができるの」
電子的な存在や違う次元からの観測というのは、バーチャルシンガーのような存在からは見れるということか。
いや、今その事はどうでもいい。
「じゃあ、"想いのカケラ"を集めればお兄ちゃんの心は埋まるってこと?」
「そう簡単ではないわね。"想いのカケラ"だけでは力が足りないのよ。だから、"想いのカケラ"を集めて"想いの純結晶"を作る必要があるわ。"想いの純結晶"なら、心を埋めるだけの力がある。ただし、途方もない数の"想いのカケラ"が必要になるわ」
「…なら、私にできることは沢山練習して、ライブをしてお兄ちゃんの心を動かせるだけの実力を付けること」
「そうね。それも大切だけど、それだけでは間に合わないでしょうね」
間に合わないって、それはつまりお兄ちゃんが消えてしまうということ。
一体どうすればいい?お兄ちゃんの心を動かすには何をすればいいの?
「…はぁ。…あなた達、兄妹であんなことをしているなんて。人の趣味に口を出すつもりはないけれど、もう少し慎みを覚えた方が良いんじゃないかしら?…もっとも、今はそれに助けられているのだけれど」
「…いきなりなんの話?」
「それは…。その、キスとか、そういう類の事沢山してるじゃない」
なぜこのタイミングで?というか
「なんでその事を知ってるわけ?盗み見てたの?」
「ち、違うわよ。"想いのカケラ"を集めるには私が触れる必要があるのよ。私が"想いのカケラ"に触れてしまえば、カケラが生まれる原因まで私の記憶や感情にインプットされてしまう。…ヒビキもヒビキよ。どうして妹を受け入れてるのよ…」
つまりそれは、今までお兄ちゃんにしてきたことがこのミクには全部バレているということ…?
記憶の限り思い出されるその所業に、思わず顔が熱くなる。
しかし肝心のミクも、思い出したように顔を真っ赤にしているのでお互いを指摘する事はできない。
「…話を戻すわよ。あれらの"行為"によってもヒビキの感情は揺れ動いているし、あそこまで行かなくてもスキンシップを取ったり、遊びに行ったり、一緒に過ごすだけでも"想いのカケラ"は生まれているわ。もちろん、音楽も頑張る事ね。あの子は音楽が好きだし、悪い方に転がることはないはずよ。」
「あの子?ミクの方が年下じゃ」
「うるさいわね。いい?決して無理をしてはダメよ。あなた達が倒れたら、それこそゲームオーバーよ。最悪なのは、あなた達が倒れたのがヒビキのせいだと思われる事なのだから。だからせいぜい足掻きなさい、日野森志歩」
色々とツッコミたくなることはあったけど、やるべき事は分かった。
音楽も今以上に頑張る。お兄ちゃんと過ごす時間も増やす。
どっちも私がやりたいことなんだから、負担でもなんでもない。
そう思うと、少しだけ安心する事ができた。
お兄ちゃんはまだ生きている。後悔しないようにやってやる。
「そろそろ時間ね。"想いのカケラ"収集状況は定期的に報告するわ」
「ありがとう、ミク。私達のセカイのミクとは違うけど、やっぱり頼りになるね」
「礼はいらないわよ。私の為にしてる事だから。…ヒビキを頼んだわよ」
「誰に言ってるの?任せといて。沢山愛してみせるから」
「…ええ、そうね」
次の瞬間、私の体は自分の部屋へと戻っていた。
現実世界に戻る前、最後に見えたミクの顔は悲痛そうだった。
「いつから気付いてたの?」
敢えて目を合わさずに話すのは、今の感情をなるべく隠すためだろうか。
自分でもわからない。
手を握ってくる雫の手が、火照った体から熱を奪っていく。
「違和感を感じたのは少し前かしら。でも確信したのは"今日"よ。いつもは完璧な笑顔でも、今日は熱が出てるからか、少しだけ表情が曇ってた」
「そっ、か。…上手く笑えないんだ、ずっと」
「そうなのね。ふふ」
面白いように笑う雫を見て、思わず目が点になった。
今結構暗い話をしてたつもりだったんだけど、雫の雰囲気はいつもと変わらない。
それどころか、いつもより大人びた雰囲気は自分より年上だと思わせるものがある。
「笑ってしまってごめんなさい。でも、兄妹だなって思って。私も上手く笑えなくなって、お兄ちゃんに助けてもらったから。なら、次は私の番でしょう?」
「…雫」
「ねぇ"お兄ちゃん"。来週の週末は空けておいて?1日かけて、色々なところを歩きましょう?そうして、夜は一緒に眠るの。お兄ちゃんがしてくれたみたいに、ね」
ああ。敵わないな。
雫がどこまで気付いているのかわからないけど、楽しさを感じたことのない俺に対して、安心で心を埋めようとしてくる。
なんとなくだけど、前の世界よりも心が軽く感じるのは妹達が居るからだろうか。
毎日が辛くてしんどくて、心が張り裂けそうな痛みに見舞われても、雫や志歩と話せばフッと心が軽くなる。
俺みたいな欠陥品を愛してくれている可愛い妹達。
そんな彼女たちを置いて俺が先に消える訳にはいかないだろう?
俺はひとりじゃないんだから。
だから、もう少しこの真っ白な世界で戦ってみよう。俺はお兄ちゃんだから。
【業務連絡】誤字報告ありがとうございます。感謝です!